10
次の日、学校。
「夢子さんおはよう」
「……おはよう」
何となく気まずくてあたしは小さな声で返事をした、
「昨日は大変だったね。疲れた?」
「なんとか。本当にありがとう。久住さんも」
「心配だったからね。か弱い女の子一人じゃあいつにはかなわないだろうし」
「……そっか」
「まあ僕じゃ歯が立たなかっただろうけど。久住だからどうにかなったんだと思う」
そう言ってハジメははにかむ。
教室の中は、いつも通り二人の周りだけが静かだ。あたしとつるんでるから、いまだにハジメに友達はいない。
これでいいのかな、なんて思う。
あたしが離れれば友達ができるんじゃないかな。
「ねぇハジメ」
「ん?」
「あたしと距離置かない?」
「え?」
「そしたら友達ができるよ」
「いいよ、僕どうせまた転校するし」
僕また転校するし。
……なんだって?
「高校卒業する前にまた転校するんだ。だから夢子さんといるだけで幸せ」
「……そんなのってないよ」
寂しいよ。あんまりだよ。
「僕といるのは嫌?」
「そうじゃない」
むしろ逆だから表情をゆがめているのに。「なら短い間だけでも、仲良くしてやってください」
「……うん」
喜んでた久住さんもがっかりするんだろうな。
「そうだ、キャラデザできたよ」
「みるっ」
「今度のは少し個性出してみた」
「お、たれ目強調されてる、漫画絵だー!」
今度は似顔絵ではなく、漫画のキャラになっていた。しかもかわいい。思わずにっこり笑顔。
「気に入ってくれた?」
「うんっ」
「名前は姫奈」
「ひねったね」
「そのままはあれなので」
嬉しそうに漫画の話をするハジメは、盗作なんてしそうにない。
「髪色もピンクです。夢子さん好きでしょう?」
「大好き。だあいすき!」
いつかピンクに髪の毛染めたいぐらい!
専門いったら染めるんだ!
「思い切り活躍させて見せますよ」
「がんばってー!」
完成が楽しみになってきた。
そうだよ、やっぱ盗作なんてしないよ。
でも、なんでデマが流れてるんだろう?
……不思議。
「久住さん」
メイドの帰りに、最近は久住さんが迎えに来てくれる。
「や、今回はオレの漫画を読んでくれないかな? お礼っていうならさ」
「別にいいですよ」
それぐらいなら、喜んで。
あたしたちは駅前の安いカフェに入り、二人とも新作のフレーバーを選んだ。
「これなんだけど」
「これ……」
あたしは息をのんだ。
だってそれがあまりにも下手くそだったから。
「おおぅ」
思わず変な声が出る。
「どう?」
「とても素敵な絵です」
「オレ的にはハジメよりうまいと思うんだけど」
(それは勘違いです、絶対)
むしろあたしの絵のほうがましなんじゃないかな、美術苦手だけど……。
「でもなかなか納得いく作品ができなくて投稿できないんだ。毎日デッサンしてるんだけど……俺はもっと上を目指す。ここで満足しないっ」
「素敵な心掛けですね」
どうしていい変わらず引きつり笑いのあたし。
「ハジメより先にデビューしてやるっ」
「がんばってください」
「夢子ちゃんも、オレのほうのモデルになりなよ? かわいく描くよ!」
「……それはちょっと」
「なんでだよ!?」
あたしの言葉に荒い声を久住さんはあげた。
「あんな奴より俺のほうがいいだろ!?」
「あたしはあの人だからモデルになることを決めたので」
「どいつもこいつもハジメばっかちやほやしやがって!」
(そりゃ、明らかに実力に差があるから仕方がないんじゃ……)
小学生の落書き程度の漫画を、どうちやほやしろと。
「納得いかねー……」
「どちらも素敵ですよ」
「じゃあ両方のモデルやってよ。同じもモデルで同じ作品で勝負しようぜ」
「……久住さんの漫画に、出たいとは思わないので……」
画力的な意味じゃなく、なんか生理的に。
ここまで自信家で、実力が伴っていないのはひどくみっともない。
それでも久住さんの手にはペンダコがいくつもあった。
才能。そんな言葉が頭をよぎる。
彼はどんなに努力してもうまくなれないのかもしれない。
だとしたら、それはすごく悲しくてむごいことだ。それでも読者は、そんなことを気にしない。うまくて面白い作家を好きになる。
下手でも個性があればいいけれど、久住さんのは典型的な下手な絵。
ギャグマンガならどうにか使えそうだけれど、本人のは壮大なラブロマンスを描いているらしい。
まったくドキドキしない画面で、たまに吹き出しそうになる。
「ハジメより努力してきたのにな……いつも俺はそうだ。結果が出ない」
「投稿しないんですか?」
「編集部に持ち込んだら、くそみたいな酷評だったよ。読めないって言われたさ」
ちっと久住さんは舌打ちをする。
「デマ流しても、結局あいつはアシスタントに誘われるし、周りだってあいつばっか……」
「デマ?」
「……なんでもない」
デマ、と聞いて思い出したのはあの盗作サイトのことだ。まさか。
「久住さん、ハジメが盗作したってデマ流したんですか?」
「……そうだよ」
「なんでそんなことをするんですか!? 最低……」
あたしは叫んだ。周りの視線が痛い。
でも、絶対そんなの許せないよ!
「最初は同じような画力だったんだ、それが気が付いたらこれだよ。わかってんだよ俺のほうが下手なことぐらい」
「でもだからってなんでそんな……」
「あいつがどんどん俺から離れていく気がしたからだよ……」
ギリ、と歯を強くかみしめる音がする。
久住さんのコブシは震えていた。
「なんで俺だけ、才能に恵まれなかったかな……」
神様は不条理だ、と言って久住さんは空を仰ぐ。
「俺が悪いのはわかってる」
「じゃあどうして」
「本気で好きだからだよ、漫画を。だから才能に恵まれたあいつが妬ましいんだよ。努力しても無駄なやつは必ずいる」
わかってはいる。なんだってすべての人が一番になんてなれない。だからこそ一番には価値がある。それは何に対していちばんを求めたことのないあたしも分かる。
「あいつの絵みたろ? 可能性と夢がぎらぎらに詰まってんだ、俺の絵はすっからかんなのに……」
「そんな」
「ことないって言えるか? そりゃ進歩はするだろうけどよぉ、あいつほどの伸びしろはないね」
「そんな自虐」
「それでもプロになりたい。どんな道をたどっても。だから俺は努力する。まだ投稿すらしてないけど……いつか納得いく作品ができるようにあがくさ」
歯を食いしばって、眉間にしわを寄せ久住さんは笑った。
「……やったことは最低で、まだ嫉妬はぐるぐるしてるけどな、夢子ちゃん見てたら、謝ってサイト閉鎖しようって思ってきた」
「久住さんっ」
「だって、夢子ちゃんのモデルの作品俺読みたいし。あれが足引っ張ったらいやだから、謝罪文も書く。……ハジメにも謝るよ」
「…………」
「まあそれだけで許されるとは思わないけどな、将来タダでアシスタントしてやるのがありがたいぐらいの画力をつけてやる」
「その意気ですよっ」
久住さんの表情が明るくなっていく。
あたしもほっとしてくる。
この人は、こんなドロドロとした感情に負けるべき人じゃない。
「正直、あのサイト作って反響あって怖かった。俺やばいことしてんだなって」
わかってたけどやめられなかった、と久住さんは続けた。
「もしプロになれなくても、ハジメは友達でいてくれると思いますよ」
「……俺も心のどこかではわかってたんだ」
でも、と久住さんは泣きそうな顔をした。
そしてあたしは久住さんに背を向ける。
「泣いていいですよ。あたしは見ません」
「夢子ちゃん……」
鼻をすするような音が聞こえる。
「その代わり、今すぐハジメを読んで漫画喫茶に行きましょう。サイトを閉鎖するんです」
「もちろん俺が出すよ」
携帯音が聞こえた。きっとはじめにメールを出したのだろう。
きっと、分かり合えるはずだ。
ハジメも久住さんもいい人だから。