異変
ファルコはショウの部屋のドアをとんとんと叩いた。返事はない。
「ショウ」
やっぱり返事はない。試しにドアの取っ手を回すと、ドアは何の抵抗もなく開いた。ファルコはほんの少しためらって部屋に入ると、一応声をかけた。
「ショウ、入ってもいいか」
「もう入ってるでしょ」
「すまん」
ベッドにうつぶせになって枕に顔を埋めているショウがもごもごと文句を言ったが、ファルコもショウに拒否されたままでいるのは嫌だったのだ。
「ショウ、ごめんな」
ベッドのそばに椅子を持ってきて座ると、ファルコはショウにそっと手を伸ばしたが、引っ込めた。ショウはぷいっと横を向いた。ファルコはやっぱりその頭に手を伸ばして、そっとなでた。それは拒否されなかった。ファルコはほっとした。
「俺、なんでショウが怒ってるのかわからなくて」
ショウが体を固くした。ファルコは慌てて続けた。
「そしたら、ハルが説明してくれて。ショウは優しいから、人の怪我を自分のことのように感じてしまうって。俺は自分が怪我をしても何とも思わないけど」
「怪我なんかしないで!」
「ごめん。それが狩人だから。でも、俺やレオンの怪我がショウを苦しめるなら、今以上に気を付けるから」
ショウはやっと起き上がってくれた。
「私のいた世界では、怪我はポーションでも治らなかったし、治癒の技なんかなかった。今日のライラのような傷なら、たぶん全治一ヶ月とか、つまり一ヶ月くらい寝たきりになるようなひどいものだったの。それをみんなわかっていない」
ショウは唇を震わせた。
「みんな大切なの。怪我をしないのが一番だけど、もししてしまったら、治癒師がいいとかそんなこと関係ない! ポーションっていういいものがあるんだから、ちゃんとそれを使って!」
「わかった。ごめんな」
「うん」
ファルコは椅子からベッドに座る場所を移すと、やっと許してくれたショウを膝の上に乗せ、抱きしめた。ショウのためなら、自分を大切にするのは難しくない。そう思いながら。
もっとも、ショウの怒りがそのくらいで収まるわけがない。怪我をしたライラはもちろん、パートナーのドレッドにポーションの大切さをこんこんと説いた。
「ショウに任せた方が怪我の跡が残らないと思って」
「怪我の跡なら、それこそ後でも治せるから! ちょっとでも危険なことは駄目です!」
「すまなかった」
ドレッドは珍しく心底反省したようだった。しかし、ショウはそれだけでは納得しなかった。遊びに来た導師にも言いつけたし、荷物を運びがてらようすを見に来てくれたガイウスにも訴えた。言いつけるのは卑怯だろうって? ちゃんとしない大人のほうが悪いのである。
その結果、なぜかジェネとビバルまで巻き込まれ、導師とガイウスにさんざん怒られる結果になった。
「私が心配することじゃないのかもしれないけど」
ショウはガイウスに訴えた。
「これだけ腕のいい狩人が揃っていて、怪我をするほど疲れているっておかしいと思うんです。最初の年は大変だったかもしれないけど、ファルコだけで何とかなってたはずです。今からでも狩人を足さないと、また怪我人が出ちゃう」
「ふうむ。それもあって俺が直接出向いてきたんだが。ショウ、ハル」
「「はい」」
二人が揃って返事をし、ガイウスを見上げた。一方は巻き毛、一方はまっすぐなサラサラの黒髪に、明るい茶色の瞳。ガイウスは思わず口元を手で覆った。
「くっ。かわいいじゃねえか」
「「はい?」」
「なんでもない。つまり、アレだ」
なんだろう。二人は揃って首を傾げた。
「とりあえず、一週間俺も泊まり込んで森のようすを見てみたい。いいか?」
ショウはハルと顔を見合わせた。食料の在庫は? ある。部屋は? 二部屋余ってる。
「大丈夫です」
「よし」
それから一週間、ガイウスは皆と連れ立って森を回った。今まで二人組で三つに分かれて出かけていたが、危険を避けるために、三人、四人の二組で狩りに出る。ショウとハルは少しほっとしていた。
そして最終日の食卓で、食後のお茶を楽しみながら、ガイウスは話し出した。
「あー、この山小屋は実に居心地がいいな。掃除洗濯は行き届いているし、料理もおいしいし。来年からは、もう一人前の給料を出すよう俺がギルド長に言っておこう」
「やった! ありがとうございます! って、違うでしょ、ガイウス」
ショウは思わず冷たいまなざしでガイウスを見てしまった。
「その目もいいな、ショウ」
「ガイウス」
「すまん、一人暮らしの男の戯言さ」
ショウは知っている。ガイウスが結婚するのが面倒で一人暮らしを選び、しかもそれを満喫していることを。ショウの目は一層冷たさを増した。ガイウスは目を泳がせた。
「ま、まあ、それはともかく、確かに、森の魔物は多いし、何より活性化して今までより動きが速いような気がする。だから対応しきれなくてライラが怪我をしたんだな」
「そうなの。あのくらい、いつもなら対応できてたわ」
ライラが答える。怪我をして一週間、結局ほとんど休みもせずに狩りに出ている。この世界の人の体の仕組みはどうなっているのかとショウはあきれてしまう。
「俺がずっと来れれば楽しい、いや役に立つんだが、町の代表となるとそうも言っていられない。残りの部屋分、つまり狩人を後二人何とか集めてここに送る。そして町の守りにもっと力を入れよう。万が一と言うこともある」
あと二人やってくるなら何とかなるだろうとショウはほっとした。
「夏の狩りでもそうだし、湖沼と深森では明らかに魔物は増えている。だが、逆に平原は魔物肉の輸入を少し減らしているんだ。穀物はきちんと出してくれるから問題はないが、もしかしてあまり魔物が発生しない平原に、魔物が発生しているということはないだろうか」
ついでのようにガイウスはぽつりと口にした。
「こうなってくると、私も湖沼のことが気になるな。一年ほど戻っていないが、去年とは何かが変わっているかもしれない。春になったら私は一度湖沼に戻ろう」
「私も付いていくわ」
「怪我をしたばかりで、先のことまで考えさせてすまないな」
「いいのよ」
ドレッドとライラは春には湖沼に戻るらしい。ファルコが微妙に安心した顔をしたのをショウは見てしまった。
「結果は北の町にもしらせてくれないか、ドレッド」
「いずれ来年の冬にはまたここに来ようと思っていた。その時でよければ」
「よろしく頼む」
ファルコがふいと横を向いたので、思わずショウは笑い出しそうになった。
「いずれ平原にも誰かをようす見にやらねばならないな。ファルコあたりがいいかもな、容姿が目立たないしな」
「俺か? 狩り以外役に立たないぞ」
自分で言ってしまうほどには、コミュニケーション力のなさは自覚していた。
「それに子育て中だ」
「それもそうだな。育ててるところは見たことがないけどな」
ガイウスの言葉にみんな深く頷いた。この山小屋を見てわかるとおり、ファルコが一方的に面倒を見られているだけのように見える。
「レオン、頷いて噴き出してる場合じゃねえ。お前もだろ」
「ま、まあ、なんだ、お茶、おかわり」
そうして人数を増やして冬を乗り切った北の町だったが、ファルコ達が北の町に戻ってきた頃には、平原から導師に緊急依頼が来て騒ぎになっていた。
「やはり魔物の被害が増えているらしくてな、急いで治癒師を増やしてほしいとの無茶な依頼だ」
町に戻って教会に顔を出したショウに、導師はやれやれと頭を振った。
「いずれ行かねばならぬとは思っていた。まず薬師を派遣して、ポーションを急ぎ作らせている間に、態勢を整えて出かけようと思う。そこでだ、ショウ」
「はい?」
「お前も一緒に行かないか」
「私が? 役に立つかな」
ショウはまだ年少組である。大人と同じだけの働きをしているとは思う。それでも役に立つかどうかは自信がない。
「わかっているはずだ。十分に役に立つ。それに、北の町にも魔物が増えている気配があり、見習いでない治癒師はできるだけ残しておきたいのだよ」
「そういうことなら、ファルコと相談してみます」
ガイウスの言った戯言が、現実になった瞬間だった。
明日、北の森での短いお話を投稿します。ちょっと愉快なお話です。その後一度更新は止まりますが、今年中に再開します。この続きのお話になります。
そしていよいよ、一巻の発売です! 11月12日、「この手の中を、守りたい」と共によろしければどうぞ!
そしてもう1つお知らせです。作者の別のお話「転生幼女はあきらめない」書籍化します!主人公は一歳児。よちよちしながらも、運命に力強く立ち向かう、笑いあり、涙ありの愉快なお話です。よかったらまず、「なろう」で読んでみてください!