八十一話 語らい、そして……
「やあ、こんな所でどうしたの?」
突然近くから聞こえた声にミントはびくりと肩をふるわせ顔を上げた。そこに立っていたのは悪者から救い出してくれた不思議な目をした人族の少年だった。
「アレクさん……」
見知った相手であったことでほっとしたが、なぜアレクがここに居るのかと疑問が浮かぶ。
「あの、どうしてここに?」
「いや、あまり賑やか過ぎる場所は苦手なんだ」
ミントの疑問にアレクは軽く肩をすくめながら答えた。元々、田舎の出身であるアレクにとって、ああいった華やかな宴というものは縁が無かった。王都へと移り住んでからも学園の寮とダンジョンを行き来するだけで殆ど人付き合いが無い状態だ。
「ミント様こそ、どうしたの?」
「あの……その様って止めてください。アレクさんの方が年上だし、なんか他人行儀です」
アレクから返された質問にミントは少しだけ口をとがらせつつ答える。
「わかった。ミントちゃん……でいいかな?」
「はい!」
少しだけ無礼かなと思いながらも、アレクはミントに対して親しげに接することにした。他の人の目がある場合は危険だが、人目の無い場所でなら良いだろうと自分を納得させる。遠くで護衛のエルフが怖い目で見つめているような気がしたが、頼んだのはあちらなので許して欲しいと思う。
ミントはアレク達が来てから二度目の笑顔を見せた。
蝋燭の灯りが揺らめく礼拝堂で、二人はお互いの身の上話を語り合った。アレクの生まれ故郷が滅ぼされた話を聞けば涙し、王都の宿屋で働いた時に作ったハンバーグの話を聞けば作って欲しいと年相応におねだりをしたりととめどない話が続く。
「――それで春から学園に入ってね。今はミリア先生の弟子として力をつけてる最中なんだ」
盗賊団への憎しみや人を殺した事については言葉を濁して伝えた。守られて育ってきた彼女には少々刺激が強いと思ったからである。
「アレクさんは凄いですね。それに比べて私は……」
今度はミントの話を聞く番となる。
幼い頃より高貴なエルフとして教育されながらも、決して身分差をひけらかす事の無いようにと育てられた。祖母であるミレイアは現在六百歳、母であるシリカはまだ百歳とエルフの中では若い方であった。
しかし、二年前から母シリカの身体に異変が起きる。エルフの薬師による治療が施されるが完治せず、今では起き上がる事すら難しくなってきていた。初めの頃は面会も可能であったが、衰えていく姿を見せたくないという事でこの半年ほどは会うことすら出来なくなった。
「なるほど、だから体に良いという薬草を探しに森に出たんだ」
「うん」
結果として薬草は見つからず、未だにシリカの容態は悪化の一途をたどっている。周囲のものが本人には伝えないようにしていたようで、シリカは娘が誘拐された事は知らないようである。もし知られれば容態を更に悪くさせてしまう恐れがあるからだろう。
「だから、私に出来るのはこうして女神様と祖霊に祈る事だけなの」
立場から誰にも言えなかった事を全てはき出した事で、ミントの気持ちは少しだけ楽になっていた。
アレクとしても自分の持っている知識でどうにか出来ると思っては居ない。出来るとすれば彼女の母に《眷属化》の加護を使用して死なないようにする事だが、それだけは避けたかった。
例え不死にして救ったとして、その異変は周囲にすぐ知られるだろう。元より面識すら無い相手に対してこの加護を用いる事はあり得ないのだ。
(《眷属化》の加護は生涯を供にする相手でなければ危険過ぎるからな)
一度不死にしてしまえば二度と戻る事は無い。戻る時があるとすれば滅びを与える時だけであろう。ましてや良く知りもしない相手に使用して恨まれ敵対されでもしたなら、エルフ全体が敵に回りかねないとアレクは考えていた。
「結局、僕も出来るのは女神様に祈る事だけか」
アレクの力ない呟きにミントは首を振って否定する。
「ううん。一緒に祈ってくれるだけで嬉しいの。ありがとう」
ミントは目に涙を浮かべながら微笑みアレクへ礼を言った。そして再び女神像へと祈りを捧げ始める。アレクはその横へと跪いて同じく女神像へと祈りを捧げるのだった。
「あれ?」
「お久しぶりね、アレク」
ふと気付くとアレクは真っ白い空間へと立っていた。目の前にはエテルノが佇んでいる。どうやら先ほどの礼拝堂も神殿と同じ効果があったようで、祈りによって神界へと精神が移動してしまったようだ。
前回来たのは夏休み中だったので四ヶ月ぶりだろうか。エテルノは変わらない美しさで顔に微笑みを浮かべている。アレクは突然の事で驚いたものの、エテルノは気にしていないようでお茶の用意を始めた。
「いや、なんかすみません。突然来てしまって」
状況を理解したアレクはエテルノへ謝ってから勧められた椅子へと座った。テーブルの上には数ヶ月ぶりとなるコーヒーが出され、お茶菓子がどこからともなく並べられる。
周囲を見渡してもやってきたのは自分だけであり、ミントは呼ばれていないようだった。
「私が呼ぶのは貴方だけよ?」
アレクの心を読んだようでエテルノはあっさりとそう答えた。
どれだけ救いを求めて居たとしても、女神である彼女が手を伸ばすことは許されない。唯一例外なのが地球の死神から加護を受けているアレクだけなのだから。
「それにしても、あの子の子孫と出会うなんてね。運命って面白いものね」
エテルノは昔を思い出すかのように目を細めて遠くを見る。女神エテルノが地上へと降り立った時代に彼女の弟子として育てたのがマドゥライであり、その血脈が数千年経った今も受け継がれている事に深い感慨を覚えるのだった。
エテルノの昔話を聞かされたアレクは、エテルノに助けを求める。
「その子孫である方が病で苦しんでいるんですが、どうして魔法には病を治すものが無いんです?」
アレクの口調が僅かに責めるような言い方になる。アレクとしても言いがかりである事は分かっていた。本来、医学などは長い年月をかけて研鑽され発展させていくべき分野である。もしも魔法で全てが解決出来るのであれば医学は発展しないだろう。
ミリアから聞いた話では、怪我や病気を治すための研究は進められているのだそうだ。それでもアレクの知る時代とは比較にならず、細菌や移植などという以前の状態である。
そんなアレクの言い方にもエテルノは表情を変える事なく平然としたままだ。そして、アレクも驚くべき事実を口にした。
「病を治す魔法もマドゥライに伝えているわよ?」
「へ?」
エテルノの言葉に、アレクは間の抜けた声をあげた。
「いや、だって。そうであればシリカさんは治っているはずじゃ……。それにミリア先生はそんな魔法は無いって」
アレクが知る限り病を治す魔法は無かった筈だった。混乱するアレクにエテルノは魔法についての説明を始める。
「あれは元々病気の事を良く知っていなければ使えない魔法ですからね。怪我を癒やすのと一緒で人体構造の把握は勿論、病原菌なのかどの臓器に問題があるのか……。それを知らなければ効果が低いのよ」
そのあまりに使い勝手の悪るさにアレクは驚く。医学が進歩し、細菌や細胞という概念が発達した現代の地球であればとてつもない効果を発揮するだろう。しかし、この世界では全く役に立たない魔法だと思い知らされた。
「それじゃ……使えないですね」
「うーん。この世界の文明だと後数百年はそうかもしれないわ。でも、アレクが持っている知識を用いればもしかすると効果があるかもしれないわよね?」
アレクはその言葉に口を噤み考え込む。自分の知っている知識といっても大した物では無いだろうが、それでも試すだけの価値はあるだろうと判断した。
「分かりました。その魔法を教えて貰っていいですか?」
駄目で元々なのだから、試すだけ試してみようとアレクは決意した。




