ハルでいい
「ハル、どうする」
「もう一度、私が言います」
「大丈夫か」
「はい」
ハルは立ち上がったままで学院長にこう言った。
「いろいろ考えることはあるかもしれないけれど、私が言いたいのは二つです」
「なんだ」
「改めて一つ。卒業資格をください」
「……わかった」
ハルはほっとした。
「二つ。手当と、狩りの報酬を、きちんと支給してください。これが狩りに参加した回数です」
ハルは日付と、狩りでの役目と、自分が倒した魔物の数を書いた紙を学院長に手渡した。それを受け取ってちらりと目をやった学院長は、驚きに目を見開いた。
「学院長が価値なしと判断し、放り投げた子だからどう利用してもよい、そう思った魔術師がたくさんいたということだ」
普通の魔術師でもこんなに働きはしなかっただろう。疲れてけがにつながるからだ。それほどハルは働かされていた。
「学院長、支給するな?」
「……承知した」
「今朝、魔術師ギルドに初めて登録してきた。驚いていたな、ギルドの者たちもハルの働きのことはよく知っていたようだったからなあ?」
導師の皮肉に学院長は苦い顔をした。
「手当の清算は今日中にしてくれ。あす入金を確認したら深森に戻るのでな」
「それは無理だ。どこがどうなっているのか明らかにせねばならぬ」
「それはそちらの都合。一度深森に帰ったら、そちらが支払うと思うほど信用はしておらぬ。ハルへの対応も見る限りは」
それをしなければ、問題をおおごとにすると、この男が言っていることくらいは学院長もわかっていた。学院長はため息をつくと、
「承知した」
といった。導師は立ち上がると、
「ではわれらはこれで」
とハルを促した。
「あの、学院長」
「まだあるのか」
「拾ってくれて、学院で魔術の勉強をさせてくれてありがとうございました。お世話になりました」
ハルはそういうと、一度大きく頭を下げた。
「……このまま湖沼に残ってもいいのだぞ。待遇は改善する」
「いえ、残りません」
「……そうだろうな」
二人が部屋を出るとき、座ったままの学院長に、導師はこういった。
「ハルは嘘はついていないぞ。年を取ったからこそ、曇りなき目で物事を見るべきであろう」
そうしてドアを閉じた。女神に落とされたことが、嘘ではないと。馬鹿な。最後にきちんと礼を言ったハルを見て、学院長は自分が大切な人材を失ってしまったことを知り、ここにきてやっと失敗を悟ったのだった。それでも学院長は立ち上がると、ベルを鳴らした。
少なくとも、この学院には、自分の知らぬ不正があることは確かなのだ。まずはそこからだ。
「ハル、あのくらいでよかったのか」
「十分です。卒業資格と、手当も勝ち取れたんだもの。ショウから借りたお金、すぐに返せるし」
「もう少し、文句を言ってもよかったんだぞ」
「言っても、きっとわからなかったと思います」
導師の言葉にハルはそう答えた。その顔にも声にも、後悔した色は見られなかった。ハルはくすっと笑うと、
「導師、見ました? 私が怒って沼ぶどうの話をした時、院長ったら、それがどうかしたのかって顔をして、思い出したらおかしくって」
「確かにそんな顔をしていたなあ。しかし、私もなぜ沼ぶどうなのかと正直思ったが」
導師は本当に正直に言った。ハルは首を振って、
「私が大事に思うものを、全く理解できないなら、何を言っても無駄かなって、そう思えたから」
と答えた。導師は、ちょっと悲しい顔をしてこう言った。
「私もわからなかったが、ダメだろうか」
「導師ったら」
ハルはくすくす笑った。
「導師と院長は全然違います。沼ぶどうになぜ私がこだわるかわからなくても、沼ぶどうにこだわる私でいいと、導師は思ってくれているから」
「やっぱりよくわからないが、嫌われたくはないからなあ」
「嫌うなんて。大好きですよ」
ハルはにっこりとほほ笑んだ。
「セインと」
「はい?」
「導師ではなく、セインと呼んでくれ」
「セイン、さま?」
「……いい」
そういえば、ショウもセイン様と呼んでいた。私もそれでいい、とハルは思った。にこにこしながら帰る二人を、教会でみんなが心配しながら待っていた。
「こっちが心配でうろうろしてったってのに、なんでそんなに機嫌がいいんだよ、まったく」
レオンがあきれたように言った。
「セイン様が、ちゃんと手当てを勝ち取ってくれたんです」
「いやいや、ハルがきちんと自分で勝ち取ったのだ。えらかったぞ」
「セイン様が支えてくれたから」
「ハルはいい子だなあ」
何だこの二人、いつの間にか仲良くなってる。レオンはなぜか焦りを覚えた。しかもセイン様とか呼ばせてるし。いや、ショウだってそう呼んでいるけれども。
「大好きって言ってもらえてうれしかったぞ」
「大好きだって!」
レオンは思わず突っ込んだ。ハルは照れてうつむいている。
「なあ、ミハール、俺の事も大好きだろ、な?」
「え、その」
ハルは赤くなった。さっきは何気なく言えたが、改めて大好きと言えるかというと、照れくさくて言えないのだった。もちろん、優しくしてくれた深森の人には全員好意を持っているけれども。それに、とハルは思う。
導師は本当にお父さんのような年頃に見えるけれども、レオンは日本でいえば見た目は30代前半、つまり日本にいた時の自分からみたら、ばっちり恋愛対象の年頃だ。恥ずかしくて言えるわけがなかった。
「なあ、ミハール」
レオンはねだるようにハルに呼びかけた。
「あの」
「なんだ」
ハルの言葉にレオンが甘い声で答えた。後ろでショウがやれやれと肩をすくめている。
「私、ハルでいいの」
「ミハールだろ」
「ハルでいいの。ほんとは美晴だって、知ってくれてるから大丈夫なの」
「でも」
ためらうレオンにハルはもう一度言った。この3年間だって、無駄なんかじゃなかった。ハルとして生きてきたことを、誇りに思おう。
「レオン、ハルって呼んで」
「……ハル」
「レオン、きゃっ」
ハルはレオンにさっと掬い上げられて、ぎゅっと抱きしめられた。
「かわいすぎるだろ、なあ、俺、どうしたらいい」
そういってハルをぎゅうぎゅう抱きしめるレオンにショウはこう言った。
「とりあえずハルを放そうか」
「次は私の番か」
「違うから、セイン様、並ばないで」
とりあえずこれで、大好きの件はうやむやになったことだろう。レオンの腕の中であわあわしているハルを見て、ショウはこっそりそう思った。だって、絶対ファルコもうらやましがるから。だから、みんなの前で大好きって言わされるより、こっちのほうがましだよね、とファルコの腕の中で遠くを見つめたショウだった。
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