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文化祭から数日がたった。
あたしたちは放課後の誰もいない教室で向かい合っていた。千鶴ちゃんの部屋に行くでもなく、ただぼんやりと授業の余韻に浸っていた。
あれからハジメは漫画に忙しい日々を送っている。あたしと一緒にロリィタ服を見に言ったりもする。リナさんとももうすっかり顔なじみだ。
「僕の新しい引っ越し先は北海道だって」
「本州じゃないの?」
「ああ。飛行機だ」
「……遠いね」
「そう簡単には合えなくなるけど、いずれ会いに来るよ、夢子さんに」
「まってる」
だから、絶対会いに来て。
空港まで見送りに行くからというと、ハジメは嬉しそうに笑った。久住さんも一緒に行くという。小枝子ちゃんたちは、記念にお菓子を焼いていくらしい。
「受験生なのに、大変だね」
「色々な場所に行くのも漫画には役立つから」
「前向きだね」
「そうとらえたほうが楽しいでしょ」
ハジメのそんなところ、素敵だと思うよ。
そう言えればいいのに、恥ずかしくて素直になれない。
「飛行機は、明日だね。早い」
「荷物はまとめたし、ぎりぎりまで学校に来れてよかったよ」
「明日は絶対くから」
そう、あたしは言ったのに。
「遅刻だ!」
次の日、あたしは前日緊張しすぎて寝坊してしまった。慌ててロリィタ服に着替えてメイクをする。最後の日だからこそ、ロリィタで会いたい。
ロリィタ服を着て、お父さんに空港まで送ってもらう。この日のために買った、プレゼントも持って。
空港に着くと、あたしは走る走る。
ロリィタ服で目立つのも、スカートがめくれ上がるのも気にしない。
「ハジメ!!」
途中で、ハジメにあった。久住さんもいる。
「ごめん、ぎりぎりで」
「ううん、見送りに来てくれただけでうれしいよ」
「これ、プレゼント」
あたしはハジメにプレゼントの入った青い箱を渡す。
「開けていい?」
「もちろん」
その言葉を聞いてゆっくりとハジメは細牛をはがす。
「筆箱だ」
黒くて、硬いシンプルな筆箱。
インクをたくさん使う彼だから、汚れが目立たないほうがいいと思って。ハジメと言えば漫画。漫画と言えばペンでしょう。
「ありがとう、大切に使う」
そしてそう言ってほほ笑むハジメを見て、あたしは確信した。
「あたし、ハジメのこと好きみたい」
早口にまくしたてるような告白だったと思う。言った瞬間い顔が赤く染まる。でも、ハジメから目をそらさない。
ハジメは目をぱちくりさせて、あたしを見る。そして、やさしく微笑んだ。
「僕も、ひとめぼれでした」
「おおおお」
久住さんが後ろで声を上げる。
「見た目だけじゃない、中身も強くて明るくて元気で」
「ハジメも、やさしくて、真面目でたまに別人みたいで……」
「絶対に、漫画完成させるから」
ハジメは、こぶしを胸にあてて言った。
「待ってる」
あたしはにっこりとほほ笑んだ。
空港のアナウンスが響く。
そろそろ北海道行の便が出るらしい。
「そろそろ時間だから」
名残惜しそうにハジメは言う。
あたしもさみしくて目がうるんだ。
このままいっそ泣いてしまおうか。
そうすればハジメは行くのをやめてくれるだろうか。いや、それは駄目だ。
ハジメの足を引っ張ってはいけない。
彼の夢のため、将来のため、送り出しいてあげなきゃ。
「ばいばいっ」
声が震える。視界がどんどんかすんでいく。
ハジメの姿が遠くなる。
もう見えなくなった瞬間、あたしの涙腺は崩壊した。久住さんがあたしにハンカチを渡してくれた。
「ハジメ……行っちゃった……」
「……そうだな」
「行ってほしくなった」
「俺もだよ」
うわああああん、と子供のようにあたしは泣いた。周りの注目なんて気にせずに。
ハジメがいなくなることが、こんなにもショックだなんて。
こんなにもハジメが好きだなんて。
明日からあたしは、生きてけるのだろうか。
そんな時、足元に手紙を見つめた。
「夢子さんへ?」
あたし宛の、それは見慣れたハジメの文字だった。
『夢子さんへ
僕の漫画のモデルになってくれてありがとう。君のおかげで今面白い話が浮かびそうです。担当さんからも好評だから、あっちへ行ったら頑張って原稿に励むよ。
もちろん受験勉強もね。漫画家になるにも、やっぱりいろいろ知識がほしいから進学するつもりだよ。
夢子さんも夢に向かって頑張ってね。
応援してるよ。
いつでもメールください。ハジメ』
ハジメの手紙に、手が震えた。
この手紙は一生捨てられないだろう。
あたしはハンカチで涙をぬぐって深呼吸をした。
空港から出て、空を見上げる。空は青く広い。この空を、ハジメも見ている。遠いって言ったって、同じ日本だし同じ地球だ。一生の別れではない。
そう思うと元気が出た。
久住さんが気を使ってジュースを買ってきてくれた。お礼を言ってそれを飲む。
木でできた椅子に座り、それを口づける。
「久住さん、あたしたちも全力で頑張りましょうね」
「もちろんだ」
そう言ってあたしたちは向かい合ってジュースを乾杯した。
ハジメと次会うときに、胸を張れる自分でいれるように。あたしはこれからも我が道を行く。どんなことを言われても、夢子は夢子だ。ハジメがほめてくれた自分でいる。
「前を向いて頑張ろうっと」
そう宣言して立ち上がると、俄然やる気がわいてきた。帰ってきたらデザイン画を描こう。時間ができたら裁縫の練習をしてコンテストに出そう。
少しでも彼にふさわしい自分になるために。