五十一話 疑惑.
蛇の魔物であるバイパーに対し、ランバートは正面から向き合っていた。視界の片隅にエレンやアレクから放たれた魔法が飛び交っているのが見える。
(さて、どうしたモンかな……)
バイパーの種類にもよるが、毒を持つ個体も少なからず居る。注意すべきは牙による噛みつきだけだろう。ランバートは気持ちを落ち着けてじっとバイパーを観察する。全長の内、頭を含めた二メートル程を地面からもたげている為、バイパーの頭はランバートと同じか少し高い位置にある。
「せやっ!」
気合いと共に下から斜め上へと剣を振るい、蛇の胴をなぎ払おうとする。しかし、バイパーは素早く体を反らして剣の軌道から身を逸らした。ランバートの態勢が崩れた所へバイパーは噛みつこうと頭を近づけるが、ランバートの左手に持つ盾によって阻まれる。
噛みつこうとバイパーの頭が下がったところへ、リールフィアの狙い澄ました一撃が襲う。
「やっ!」
素早い攻撃に反応してバイパーは身をよじろうとするが、リールフィアの短剣は狙い通り右目を切り裂く事に成功した。目から血と透明な液が僅かに流れ落ち、怒りからかターゲットをリールフィアに変更した。
バイパーの意識がリールフィアへと移ったことで、ランバートに対して胴体が隙だらけとなった。当然その隙を見逃すようなランバートでは無い。瞬時に盾を捨てて剣の柄を両手持ちに持ち変えた。
「――っし!」
鋭い呼気と共に渾身の力を込めた剣は、狙い違わずバイパーの胴を分断する。頭から一メートル程の部位から切り離された上体が地面へと落ちると、リールフィアは油断なく頭へと短剣を突き刺してとどめを刺す。
「よし倒した。うぉ!?」
だが、切り離された四メートル程のバイパーの胴体は、頭を失ってもその攻撃性を失わなかった。胴や尻尾をむちゃくちゃに振り回してのたうち回り、その内の一撃が盾を持たないランバートの胸を打った。
「ランバート!」
地面へと転がったランバートの元へアレクが近づく。少し離れて見守っていたミリアも真剣な表情で二人の近くへと駆け寄る。
「リールフィアとエレンはその胴体にしっかりとどめを刺して!」
慌てて近づこうとしたエレン達にミリアは指示を飛ばす。怪我をしたのであれば彼女たちがランバートのところへ来ても役に立たないからだ。
「いててて……」
だが、皆の心配を余所にランバートは直ぐに上体を起こした。
「ランバート! 大丈夫なのか?」
アレクの心配そうな声に、ランバートは顔に苦笑いを浮かべて頷く。
「ああ。咄嗟に左腕の小手でガードしたからな。盾を手放しても鉄製のこいつがあればある程度の攻撃は防げるんだ」
胸への直撃は腕の小手で防いだようだが、勢いは殺せなかったようで吹き飛んだようだ。ほっと胸をなで下ろしたアレクとミリアは、バイパーの尻尾に苦戦している女性陣に対してランバートが無事だった事を告げた。
ミリアも含め、全員が安堵によって緊張が弛緩したその瞬間、アレクの影に潜んでいたアンの切迫した声がアレクの脳内に響く。
『お父様! 上に――』
アンの念話とほぼ同時に、天井からアレクの頭に向け何か液体のようなものが落ちてきた。
アレクの視界はぼやけ、まるで水の中に居るような光景に変わる。鼻と口を一瞬で塞がれてしまい、思考がパニックに襲われる。
『――スライムです!」
アンの指摘は僅かに遅かった。灯りが天井から離れていたことでアレクやアンの暗視能力が効かなかった事が原因だった。だが、スライムだと理解するとすぐにアレクの気持ちは落ち着きを取り戻した。
原因が分からない事態ならいざ知らず、理由さえ分かってしまえば対処は簡単だ。頭を覆っているこの液体――スライムのどこかにある核を本体から外してしまえばいい話なのだから。
「アレク君!」
未だのたうち回っているバイパーの尻尾の所為でアレクに近づくことの出来ないリールフィアの叫び声が周囲に響く。だが、アレクは身動ぎすることなく立ち気持ちを落ち着かせる。
『アン。スライムの核を見つけてくれ。俺の視界に入らないって事は後頭部あたりに魔石が無いか?』
『直ぐに確認致します。――はい。お父様の右耳のすぐ後ろに魔石がありました!』
アンの指示によって魔石の位置を確認すると、アレクは腕を伸ばしてスライムの体内へと指を突っ込む。小指の爪ほどの大きさしかない魔石を探し当てると、アレクは躊躇無くスライムの体内から魔石を抜き取った。
それ程抵抗なく抜き取ると、アレクの頭を覆っていたスライムがただの水に変化して床へとこぼれ落ちる。呼吸が可能になった事を確認すると、アレクは深く深呼吸をして酸素を取り込んだ。
「え?……」
誰の呟きなのか、辺りには誰の声もあがらず静寂に包まれ――いや、バイパーの尻尾ののたうつ音だけが響いていた。
◆
水で頭を洗い、スライムの体液を洗い落としたアレクは驚いたままの皆の様子に首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「いや、どうってお前。スライムに襲われて自分で対処したのか?」
アレクの問いかけにランバートは呆れたような声で尋ねた。スライムに襲われ頭を覆われてしまえば本人では対処するのは難しいと教わったばかりである。だというのに、アレクは慌てることもなく、あっさりと核である魔石の位置を探り当て脱出したのである。
「そう言われても、呼吸出来ないし急がないと危ないじゃないですか」
微妙に問題視しているとろこが異なっている気がするが、アレクの言葉は本心である。誰かの助けを待っていれば口や鼻から体内に侵入され、気道を塞がれるか耳から脳へと侵入される恐れもあるのだ。悠長に助けを待つという選択肢はアレクの中に無かった。
「それはそうだけど……。よく耳の後ろにあった魔石の位置に気付いたな? あんな位置だったらすぐに気付くのは無理じゃないかと」
「え? ああ。勘だよ」
まさか眷属に探して貰ったとは言えないアレクは、そう言って誤魔化す。若干、ミリアの視線が怖いような気がするが、アンの発する魔力に気付いたのだろうかとアレクは不安に駆られる。
「それにしても、いい加減その尻尾邪魔ですね。《ライトニング》」
アレクの唱えた雷属性の魔法によって、バイパーの尻尾は大人しくなる。やっと近づくことが出来たリールフィアは水に濡れる事を気にすることも無くアレクに抱きついた。
「アレク君! 心配した。無事でよかったー」
目にうっすらと涙を浮かべながら抱きついて来るリールフィアに、アレクは頭を撫でながら安心させるように言った。
「まさかスライムが近づいていたのは気付かなかったよね。心配かけたけど無事だから、泣かないで」
エレンもランバートとアレクが無事であった事に、ほっと安堵の息を吐いていた。そんな四人とは違い、ミリアだけはアレクを――いや、正確にはアレクの足下にある影をじっと見つめていた。




