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知らない天井より女神への怒り

そして翔子はぽすっと間抜けな音を立ててその世界に降り立った。


なぜか。雪が積もっていたからだ。下をみると、いかにも村人が履いているようながっしりしたブーツが、数センチ積もった雪にめり込んでいた。ブーツにはベージュのズボンとチュニックが続き、長袖のシャツをチュニックの下に着ているのが見えた。


つまり、薄着だ。


「寒っ!」


雪は積もっているだけではない。吹雪のように吹き荒れ、しかも夜のようだ。


「何が長い人生をだよ! 既に終わりそうだよ!」


翔子は叫んで、冷たい空気で喉を痛めそうになった。とにかく周りを見ると、遠くに、かすかに灯りが見えるような気がした。気のせいでもなんでも、そこに行く以外の道はない。風と雪の中必死で歩き始めた。女神を呪いながら。


「はげろ、は意味がない、いや、女性にでも意味があるのか、あー、女性を呪う時ってどうするんだ? しわ?」


人を呪うのは難しいことだ。10歳になったであろう小さな体は歩きにくく、寒さは容赦なく体温を奪って行く。灯りが近くなったような気がしたが、木々の間を抜けたところで、翔子は意識をなくしてしまった。今日は一日、長かったなあと思いながら。


倒れた翔子に雪が積もる前、その横に人影がたった。


「おい。死んでるのか」


返事はない。だって意識がないのだから。しかし、体のどこかが動いたようだ。その人影は慌てて翔子を拾うと、急いで灯りに向かった。そこは小さいながらも立派な山小屋だった。


男は片手に翔子を抱え、もう一方の手でドアを開けると、急いで暖炉に火をつけた。夜の帰りに備えて、灯りは最初からつけてある。


「冷えきってるな。なんで子どもがこんなところに……」


暖房にあたってガタガタ震え始めた翔子を見て、男は舌打ちした。


「暖炉じゃ間に合わねえな。風呂か」


この仕事を受けている理由の一つは、小屋に温泉が付いている事だ。


「子どもの着替えなんてねえよ。仕方ない、俺の服か」


雪で湿っぽい服を脱がせながら、ケガのチェックもする。


「村人の着るような服なのに、まったく汚れてない。下着も新しい。体も清潔、って、女か! とにかく暖めて、と」


翔子は男に抱えられて、震えがおさまるまで風呂に入れられると、男の服を何枚も着せられて、ベッドに押し込まれた。


「保温保温っと。何もんだろうな。森に人が入った気配はなかった。村人のような身なりだが、まったく荒れてない手足。清潔な体。きちんと手入れされた髪。女」


厄介ごとの匂いしかしなかった。


「だが、殺されてはいない。消えてほしいが、手は汚したくない。身元をばらしたくない。深森のここに、平原の特徴的な黒髪をわざわざ捨てに来る。わかんねえな……」


頭をバリバリとかくと、


「とりあえず明日はレオンが来るから、やつに相談だな」


と言って翔子のいるベッドに潜り込んだ。わざわざもう一つ部屋を用意するのは面倒だ。


「子どもって案外あったかいな」


そう思いながら眠りについた。


ほら、助けてくれる人はいたでしょ、と女神はほほ笑んだ、ような気がした。


「ふざけんな!」


翔子は叫んでおきあがった。28歳まで穏やかに、穏やかに生きてきたのに、この一日で2回も怒鳴ってしまった。はあはあと息を切らしながら、翔子は自分がベッドにねていることに気づいた。あれ、服も違う。


「あれ、起きたのか」


ドアが開いて男が2人、顔を出した。誰だ。固まる翔子に黒髪の男が言った。茶色の目をしている。なじんだ色合いだが、日本人よりはほりが深い。


「昨日、雪の中に倒れてたの、覚えてるか」


いや、歩いてたのは覚えてるけど、倒れてたのか。少し首を傾げると、


「それを拾って、助けたのが俺」


と続く。そうか。助けてくれたのか。翔子は頭を下げると、ありがとうございますと言おうとした。言おうとしたのだ。


「……あ……ゴホッ」


声がかれていて、咳き込んだ。さっき怒鳴ったせいか。


「ああ、無理すんな。起きたんなら飯を食うか」


飯! 翔子はうんうんと頷いて、ベッドから出ようとした。うん、ベッドが高い。ヨーロッパの古いホテルってこんなだよね。現実逃避しそうな翔子に、男は苦笑して脇の下に手をいれてベッドからおろしてくれた。


「服乾いてるからな。着替えたら声をかけろ」


昨日の服を渡された。うん、パンツまである。ヒモでキュッとしばるヤツ。ってことは、うん。命が助かってよかったってことで。あと自分10歳だから。セーフ。少し遠い目をしてしまったことは仕方ないだろう。


その薄着に、男は大きいシャツをかぶせて、袖を何回も折って何とか手を出してくれ、念願の食卓についた。うん、テーブル高っ。男は急いで毛布を持って来て何回もたたみ、椅子にしいてくれた。これでテーブルで食べられるようになった。


その間もう1人の男はゲラゲラと笑いながら、それでも食卓の準備をしてくれた。こちらは薄い金髪にグレーの瞳だ。少し足を引きずっているようだ。


そして、あったかい具沢山のスープと、大人のこぶしくらいのパンが渡された。手をあわせて、いただきます!


スプーンですくって少しずつスープを飲む。おいしい! あったかい! 夢中でスプーンを動かし、少し落ち着いてパンを食べることにする。


固い。手で割れない。仕方ない、かじろう。固い。歯が立たない。翔子はどこかかじれるところがないか、パンを手の中でクルクルと回した。


食事をしながら翔子の様子を見ていた2人は、ついに笑い出した。森のリスそっくりだったからだ。


起きてきた翔子は、やることなすこと変わっていた。お礼のつもりか頭を深く下げたが、そんな習慣の国があっただろうか。袖は長い、テーブルは高い、もちろんそれは単に小屋が大人向けだということに過ぎないのだが、子どものいない生活しか知らない2人にはそれがなんとも新鮮に見えたのだ。


村人の子どものような格好をしているのに、上品にスプーンを使う。黒パンを見たこともないように見て、かじってみるも歯が立たない。困ってクルクルとパンを回している。これがおかしくないわけがない。


ちょっとふてくされかけた翔子から男はパンを受け取ると、ナイフで半分に切って渡し直した。翔子はそれを眺め、ハッとした顔をしてそれを残ったスープにつけて、やわらかくして食べていた。


正解だ。思わず頷く2人だった。そして思った。なんだこのおもしろい生き物は、と。


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