九十二話 貿易商リコ
貿易船グリーンロード号。それがこの船の名前である。
持ち主はゼファール国の東、帝国を挟んだオールマニー共和国で貿易商を営んでいたリコ・ビアヘロという名の商人だ。彼は灯りも無い船倉の奥で妻と二人の子を抱きかかえながら激しく後悔していた。
彼の人生は順風満帆だった。小さな頃より商人の丁稚として商いを学び、若くして共和国でも有数の商人へとのし上がった。伝手から大型の貿易船も手に入れたリコは、長年の夢であった外国との貿易に乗り出したばかりであった。
しかし――。
(どうしてこうなったんだ……)
ゼファール国へと向けての航海の中、どこからともなく奴らは現れた。リコが報告を受けた時には既に船の真横につけられており、甲板に居た船員があらがう間もなく殺されていた。白昼堂々と、しかも船員に気付かせずに船を近づけられる筈など無いのだ。護衛に雇っていた冒険者達が慌てて応戦したが、既に結末は見えていた。船員と護衛を含めた四十人が瞬く間に殺され、リコは間一髪この船倉に逃げ込んだ。
この船倉は荷物の中でも貴重品を保管するために、作りが頑丈に出来ていて魔法を防ぐ仕掛けまで施されている。外から叩かれる音に、一家四人は耳を塞ぎひたすら時が過ぎるのを待った。やがて外からの音が一切なくなっても、外の様子を確かめる勇気も無く船倉に閉じこもっていた。
どれ程時間が過ぎたのだろう。外から何者かの声が聞こえるが、壁も扉も分厚いので叫んでいる内容までは聞き取れない。リコは海賊が再び扉をこじ開けようとしているのではないかと思い、絶望から神へと一心に祈る。やがて、扉の横の壁へと何かを叩き付ける音が聞こえ始めた。数度の音が響いた後、ついに壁に拳大の穴が開いてしまった。二人の娘が小さく悲鳴を上げる。泣き出さないのは恐怖で感覚が麻痺しているからだろうか。
開いた穴から赤く光る眼がこちらをのぞき込んでいる。その眼は真っ暗な船倉の中で、自分達をはっきりと捕らえていた。遂に自分達の最後かとリコは妻と娘を抱きしめる腕に力を込めた。
「ああ、生存者が居た。大丈夫ですか? ゼファール国の者です! 今海軍の方が降りてきてますから今暫くの辛抱です」
そんな絶望の淵に立たされたリコの耳に届いたのは、少年の声であった。暫く言葉の意味が理解できずに呆けていたリコだったが、やがて妻達と顔を見合わせると涙を流し喜ぶのだった。
程なくして、到着した海軍の兵士の呼びかけに応じて扉を開けたリコ達に、先ほどの赤い目をした少年がコップに水を入れて渡した。極度の緊張下に置かれていたリコは気付いていなかったが、湿気や熱のこもった船倉に長く閉じこもっていた為、脱水症状を起こし始めていた。それに気付いた少年が、気を利かせて水をくれたのだ。
「ありがとう。君の名を教えてくれないか?」
リコは水を飲み干すと、礼を言いつつ名前を尋ねた。眼の赤い少年はアレクと名乗り、ゼファール国の王立学園の生徒だと自己紹介をした。
「アレク君か。よくあの壁に穴を開けられたものだよ。君が助けてくれなければ私たちは船が沈むまであの船倉で怯えていたことだろう。助かった、礼を言うよ」
「いえ……それよりも、この船はあまり長く持ちません。こんな状況下で言うのは申し訳ないですけれど、貴重品や身の回りの品は早めに運び出したほうが良いです。マジックバッグを持っているので、お手伝い出来るなら遠慮無く言って下さい」
リコはアレクの言葉に頷く。たしかに周囲は酷い有様だが、閉じこもっていた船倉に保管している品があればやり直しも出来る。兵士に一言断りをいれて妻と娘達を避難させて貰い、リコはアレクと荷物を運ぶ為に船倉へと戻るのだった。
「はあ……」
これで何度目か分からない溜息をリコは吐く。海軍からの事情聴取を終えて妻と娘が待っている宿に帰ってこれたのは完全に日も落ちてからだった。リコが溜息を吐いている原因は色々あるのだが、最も大きな悩みは、これからどうするかという行動方針についてである。
妻と娘に弱っている姿を見せたくないリコは、宿の一階にある酒場の片隅で一人酒を飲んでいた。しかし、考えがまとまる訳でも無く、かといって酒に酔える訳でもない。
(結局、手元に残ったのは金貨一枚と少し。……これでは船員と丁稚の家族に十分な額を払えない。それに取引の違約金を含めると……ああ、どうしよう!)
リコは、今回の一件で亡くした船員と自分の元で働いていた丁稚の遺族に支払う見舞金の額を計算しながら、再び溜息を吐いた。皆、国元に家族を残して亡くなってしまった。その遺族に見舞金を払うか否かは雇った者の心一つなのだが、リコは出来る限り払ってやりたいと思っている。これは人道的な理由もあるが、商人としての信用問題でもある。
とはいえ、今回の海賊騒動で亡くなったのは護衛の冒険者を除いても三十人を越えており、膨大な金額となるだろう。
ちなみに護衛の冒険者に関しては、船を守る契約が履行できなかったのでリコが何かを支払う義務は無い。
一人辺り銀貨一枚から二枚を見舞金として出すとすれば全体で銀貨五十枚はかかる。そして、船から回収した遺体の埋葬などにもお金が掛かるのだ。更に頭が痛いのは、今回の貿易で唯一売り先が決まっていた商品を海賊に盗られてしまった事だ。
他の品は純粋に損失として計算すればいいのだが、売り先が決まっていた取引に限っては違約金が発生してしまう。それらを加味すると、手持ちの金ではどうやっても足りなくなるのである。
「どうしたんです? リコさん」
頭を抱えていたリコに声が掛けられた。頭を上げたリコの前には、いつの間にかアレクが立っていた。
アレクは海賊の潜伏先を探すために放っていたアンとシェイドが帰ってきたので、報告を聞いていた為まだ起きていたのだった。
二人の調べによれば濡れ鴉との繋がりを証明する品物は無かったようだ。それならば、自分で手を出さずとも海軍に拠点の事を話すだけでも十分だろうと、詰め所へと向かうため部屋の外へと出たところで、階下にリコが居るのを見かけたのだった。
「ああ、アレク君か。何でも無い――と言っても今の様子を見られていたなら誤魔化しても無意味だね」
「僕みたいな子供ではお役には立てないでしょうけれど、言って楽になるかもしれませんし……」
リコの表情には焦燥と悲壮感が溢れていた。このままでは、リコが思い詰めて自殺してしまうのではないかとアレクは考え、少しでも助けになればと声を掛けた。
リコからすれば、自分の半分にも満たない歳の少年に愚痴をこぼすのは躊躇われたが、助かった時に泣いた姿を見せたことを思い出し、今更だなと思い話すことにした。
「例えばですけれど、海賊の潜伏先が見つかって海軍が討伐したとすればリコさんに荷物って戻らないんですか?」
「軍が討伐した海賊や盗賊が持っている財宝なんかは、軍――ひいては国の所有物になるんだよ」
アレクの問いに、リコは力なく首を横に振りつつ答えた。当初の予定では海軍へ情報を渡して討伐隊を組んで貰う予定だったのだが、軍によって討伐された賊が所有していた財宝は、全てが国に所有権が移るらしいのだ。逆に、冒険者などが討伐した場合は冒険者達の物となる。唯一例外は、それが被害者からの依頼によって討伐したか否かだ。
(だとすれば、このまま海軍に情報を渡した場合。リコさんは首が回らないままなのか)
リコの説明を聞いてアレクは困った表情を浮かべた。アレクとしては海軍に討伐して貰うのが一番良いと考えていたのだ。
しかし、それでは目の前で困っているリコと、その家族が路頭に迷ってしまう。一旦知り合いになった人たちがそんな目に遭うのは、なんとも後味が悪い。
リコの妻と二人の娘が宿へと連れてこられた時、ミリアはリコの妻を元気づけたり、娘達と年が近いフィアとエレンが仲良くなったりと多少なりとも関わりを持った。その人たちが路頭に迷うとなれば、フィア達の顔も曇るだろう。
とは言え、アレクに出来る事はリコの愚痴を聞くくらいなのが現状であり、お酒をつぎながら荷物に関する話を聞いてみる事にした。




