5.亀さんと僕
命の重さはみんな同じ。
人も、虫も、鳥も、亀も。
けれど、奪いやすさはみな違う。
部屋に一人の残された僕は、無数に蠢く亀を呆然と見つめていた。
狭い水槽の中を、それぞれがぶつかりながら動いている。
なんとも可哀想な光景。
僕は、何の気なしにその内の一匹を取り出し、机の上に置いた。
その横には、小林さんが置いていった金槌があった。
「………………」
広々とした空間に解き放たれた亀は、自由を謳歌するように、歩いた。
その歩みは亀なので当然ゆっくりだが、心なしか喜んでいるような気がした。
彼の背には『亀美』と書かれていた。
かめみ、と読めばいいのか。
ということは、この子は『彼』ではなく『彼女』ということか。
確かに、彼女をきちんと見つめると女の子らしい顔をしている気がする。
亀の顔なんて、そうまじまじと見た経験はないけれど。
一匹一匹違うものだ。
人間と同じように。
僕は、視界に映る金槌を無視して、時間を過ごす。
それを振り下ろすことはもちろん、
握ることすらできなかった。
僕が殺したいのは、
僕が憎いのは、
今あったばかりの亀たちではない。
『あいつ』であり、
『あの人』だ。
それ以外の命を、練習だからと言って奪うことはできない。
彼らのために、無為にこの子たちの命を奪うことなんてできない。
300万円払った後だけれど、引くに引けない状況であることは理解できているけれど。
無関係の命に手を出すことは、どうしても気がひける。
偽善的考えなのだろうけど。
ーー
そのまま、時は流れた。
ちくたく、
ちくたくと。
ゆっくりと時間は流れる。
亀の歩みのように。
「あれ、まだ一匹も殺せてないじゃないですか?」
デスクワークの遅延を叱る上司のように、小林さんは僕の怠慢を非難した。
それと同時に、僕の右手に強引に金槌を握らせる。
不意な状況に、反応できない。
されるがままに、力なく握る。
併せて、彼女は自身の手を重ねた。
人の体温を感じない、冷たい手。
金属のような、
接触冷感の繊維のような、
ひんやりとした手。
その手は僕の手と重なり、体温を徐々に奪っていく。
「仕方がない人ですね」
小林さんはそう呟くと、僕の右手ごと、金槌を振り上げる。
見事なテイクバック。
見とれること、数刹那。
「あーー、駄目っ」
鈍い感触と、甲高い金属音。
一つの命が奪われる、
一つの命を奪ってしまった、
そんな瞬間だった。