奇妙な店員と喫茶店ベリエル
「遥人、今日はどこ行く?」
放課後になればそんな声が聞こえる。
大して大きくもないこの街には、何か不便があるわけでもなく普通の生活をするには充分だ。幼稚園から大学まであるし、病院から食品スーパーもしっかりある。昔懐かしい商店街もいまだに健在だ。最近は大型ショッピングモールがぽつぽつと出来始めて個人経営の店は危ないらしいが、今の段階ではまだ生き残っている。
「いつものところでいいんじゃない?」
僕と正人は小学校の頃からずっと一緒に過ごしている。久保正人、この名を高校で知らない人はいないだろう。ことあるたびに問題を起こす厄介者だ。しかし、それでいて僕よりも頭が良い。普段から思ったことを口に出さずにはいられない、そんな性格をしている。
「まあやることもないからいいか」
最近僕たちは新しいたまり場を見つけた。少し前まではゲームセンターに良く遊びに言ったものだが、金遣いが荒いと妹のちひろにさんざん言われてしまったのでお金をそんなに使わないところに行くこと変えたのだ。
と、言っても小さな公園でボーっとするだけなのだが……。
「ねえ、この頃思うんだけどさ、今までは結構遊んできたのになんで今になってこんなことするの?」
「ん? あー、それはあれだよ。俺の気分さ」
見た目こそ銀髪の吊り目、人より大きな体、そしてぶっきらぼうな話し方。そんな正人を一瞬目にしただけでみんな周りからいなくなる。
正人は小学生の時からみんなより一回り大きかった。かなりやんちゃな性格だったし、空手に柔道、剣道と言った武道も習っていて同じ学年では敵なしだった。そんな正人と仲良くなったのは僕がいじめられている時だった。
僕は校舎裏に呼び出され、三人から殴る蹴るの暴行を受けていた。その日はなぜだか三人に反抗したくなり、いつもは従う命令に反対したのだ。幼い頃から弱腰だった僕が、その日だけなぜか強気になっていた。だがしかし、気持ちが変わったからと言って自分の身体が大きくなるわけでもないし、ましてや魔法とか特別な力が開花するわけでもない。この世界はいたって普通だから何も変わらなかった。一つ運が良かったとすれば、正人が僕の前に現れた事だった。
「お前等おもしろくない」
そう言って正人は三人を瞬殺、ほんの数秒で片付けてしまった。
「あ、あの……、ありが――――」
「――――うるせえ!」
「うぐっ!?」
僕はそのまま意識が遠ざかって行った。
さほど大きくない公園には滑り台に鉄棒、シーソーといった簡単なモノしかない。ベンチは僕たちの座っているものだけ。敷地に対してものが少ないのはなぜだろうか。せっかくの公園というのにこのものの少なさから子供連れの家族が来ることはほとんどない。強いてこの公園に来るとしたら、僕達みたいに当てのない人生を生きている人だけだ。
「正人はさ、なんであの時僕を助けたの?」
「え? あ、ああ、あの時はそういう気分だったんじゃないか?」
こいつの行動原理は常に「気分」だ。気分が乗っていればどんなに面倒なことでもやるくせに、乗っていない時は簡単なことすらしない。だからテストも気分が良ければ満点も取るが、良くなければ一文字も書かないこともある。超気分屋の正人だからこそ、僕は一緒にいたいと思うのかもしれない。僕はこの世界が退屈だ。何も起こらない普通の世界。なんとなく生きてなんとなく死んでいく、そんな一章が嫌だから常に何をしでかすかわからない久保正人と一緒に居たいのだろう。
「遥人は人生つまんなそうだよな」
「正人に言われるとなんか傷つくよ」
「ははっ、本心を言ったまでだぜ。お前の顔、いつも死んでるからなー」
二人しかいない公園に僕たちの声は響きもしない。
「そうかな? これでも僕は今楽しんでるって顔してると思うけど」
「おいおい、そんなにくっつくなよ。ホモって思われるじゃないか」
僕は正人の顔に自分の顔を近づける。鼻と鼻が当たりそうな距離にまで近づく。
「僕はいいよ」
公園の近くに人がいなことは分かっている。こんなに遊具の少ない公園が存在していていいのかと僕も常々思っているほどだ、そんな場所にわざわざ行こうとも思わない。だからここの近くに人が来ることはめったにないのだ。
「そんな顔されたら……。俺も、もう、我慢できなくなるだろ……」
「…………」
「…………」
「…………」
「なんだよ、せっかく乗ってやったのにその顔は。大体今もお前の目は完全に死んでるからな」
「まさか正人に唇を奪われようとは……」
「ちょっと待て、俺が遥人の唇を奪った? なんだよそれ」
「だって、そうじゃない」
「違えよ、なんでそうなるんだよ。どっからどう見てもそんなことになってなかっただろ。てかそのキャラつまんねーよ、いい加減にしないと俺もキレるぞ?」
正人の手が僕のあそこに―――――
「痛い」
「わかったな?」
「はい、すみませんでした」
僕の肩は武道で鍛えた正人の手によってもげそうになっていた。ただでさえ見た目で怖さ三割増しなのに、普通に力強いとか不良の領域だ。
「つまんねーな」
「そうだね」
「移動するか」
「うん」
公園でのやり取りを終え、僕たちは目的地のない移動を始める。これも正人の気分なんだろう。夜まで僕と話すときもあれば、たった十分で解散するときだってある。今日は街でも探検しようというのだろうか。
僕と正人はこの街で生まれ、この街で育ち、この街で一生を終えるのだろう。平凡な毎日から僕たちは一生抜け出せないのかもしれない。
公園から約十分、正人は細い路地裏に入って行く。
「ちょっ、こんなところ行くの?」
「なんとなく面白そうな予感がするんだよ」
「またなのね……」
十年間も一緒に過ごしていると互いのことを言わずもながら理解してしまう。毎日のように正人と過ごしている僕にはこんなこと慣れっこだ。むしろ気分で動かない時の方が不安になる。超気分屋、それが久保正人の性格なのだ。
「こんなところに喫茶店とは、絶対繁盛しないな」
「な、何言ってんだよ! 完全に店の前じゃないか」
正人は「喫茶店 ベリエル」と立て看板の前で立ち止まってつぶやいた。
見るからに古い建物に看板、そして路地は人がやっと一人通れるくらいの隙間しかない。こんなところに店を構えたところで一体誰が入るというのか――――
「ごめんくださーい」
僕達でした。
「待ってよー」
僕も正人に続いて店の中に入る。
そこには外見とは似ても似つかない……とも言えない内装が広がっている。店内はカウンター席が三つあるだけで、僕と正人以外に一人、カウンター越しに女の子が立っている。
「いらっしゃいませ」
か弱い声が僕の耳に響く。小さくて弱弱しいのになぜか僕の頭に反響していた。
黒く長い髪を横で一つにまとめ、胸のあたりまで流している。澄んだ瞳には僕の顔がハッキリと映っていた。
「この店、かなり古いでしょ」
すでに席についている正人はいきなりの質問をする。
「もう五十年になります」
「ふーん、マスターはあんたなのかい?」
「はい、こちらメニューになります」
僕の存在は完全になくなっていた。物静かに返答する彼女と正人の会話を僕はちょこんと座って聞いているだけで、僕にもメニューが渡される。
「じゃあ俺はオリジナルコーヒーで」
「あ、僕も同じのをお願いします」
「はい、かしこまりました」
この子、どっかで見たような気がするんだけどな……、どこで見たか全然覚えてない。絶対に見たことあるんだけど、どこで見たのかが思い出せない。
女の子がコーヒーを差し出してくれる。
「お待たせいたしました」
二つのコーヒーが並ぶ。喫茶店のコーヒーなど見た目が変わるわけないはずなのだが、なぜ僕と正人のものが違うんだ? 同じものを頼んだはずなのだが。
「おい、これはなんだ?」
ほら、やっぱり正人が怒った。まあ怒る方が普通なんだけどね。
「このメロンソーダはなんだ」
「当店のオリジナルコーヒーでございます」
何とも斬新なボケなのだろう。真顔でこんなボケをする人は初めて見た。それに初対面の、しかも客である僕たちにいきなりこんなことをするなんて、変人以外にありえない。
「そんなわけあるか! これのどこがコーヒーなんだよ! 何をどう見てもメロンソーダじゃねえか!」
緑の液体にシュワシュワと音を立ててはじける。ご丁寧にバニラアイスまで乗っている。
「じゃあ僕のは何なの?」
「そちらもオリジナルコーヒーでございます」
「嘘つけ! なんで同じもの頼んで違うものが出て来るんだよ! 俺を馬鹿にしてるのか?」
正人は本格的にキレてしまったようだ。怒れる右手をプルプル震わせて、今にもメロンソーダを店員の女の子にかけてしまいそうだ。緑色のメロンソーダを。
「ぷっ」
「なんだ!」
「あっ、ごめんごめん。今まで正人にこんなことした人いなかったから、ちょっとおもしろくて」
「なめてんのかこの野郎!」
僕の胸ぐらを掴み殴りかかってこようとする正人。
「落ち着いてください」
「誰のせいでこんなことになってると思ってんだよ!」
「ぷっ」
「ああ、もう! なんなんだよ二人して!」
見た目からも性格からも想像できない。彼は怒りの沸点を超えると、萎える。
「もういいよ、どーせ俺なんか……」
僕もこのモードになったのを見るのは三回目だ。いつも気分でなんでも解決してしまう正人だが、こんなに変な一面を持っているのを知っているから彼の友達をやめようとは思わない。
完全に机に伏せて、僕には表情は確認できない。
「正人、大丈夫?」
「大丈夫なわけあるかー! どーせ俺なんか、俺なんか……」
「ごめんね、正人はこうなると面倒なんだよ」
「お客さんがこうなったのは私のせい。責任取る。私を自由にしていいよ?」
「ちょっ、まっ!?」
女の子はいきなり服のボタンを外しだし、服の下に着ている布が明らかになりそうになる。
「あなたが望むのなら、私は――――」
「ちょっと待った! なんでそうなるの?! 何、あなたは頭イカれてる系なの? それともそういうお店なの!?」
「そんなことは、ない」
「じゃあなんでそんなことするの!」
「それは……」
「なんで頬を赤らめる!」
僕がツッコミに徹するなんて珍しい。いつもは正人がツッコんでくれるからボケに回っているのに、この僕がツッコミの担当になるなんて……って違う! 今はそんなことより目の前のことが優先だ!
「私の初めて、あなたに……」
「ああ、もう! 女の子がそういうこと言わない!」
「なんで?」
「なんでって、そういうものだからだよ!」
「どういうもの?」
「なんでそんな眼差しで聞くかな。ダメなものはダメなの!」
「よくわからない」
「いいから早くボタンを留めて」
「うん」
そこは素直かよ!
「はあはあはあはあ……」
「興奮してるの?」
「違う! なんでそう、ストレートに言っちゃうの」
「私ストレートの方が好き」
彼女は表情一つ変えないで僕の目を見る。
「私、長い方が好きなの」
「え?」
「だって女の子だもん」
「何をおっしゃって……」
「やっぱり男の子も長い方がいいのかなって思うんだけど、そこはどうなの?」
「え? えっと、それは――――」
ああ! こいつは何を言っているんだ! 僕ら初対面だぞ? ここ喫茶店だぞ? まだ夕方の六時だぞ? そんな話はまだ早いでしょ。それに彼女は見るからに僕たちより年下でしょ。そんな子がこんなことを。
「やっぱり今は短い方がいいのかな、髪」
「髪? えっ、あ、ああ、髪の長さね。うっ、うーん、人によるんんじゃないかな」
な、なんだ、髪の毛の話だったのね。僕はてっきりアッチの……。
「あなたはどっちが好き?」
「え? 僕? 僕は、どちらかというと長い方がいいけど」
「そう、なら切るわ」
「はい?」
「あなたなんかに好かれても意味ないから切るって言ってるのよ」
「ん? んん?」
「とっとと消え失せなさい、この豚野郎!」
ええ! いきなりどうした、どうしたというのだ! 性格がまるで違うじゃないか! この子は一体何なんだ! どうかしてるよ!
「正人、正人! もう帰ろう。ここはなんだかマズい気がするよ。さあ、早く!」
僕は千円札を一枚カウンターに置き、萎えモードの正人を連れて退散した。入ってから出るまで何分いたのだろう、ケータイで時間を確認するとまだ六時を少し過ぎただけだった。