五話 宿の女将ミミル.
夕方、アレクが目を覚ましたのはすっかり日も落ちた時間になってからだった。毛布も被らず寝ていた所為で少し冷えた体をブルっと震わせて体を起こす。それでも柔らかいベッドで寝られたおかげか少しは体の疲れが取れた気がした。
「ああ、そうか。宿屋に今日から泊まったんだっけ……」
独り言を呟きながら扉の外から聞こえてくる喧噪に耳を澄ませる。
(一階は酒場兼、食堂だっけか)
二階が宿になっているという事もあって、酒場が開いてる時間はそれほど遅くまでではない。酒場が開いていれば食事は何時でもとれるとティルゾが言っていたのを思い出す。お腹も空いていたのでアレクは着替えると、一階に下りるべく扉を開けた。
「えっと、君は泊まりのお客さんだよね? 晩御飯ならすぐ用意できるから空いてる席に座ってちょうだい!」
階段を降りたアレクに、酒場で食事を運んでいた女性が声を掛けた。
アレクが目を向けると頭から猫耳を生やした女性が軽快な動きで食事やジョッキを運んでいた。猫耳の女性は三十歳くらいだろうか?大きな声で注文に応えたり出来上がった料理を運んだりと忙しなく動いていた。
アレクは言われた通り酒場の隅へと移動すると、空いていた席へと座る。酒場には十人程の男達がジョッキを片手に飲んだり料理を食べていた。
寝起きでぼーっとする頭で何気なく酒場を眺めていると、先程の猫耳の女性が料理を手にアレクの席へとやってきた。
「君がアレク君だね? 綺麗な銀髪と変わった瞳をしてるって聞いてたからすぐわかったわ。
わたしはティルゾの妻でミミルって言うの。長期滞在ありがとうね! これは宿泊客に出す晩御飯用の料理だよ。足りない時は別料金で注文してくれればいいからね」
そう言うとアレクが口を開く前にさっさと他の客の注文を取りに行ってしまった。忙しいようなので、客が落ち着いてから改めて挨拶しようと席へと座りなおす。
自分の容姿についてはティルゾがミミルに教えたのだろうとすぐ理解したが、変わった瞳と言われていたのは釈然としなかった。
(別に好きでこんな瞳になったわけじゃないのになぁ)
そんな事を一瞬考えたがテーブルに並んだ料理を見て考えを止めた。そこには蒸かした芋と一口大に切られたステーキ、大きめの器に入った野菜スープが置かれていた。一言で言うと量が多かった、肉は三百グラム以上あるだろうか? 芋も大きめのが四つもあるしスープの入った器も皿というよりはボウルだ。
(これで鉄貨五枚? いくらなんでも安いし、量があり過ぎじゃない?)
アレクはその量に驚きながらも肉を一切れフォークで刺して口へ運ぶ。
(うわ、美味しい!)
その肉を一口食べたアレクは、その余りの旨さに目を見開いた! 生まれ育った村でも稀に肉を食べる時はあったが、それは保存用に干した肉を煮て戻しただけの物だった。
今食べた肉のように肉汁が口に溢れ出すような物では決してなかった。アレクは憑りつかれたように肉を頬張ると一心不乱に噛んでは飲み込んでいく。
蒸かした芋も塩で味付けされただけの素朴なものだったが、それが逆に美味しく、子供が食べるにしては多すぎる量をあっという間に全部平らげた。
気付くとあれだけあった料理は全て胃の中に消えていた。アレクが満足して一息ついた頃を見計らってミミルがジョッキを持ってテーブルへやってきた。
「これはサービスの果実ジュースだよ」
そう言うとミミルはアレクの向かいの席へと座って、興味深げにアレクの顔を見つめた。
周囲を見ると酒場も殆どの客が帰ったようで、残っているのはほんの数人だった。アレクは礼を言ってジュースを受け取るとミミルへ挨拶をした。
「美味しい料理をありがとうございます。僕はアレクって言います。ミミルさん、暫くの間お世話になります」
そう言って頭を下げたアレクを、ミミルは柔らかい笑みで見つめる。
「そう畏まらなくてもいいよ。アレク君は王都に何しに来たの? 親御さんは?」
そのミミルの一言にアレクの表情が強張る。
ミミルにとっては純粋に疑問に思った事を尋ねただけなのだが、まだ両親の死から一週間しか経っていないアレクにとっては触れて欲しくなかった話題である。
「村が盗賊団に襲われて……」
アレクは絞り出すような声でそれだけをミミルに伝えた。それを聞いてミミルは激しく後悔した。
好奇心が強いのは猫の獣人である自分の悪い癖だと理解っていた。だが、少し考えれば子供が一人で宿に泊まるからには、何かしら事情があることは分かった筈であった。
「ご、ごめん! 言わなくていい。嫌な事を思い出させちゃったね!」
アレクの強張った表情と、盗賊団に襲われたという一言でミミルにはその村の辿った結末が理解できた。
ミミルはアレクの横へと移動すると少年の頭を抱きかかえた。慌てながら少年を抱きしめているミミルを見て残っていた客は訝しんだり、揶揄うような言葉が投げかけられた。
アレクは暫く黙ってミミルの胸に体を預けていたが、小さく「寝ます」と呟くとミミルの腕を離れて二階へと上がっていった。残されたミミルはどうしようとオロオロするしかなかった。この後、騒ぎを聞きつけて調理場からティルゾが出てくるまで仕事が手につくことはなかった。
◆
翌朝、アレクは朝日を顔に感じて目を覚ました。どうやらまた服を着たまま寝てしまったようだ。太陽の位置からすると朝食には遅い時間だということが分かる。
一階で食べるのが無理であれば王都を見学しながら屋台で買い食いでもしようと思い部屋を出た。
階下に降りると、昨夜の喧噪が嘘のように静まり返った酒場を、沈んだ表情で掃除しているミミルの姿が見えた。
「おはようございます。ミミルさん」
掛けられた声にビクンと身を震わせてから振り返ると、階段の半ばで自分を不思議そうに見ているアレクと目があった。ミミルは掃除の手を止めるとアレクの元へと駆けより頭を下げた。
「アレク君、昨晩はごめんなさい! 何も事情知らなかったとは言え辛い事を思い出させちゃって」
そう謝ってくる姿にアレクは若干驚きつつ、何があっただろうと記憶を辿る。
(そう言えばミミルさんに聞かれたんだっけ、僕が一人で此処に居る理由)
確かに思い出すには辛い記憶ではあったが、別段悪意を持って尋ねられた訳でも無いのでミミルが悪いわけでは無い。そんな些細な事でこれだけ罪悪感を持っているミミルに、アレクは何でもなかった事のように明るい声で話しかけた。
「ああ、あの事ですか? 別にミミルさんが悪いわけでも無いじゃないですか。独りでいる僕を心配してくれたんですよね。感謝こそすれ、別に怒ってませんし気にしないでください」
そう伝えるとミミルはパッと頭を上げ、明るい笑顔を浮かべた。そして椅子に座るようにアレクに言うと一旦厨房に行き、直ぐに手に何かを持って戻って来た。
「これ、アレク君の朝ごはん用にとっておいたの! もし良ければ食べて!」
そう言ってミミルが運んできたのはバケットのようなパンに肉や野菜を挟んだサンドウィッチだった。朝食をどうしようか考えていたのでアレクは喜んで受け取ると、ミミルが追加で持ってきたミルクと共に遅い朝食をとることが出来た。
すっかり機嫌の良くなったミミルにあれこれ世話を焼かれながら朝食を食べ終えたアレクは魔石を買い取って貰う為、昨日紹介された雑貨商への道をミミルに尋ねた。
「そういえば、雑貨商のバンドンさんって人の所に行きたいんですけど。どう行けばいいですか?」
「バンドンさん? 彼の店ならここを左に出て大きな通りを右に行った所にあるわ。眼鏡の絵の看板が目印よ、眼鏡ってわかる?」
眼鏡という単語に驚きながらアレクは分かると頷く。眼鏡が存在するということはこの世界もそれなりの加工技術があるということだ。地球でも眼鏡は西暦千二百年頃にはあったらしいのでそんなに難しくないのだろうか。
「じゃあ、ちょっとバンドンさんの店まで出かけてきます」
アレクはそう告げるとミミルの見送りを受けながら宿をでるのであった。