うちはうち
次の日の朝、ハルは驚くほど元気になっていた。傷の痛みがなくなったのもあるだろう。久しぶりにしっかりご飯を食べたからかもしれない。
しかし、一番大きいのは、希望だった。もう20歳まで我慢することもない。あと7年もそんな生活を続けることを思うと、力が抜けていくようだったのだ。それなのに、どちらかというと人見知りな自分が、一緒にいて居心地がいいと思う人たちがやってきて、自分をそこからつれ出すのだという。
夢ではないだろうか。でももう肩も痛くない。扉を開けたら、昨日のことは嘘だったということがないだろうか。ハルは部屋を出るときにドキドキした。思い切って扉を開けると、
「よう、おはよう、ミハール」
「お、おはようございます?」
そこには昨日、転びかけた時助けてくれた人が、壁に寄り掛かって立っていた。
「俺はレオンだ。昨日自己紹介し忘れていたもんでな」
そういえばそうだ。ショウの他は、導師、それにえっと、ファルコ、ドレッド、きれいなお姉さん、そしてこの薄い髪色のお兄さんだ。
ハルはかあっと赤くなった。自分ばかりハルと呼ぶなと当たり散らして、ほかの人の名前を知ろうともしなかったのだ。
「あの、ハルです、レオンさん……」
「レオン」
「は?」
「レオンさんじゃなくて、レオン」
「いや、あの」
「ショウだってファルコの事呼び捨てだろう? これから一緒に暮らすんだから、レオンと」
これから一緒に暮らす。そうだ、私、料理や掃除ができるから一緒にって、自分からお願いしたんだ。どれだけ自分中心なのか。ハルは自分の図々しさにくらくらした。そんないっぱいいっぱいのハルに、レオンはさらに要求してきた。
「レオン」
「レ、オン」
「そうだ、いい子だな」
レオンはハルの頭をポンポンと叩くと、
「さあ、朝飯だ」
と言って両手を広げた。なんだろう、ハルの頭にはてなが浮かんだ。
「さあ、つれてってやるから」
「いや、自分で行けますけど」
「はあ? ショウだってファルコにこうやって連れられて行くんだぞ。ほら」
ええ? ショウが? ショウなら自分でって言うタイプだと思うんだけどな……。
「ほら」
深森ではそういうものなのかも。ハルがふらふらと一歩踏み出そうとした時、
「ないから」
ショウの声がした。
「ショウ!」
「おはよう、ミハル。調子はどう?」
「全然痛くないの! ありがとう」
うれしそうなハルをショウは眩しそうに見つめ、しかし真顔になってこう言った。
「それとね」
「ん?」
ショウはレオンをじろりと見た。
「あの人たちは、隙あらば抱き上げたり膝にのせたりしようとするから、気を付けてね!」
「だってショウもそうやってるって」
「そんなわけないじゃん、あ!」
ショウはすっとファルコに掬い上げられた。狩人のたくましい体は、13歳のショウの体を軽々と支えてしまう。バランスをとるため、ショウは仕方なくファルコにしがみついた。
「ファルコ……」
「たまにはいいだろ」
ほう、と二人を見上げるハルを、レオンもさっと掬い上げた。
「え?」
「さあ、朝飯だ」
「そうだな」
当たり前のように食堂に向かう二人の、普段より高い場所でショウが仕方ないなあという顔をして眉をあげて見せると、ハルはプッと噴き出した。
「そうやって笑っとけよ」
「レオンさん」
「レオンだろ」
「レオン」
「……いい」
「え?」
「いや、なんでもねえ。子供はそうやって笑っとけってことさ」
やっぱりはてなが浮かぶハルとうれしそうなレオンを見て、ショウが小さい声でファルコに聞いた。
「ねえ、レオンどう見える?」
「デレデレして情けねえ」
「あれがいつものファルコだよ」
「俺はあんなにデレデレしてねえ」
「してるもん」
「してねえし。それに」
ファルコはちらりとショウを見た。
「よそはよそ。うちはうち」
「レオンもハルもうちでしょうが」
あきれるショウに無言を通すファルコだった。
それでも食堂に入る前に必死におろしてもらい、和やかにみんなで朝ご飯を食べたのだった。
「さて、私は今日は街中の教会のようすを見てきたいと思う」
導師が今日の予定を話した。
「そして明日はハルを引き取る話を学院長にしてくるつもりだ。明後日にはここを出よう」
「それがよいでしょう。本当は今日にでもといいたいところですが、教会を見て回ってくれるのも本当に助かります」
ライナスが頭を下げる。
「ねえ、セイン様、お願いがあるのですが」
ショウは導師に話しかけた。
「どうした、ショウ。目立ったら駄目だが、せっかくだから町を自由に見てきていいのだぞ」
「それはそのつもりですが、違うんです。ハルのこと」
「ハルのこと?」
導師は首をひねった。ハルも首をひねった。
「なんでハルが沼ぶどうを食べたことがなかったのか気になってたんです。ねえハル、この三年、お金はどうしてた?」
「お金? 持ってないよ」
「持ってない、って」
ライナスが絶句した。
「学院では希望すれば衣服一式支給されるし、ご飯は食堂で出るし、お風呂もちゃんと入れてたしね。ほしいものは買えなかったけど、そもそもお金がないから町にもあまり出たことがないし。20歳になるのが楽しみだったの」
ハルはにこにこしてそう言った。
「今度ショウとスライムを狩るの。そしておやつを買うんだ」
昨日と違って先のことを考えられるようになっていた。ショウは静かにこう聞いた。
「ミハル、狩りの手伝いね、何回くらい出たか覚えてる?」
「うん? 日記につけてるからわかるよ。季節にもよるけど、一週間に一回は出てたと思う」
「そう、じゃあ明日までに、どんなことをしたか、何匹魔物を狩ったかまとめておいてくれる?」
「すぐできるよ」
ハルはうなずいた。
「導師」
「言いたいことはわかった。魔術院が金に不自由しているということはあるまいから、何とかなるだろう。ハルよ、魔術師ギルドに登録はしているか?」
「いいえ」
「なんと! それでは、学院に置いてきたものはないか」
「ないと困るものは、何も」
ハルはさみしそうに言った。
「導師」
ショウはまだ言いたいことがあったようだ。
「卒業の資格も、もぎとってきてください」
「ショウ。いい考えだ。この3年ちょっとを、なかったことにされてはたまらないからな」
ショウと導師はにやりと笑った。そんな導師にレオンがこういった。
「導師の護衛はドレッドとライラでいいか? 俺らはショウとハルについていたいんだが」
「街中で護衛も何もなかろうが、まあ、私は構わん」
一日の予定は決まった。
初めの年、スライムを狩れといったファルコ。薬草をとれといったレオン。トカゲのさばき方を教えてくれたジーナ。それは全部自立するための訓練だった。そして稼いだお金は、全部ファルコがまとめて取っておいてくれた。一ギルもごまかさず、きちんと記録をとって。
もちろん、狩りについていけば見習いだって配当が出るし、冬の森の賄いのお仕事だって大人ほどじゃないけどお給料も出る。それが当たり前なのだ。
残業代どころか、給料も出ないなんてどれだけブラックなんだこの国は。回収できるものはすべて回収してからこの国を出る。導師の力でね! 鼻息を荒くするショウは、他力本願なのだった。