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午後の実験

作者: 住ノ江

 カエルが苦手な方は気をつけてください。

『吊り橋理論』というものがある。

 ゆらゆらと揺れる吊り橋の上で出会った男女は、そうでない平坦な場所で出会ったときよりも高い好感度を互いに持つという。

 これは、吊り橋を渡ることにより生じている興奮と、異性と会うことで生じている興奮を取り違えるためにおこる現象である。また、緊迫した状況を共有することによって連帯感や恋愛感情が生まれるためとも言われている。


 休み時間、博識のP山くんが突然そんなことを僕に言ってきた。わけがわからない。

 彼はなぜか哀れむような目をしてそのご高説を僕に説いていらっしゃるが、まったくもってそのありがたみがわからない。

 なぜだろう、と考える。

 なにか、そんなことを言われるようなことがあっただろうか。

 最近僕のまわりで起きた変化と言えば、彼女しかない。そうだ、軽く彼女について紹介しよう。


 彼女の名前は古川衣澄ふるかわいすみ、通称スミちゃん。もちろん皮肉だ。

 彼女はクラスでも一目置かれる存在であり、ついでに距離もおかれていた。なぜかといえば、彼女が少し変わっているからであり、それまでまったく交流のなかった僕でさえ、彼女は少し変だと認識していた。

 彼女の容姿はとてもよかった。つやのある黒髪は背中に流れるようで、前髪は眉できっちりと切りそろえられていた。少しつりあがったアーモンド型の目はくりっとして大きく、冷たい印象はあるものの、美少女と言って相違ない。

 容姿の整った彼女はもちろん噂になったが、彼女にはまた別の噂があった。

 噂によれば、彼女の趣味は『解剖』らしい。

 はじめてメスを握ったのは三歳の誕生日だとか、家のニワトリをさばいて食べるんだとか、神棚にウーパールーパーのホルマリン漬けがたてまつられているだとかわけのわからない、だが不気味な噂がまことしやかにささやかれていた。

 彼女にアタックしようとしていた男共もその不気味な噂を聞くと、解剖されちゃたまらない、と言って彼女に近づかなかった。

「全然澄んでねえじゃん」

 そういうわけであだ名はスミちゃん。もちろん皮肉だ。


 さて、そんなある意味時の人であるスミちゃんとぼくが接点を持ったのは、ある日の午後のことだった。

 その日の生物の授業は実験で、あろうことか、内容は『カエルの解剖』だった。

 なにが楽しくて食後にそんなことせにゃならんのか、とクラス中が不平をもらしたが、先生が「カエルも結構うまいんだ」というとクラス中が静まり返ってしまった。

 どうやら先生は昼食がまだだったらしい。

 しかし僕はそれどころではなかった。

 カエルは平気だ。カエルを見ただけでキャーキャー言うような女々しい男ではない。

 がしかし、平気なのはカエルであって、カエルの中身ではないのだ。

 生物の教科書の表紙裏にある解剖写真を見るだけで冷や汗が出る僕を見て蔑むがいい。ダメなもんはダメだ。

 僕は困り果てていた。先生はカエルの数が足りないからと言って、生徒にペアを組ませて二人で一匹のカエルを解剖することとなっていた。名前の順で組まれた僕、深沢悟ふかざわさとるのペアはスミちゃんだった。

 それにしても二人で一匹のカエルをさばくとは笑いごとにもほどがある。たとえば結婚式での二人のはじめての共同作業がケーキ入刀ではなくカエル入刀だったら、父母どころか親戚中がその光景に涙するだろう。一応言っておくが、この時点では僕が彼女に抱いていた感情は「彼女は変」、それだけだ。

 それにしたって、いっぱしの高校男児である僕は女の子の前で情けない顔はしたくなかった。しかも相手は学年きっての美少女、スミちゃんだ。

 僕は気持ちを落ち着けようと、カエルのおいしさについて語る先生を無視して、ひたすら時計の秒針を数えていた。

 三百二十七まで数えたところで、突然隣にいるスミちゃんが声をかけてきた。

「深沢くん、もう実験始まってるよ」

「え、え。あそう、じゃあはじめようか」

 そうは言うものの、僕は机上のカエルを見ることができなかった。

 訝しみながら僕を見る彼女に、

「あ、えと、スミちゃんはさ、こういうの得意なんだよね。やってていいよ。僕、秒針数えてるから」

 言ってからわけがわからないと自分でも思ったが、彼女はぱっと表情を明るくして、

「え、いいの? うれしい! カエルなんて久しぶり」

 聞かなかったことにした。

 彼女は意気揚々とカッターを持ち、おそらく解剖を始めたのだろう。僕の視界に映らないところからなにやら精神衛生上よくなさそうな音がする。しかしきっと僕の聞き間違いだ。僕の耳には秒針が時を刻む音しか聞こえない。

 そうして千二百七十九まで数えたところで、彼女が「あ、ピンが足りない」とつぶやくのが聞こえた。

「深沢くん。悪いんだけどそこ押さえてくれる?」

「……え、どこ?」

 そこにあるものを絶対に視界に映さないようにしながら、僕はよろよろと手を机の上にさまよわせた。

「ここ、ここ」

 そう言ってスミちゃんは僕の手を取り、僕の手をなにかに押し付けた。

 しっとりとしたなにかが手に触れて一瞬気が遠くなりかける。だが僕も漢だ。みっともないところは見せられない。大丈夫、見えてはいない。

 彼女はまた解剖を再開したようだった。せっかく数えた秒針もどこまで数えたかわからなくなってしまった。仕方なくまた一から数え始める。

 手元を決して見ないようにしながら百八十六まで数えたところで、また彼女がなにか言った。

「うー、よく見えない。深沢くん、指、あぶないよ」

「え?」

「……あっ!」

 一瞬の出来事だった。

 人差指に鋭い痛みが走ったと思うと、視界に哀れなカエル様が映る。

 ぱっくり開いたおなか。ところせましと詰まる¶ξ▼б§☆♯

「きゃああああああああ!」

 思いがけず女々しい悲鳴を上げながら僕は丸椅子ごとひっくり返った。

 何事かと静まる教室。

 落書きだらけの丸椅子が僕を嘲笑うようにくるくると回っていた。

「……ふふふ」

 突然上の方から笑い声がした。

 見るとスミちゃんが笑っていた。刃物を握ったまま。

 いつもは冷たい仮面が張り付いているようなその綺麗な顔には、暖かな微笑が浮かんでいた。

 そのとき、僕は自分の胸が高鳴っているのに気づいた。

 春の暖かさのような微笑。僕とカエル様の血が付いた刃物。

 ――この胸の鼓動は、いったい……。

「……ふ、ふふふ、あはは」

「ふふふ」

 気づけば僕たちは互いに笑いかけていた。

 依然胸のドキドキは収まらない。

 女神のような微笑。鋭く光る刃物。

 クラスメイトが気味悪そうに見つめる中、僕たちはいつまでも笑っていた。

 僕は気付いたのだ。

 ――これが、恋なんだ。


 その日から僕はスミちゃんに話しかけるようになった。スミちゃんも僕が気に入ってくれたのか、とても楽しそうに話してくれる。

「だって深沢くん、叫び声が乙女なんだもん」

 そう言って彼女に笑われたが、そのあと怪我した指を彼女に手当てしてもらえたので役得である。

 P山くんが話しかけてきたのはそれからのことだった。だが、思い返してみても意図がまったくつかめない。

 僕の机の前で演説をし終えたP山くんに向かって、「だからなんなの?」と言ったら、P山くんは少し傷ついたようにうつむいて去った。


 たしかに僕は盲目的に彼女に夢中かもしれない。だが、だからなんだというのだ。

 恋は盲目、馬耳東風。

 なんぼのもんじゃい、五里霧中。 

 この熱い想い、もうだれにも止められない!


 『吊り橋効果』、気になる方はウェブでどうぞ。


 また、作中のように刃物で脅しつけるのは大変危険なので絶対真似しないでください。やるならジェットコースターの上で愛を叫ぶなどしてください。もちろん責任は取りません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 結構ブラックユーモアな作風で、楽しく読ませて頂きました。僕的には面白い作品でしたが、カエルの解剖とかグロテスクな部分は思わず目を伏せてしまいましたが、最後まで読んでしまいました。これからの作…
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