一話
パーティションで区切られた四角いブースの中、カウンターを挟んで二人の人が向かい合っていた。
パラリパラリと手元の書類をめくる音だけが静かな空間に響き渡る。
「シュリアさん、気になる求人はございましたか?」
「………」
一人は、メガネ姿にスーツを着込んだ、公務員を型にはめたら完成するだろう格好の若い事務員。
対面に座るのは、年若いまだ幼さを残す少女である。
少なくとも役所のなかで似つかわしくない場所にいるのは、たしかである。
『魔王城役所職業斡旋係』
冷房の風に揺れるプラカードには、確かにその文字が印字されている。
とてもではないが、目の前の可愛らしい少女の来る場所ではないということだ。
「目新しいものは無いですね」
「…はい」
代わり映えしない求人リストに、物憂げに溜め息を吐く姿も、座ると下についてしまいそうなほど長く艶やかな黒髪をかきあげる姿も、思わず目を奪われてしまう危うい色気に満ちている。
彼も、彼女の気性を知らなければ見とれて仕事にならなかったことだろう。
目を手元の書類に戻せばその理由が、堂々と文字を躍らせている。
『種族 淫魔種 混血』
種族からして、他者を魅了してやまない種族の血を引いているのだ、目を奪われないほうが無理というものだ。
現に彼女の前の担当者は、彼女に見ほれた末に---。
「そういえば、前の担当の方は元気ですか?」
「ええ」
「お大事にと、伝えてください」
彼女に妓楼を職場として紹介して病院送りにされたのだった。
あの鳥頭は、職を探しに来た淫魔種の種族には妓楼系職種は紹介してはいけないというタブーを知らなかったらしい。
いや、知っていた上で紹介したのかもしれないが…。
むしろ私も鳥頭の顛末を知らずに彼女の担当になったとしたら、迷い無くなじみの妓楼を進めていた自信がある。
「はぁ…、少し地域を広げたほうがいいのかなぁ」
「そうおっしゃられる事も考慮いたしまして、此方、クレイドスのほうの求人リストも用意させていただきました」
「ああ、知識の都ですか?」
正直、彼女の希望条件を考慮するとクレイドスの辺りが限界だろう。
紅い月の影響が弱い地域は魔界全土を見ても、数少ない、影響すべてを排除するなら魔界を出て人間界へと出たほうがいいかもしれない。
「怠惰公の領地ですが、ご存知でしたか?」
「少なくとも一時期学徒であったものにクレイドスの名を知らない者はいないと思いますよ、私には、あそこにいきたいと思うほど突き詰めたいものは見つかりませんでしたが」
「そうでしたか。しかし、だからこそ仕事があるかも知れませんよ」
「どういうことです?」
したり顔で嘯くと彼女は興味を持ったのか、小首を傾げその愛らしい小顔を絶妙な角度へと持っていく。
所謂、下から目線。
男のハートを打ち抜く必殺技である。
「知識の都には、生活もままならないほどに研究に没頭している者も多いと聞きます。つまり、金を払ってでも身の回りの世話をしてほしい者は多いはず。
あなたの、培った知識が生きるのでは?」
カウンターに置いた求職票の中で、職業技能と書かれた欄には、燦燦と煌く侍女技能講習終了の文字がある。
出来るだけ爽やかに見えるように微笑めば、なぜか彼女は苦笑を浮かべた。
「それ…、暇だったからネタで受講しただけなんですがね」
悲しげに下げられた眉は哀愁を持って私のハートを再度打ち抜いた。
思わず、彼女に婚姻届という名の就職先を斡旋してしまうところであった。
と、気がつけば三十分を知らせるブザーがフロアに鳴り響く。
職業斡旋係において一人にかけられる時間は三十分と決められている、カウンターの回転を早くするためでもあるが、お役所仕事といわれるのはしょうがないとあきらめるしかない。
「それでは、またいらしてください」
立ち上がり、礼の姿勢をとる。
ふわりと彼女の起こした風に乗って、爽やかな香りが鼻腔に届いた。
「いえ、もうこないかもしれません」
だから、その言葉に反応するのに一拍遅れてしまった。
「せっかくですから、行って見ますよ、クレイドスへ」
引き止めるまもなく、彼女は迷うことなく歩き出してしまった。
このカウンター業へと着いて3年たつ。
今ほど、自分の迂闊さを呪いたくなったことは無い。
後ろ髪を惹かれつつ、もう一度彼女の求職票へと目を通す。
しばらくして、驚きのあまり思わず僕の手から求職票ははらりと落ちた。
そこには、こう書かれていたのだ。
シュリア・バリー 淫魔種混血性別 男---と。
第一話
明光風靡、絢爛豪華、世に建つ様々な城郭をあらわすに言葉は足りない。
余の城とて、人間界の城郭に負けず劣らず威風堂々たる佇まいである、胸を張って言えるであろう。
『月夜の都シュリク』の不夜城を表すなら月下美人であろうか、鬼の国の建築技法を取り入れた古風明媚な佇まいと色彩豊かな彩色は月の下でこそ映えるというもの。
城とはまさに、その領都、都市の顔であり、一言でその土地を表すものであるといえる。
その中でなお異色を放つのが『知識の都クレイドス』の城であろう。
そう、あの城を一言で表すならば---『無法地帯』
その言葉こそが、もっとも相応しい。---魔界見聞録より抜粋
シュリア・バリーは男である。
生まれてこの方、男以外の性別になったことは無い。
シュリア・バリーは淫魔種である。
混血であるため正確には違うが、彼の身体に流れている血の半分は間違いなく淫魔種と呼ばれる種族のものである。
つまり、男でありながら女性と呼ばれても遜色が無いレベルで、具体的には10人中8人が振り向くレベルで(残り二人はゲイかブス専)彼は美人と呼べる養子をした男の子なのである。
つまり、何が言いたいのかというと、彼は絡まれていた。
これ以上に無いほど絡まれていた。
場所は魔界北部に位置する怠惰公の治める都市「知識の都クレイドス」。
その駅舎の前。
切符の精算を終え、悠々と扉をくぐって直ぐの所である。
「なあなあ譲ちゃん、いいじゃねぇかよー、遊ぼうぜー」
「旅行かい、一人旅?いい場所紹介するよー」
「げへげへ」
知識の都と呼ばれる場所でありながら、彼を囲むものたちには品性の欠片すら感じられない。
そんな彼らに四方を囲まれた状態でありながら、彼はひたすら取り澄ましていた。
彼の白磁の器も裸足で逃げそうなほど艶やかな手には、二枚の手紙が握られている。
思い立ったが吉日とばかりに、役所を後にした足でそのまま身の回りの荷物だけまとめると、彼は両親に置手紙を残してクレイドスへの旅路へとついたのであった。
この手紙は、クレイドスに着いて直ぐ駅長から手渡されたもの、書かれた名はカラミス・バリー。つまり、彼の母の名であった。
内容としては、突然の出奔に対する説教から、行くならば頑張ることと激励に変わり、もう一通の手紙に古い友人へと推薦状が認めてあるといった内容であった。
その手紙を微かに微笑みながら読み続けるシュリア。
つまり、彼は絡まれていることに気がついていなかった。
「おい、いい加減に…」
そして、悲劇は起こる。
いきり立った男の一人が、彼の華奢な肩へと手を伸ばし。
姿を消した。
「……はぁ?」
「げへげへ?」
残った二人が、首を傾げるも、相棒の姿はまるで霞のように消えてしまっている。
「あら…。何か御用ですか?」
残ったのは、まるで今気がつきましたとばかりの、純真無垢を絵に描いたような微笑を浮かべる少女のような何か。
その微笑に目を奪われるも、何か底知れない化け物を相手にしているかのような冷たい感覚が足元から這い上がってくる。
「…いえ、なんでもないです」
「…げへ」
「…そうですか」
駄目押しのように強められた微笑にもはや返す言葉も無い。
彼らの目の前で、丁寧に手紙を封筒に戻すと、少女の姿をしたものは、それではと会釈を残し歩き始めた。
と、その足が何かを思い出したかのように止まる。
首だけを二人のほうに向けると、彼女は困った顔をして口を開いた。
「すいません、道を尋ねたいんですが…」
「あ、はい…」
「クレイドス城へはどう行けばいいのでしょうか…?」
彼女の口から出た名に、彼は戦慄した。
それは「知識の都」と呼ばれるこの領都に置いてすら忌避される場所の名である。
狂人たちの巣、怠惰の化身、殺人鬼の笑い声、忌避するものは沢山あれど、その名を好んで口に出すものは奇人の都と揶揄されるこの都の住人においても数少ない。
つまり、そこに行きたいと思ってしまう同類か無垢な観光者のみ。
「…あの山の上一番でかい屋敷がそうだ」
彼にとっては、どちらでも構わなかった、狂人にしろ観光者にしろ、その名を出した時点でかかわってはいけないものに目の前の少女は分類されている。
「…げへ」
「ありがどうございます」
コクコクと同意する相棒も、嬉しそうに微笑む少女も遠い世界のようで。
「それでは、お礼に少しばかり…、彼は早く病院に連れて行ってあげたほうがいいですよ」
しかし、去り際に残された言葉に現実に引き戻され、少しおつむの弱い相棒と眼を合わせ首を傾げる。
まるで狂い咲く月光華のように美しい少女が去り、そして、現実と共にその音が聞こえた。
ぐしゃりと、何か重たいものが彼らの視線の間に落ちてきた。
それは、消えたはずの相棒の姿、お調子者ではあるが悪人ではない可愛そうなナンパ男の末路であった。
『知識の都クレイドス』
魔界6公爵の一柱、怠惰公ベルフェゴールの治める領都である。
魔界最大の知識の集約地であり、比較的戦争嫌いな怠惰公の人柄もあり、人間界との緩衝地的な役割もある土地である。
その為、魔界人間界問わず多種族のサラダボール状態であることが有名な場所である。
その町並みはやはり雑多という一言に集約される、袋小路ばかりの横道。
まっすぐなほうが珍しい主要道。
よくわからない機器が飛び出した店舗の数々、よく爆発事故を引き起こしている薬品街。
まともな生物の姿を保っているほうが少ない錬金街。
魔女と魔術が飛び交う魔法街。
この世のあらゆる混沌を煮詰めて濾してさらに煮詰めれば出現するのではないかと思われる、その極み。
それこそが、魔界でもなく人間界でもなく、あれは腐界であると当代魔王に言わしめた怠惰公の領都の姿であった。
その町並みを闊歩する路線戦車。
先頭部にすえつけられた煙突から虹色の噴煙を噴出す怪しい乗り物に揺られて、彼はその町並みを眺めていた。
「月夜の都」と呼ばれる色町で育った彼にとって、その喧騒は種類は違えどある種聞きなれたもの、聞こえてくる音が女性の嬌声か爆発音かの違いなだけである。
ごみごみとした町並みも煌びやかな色街も、その根底に潜む狂気の根源は同じ、所詮人の欲望の粋を極めただけのことである。
ある種、人間界で言うところの修行僧さえ至れないであろう諦めの極致を持って、彼は冷めた瞳でその町を眺めていた。
それは、この町に来た者達を長年運び続けてきた路線戦車の乗務員たちには異様な光景として写る。
この町に来るものたちは、そのすべてが狂気をはらんだ希望に満ちている。
願い、欲望、研究という名の行為すべてが容認されたこの町に来るのは、たとえば冷めた少女の隣で路線戦車の内部機関をキラキラとした瞳でむしろギラギラとした欲望にたぎった眼力で睨み付けている男の子であったり、手元の魔術書を愛しい人からのラブレターでもあるかのように、優しく愛しげにかつ隅から隅まで余すことなく舐めるように読むふけっている魔女であったりが、一般的なのである
魔道機関にも魔術書にも興味を示さない、かといって薬品臭もせず、武器を隠し持っているわけでもない、言うならば田舎から間違ってパン屋の職でもこの町に探しに来てしまったかのような、そんな場違いな感じがその姿にはあった。
しかし、乗り込むときにかけられた一言は、その感想を大きく揺るがすもの。
「これに乗っていけば、クレイドス城へといけると聞いたのですが」
「お、おう、終点がクレイドス城だぜ?」
「お金は、いくら必要ですか?」
「え?いらねえよそんなもん、俺たちはこいつを好きに走らせるだけだ、誰が乗り込み誰が降りようと気にしねぇ」
「……なるほど、では、終点までお願いします」
クレイドス城。狂人と人形が治める狂気に支配された城。
そんな場所に踏み込もうというのに、その姿はあまりに自然で、だからこそ不自然であった。
今まであそこに行った者は、震えながら何かをブツブツ呟くか、楽しげに魔術書を読み漁るか、ドナドナされる子牛のように悲壮な覚悟に身を委ねるか、楽しげに刀剣を磨いては頬ずりするかといったやからばかりであった。
その中においてあくまで自然で、熱狂に支配されることも無く淡々と現実を見つめているその姿は、可憐な花どころか金剛石の造花を思わせるほど研ぎ澄まされたもの。
「いってぇ、何しにいくんだい?」
だから、つい言葉をかけていた。
一瞬、自分に声をかけられているとわからなかったのか、きょとんとしたしたのち、余所行きだろう笑みを浮かべて花開く幻想を伴いその唇が音を紡ぐ。
「少し、職を探しに……」
その言葉は、もっとも予想外で、あの城にはもっとも似つかわしく無い言葉だった。
「気をつけろよ!」
クレイドスに降り立ってすれ違った中で、比較的まともな部類に入るであろう路線戦車の戦車長の言葉を背に私は城門前と降り立った。
なぜ、頑張れなどといった激励の言葉では無く注意を喚起する言葉なのか、首を傾げる暇も無く、その言葉の意味を一瞬で理解する。
外観は、半分は比較的ましであるといえるだろう。
公爵領の領都城であると鑑みればいささか以上にこじんまりとした城ではある。
せいぜい館を少し大きくした程度のクレイドス城は、正面玄関を中心とした左右対称の館であった、のだろう。
左側は確かにその面影を残している、正面を中心として左尖塔にまで及ぶ50メートルほどのお屋敷、並んだテラス、窓にはカーテンがかけられ住居であることを物語っている。
対して右側は、見るものに不快感を抱かせずにはいられないほどに、何か狂っていた。
なぜ、尖塔が五本くらいあるのだろうか、天高くそびえる煙突らしきものは何であろうか、何よりも右区画には、一切窓らしきものが存在しない。
左側の花壇が四季の花を辛うじて咲かせているのに対して、右側の花壇らしき場所には見るからに毒草魔草と呼べるものがはびこっているのはなぜであろうか。
疑問は尽きない。
しかし、そんな事をいちいち考えていても始まらない。
ともかく、母の古き友人であるらしい、この館の主人と話してみるのが先決であろう。
その館の主こそが、魔界の頂点に立つ6公爵の一柱であるというのに、そのことに対する恐れはまったくおくびにも出さず、彼は、玄関の隣にすえつけられたベルを鳴らした。
ちなみに、左側の物を使ったとだけ言っておこう。
リンゴーン、リンゴーン。
左側だけ見れば、古風正しきお屋敷といえなくも無い、そんな扉を押し開ける。
扉は予想外にスムーズに開いた。
屋敷の中は静まり返っている。
遠くに微かに金を打ち鳴らすような音が聞こえるが、右側の区画なので無かったものとする。
そのまま、所在無くしばらく待つと、左側の区画からカツカツとヒールが床を打つ音が響いてきた。
誰か来た様だ。
「もうー!こんな、朝早くに誰よ!今日は来客が来るなんて聞いてないわよ!」
ちなみに、すでに太陽は役目を終えようと朱色へと姿を変え始めている時刻である。
つまり、言外に非常識を匂わせているが、どう考えても相手のほうが非常識である。
「だれ!寝起きで頭回ってなぃん…だ、から?」
しかし、薄暗い廊下を肩を怒らせて進んできた相手の見て、その疑問はあっさり解けた。確かに、彼女にとっては今はまさに朝であろう。
血に飢えたように赤く煌く眼光。金色を纏った二本の立派なドリル。
肌は透き通るように白く、気だるげな雰囲気でありながらも、気高き意思が鋭く放たれている。
そう彼女は、どっからどう見ても吸血鬼であった。
「…失礼、レディ。此方の住人の方でしょうか?
私は、母の古き友人を訪ねてきたのですが…」
ぽかんと口を開けて固まる吸血鬼。
まだ、年若い見たままの年齢の少女だろう。
吸血侯の領都における最先端ドレス、白と黒が映えるゴシックドレスは、まだ幼さを残す彼女にとても似合っている。
「え、あ、悪いわね、ちょっとボーっとしてたわ」
慌てて取り繕うかのようにチラチラと窓を除いて、髪のセットを気にしだす吸血鬼。
そんな事しなくても、とても気高きドリルであると賛辞を送ろう。
「それで、誰を訪ねてきたの?今この屋敷の住人は私と剣狂いの鬼くらいだけど…」
セットが決まったのか、不快にならぬ程度に尊大な態度で彼女は質問を返してくる。
その姿は、まだ幼い彼女に似合いながらもどこかチグハグで、思わず笑みを浮かべてしまう姿であった。
「ええ、母からの手紙ですと、ベルちゃんといえばわかると」
「ふうーん、ベルちゃんね、人形兵団にそんな奴いたかしら……?ベルちゃん…、ベルちゃん?」
考え込む素振りをした後。彼女は何かありえないものでも見たかのように、此方の顔を凝視したまま、再度硬直した。
「ねえ…」
「はい?」
「私の、記憶違いで無ければ、この城でベルなんて名前がつくのは、もっとも『ちゃん』づけが似つかわしくない御仁ただ一人なんだけど…」
「では、その人のことかと」
また、しばし流れる沈黙の時間。
吸血鬼は頭を抱えるような姿勢のまま暫し停まり、やがて諦めたように再起動した。
「……ねえ、この領都の主の名はわかってる?」
「怠惰公、ベルフェゴール様ですね」
「この屋敷にいる、ベルちゃんは、彼女のみよ」
「では、そのお方のことかと」
再度の彼女は頭を抱えるようにフリーズした。
「………あんたの母親ってなにものよ」
「だだの、引きこもりサキュバスですね」
「意味がわからないわ……」
「それには、激しく同意します」
しばらくして再度再起動した彼女の声色は諦めに満ちていた。
すでに、考えることを放棄したらしい。
「あああああああああああ……!!!うし、ついてきなさい案内するわ!」
一週回って何かを振り切ったのか、奇声を上げるとすっきりした表情で彼女は案内役を買って出た。
「しかし、そこまでご迷惑になるわけには」
「いいのよ!あんたの母親って言うのにも興味が沸いたし…、それに…この屋敷でまともに案内してくれる奴なんて私以外にいないわよ」
「…そこまでおっしゃるのでしたら」
二人は連れたって歩き出す。
向かう先は左区画、そのことに私はわずかに安著の息を漏らした。
「そういえば、名前を聞いてなかったわね。私はミラよ、まあ、わかると思うけど吸血鬼ね、専攻は魔法学、攻撃魔術を得意としているわ」
「ご丁寧にありがとうございます。私はシュリア…、サキュバスのハーフです」
長い髪に隠れてはいるが、頭部には左右に小さな角が隠れている。
それを指し示してやると、ミラは納得したように頷いた。
「ということは、そのメガネも?」
「ええ、魔眼封じですね…、そこまで強いものではないですが、日常的に晒してよい類のものでもないので」
淫魔種は直接的な戦闘は得意な種族ではない。
その為、種族的に魔眼や、多種族を堕落させる手練手管に長けている種族、その説明のみで彼女は納得したらしく、それ以上追及はしてこなかった。
「それで、あなたは何を学びに来たのかしら?」
「何か…?」
「ここは、知識の都よ、あなたも何かを得たくてここに来たのではなくて?」
話を変えた彼女の瞳は、どこか怪しく輝いていた。
その光は、この町についてから何度も見てきたものである、路線戦車に相乗りした者たちも、乗務員たちも町を行く人々も、ナンパしてきた三人組すらもその瞳のおくに燻る様に存在した焔の色。
町全体を覆う、狂気の色と同じ---。
「私は、魔術に憧れてここに来たの」
ずいぶんと偏った色だ。
「小さい頃に戦場に言ってね」
偏執的ともいえるほど情熱的に、身を焦がしても気がつかないほど熱く。
「綺麗だった…、大地を削る焔も空を覆いつくす氷塊の雨も…」
逝ってしまっている、どこか遠く遠くへ、幼い頃を思い浮かべているのだろうか。
その色は妖しく危うくも綺麗な……。
「…着いたわ」
まるで、夢から覚めるように。
彼女は元の彼女へと戻っていた。
「ここが、ベルフェゴール様の寝室。特に礼儀を気にするような方じゃないから、気を楽にして行きなさい」
「ええ…、ありがとうございます」
ヒラヒラ片手を振りながら、ミラはあっさりと立ち去っていく。
「今度は…、あなたの夢も聞かせてね…シュリア?」
幼さなど感じさせないほどに、妖艶で美しい微笑を残して。
彼女の後姿から切るように視線を前に戻す。
いつの間にか私は目的地についていたらしい。
目の前にあるのは、一見普通の扉であった。
そう、普通の寝室の扉。
『ベルちゃん冬眠中』と書かれた扉である。
なぜ、執務室ではなく、寝室なのかという疑問あるが、私は確かに寝室の扉の前に立っていた。
両開きの扉を軽くノックし、躊躇無く押し開ける。
そこには---。
コツコツとヒールが床を叩く硬質的な音が響く。
ひどく身体がうずく。
生まれて初めて感じるレベルの飢餓感。
あのまま、彼女といたら。もう少し寝室が遠かったら、私は彼女に飛び掛って白磁のような首筋に牙を突き立てていただろう。
艶やかな黒曜石を思わせる長い髪。
薄いフレームメガネの奥で冷めたように此方を見つめていた瞳は、確かに魔眼だ。
こんなにも一瞬で私を虜にしてやまない魔眼。
「…楽しくなりそうね」
まるで、お人形みたい。
小さな頃、初めて貰った人形を思い出す。
まだ、力の制御も出来ない未熟だった頃。
「本当に…、楽しくなりそう」
私の手に渡った人形は、1分後には原型を留めていなかった。
ひどく、喉が渇いた。
フラフラと自室を目指す。
今は、ひどく、血が飲みたかった---。