4.練習
小林さんは準備をしっかりする。
それは自分も、依頼者に対しても。
妥協は許さない。
小林さんは僕から現金300万円を受け取ると、目を輝かせながら枚数を数える。
一枚一枚丁寧に、
それでいて目にも止まらなぬハイスピードで。
「298、299、300ーーはい、確かに300万円丁度、受け取りました」
にっこりと営業スマイルのようなものを、彼女は向ける。
効果音でもつけそうな、晴れやかな笑顔。
このお金で救われる子供たちのことを思っての笑顔ならば、彼女きっと聖人か何かなのだろう。
会ってまだ数分の僕には、彼女の人間性なんてものは欠片も理解できないけれど。
「では、依頼内容について詳細を詰めていきましょう。対象の情報、わかる範囲で教えていただけますか?」
小林さんは笑顔を真顔に戻し、仕事モードへ。
その滑らかな変異に面食らうも、僕は「ええ、はい」と淡々と『対象』について詳細を述べた。
恨み、
憎しみ、
苦しみ、
様々な負の感情を抱きながら。
ーー
「なるほど、だいたい分かりました。後は自分で調べるので十分ですよ……そうですね、1時間あればいけますね。その間、岡平さんには『練習』でもしてもらいましょうか」
小林さんはそういうと、重厚な扉に閉ざされた部屋へと僕を案内する。
重々しい音とともに扉が開くと、そこには沢山の生き物ーーいや、亀がいた。
巨大な水槽の中に、10や20では足りなない、大量の亀が蠢いている。
「この部屋は一体ーー」
「練習場です。都合、亀さんが大量入荷したので、今回は亀さんですね」
「亀をーーどうするんですか?」
大方の予想はついていた。
会話の流れから、『練習』という言葉から。
だが、聞かずにはいられなかった。
確かめずにはいられなかった。
今から僕が何をやらされるのかを。
小林さんはてとてとと部屋の中央に鎮座した、水槽から亀を一匹取り出した。
掴まれた亀は手足をばたつかせながら、もがいている。
「この亀さんはミシシッピアカミミガメと言います。まあ、割とメジャーな亀さんですね」
彼女はうんうん、と頷きながら亀を僕の眼前の、手近なテーブル置く。
亀はゆっくりと動き出し、目的地もなくテーブルの上を彷徨っている。
ーーん?
甲羅に何か貼ってある。
『亀吉』?
「彼の名前は亀吉さんです。よく覚えておいてくださいね。名前は大事ですから」
「それはどういう事ーー」
「他の亀さんにも、ちゃんと名前があります。私は彼ら彼女らの顔と名前を覚えていますが、初対面の岡平さんには難しいでしょう」
僕の言葉を遮り、彼女は続ける。
僕がこれから何をさせられるのか、伝える。
「岡平さん、ご依頼のお話に戻りますけど、人を殺すのは案外難しいものなんです。ナイフでも、銃でも、言葉でも。自身の行為が命を奪うと分かっていると思うと、取り返しがつかない事と知っていると、余計に難しい。まあ、岡平さんが人体錬成を習得しているとか願いを叶える玉とか持っているならば、別ですが」
彼女は水槽横に何故か放置されいる工具を手に取った。
金槌、である。
釘を打ち、物を砕く道具。
「併せて、初めての経験に挑戦するって、難しいんですよね。交際歴なし期間=年齢の処女童貞が初体験を大事にしてしまうのと同じような感覚でしょうか」
彼女はのらりと僕に近づき、持っていた金槌を手渡した。
ずっしりと、その重さを感じる。
「今から、岡平さんにはこの亀さんたちを殺してもらいます。そうですね、50匹いるので、一時間あれば十分ですかね。私は情報収集している間に、終わらせておいてください」
事も無げに小林さんは言う。
淡々と、
自習を任せる中学教師のように、気軽に。
命を奪うことを、僕に命令した。