九十話 二人の時
夕暮れ時、アレクはフィアと供に海に沈む夕日を見に小高い丘に立っていた。
フィアから誘われた事が切っ掛けではあったが、最近は魔法の研究に打ち込んでばかりで、こうやってフィアと何処かへ歩くことが減っていたという自覚があった。
彼女が自分に好意を持ってくれている事も分かっていたアレクだが、忙しさにかまけて彼女のことをおざなりにしていた感は否めなかった。申し訳ないと思い、こうして誘いに乗って供に海を見に来たのである。
「綺麗ね……。水平線に沈む夕日がこんなにも綺麗なんて知らなかったわ」
フィアがそう呟きながらアレクの手をきゅっと握る。アレクも頷きながら少し照れくさそうにそっと握り返した。辺りが夕日に染められて赤く染まっていく中、フィアがぽつりと呟いた。
「ねぇ、アレク君。一旦部屋に戻った時に何かあった?」
「え?」
フィアの言葉にアレクは驚く。アンの報告を聞いた後も、態度に出さないように気をつけていた。だが、フィアはアレクの感情の機微を感じ取ったようだ。
「別に何もないよ? どうしたの、いきなり」
アレクの口調は誤魔化すかのように、少しだけ早口になってしまった。そんなアレクへちらりと視線を向けるが、沈みゆく夕日へと目を向け直すとフィアは少しだけ悲しそうな表情を見せる。
「部屋から出た時、アレク君少し怖い表情になってたよ? ――まるで一年前のあの日のように」
フィアの指摘にアレクは驚きの表情を浮かべた。自分でも気付かない内に表情に出ていたようだ。だが、ランバートやエレンは気付いた素振りは無かった。フィアだけが気付いたのだろうか。伊達に一年以上もアレクの傍に居て、見続けていた訳では無いという事なのだろう。
「アレク君はまた私に何も教えてくれないのね。――一年前のお母様を救ってくれた時に詮索しないって誓ったから今まで何も聞かなかったわ。いつかアレク君から教えてくれるだろうって信じてたから。でもね――私もアレク君と一緒に歩んでいきたいと思っているの。だからね、些細なことでも良いから相談とかして欲しいなって……」
フィアはこの一年間、アレクのもう一つの加護について何も聞こうとしなかった。いずれ話してくれるだろうと信じているからだ。いや、話して貰えるような間柄になれるように努力してきたつもりだった。しかし、一年経っても相変わらず何も教えて貰えないのだなと思うと、とても悲しい気持ちになるのだった。
フィアの告白に、アレクは申し訳ない気持ちになる。決してフィアを信頼していない訳ではないのだ。絶えず自分を案じてくれ、共に奴らを追うとさえ言ってくれている。
いずれ話さなければならないだろうとは漠然と思っていた。ただ、切っ掛けが掴めないだけなのだ。異質すぎる加護を伝えた事で怖がられたり、自分から離れてしまわないかが怖かったのだ。臆病になりすぎているのでは無いかと、アレクは自嘲気味に嗤う。
「ごめん、心配かけたね。ちょっと話をしようか」
アレクはそう言って、草むらへと座るとフィアへ隣へ座るように促す。やっと話して貰えるのだとフィアは嬉しそうな表情を浮かべたた。寄り添うように座るとアレクをじっと見つめる。
「何から話そうか――」
アレクはロハの村に盗賊団襲ってきた日の事から順にフィアへ語って聞かせる。奴らによって一度喉を切り裂かれて死んだ事を聞いてフィアの顔が驚きの表情へと変わった。
「一年半前のあの日からなんだよ。その時に髪の色と目の色も変わっちゃったんだ」
話は次第に王都へ辿り着いてから教会へと行った事へと移っていった。教会での洗礼を受けた時にエテルノに出会った場面になると、フィアは興奮の余りアレクへと詰め寄ってきた。
「女神様に!? すごい……お伽噺に出てくる英雄みたい!」
「フィア! 顔が近い! 落ち着いて」
今のフィアはアレクへ半分のしかかるような体勢であり、遠目から見たならばキスをしているように見える程顔が近かった。アレクの言葉に今の行動がはしたなかったと気付いたのか、フィアは慌てて距離を取った。フィアの温もりが離れていく事に少しだけ残念な気持ちがあったが、アレクは話を戻す。
「えっと、そこでエテルノ様に自分の体の事を教えて貰ったんだ。別な神様――この世界の神じゃないけど、その神からの加護がくっついた状態で産まれて来たんだって」
アレクの話に、フィアは首を傾げてばかりだ。この世界には創造神と魔法神であるエテルノ以外には神は居ないし、別の世界という概念も当然無い。空想、お伽噺でも異世界という話が無い以上、理解が追いつかないのは至極当然だったかもしれない。
ひとまずは無理矢理納得して貰い、アレクは話を続けた。産まれる前に加護が一つ既にあったこと、そしてエテルノより授かった加護の二つを持っているのだと告げた。意味が通じただろうかと心配になり、フィアの表情を窺うが、曖昧な笑みで誤魔化された。
(まあ、理解するのは難しいよな)
アレクはそう独りごちると、核心ともなる部分の話を口に出す。
「だから、僕はずっと死ねずに生きていかなければいけない。そうすると、例えフィアと一緒にいても僕だけ生き続けることになる。君が死んでも、子供が死んでもずっとね」
アレクが話している間、フィアは一言も口を挟まずにアレクの目を見ていた。
「きっと僕は周囲から変な目で見られることになるだろう。一つの場所に長くは暮らしていけないかもしれないし、下手をすれば迫害されるかもしれない。そんな僕にフィアを巻き込みたくないって気持ちもあるんだ。それが、臆病になっている理由なんだよ」
アレクが一通り話し終えると、フィアは顔を俯かせて何も口を開かなかった。
二人の間に重い沈黙が漂う。耳に届くのは遠くから聞こえる波の音と、丘へ吹く風の音だけだ。アレクは話したことを後悔し始めた。
(フィアは僕の加護の話を聞いて離れて行ってしまうんだろうか……)
フィアの沈黙にアレクは不安を隠せない。やはり、異質すぎる加護は受け入れられるわけでは無いのだなと、気持ちが沈んでいくのを感じた。
そのとき、フィアがやっと顔をアレクへと向けたのだが――その目には涙が浮かんでいた。予想外の反応に戸惑うアレクに、フィアはぽろぽろと泣きながら口を開く。
「わたしがずっと一緒に居たいと思っても、私の方が先に死んじゃうのよね? 私だけお婆ちゃんになるなんて……アレク君に嫌われちゃう」
「問題はそこ!?」
アレクは思わず叫んだが、フィアにとっては重要な事だったようだ。共に老いるのならまだしも、自分だけが老いていくのが嫌だっただけで、アレクの加護についての嫌悪感などは抱かなかったらしい。先ほどまで落ち込んでいた自分が可笑しくなったアレクは、つい笑ってしまった。
「笑うなんて酷いよ! ずっと一緒に居たいんだよ? 二人でずっと――それなのに!」
「ごめん。てっきり、この死ねない体のことを拒絶されるのかと思ってたから」
笑われた事に怒るフィアに対し謝るアレクの顔には安堵の表情が浮かんでいた。自分が思っていたよりも軽い反応だった事と、一年間ずっと秘めていた事を打ち明けたことで、幾らか気持ちが楽になったのだ。
一頻り笑ったアレクは、フィアになら眷属化の事も言ってしまって良いかなと考えた。自分の異質な加護を受け入れてくれたフィアであれば、眷属化についても受け入れてくれるのかもしれないと期待を持ちながら。
しかし、結局『眷属化』については話す事は出来なかった。いずれ、彼女と供に生きていくなら言わなくてはならない事柄だろう。悩んだアレクは、少しだけ言葉を濁して伝えることにした。
「もしかすると、僕と一緒の時を生きていける方法があるかもしれない。その時はフィアはそれを受け入れてくれるのかな?」
アレクの問いかけにフィアは長い時間考えていたが、やがて静かに頷いた。不死、もしくは長寿命化になるという事でのデメリットを考慮した上でもアレクと供に居たいという気持ちの方が強かった。
(きっと、自分達の子供や孫のほうが自分達より先に死んじゃうのを永久的に見続ける事になるよね。エレンとかランバート君みたいに仲の良い友達とかとも、ずっと付き合っていく事は出来ないんだろうなぁ……)
それはきっと悲しいことなのだろうとフィアは思う。親しき友と、そして自分の子らからも距離を置き生きていかなければならない人生を想像する。まだ十二歳のフィアには正しく推し量る事は出来ないが、各地を五年か十年で転々として生活していく自分とアレクを頭の中に思い浮かべる。
「――それでも、私はアレク君と一緒に居る方を選ぶかな」
「っ!」
少し悲しげな表情を浮かべながら、フィアはそれだけ言ってアレクに抱きついた。突然のことに支えきれなかったアレクは、フィアに押し倒されるように後ろへと倒れ込む。
恥ずかしさに耳まで真っ赤にしながらアレクの首元へと顔を埋めているフィアを、アレクは愛しげに抱きしめた。色々と考えた結果、自分と共に生きてくれる事を選んだフィアを、アレクが拒む理由が無かった。
それに、自分の成長が止まるのは少なくとも後数年はあるだろう。フィアを眷属化するにしても、恐らくはそれに併せてと言うことになる。それまでゆっくりと考えて二人で決めればいいのだ。
(今まで一人で悩んでいた秘密だったけど……これからは一人じゃないって思うだけで、頑張れそうだ)
アレクはそう思いながら、首元に顔を埋めたままのフィアを転がして態勢を入れ替える。下になり見上げる格好となったフィアをじっと見つめる。お互いの顔が赤いのは決して夕日の所為だけではないだろう。
「フィア。ありがとう――好きだよ」
アレクはそう言って、フィアの額に口づけをするのだった。




