第三十三話
「う〜ん……」
長いねむりに着いたときのような唸り声をあげて、俺は目を覚ました。
「あ、気がついた?大丈夫?響くん」
なにやら見知らぬ女性の声がし、その方向を向くと、青みがかかった黒髪が一つにまとめられ、肩の後ろがすっきりしている人がいた。
初めて見る顔だが、なぜかその人が誰か分かっていた。そっくりだったのだ。早見文に。
「……深海真水先生……ですよね?」
つまり、あの伝説の天才作家である。今もなお純文学の頂点に君臨する、スーパー売れっ子。確か発行部数は全作品合わせて2500万部を突破していた筈だ。
「うん、そうだよ。私が深海真水。そして早見瑞乃。いつも文達がお世話になっているそうで」
とてもしっかりしている人なのだろう。丁寧に腰を曲げてお辞儀をした。
先程から、キョロキョロと病室を眺めていたので、それについて聞いてみる。
「うん、私さ、17以前の記憶がないんだよね。それに、はじめての記憶がこの病院だからさ」
一瞬、聞いてはいけない事を聞いてしまったのかと思ったが、そういえば連に聞いたことがあった。早見瑞乃は、記憶喪失だと。しかし、本人はそれを気にする様子もなく、平然と振舞っている。
「ところで、読さんは?」
「読くんなら今仕事の電話してるよ。急に抜けてきたからね」
ここで、俺は前々から思っていた事を聞いた。
「なんで……そこまで仕事を優先するんですか?」
その質問に、顔をしかめた刹那を逃す俺ではない。
「私も読くんも、家族に特別な気持ちがないから、かな」
それはきっと、愛がないわけではないのだろう。いつか疎遠になってしまうくらいなら、最初から深く関わらず、必要最低限を築いてきたと、そう言っているように聞こえた。
「それにね、読くんはとっても不器用だから。信用すればするほど、冷たくなっちゃう人だから。だから、きっとあの子たちを大切に思っていても踏み込まないでいるんだと思う」
その言葉で、少しだけ早見読という人間がわかった気がした。
それと同時に、本当の問題点も。だから、か。
「よかったら、電話番号とか交換する?なんだか君なら、やってくれそうな気がするし」
やってくれるとは。なにをだ。決まっている。早見家を、家族として正しく当てはまる事だ。
一人は、唯一才能を持たない事から家族と離れる事を選んだ。
一人は、傷つける事を恐れて、築くことすら諦めてしまった。
一人は、自分ではどうしようもないと、ハナから諦めている。
一人は──早見文は──きっと。
全部見えている筈だ。
くっそ眠い。ただそれだけです。




