五十八話 北方の国.
シェーヌが北部の街出身という事から、今回の合宿が北で行われる事が分かった。ゼファールの北はラムサーフ公国と妖精達の国ユグドラルという二国と国境を接している。シェーヌが住むクイヌの街は丁度その二国間の国境に近い場所にあり、ゼファールを含む三国の貿易拠点ともなっている場所である。
ラムサーフとユグドラルに関する知識が皆無だったアレクは、授業が終わるとミリアに教えて貰おうと研究室へと向かう。しかし、研究室へ辿り着くとミリアにはどうやら先客が居たようで、中へと入ったアレクの耳に話し声が聞こえてきた。
「すみません。来客中だったようですね」
「あら、もうそんな時間? 大丈夫よ、ちょっとシェーヌさんとお話していただけだから」
ミリアと向かい合って座っていたのは、朝に会ったシェーヌであった。アレクは頭を下げると自己紹介を行う。
「今朝は名前を名乗る事も出来なくてすみません。アレクといいます」
「あ、今朝のレベッカの知り合いって言ってた方ですね! 改めまして、シェーヌ・レインフォレストです」
頭を下げたアレクに対し、シェーヌは慌てて立ち上がり勢いよく頭を下げて挨拶をする。朝の緊張した様子が消え、年相応の雰囲気な彼女は騎士というよりも街の食堂にいそうな子に見える。
「そうそう、シェーヌさんにも紹介しておくわね。アレクは私の弟子でここへよく来ているわ。だから居ても驚かないでね」
ミリアの紹介に合わせてアレクも再度頭を下げる。シェーヌも、若くして魔導師になったミリアの事は知っているようで、その弟子となるアレクに尊敬の眼差しを向ける。
「へぇ! ミリア先生のお弟子さんなんですね。すごいなぁ」
「凄いのはミリア先生であって、僕は大した事ないですよ」
実際、アレクとしては何も実績を残している訳でも無く、ただの魔法使い見習いであるので全くすごい立場だとは思っていない。
「それよりも、シェーヌさんはどうしてこの研究室へ?」
時間は既に放課後であり、騎士であるシェーヌが学園に残っている理由がわからないアレクが尋ねたのも無理は無かった。ミリアによれば合宿の打ち合わせと、各班の力量などをシェーヌに教えていたのだそうだ。
「ところで、今回行く所に近い公国と、妖精の国について聞きたかったんですが」
「あら、それなら丁度良いわ。シェーヌさんの居る街には色々情報が集まりやすいから、生きた情報を教えて貰いましょう」
ミリアも教師として基本的な情報は知っていたが、実際に公国や妖精の国へ行ったことは無かった。また、冒険者時代は仲間やギルドを通し様々な情報を亭いれていたが、教師として学園に留まってからの数年は全く他国の情報は入ってこない。ミリアとしても最新の情報を手にいれる良い機会である。
「そうですね。まずは妖精の国ユグドラルですけれど、相変わらず交流が少ないですね」
エルフやドワーフなどの妖精が住まう国、ユグドラルでは基本的に人間の出入りは厳しく制限されている。これは帝国などによる奴隷目的での誘拐が多かった所為だ。エルフはその美しい容姿によって性奴隷などに、ドワーフは頑強な肉体や手先の器用さによって鉱山や武器作りの奴隷として攫われた。
また、生息数は少ないがフェアリーと呼ばれる十五㎝程度の羽の生えたこびとの妖精が居る。この種族はその小ささと愛らしさから、過去に人間によってその多くを捕らえられ愛玩目的で飼われた。その過去から、人間の前には決して姿を現すことが無くなったとまで言われている。
「基本的に妖精族に対して人間の評価を下げたのは帝国なのだけどね。まあ、他の国でも非合法で奴隷として扱っている所もあるらしいから……。そういった意味でも人間はあの国への入国はかなり難しいままですね」
学園長であるシルフィードのように、人間の国に住み続けているエルフも居るが、彼女は国という後ろ盾もあり、個人の能力もかなりのものだ。例え狙われても対処できるだけの力を持たないと、人間の国で生きてはいけないらしい。当然、狙われるのも若い個体ばかりで、ユグドラルでは百歳を超えないと国から出ることを禁じられているらしかった。
特段、帝国に対して偏見を持っていなかったアレクだが、この話を聞かされて帝国に良い印象は持てるはずも無い。
「魔物って人類にとって共通の敵が居るのに、戦争やら多種族を奴隷にしたりするなんて……。何考えてるんでしょうかね」
「みんながそういった考えを持てばいいのでしょうけどね。特に帝国は四方を他国に護られているような形だから、魔物はダンジョンからしか現れないのよ。ダンジョンの入り口さえ見張っていれば帝国内はとても安全なの。そうなると、ね」
憤るアレクに対し、ミリアが肩をすくめて実情を話す。とはいえ、帝国のやり方に納得出来ている訳ではない。ミリアとしても十年前の戦争では家族や知人を失っているからだ。
部屋の中が重苦しい雰囲気になりかけた時、シェーヌが気分を変えるかのように明るい声で喋り始めた。
「そう言った感じなので、ユグドラルには妖精族から招待されるか、妖精族と同伴じゃないと入国は難しいんです。でも、お隣のラムサーフ公国とはかなり交流があるんですよ。公国の人口の半数は獣人族なんですが、本当に色々な種族がいらっしゃるんです」
ラムサーフ公国は獣人が多く住んでいる国らしい。アレクも王都に住み始めてからお世話になったティルゾやミミルが居たので、今ではだいぶ獣人族に慣れてきている。
獣人族とはティルゾのような犬人族やミミルのような猫人族などを一括りにした総称である。
彼の獣人族は、その種別ごとで持つべき役割が異なる。例えば、犬や猫の種は人族でいう平民や商人のような仕事に就くことが多い。では戦うのはどの種なのかと言えば、狼や虎などの攻撃的な種族がその役割を担うのだそうだ。
ミミルやティルゾと幾度となく会話をしてきたアレクは、全くそういった獣人族全体の仕組みを知らなかった。思えば出会ってからこの方、ミミルやティルゾの家族や故郷について何も聞こうとすらしなかったのに気付く。
どことなくばつが悪くなったアレクは、今度宿に行った時には少し会話をしようと思うのだった。
 




