五十四話 三者面談.
朝、ミリアは自分の研究室で目を覚ました。どうやら着ている服が昨日と同じである事から、ダンジョンから戻って来て、そのまま今まで研究室の中にこもっていたようだ。
気怠げな表情を浮かべながら室内を見渡し、自分の昨晩からの記憶を思い起こす。
「ん……あふ」
小さな欠伸が口から出る。ミリアは大きく背伸びをして椅子にもたれかかる。背もたれにかかった重さに軋むことも無く、彼女の動きに合わせて背もたれが後ろへとスライドする。
「この椅子もアレクの記憶の産物なのよね。つい座り心地が良すぎて寝ちゃうのが難点だわ」
今彼女が座っている椅子は、アレクによって作り出されたリクライニングの椅子である。
今まで椅子と言えば、木製で背もたれと座部に皮が張られた物が一般的であった。硬く座り心地は決してよくは無い。長時間の机仕事では座っている事のほうが苦痛になるのが普通な程だ。だが、アレクは板バネを用いて簡易的なリクライニングチェアを作り出したのだ。
もっとも、アレクの記憶にある物とは比べものにならない程粗悪な物だ。しかし、布張りで中に綿を硬く敷き詰めているだけの代物でも、長時間座っていて辛くならないのは嬉しいものだった。
アレクが学園へと入ってから試作品としてコツコツ作っていた物を、デスクワークの多いミリアの為にくれたのだ。
ミリアは椅子から体を起こし時計を見る。今日はアレクとリールフィアを昼に来るようにと呼び出してある。それまでに体を洗い着替えるだけの時間がある事を確認すると、ミリアは研究室の隣にある浴室へと足を向けた。
ミリアに限らず、学園内に研究室を持つ教師は多い。そして研究に没頭してそのまま研究室へと寝泊まりする事も良くある。そんな教師達はこういった時に備えて着替えを常備しているのだ。
ミリアは身につけていた衣服を脱ぐと、色の白い綺麗な裸体を晒す。すらりと伸びた脚に細い腰回り。均整の取れた体に形の良い双丘が揺れる。
既に適温となったお湯を被り、汗と汚れを落としながら意識を覚醒させていく。
昨晩から意識が落ちるまで考え続けていた事が頭の中に蘇る。それは弟子であるアレクの事だった。
前世の、この世界とは異なる記憶を持つ彼が、昨日見せた異質な体質――不死。
(いえ、不死とは限らないわね。高速治癒やその類いである可能性もあるし)
興味が無いかと言われれば、当然ある。だが、それはアレク個人の特性であり、それを他者がどうこう出来るとは思っていなかった。
良くも悪くもミリアの考えはシンプルだ。魔法を極める為に役立つかどうかである。
(アレクの記憶にある『科学』は魔法の威力や効果を高める事が実証されてはいるけど、不死だからといって魔法の研究や発展には役に立たないのよね)
これが国や軍から見れば違う意見も出るのだろう。それでも不死性を活かして出来るのは普通の魔法使いよりも頑丈なだけの魔法使いでしかない。間者としても捕まった場合に自害する事も許されず拷問され続ける事となるだけだ。結局のところ、優秀な魔法使いが一人居たところで国家間の戦争にはそれ程役に立たないのだ。
だがもしも、アレクの不死性が魔法によって生み出された物だとしたら結果は全く異なる。
未知の魔法によって作り出された不死の体だとしたならば、アレクはあっという間に国に捕まり監禁されるだろう。
(結局のところ、アレクに詳細を聞いてみないと)
体を拭き浴室から出たミリアは、真新しい下着を着けながらたった一人の弟子の事を考える。
「かわいい弟子だものね。可能な限り護ってあげないと」
◆
夏休み最後の日とあって、学園内には教師陣の姿は見えるが生徒は殆ど見られない。人気の少ない廊下を歩く二人に、時折出会う教師達は視線を向けはするが特に何かを言って来る事は無い。
ミリアの居る研究室には何度も通っていたアレクは迷うこと無く廊下を進んでいく。その直ぐ後ろをリールフィアは不安そうな表情で歩いていた。
アレクにとっては教師であり師であるが、リールフィアにとっては担任として以外接点がなかった。昨日はアレクの事で頭がいっぱいになってしまい秘密を打ち明けはしたが、この後のミリアの対応如何ではアレクを害されてしまうのではないかと不安でいっぱいだった。
だが、リールフィアの気持ちとは裏腹に、アレクは割と気楽に考えていた。元より秘密を打ち明けるのであればリールフィアとミリアにと思っていた事もあって、良いタイミングなのではないかと考えている。多少の不安を覚えてはいるが、短い付き合いとはいえミリアならばと思える。
「ミリア先生。アレクです。おられますか?」
「いるわよ。入って来て」
扉越しに声を掛けると、中からミリアの声が返って来た。
二人が研究室の中に入るとデスクに向かっていたミリアが立ち上がる。
「昨日の今日で疲れていたでしょう。悪いわね、呼び出して」
二人に対してそう言うと、部屋の片隅にある応接セットへと二人を座らせる。些か緊張してきたアレクと、悪い方へと考えが進んでいき顔を青くしているリールフィアが並んでソファへと座る。
三人分の紅茶を用意したミリアは椅子へと腰掛けると、二人へ紅茶を勧めながら口を開いた。
「まずは先に言っておくわね。アレクを弟子にした時に約束したけれど、『一切の他言をしない』といった事は今回の事にも適用されるわ。これは師と弟子の関係を壊したくないからというのもあるけれど、人間として大事な事だと思うの」
ミリアの言葉に、アレクは真剣な面持ちで頷く。だが、その言葉にリールフィアはぽろっと涙をこぼした。突如として涙をこぼし始めた彼女に、ミリアとアレクは驚き狼狽えた。
「ごめんなさい。アレク君との約束を守れなくて。ごめんなさい」
リールフィアはそう言って顔を両手で覆った。ミリアが他言しないという約束を守ると言ったことに対し、彼女は母親を助けてくれた際にアレクと交わした約束を破ってしまったことを悔いていたのだ。
状況から見れば仕方の無い事であった。瀕死――ともすれば一度死んでいた状態のアレクを、何の説明もなく放置する訳にはいくはずもない。だとしても、二人の約束であった事柄を他者へと話した事実は彼女の中では変わらない事実だった。
「フィア。いいんだ、あの場で僕が自滅したのが悪いんだから。気にしないで」
何か気の利いた事を言えればいいのだろうが、アレクはそういった語彙に疎い。ただ泣いているリールフィアの頭を撫で続けるしかなかった。そんな二人にミリアも頷き、リールフィアをフォローする。
「そうね。元々ああいった状況を何とかする為に私がついていたのに……。不甲斐ない姿を見せてしまった私にも責はあるわ。それが無ければアレクが無茶をする事もなかったのだしね。だから、リールフィアがそこまで気に病むことは無いのよ?」
学園側には既に二層の守護者部屋で発生した大量のコックローチについて報告は終えていた。あの光景は事前に心構えが無ければ女性教師にとって耐えることは難しいだろう。
また、数百もの魔物が一度に発生したという点も重要である。他にも出口の扉が閉じたままになった事を含めて、調査が終わるまで学生によるダンジョンへの立ち入りは禁止すべきとの決定がなされた。
学園長のシルフィードいわく、この数十年でダンジョンにそういった変化は無かったそうだ。しかし、過去に何度かダンジョンの仕様が変化した事例があり、今回も偶然そのタイミングだったのでは無いかという話だ。




