正しい選択
「ち、違う! 僕の名前はオットー! オットーだっ!」
咄嗟に思いついた名前は昨夜、僕が殺した同僚の名前だった。
「そうかのう。お前さんを治療する為に猟犬の制服を脱がせたのじゃが、レイ・チェンバースと刺繍が入っておったぞ?」
「……」
「お前さん、勘違いしておらんか? 別に取って食おうとは思うてない。もし……もしお前さんがレイ・チェンバースじゃと認めてくれれば悪いようにはせんよ」
本当だろうか? 胡散臭くて堪らない。
そう思った途端、この男は真実を告げていると感じた。どこからともなく根拠のない確信が溢れてくる。これがフラウロスの魔法陣の力なのだろうか。
「降参だよ。僕はレイ・チェンバース。助けて頂いて感謝している」
「ほっほっほっ。では参ろうかのう。さあ、起きるのじゃ」
男は僕の額に手を伸ばし細い針のようなものを引っこ抜いた。するとさっきまで動けなかったのが嘘のように、身体が自由を取り戻す。
「それは?」
「これは鍼術じゃ。かつて中国という国があってのう、そこに伝わるものじゃ。上手く使えば傷を癒し、悪く使えば自由を奪うことができる。いうても人を殺すことは出来んがのう」
「そんな術、聞いたことがない。そもそも治療行為は世界教会支部内で行う以外、一切禁止されているはず」
と言いつつ僕は世界教会から逃亡した身。さらに治療までしてもらった……こんなこと言ってもどうしようもない。今更、規則もへったくれもないだろう。
「さよう。お前さんが告げ口出来るとは思わんがな」
男は優しく微笑んだ。
「では支度をするのじゃ。ちと出かける用がある。制服を着るではないぞ、目立つからのう」
男がフード付きの黒いローブを渡してきたので、袖を通し、すっぽりとフードを被る。
その間に男はハットを被り、ステッキを手にして、準備完了といった様子だった。
「それでは出発じゃ」
男は家の出口を開け、僕を外へと連れ出した。
昨日、ロンドン支部に侵入者が入った割には、街は平穏そのものだった。
大通りへと出ると、男は道端で右手を上げた。
それが合図だったのだろう、僕たちの目の前に黒塗りの車が現れた。ロールス・ロイス/ファントム。イギリス王室が存在した頃、王室御用達だった車だ。
このご時世にこんな贅沢を出来る人間は限られている。世界教会の支部長以上の階級、もしくは幹部でないと高級車を所有出来ないし、そもそも市民は車を持つことが許されていない。
「さあ、乗るのじゃ」
男はドアを開け、僕が先に入るよう促す。
中に乗り込み、革張りの座席に座ると、身体が包まれるような座り心地だった。初めて乗った高級車に少し心が躍る。
男が乗り込み、ドアを閉めると、車は滑るように走り始めた。走行音はとても静かで、街の喧騒は全く聞こえない。
そういえば僕が乗っていた車はひどかったなと思い出す。猟犬の仕事で使う車は軍用のジープだった。屋根がないので雨の日の出動はずぶ濡れになるし、なによりすごく揺れて乗り心地が悪かった。
「こんな高級車に乗っているのか? あなたは何者なんだ? 世界教会の幹部なのか?」
僕の問いに男はただ微笑むだけだ。
世界教会の幹部ならこのまま僕をロンドン支部へ送り届けるだろう、やはり信用すべきではなかった。そう思ったが、またしても正しい選択をしたという根拠のない確信が湧いてくる。
「そろそろ着くようじゃな」
男の言葉を耳にして、外の景色を眺める。
そこに見えたのはハイドパークだった。ロンドンが誇る大きな公園。かつてはイギリス王立公園だったらしいが、現在は世界教会の管轄公園であり、その周辺は高級住宅地が広がっている。
……そしてその高級住宅に住めるのは世界教会の幹部のみだ。
謎の男の正体は……もうすぐ明らかに!
次回は少し話が逸れて、あの男の話になります。お楽しみに!
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