ナイジェルのターン
「いや、導師、申しわけないなあ。若い子でもあるまいし、跡が残ったっていうだけで、暮らしには何の支障もないんだが、せっかく導師が来てくださっているのだから、見るだけでも見てもらえって言われてさ」
二階の部屋で待っていたのは、まず壮年の男性だった。
「別室に集まってもらって、見るのは一人ひとりがよかろうと思いましてな」
町長がそう説明してくれる。導師は頷いた。
「年は関係なかろう。怪我をした場所は足か。その時ポーションは」
「怪我をしたのは畑なんだが、痛みをこらえて急いで家に帰ってさ。置いてあったポーションは飲んだんだが、だいぶ古くなってたみたいでなあ。痛みは消えたが、跡が残ったってそういうわけさ」
「ふむ」
導師の見たところ、怪我は右足だけであった。痛みはないというが、酸の痕が引きつれて、時々はやはり痛むはずだ。我慢強い男なのだろう。それでもすぐに教会に来ればよかったのだ。
「ナイジェル。スライムの酸の典型的な傷だ。よく見ておくんだ」
「はい」
「そして昨日体調を見た時のように、魔力を流して魂の輝きをよく観察してみなさい」
導師の言葉に、ナイジェルは男の両手を握って軽く魔力を流す。
「なんだ、ナイジェル。今までこんなやり方したことなかったのにな」
軽口を叩く元気はあるが、そうしてなんでも自分でこなしてきて、人に頼るということがなかったのだろう。
「右足に影。魂の輝きは失われています」
「わかってるよ。いまさら言われなくてもさあ」
男がちょっと悲しそうに言った。治らない怪我の仕組みくらいはわかっているのだ。
「ではそのまま片手を握って、私のすることをよく感じていなさい」
「は、はい」
導師は不安そうな男の手を握った。左足の表面の記憶を写し取って、反転させる。その記憶に女神の元からエネルギーを引いてくる。
「お、なんだ。暖かい。いや、熱い?」
もともとのほくろや特徴は失われたかもしれない。何しろ左足の記憶なのだから。
「さ、見てみるがいい」
男がズボンのすそを上げると、そこには傷の跡はなく、きれいな肌があるだけだった。男はおそるおそる足をこすってみた。
「痛くない」
やはり痛かったのではないかとショウは意地っ張りの農夫に心の中で少しあきれた。
「痛くないどころか、触った感覚がある。怪我をする前みたいに」
そして立ち上がった。
「立ち上がっても引きつれて痛いということがない」
本当に痛かったのではないか。意地っ張りを来させるのに奥さんは大変だったろうなとショウは今度はおかしくなった。
「導師、ありがとうございます、導師」
「うむ。いいか、ポーションは家族の人数分は必ず用意しておくことだ。そしてできれば一ヶ月に一度、ギリギリで一年に一度は必ず取り換えること。わかったな」
「はい。だが」
農夫は心配そうにロビンのほうを見た。薬草が足りなくて、ポーションの数が少ないということは一応みんな知っているのだ。
「新しく薬草の生えているところが見つかったんだ。今すぐは無理でも、少しずつ増やしていくから」
「そうか。今まではこんなことなかったからな。ロビン、すまないがよろしく頼む」
「あ、ああ」
ロビンは当たり前のような顔をして返事をしたが、握りしめたこぶしはかすかに震えていた。
期待が重いのか、それとも嬉しいのか。なんにせよ、これでやる気になってくれたらいいのだがとショウはロビンをちらりと見た。
「なあ、ショウ。導師は何をしたんだ。時間のたった怪我は治らない。それは俺だって知ってる。でも、今、確かに怪我は治ったよな?」
「うん。リク。コピーして反転、だよ」
「コピーして反転。そうか! 左右で対称のものなら、反対側の形を写し取ればいいのか!」
導師が驚いたような顔でリクを見て、片方の眉を上げた。それから小さく首を左右に振って見せた。静かにしろと言うことだ。リクは興奮をできるだけ抑え、口を閉じた。
「導師。導師、どういうことですか。いったい何が起こったんだ。何もない、魂の記憶の欠けたところが、なぜ元の輝きを取り戻したんだ……」
「ナイジェル。これは新しい治癒の技だ」
「新しい、技」
「そうだ。まだ深森でしか広がっていない。そしてこれをお前にも覚えてもらいたいのだ」
しかしナイジェルは青い顔をして下を向いた。
「無理です。魔力を流すやり方を昨日やっとのことで覚えたばかりなのに。そもそも俺は、やっと一人前になったばかりの治癒師です。こんなにすごい技、俺には無理です」
「ふむ」
導師は顎に手を当てると、ナイジェルにはそれ以上何も言わず町長のほうを見た。
「全部で何人待っている?」
「あと七人ですな」
「その中で、痛みの強い者や、見えるところに跡が残っているものは?」
「三人、になる」
町長は頭の中で人数を数えるようにゆっくりと答えた。
「では、怪我のひどい者から順に連れてきてほしい。女性は別室でと思ったが、そうも言っていられなくなった。ここにいるのはほぼ治癒師だ。将来の町のためだと言って、説得してほしい」
町長は何かに耐えるような顔をしたが、やがて頷くと部屋を出て行った。導師は無理だと言ったナイジェルを説得することもなく、静かにたたずんでいる。ショウとハルも同じだ。
ただリクとロビンだけが、落ち着かずに視線をさまよわせている。
やがてドアが開くと、波打つ黒髪を顔の前に垂らした若い女性が入ってきた。
「イネス……」
ロビンのつぶやきに、ナイジェルははっと顔を上げ、その女性は肩を揺らした。しかし顔を上げることはなかった。
「娘です。顔を、スライムの酸にやられて」
町長の少し震える声が、それでも冷静に状況を説明した。
「なぜすぐに教会に来てくれなかったんだ!」
ナイジェルが思わず叫んだ。イネスはまた肩を揺らした。
見られたくなかったんだ、きっと。怪我をした時、すぐにポーションを飲むか治癒師に治してもらう。たったそれだけのことが、普段ひどい怪我をしたことのない平原の民にはこんなにも難しい。
「ショウ」
「はい。導師」
呼ばれてショウが前に出る。町長が慌て始めた。
「待て、まさかその年少の見習いにやらせるのか」
「そうだが」
「導師に! 導師にお願いしたい!」
それはそうだろうとショウは思うので、そう言われても特になんとも思わない。それでも静かにイネスの両手を握った。
イネスは顔をそむけたまま、それでも震える手を黙ってショウに握らせた。そっと魔力を通すと、食事もろくにとっていないのだろう、全体に弱弱しい魂の輝きと、顔から首にかけて、酸の飛んだ通りに魂の輝きが欠けている。怪我をした時に、とっさに顔をそむけたのだろう。それは顔の左側、それも頬から下だけで済んでいる。
ショウはほっとした。
「大丈夫。ちゃんと治るから」
背けていた顔がやっとこっちを向いた。信じられないというような、でも一筋の希望でもあるならそれにすがりたいという目だった。
「ナイジェル」
「な、なんだい」
「ロビンが頑張ってポーションを作っても、簡単な怪我を治す治癒師を増やしたとしても、魔物が減らない限り、イネスのような怪我は減らないよ」
「そ、それは」
ナイジェルはまた下を向いた。
「またこんな怪我をした人が出た時、ナイジェルはまた、自分にはできないって言うつもりなの?」
ナイジェルはこぶしを固く握りしめた。
「すぐに教会に来られない人もいる。ポーションが間に合わない人もいる。そういう人に、なぜ教会に来なかったと、そう言うだけなの?」
「ち、違う!」
そう言って思わず上げたナイジェルの顔には、緊張で脂汗が光っていたけれども、しかし、もう迷いはなかった。
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