八十二話 不便すぎる魔法
「魔法の名は《ヒール・シック》、きっとマドゥライの子孫であれば知っているでしょう。ただし、さっき説明したように万能では無いわ。侵されている臓器、原因が分からなければ正しい効果は発揮されないの。アレクが元いた世界であればとても重宝したでしょうね」
エテルノが教えてくれた魔法にはかなりの制限がある。それを解決する知識が果たして自分にあるか分からない。成功する確率はとてつもなく低いだろうとアレクは考えていた。
「病気を特定する魔法は無いですかね?」
「私が彼らに教えた魔法の中には無いわね」
駄目で元々のつもりで聞けば、エテルノは即座に無いと答えた。あればそれと併せて伝えていた筈であり、そうであれば今の時代にも広まっていただろう。がっくりと肩を落とすアレクに女神はヒントを投げかけた。
「でも、アレクの近くにその分野に強い人が居るじゃない」
その言葉でアレクの脳裏にミリアの顔が思い浮かんだ。幼少時から神官となるべく育てられ、様々な知識を持ちうる人物は彼女だけである。
エテルノが伝えた魔法は数千年も前の物である。それから長い時を経て失われたり効果が弱まった魔法もあるが、逆に進歩した物もあるはずなのだ。特に魔法の恩恵が小さい医療という分野においては、エルフの薬学と同様に人族の解剖学なども昔より進歩しているだろうとエテルノは話す。
「なるほど。ミリア先生にも相談してみます! ありがとう、エテルノ」
アレクは心からの感謝をエテルノに伝える。巧くいく保証は無いが、今の自分が出来る最大限の手を尽した結果であれば後悔は少しで済むだろう。
「じゃあ、それについてはあちらへ戻ってから頑張って。今はもう少し私とお話をしましょう」
エテルノにとって誰かと話すことが出来る機会は滅多に無く、本心ではアレクがもう少し神殿に顔を出してもいいのにと思っていた。時間の流れが現世よりも曖昧ではあるが、それでもたった一人で過ごすしかないこの場所は寂しさを覚える。エテルノは数千年もの間一人で過ごす内に忘れかけていた感情が心の内に蘇ってくるのを感じていた。
エテルノは基本的に傍観者である。アレストラの世界で何が起こっていようとも、それに対して行動を起こすことはまず無い。
例外は主神の指示で大破壊時代に降り立っただけであり、今も地球の神――死神ではあるが――から加護を受けた人間がこの世界に出現しなければ干渉することは無かったのだ。
エテルノを生み出した主神には既にアレクの事を報告していた。イレギュラーである彼を監視し、この世界に影響を及ぼさないかを見ている必要があるのだとエテルノが干渉する許可を頂いている。
もっともそれは表向きの理由であり、本音を言えば己と同じく不死である存在を欲するが故である。
エテルノはアレクがこの半年で経験した出来事を微笑みながら聞いている。存在を最初から公にしていたエテルノと違い、アレクは自分の存在を可能な限り秘匿しながら生きている。それ故に起きた出来事は彼女にとって体験し得ない出来事であり、とても素晴らしく刺激的な事に聞こえる。
「私も力を隠してアレストラに降りてみようかしら」
冗談とも本気とも取れない事をぽつりと呟く。
「え? エテルノはアレストラに降りられるの?」
数千年前に実際に降り立っているのだから不可能では無いのだろうと思いつつ、アレクは聞き直す。だが、エテルノは儚げに微笑みながら自分の言った言葉を取り消した。
「やっぱり止めておくわ。地上が楽しすぎちゃってここに戻れなくなりそうだから(それにいずれ貴方がこの場所へと辿り着けるかもしれないし)」
「ああ、それは何となく分かる気がします」
エテルノの言葉の裏に隠された思いに気づくこと無くアレクは相づちを打った。
(もう少しここに来る回数を増やそうかな)
寂しそうな顔をしているエテルノを眺めながら、アレクはそんな事を考えていた。誰も居ない場所に一人居るエテルノを考えれば、自分の方が歩み寄って気を利かせるべきだろうとアレクは思うのだった。
ひとしきり話をすると、エテルノが時間が来たことを告げた。
「楽しい時間はあっという間ね。そろそろアレクは戻った方がいいわ」
時間の流れが現世とは異なる為、一定時間以上この場に留めておくとアレクの精神に負担がかかる。エテルノとしては寂しい限りだが、仕方の無いことだと割り切るしか無い。
「もうそんなに時間が過ぎたんですね。……次からはもう少し近いうちに顔を見せます」
アレクがそう言うと、エテルノは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。お世辞抜きでうれしいのだと分かる表情を見てアレクも笑顔を返した。
「それじゃ、戻って色々頑張ってみます。ありがとう」
アレクがそう言うと、その姿は霞のように消えてゆく。
エテルノは最後にアレクが約束してくれた事を胸に、次に会う日を楽しみにするのだった。
アレクが次に目を開くと、元いた薄暗い礼拝堂の中へと戻っていた。突然切り替わった周囲の明るさに一瞬目がついていかず軽いめまいが襲う。
(あっちじゃ一時間くらい過ぎている筈なのに、やっぱりこっちは殆ど止まっているんだな)
横を見るとミントが変わらぬ姿勢で祈りを捧げていた。エテルノからヒントを貰えたのは、この少女の祈りが通じたからじゃないかなとアレクは思うのだった。
やがて祈ることを止め頭を上げたミントに、アレクが話しかけた。
「ねえ、ミントちゃん。明日の朝に族長に相談したいことがあるんだけど、どこかで時間を取れないかな?」
「お婆ちゃんに?」
唐突な願いにミントは首を傾げる。勿論国賓扱いのアレクが族長に面会を希望すればすぐに会うことは可能である。ミントは特に考えるでもなく頷く。
「朝餉の時でも大丈夫です? お二人もご一緒に食事を取ることになると思うので」
「うん、それでいいよ。それじゃ僕はちょっとミリア先生と話をするから今日はこれで」
明日の朝までにやっておかなければいけない事は多い。アレクはミントの事を護衛のエルフに任せて未だ話し声の聞こえる会場へと急ぎ戻った。
広間に戻ったアレクは入り口からミリアの姿を探す。妖精族ばかりの会場の中で人族であるミリアは目立つ。直ぐに見つけて近寄ると、どうやらエルフの女性と魔法について語り合っている最中のようだ。
「あらアレク、何処へ行ってたの?」
ミリア達にとってはアレクが会場を離れてからそれ程時間はたっていない。そのおかげか不審には思われていないようであった。
「いえ、ちょっと礼拝堂に向かうミントちゃんを見かけたので少し話をしてました」
族長の孫娘を「ちゃん」付けで呼んだことに、ミリアと話をしていたエルフの耳がぴくりと跳ねた。ミリアからすれば、まだ十歳であるミントをそう呼んだ事に驚きはしないが、身分を考えれば少しまずいと感じて一言忠告する。
「アレク、仲良くなることは良いけど時と場所を選んで呼びなさいね?」
ミリアの言葉で納得したのかそのエルフからは何も言われずに済んだ。
「すいません。それで、ミント様の母親の事でちょっと相談事があるんですけど」
そのアレクの言葉に、先ほどのエルフの耳がニ度跳ねた。
「シリカ様の事を何故君が知っている? 族長から聞いたのか?」
先ほどまでミリアと話をしていたエルフの女性がすごい剣幕でアレクへと詰め寄った。ミリアと話をしたいのだが、このエルフが傍に居ることで話がスムーズに進まずアレクは僅かだが顔をしかめた。
「先生、こちらの方は?」
アレクの問いにミリアが答えるより早く、その女性は自ら名乗りを始めた。
「私は一族の薬師を束ねているディードリアです。シリカ様の主治医でもあります。それよりも先ほどの質問に答えてください。何故貴方がシリカ様の事を知っているのです?」
ディードリアと名乗るエルフはアレクに同じ質問をしてくる。その名前にどこの呪われた島のエルフだよと思いながらアレクは考える。
(主治医ならどちらにしろ通さなければいけないか? もうこの人も巻き込んじゃっていいか)
そう結論づけたアレクはミリアとディードリアに向かって事情を説明すべく口を開いた。
「そうです。族長が話してくれたんですよ。容態が悪くなる一方だと。それと、ミント様もそれが理由でとても悲しんでいました。だから神官の知識を持つミリア先生なら力になれないかと思って相談に来たんです」