四十三話 オルテンシアの思い.
王都にあるザンバート男爵家の屋敷。その屋敷の所有者である男爵は普段、遠く離れた東の辺境の領地にて暮らしている。当然、男爵夫人であるオルテンシアもまた普段は領地で夫を支える立場にある。
ザンバート男爵の治める領地は魔物の多く生息する未開の地と接しており、常に魔物の脅威にさらされている。その為、代々の領主は何らかの武術を嗜んでいる事が多い。現領主でリールフィアの父親であるマクシミリアンも武闘派として有名だ。
ザンバート領の役割は未開の地に住まう魔物を討伐し開拓する事である。切り拓けばその分だけ領地となり、結果としてゼファール王国の勢力の拡大につながる為、保有している戦力は多い。
村や町を魔物から守る為に多くの兵士を所有している他に、多数の冒険者が滞在している。未開の地だけあって湧いてくる魔物はその強さに幅がある。冒険者達は各々の実力に見合った魔物を討伐し、生計を立てているのだ。
そんなザンバート領であるが、魔物を相手にしていれば良いという話でもない。辺境に住まう男爵家といえども貴族であり、貴族同士の付き合いも要求される。夫人であるオルテンシアは普段領地から離れられない夫の代わりに隣接する領地や王都へと定期的に出向く事で周囲から孤立しないよう働きかけていた。
今回も、娘の様子をみるという理由もあったが、大半は貴族同士のお茶会や夜会に娘と共に出席するつもりであった。しかし、誘拐されるという事態に小さくない衝撃を受けており、流石に予定を大幅に変更する羽目になった。
オルテンシアは数日前の事を思い返す度に、アレクという少年に深く感謝を繰り返す。
誘拐され閉じ込められた部屋の中で、助けなど来ないであろうと半ば諦めていた。夫以外の手で辱められるのであればいっそのこと自害しようとまで思っていたのだが――。
(まさか娘の友達に助けられるなんて)
あの場所を探す手立ては無かった筈であったが、どうやってか娘はあの場所へとやってきて助けてくれた。聞けば学園の級友がこの場所を探し当て、助け出すまでの時間稼ぎまでやっているという。娘に手を引かれ、大きな通りまで出たところでやっと無事に帰れるのだと実感した。
だが、時間を稼いでいるであろう少年の事を心配したリールフィアが戻ると言い始めた。オルテンシアはあんな危険な場所へ戻るなんてとんでもないと娘を引き留めたが、執事のセバスに自分達をまかせて引き返してしまった。
ほどなくしてやってきた衛兵が現場へと走り、自分と侍女が護衛の者と共に大通りで待っていると、直ぐに血にまみれた状態の少年が抱えられて運ばれて来た。
オルテンシアは絶句した。自分達を助けるためにこの少年は身を挺して時間を稼いでくれたのだと理解した。急いで神殿へと運ぼうと主張したオルテンシアに、娘のリールフィアは首を横に振って拒絶したのだった。娘の考えが理解できず、つい声を荒げてしまったオルテンシアだったが、リールフィアは真剣な表情で言ったのだ。
「アレク君の怪我はもう大部分が治りかけているわ。人に知られないようにするってアレク君と約束したのよ」
リールフィアの言っている事の意味が直ぐには理解できなかった。だが、確かによく見ると血で汚れて服が破れたりしているが体に大きな外傷が見当たらないのだ。
(何かこの子には事情があるのね)
オルテンシアはひとまず屋敷へと連れ帰ると、屋敷の侍女にアレクの体を拭かせた。すると、やはり血は流れた形跡があるにも関わらず外傷は全く見当たらなかった。呼吸も穏やかになっており、ただ眠っているだけのように見える為、このまま様子を見る事に決めたのだった。
リールフィアはずっとアレクの傍に付き添うと言って聞かなかった。やはり大丈夫のように見えても心配なのだろう。オルテンシアもアレクの体は心配であったが、自身も精神的疲労が溜まっていた為に部屋で休息を取ることとした。
アレクが目を覚ましたと伝えられたのは屋敷へと戻ってから四時間後の事であった。
◆
「あの娘は今日もアレク君と一緒なの?」
オルテンシアは部屋の中にいる侍女へと問いかける。答えを聞かなくても分かっていることだが、尋ねざるを得ないのが心境だ。
「フィアお嬢様は本日もアレク様とご一緒されております。午前は中庭で軽く鍛錬を行い、昼餉を挟み午後からは自室にてアレク様と魔法のお勉強との事です」
答えた侍女はオルテンシアが男爵家へと嫁ぐ前から自らの世話役をしてくれている者で気心も知れている。返された言葉にオルテンシアは溜息を吐きつつ彼女へと愚痴をこぼした。
「数ヶ月ぶりに会った母親を放っておいてまで男の子と一緒に居たいなんて。そろそろ様子をみながらあの娘の相手も探すつもりだったけれど、その必要はなさそうね? レイアはどう思う?」
レイアと呼ばれたその侍女は主の言葉に、僅かに思慮してから答えた。
「そうですね。奥様と旦那様が良いと思われるお相手であれば……」
レイアは当たり障りの無い言葉を口にしたが、オルテンシアのじとっとした目に気付き溜息を吐く。オルテンシアが欲している答えは、そんな当たり障りの無い言葉ではないようだ。
「私が調べた限り、あの少年は学園の入試を上位で合格。入試の日にボレッテン侯爵様のご子息にフィア様が絡まれた際に、身を挺して庇ったと聞いております。上級貴族に平民でありながら立ち向かった気概は評価に値するかと思っています。また、王国最年少魔導師であられるミリア様の弟子となった事も考慮すると、『優良物件』だと思います」
レイアの答えにオルテンシアは満足げに頷いた。オルテンシアは自らも恋愛結婚であった事もあり、自分の子にも恋愛の末に相手を見つけて欲しいと思っている。だが、いくら我が子が好きになった相手とはいえ、ザンバート家に無用な者や害悪となる者を認める訳にもいかない。
侍女であるレイアは主であるオルテンシアの頼みでアレクの過去や人となりを調べていた。アレク本人から事情は聞いたが、ロハの村での一件から今日までの経歴と評判を見極めようと色々な人から聞き取りを行っていた。
レイアの調べた限り、アレクに問題となる点は見当たらなかった。平民ではあるが特に問題とはならない。何故なら男爵家の後継はリールフィアの兄が既に結婚しているし、万が一嫡嗣に何かあっても次男がおり、そちらも既に結婚している。さらに長女である姉は伯爵家の嫡嗣に見初められ、本人も乗り気だ。
男爵家として安泰である以上、リールフィアの相手を貴族に限定する必要が無いのだ。どちらかといえば、将来有望な魔法使いであるアレクを引き込むことによって魔物を退治し、領地の拡張に貢献して貰えるかもしれないという打算のほうが強い。
ザンバート男爵家の領地は辺境に面していて、常に魔物の脅威と戦いつつ開拓を行っている。広げれば広げた分だけ領地が増える。だが、あふれ出てくる魔物が領内に入ってこないように防衛戦を張りながら維持しなければならず、有事の際には、男爵家が筆頭となって指揮を執らなければならない。
だが、現当主である男爵や後継ぎである長男は万が一を考えれば戦場には出せない。現在は二番目の息子か第二婦人の息子を指揮に立てるつもりで取り決めているが、能力的に不安だ。もし、魔法使いであるアレクが領地へと来てくれれば、百人力であることは間違いない。
オルテンシアとしては自らを救出してくれた恩人であり、悪い感情は抱いていない。娘が望むのであれば領地へと来て貰い、男爵家お抱えの魔法使いになって欲しいなと思う。
「とくにアレク君に問題が無いのなら、リールフィアを応援してあげなくちゃね。出来るだけリールフィアとザンバート家に良い印象を持って貰えるように手を打たなくては。まずはフィアとアレク君の気持ちを確認しなくてはね」
オルテンシアはそう言うと執事のセバスを呼ぶよう侍女へと指示を出す。レイアにはフィアの気持ちをそれとなく聞き出してもらい、セバスを使ってアレクの気持ちを確認させようと企むのだった。