新しい明日
新しい章、始まります。
「風が暖かいね」
ハルが馬車の御者席に座って、草原を渡る春風に顔を向けている。ハルの隣では導師も気持ちよさそうに馬車を駆っている。
「そうだねえ」
答えるショウは、のんきな言葉とは裏腹に緊張した面持ちである。
「ほら、姿勢」
そうリクに言われても、揺れる馬の上では姿勢を保ちにくい。
「ハクなら絶対落とさないからさ。安心して体を任せて、姿勢をまっすぐに」
ショウも毎日剣を振るっているし、あちこち走り回って体は鍛えているつもりでいる。けれども、馬に乗って姿勢を保つのがこんなに難しいとは思わなかった。
普段、遠くの移動に使うのは馬車だし、それはファルコもレオンも一緒で、馬に単独で乗る機会など今までなかったのだ。もっともファルコもレオンも導師も、あまりしないだけで乗馬はできるらしい。
カナンまでとはいえせっかく移動しながら馬に乗れる機会があるのだからということで、ショウとハルは交代で乗馬の練習をさせてもらっているのである。
「カナンに行っても、俺たちの農場まではちょっと距離があるからな。馬車もあるけど、馬に乗ったほうが早いし」
「この馬車でそのまま移動すればいいと思うんだけど」
ショウの言うことももっともだが、
「導師が使うかもしれないから、普段使いはしないほうがいいだろ?」
リクが言うことももっともなのである。
救いはといえば、ファルコとレオンが草原の見回りに出ていることだろう。ファルコは狩りの訓練には厳しいので、父親のサイラスから遠慮がちに乗馬の訓練の提案をされても、結局は狩りに役立つということで素直に受け入れていた。だが、今のショウを見たらどうなるか。
「俺のかわいいショウが馬に乗っている……俺のショウが」
などと言ってずーっと見つめているに違いないのだ。
「めんどくさいんだもの」
「何か言ったか?」
「なんでもない」
ショウはファルコが大好きだが、少しばかり過保護であり少しばかり愛情が多過ぎるとも思っている。だからあえてファルコたちのいない時間に乗馬の訓練をしているのだし。
「さ、あんまりやっても疲れるからな。このくらいでおしまいにしようか」
「はーい」
ショウはリクに返事をすると、足を後ろにくるりと回して馬から降りた。これもなかなか難しい。
「転生しても運動神経はよくならなかったのが残念」
「ああ。そういえばそうだな」
リクが今気づいたという顔をした。
「魔力や癒しっていう、今までと違う力を持っているってだけで手いっぱいだったよ。これ以上強い力があっても、一〇歳の自分には使い切れなかったと思う。つまりさ」
「つまり?」
ハクの手綱をリクに手渡しながら、ショウは聞き返した。
「物語のようなチートな主人公みたいな力をもらってたら、忙しくてこんなのんびり暮らしていられなかったんじゃないかなあ」
「なるほど」
疲れたショウを御者席に座らせようとして、ハルが馬車からぴょんと降りてきた。
「はい、ショウ。交代」
「ありがと」
ショウはにっこり笑って、ちょっとよたよたしながら馬車に乗り込んだ。
「魔法を覚えるだけでも大変だったもの。これでよかったんだよ」
ハルがにっこりと笑った。しかしショウはちょっと口を尖らせた。
「よかったとか言いたくない。あの女神について、一言もほめたくないんだもん」
「ショウったら」
ハルはくすくすと笑うけれど、ショウは案外根に持つタイプだった。
「おーい」
「おーい」
遠くから手を振るのはレオンとファルコだ。
「ファルコー、おかえりー」
「レオンー」
こちらから大きく手を振り返すショウとハルも、一三歳の女の子の父親に対する態度じゃないよなとリクはこっそり思う。だが、
「いい」
不穏なつぶやきが隣から聞こえる。
「サイラス? 勘弁してくれよ」
「いいよな、あれ」
「俺はやらないからね?」
「いい」
「サイラス? 話を聞こうか?」
こういう人の話を聞かないところ、人目を気にしないところが、サイラスとファルコが結局は親子だと思わせるところなんだと実感させるところだ。
だがそれでいい。
だからこそ自分とサイラスは、分かり合おうとして不器用ながらもたくさん話し合ってきたのだからとリクは思うのだ。それが本当の親子じゃない二人が、親子としてやっていくために必要なことだった。
もう明日にはカナンにつくところまで来ている。
気軽に使者を引き受けて、導師を迎えにアンファまで行き、そこで知ったのは、自分たちが思うよりもっと状況が悪いということだった。
だから、わくわくするのは本当はおかしいのだ。
それでも、リクは浮き立つ心を抑えられなかった。
「新しいことが始まるんだ」
昨日とは違う明日が待っている。それが楽しみでならないリクだった。
11月12日、「異世界でのんびり癒し手はじめます」3巻発売です。
そろそろ書影も出ますが、出たら活動報告に挙げておきますね!




