四十一話 男爵夫人.
アレクはゆっくりと目を開けた。目に映ったのは寮とも宿とも違う天井である。
「……知らない天井だ」
何処かで聞いたことのある台詞を呟きながら、状況を把握する為に首を巡らし周囲を見渡す。
気品のある調度品などが並び、この部屋が身分の高い人の住む場所ではないかと推測できる。体を動かそうとアレクは身動ぎしたのだが、右腕の辺りが重くて動かせない。顔を向けると、フィアがアレクの腕をつかみ布団に顔を埋めていた。
「フィア――」
アレクはやっと自分がどうなったかを思い出す。誘拐犯の五人と対峙し、あの名前を聞いてしまってから怒りで我を忘れた事。そして、隠れていた六人目からの攻撃をくらい、さらに短剣で腹部を刺された事を思い出した。
空いている左手で刺された場所をなぞるが、とっくに傷口は癒えていた。アレクは力なく頭を枕に沈めると激しく後悔する。
(まただ……怒りで後先考えずに行動しちゃった。あの場は逃げるだけで良かったのに。身の程を弁えずに対峙して、挙げ句には刺されてちゃ世話無いな)
極めつけは、フィアに秘密を知られた事だろう。治癒魔法が発動すればまだ誤魔化しようがあったのだろうが、痛みと失血で発動出来なかったのが痛い。
(心配掛けさせたくなくて言っちゃったけど……誤魔化すか? それとも正直に打ち明けるか――)
アレクが考えていると、右腕を掴んでいたフィアが起きたようで身動ぎした後、むくりと上体を起こした。
フィアは顔を上げると、ぼーっとした表情をしつつアレクの方を見た。まだ完全に意識が覚醒していないフィアが面白くて、アレクはついからかってしまう。
「フィア、口元に涎が――」
「――っ!」
アレクの一言に、フィアは一瞬で覚醒したようで、慌てて口元を拭う。その慌てぶりにアレクは声を立てて笑う。
フィアは顔を真っ赤にしてアレクを睨んでいたのだが、すぐ状況を思い出したのかアレクへと詰め寄る。
「アレク君、生きててよかった!」
そう叫び、アレクへと抱きついた。突然の行為に目を白黒させたアレクだが、心配を掛けさせたのだと、フィアの背中をぽんぽんと叩いて宥めた。
暫くすると、騒ぎを聞きつけたのだろう、扉をノックする音が聞こえてフィアは慌ててアレクから離れる。
扉を開けたのはメイドのようだ。アレクの意識が戻った事を確認すると、アレク達へと用件を伝えた。
「奥様が一言お礼を申し上げたいと」
アレクが頷くのを見ると、メイドは一旦下がり程なくして一人のご婦人を伴って戻ってきた。
「あなたがアレク君ね? 私はリールフィアの母、オルテンシア・ザンバートと申します。まずは、私を救っていただいてありがとうござます」
オルテンシアはそう言って頭を深々と下げる。フィアの母という事は、ザンバート男爵夫人という事だ。貴族に頭を下げられて、アレクは慌てた。
「そんな! ザンバート男爵夫人。頭を上げてください」
アレクの言葉に、頭を上げたオルテンシアだったが、その表情には陰りが見受けられる。
「いいえ。私の不注意であのような事態になってしまいました。それを探し当てて、尚且つ救出まで指揮して下さったとフィアから聞きました。……この度は本当にご迷惑をおかけしました」
そう言ってオルテンシアは再び頭を下げる。もし、あのタイミングでアレク達が駆けつけていなかったなら、オルテンシアとその侍女は男達の慰み者になっていた事だろう。そして、口封じに殺され、二度と娘の顔を見る事も出来ずに生涯の幕を閉じる事になってた筈だ。
大事には至らなかったのは、目の前の少年が魔法を用いて迅速に対応してくれたおかげであり、頭を下げる程度では感謝の気持ちは言い表わすことは出来ない。
「屋敷へ運ばれて来た時には、かなりの出血の跡がありました。お怪我の方は宜しいのですか?」
頭を上げたオルテンシアは、そう言ってアレクの容態を尋ねてきた。その言葉にフィアもアレクの容態を思い出したようで、アレクの傍へと戻ってきた。
「え、ああ。大丈夫ですよ。ほんの掠り傷でしたから、ハハハ」
アレクは乾いた笑いで誤魔化すしか無かった。そんなアレクに、オルテンシアは深く聞かずに静かに頷くだけだった。
「何やら事情がおありのご様子。命の恩人にあれこれ詮索するような恩知らずな事は致しません。衛兵への対応や、学園への連絡は私の方で行っておきます。アレク君は、暫くここでゆっくり休んでいて下さいな」
そう言うと、オルテンシアはフィアへ付き添っているように言うと部屋を出ていった。
オルテンシアが出て行った後、アレクは口を開いた。
「あー。お母さん無事で良かったね」
「え、うん。本当に、アレク君のおかげだよ」
アレクは考えていた。怪我どころか致命傷を負ったにもかかわらず、たちまち治った事を言うべきか否か。
「フィア、実は僕の体の事なんだけど――」
「まって!」
意を決して口を開いたアレクをフィアが止める。
「さっきお母様が言ってたように。お母様を救ってくれたアレク君のことをあれこれ詮索するつもりはないの。私は、アレク君が無事だっただけで良かったの。それがどんな加護であれ、ね」
そう言ってアレクへ微笑んだ。
詮索されないのはアレクにとって助かる。それにあの状態を見られたのに、今まで通り接してくれるのはありがたかった。フィアは自分の母親にも言わず、アレクの体の事を秘密にしてくれているようだ。二人だけの秘密にしようねと笑みをアレクへと向けるのだった。
その日の夜、ザンバート家の屋敷には衛兵がやって来てオルテンシアやフィアへと事情を聞いていったらしかったが、アレクは呼ばれる事も無く部屋で大人しくしていた。
◆
翌日、朝食を食べた後で、オルテンシアと向かい合い、フィアとアレクが隣同士で座っていた。
「あの男達の取り調べた結果が出たので、アレク君には伝えておこうとおもったの」
オルテンシアはそう言って話を切り出した。この時初めて、アレクは六人のうち二人が死んでいた事を知らされた。
アレクは自分を刺した男と、弓で射てきた男がそうなのだろうとすぐに分かった。初めて人を殺したという事実に、無意識に手が震えるのが分かった。相手は自分を殺そうとしたのだから、正当防衛だと分かってはいるのだが震えを止める事が出来なかった。
アレクの震えに気づいたフィアが、アレクへと手を伸ばしそっと震えた手を握った。
「アレク君は悪くない。あいつらは、お母様を誘拐した悪党よ。捕まれば遅かれ早かれ死罪だわ。それにアレク君を殺そうとした奴らよ? もし、アレク君が殺されでもしたならば私があいつらを殺してたわ」
フィアは必死にアレクを元気づけようとしていた。アレク一人に殺したという重荷を背負わせまいという意思が見て取れた。そんなフィアにアレクの心は少しだけ楽になった気がした。気づいたら手の震えは止まっていた。
「私を誘拐したのは、金品が目的だと自供したらしいわ。背後関係を調査したようだけど、特に誰かが指示して行った訳では無いそうよ」
背後関係の調査は尋問や拷問も行われたらしい。ザンバート家を貶めようとした他貴族が背後に居た可能性もあり、魔法や薬なども用いて徹底的に行われたようだった。
結果として、背後関係は無く短絡的な金目当てという事が分かった。
「計画性も無かったようだし、私がふらふらしているのを見て攫ったようね」
オルテンシアは反省の意味も込めて呟く。護衛も連れずに、王都だからと油断が招いた今回の事態である。夫であるザンバート男爵に知られたら、お叱りを受けるであろう。
そこまで聞いたアレクは、一つだけ確認をしたくて口を開いた。
「あいつらは、『濡れ鴉』が背後にあるような口ぶりでした。関わりが本当にあるかは分かりませんが、そこは何か聞いていませんか?」
その言葉にオルテンシアとフィアは驚いてアレクの顔を見た。
「その話は初耳ね。すぐに人をやって衛兵へと伝えましょう」
そう言うと、オルテンシアは扉の外に控えていた侍女を呼び用件を伝える。侍女は言伝を預かると、すぐに部屋を出ていった。
「それと、学園のほうへも報告は済ませています。フィストアーゼ学園長からの手紙を預かっておりますので、渡しますね」
オルテンシアは懐から手紙を取り出すと、アレクへと手渡した。
手紙には、学園外にて魔法を用いた事への注意が書かれていた。しかし、状況を鑑みてやむをえない事と判断し、罰則は無しとする旨が書かれていた。
本来、魔法を用いるか否かに限らずとも王都内で人を傷つける行為は罰則がある。未成年であれば保護者にも罪が行く。アレクの場合であれば、シルフの気まぐれ亭のティルゾやミミルがそれにあたる。
だが、今回はアレクに正当性がある事と、ザンバート男爵夫人が必死に説明をしてくれたおかげで不問とするそうだ。
結果としてアレクにお咎めは無かった。アレクは手紙から顔を上げて、オルテンシアへ頭を下げた。
「庇って戴いたようで、ありがとうございます」
「何言ってるの。私を助けてくれた小さな英雄君に、口なんて出させないわよ」
オルテンシアはそう言って笑う。アレクもつられて口元を綻ばせた。とは言え、男爵ではそれほど権力がある訳では無く、公爵である学長に何か命令できる訳でも無いのだ。オルテンシアが必死で頭を下げた結果なのだが、アレクはそれを知る由も無い。
「とにかく、よかったね。これでアレク君が退学になんてなったら申し訳ないもの!」
そう言ってフィアが微笑む。母であるオルテンシアを助ける為にアレクが退学や停学になってしまっては、フィアもオルテンシアも申し訳なさで顔向けも出来ない事になったであろう。
そんな二人にアレクは再び頭を下げて礼を言った。上位の魔法を扱えるようになった今、学園にそれほど未練がある訳でもないが、それでも同じチームの皆と、僅か四ヶ月で別れるのは忍びなかった。
その日、オルテンシアやフィアから色んな話を聞かされた。特に興味を引いたのはザンバート家の保有する領地のすぐ近くには、魔物が多く現れる森があるという話だった。
「本当に、あの森には困っているの。冒険者ギルドの支店を街に建てて頻繁に討伐して貰っているのだけど、なかなか優秀な人が来なくてね。フィアに学園に通わせているのも、魔法や武術を学んでおかないと、危険な土地だからなのよ。自分の身は自分で守らないと生きていけないの」
ザンバート男爵領に隣接する森はとても深いらしく、普通の冒険者では浅い場所での討伐が精一杯らしく、アレクのように若くて力のある人材を欲しているようだった。
「僕も力をつけるのに、魔物をたくさん倒していきたいので、その森には興味がありますね」
アレクは本心でそう言った。それほど深い森ならば、自分が眷属を連れ立って戦っても人目につきにくそうであると思えたのだ。王都周辺は、普段から魔物が狩られており、人の目にもつきやすい。ダンジョンも閉鎖された空間である以上、他の冒険者と会いやすいのだ。
「あら、じゃあ卒業したならばうちの領にいらっしゃいな。その方がフィアも嬉しいでしょう?」
「お母様!」
フィアは、何か含んだような言い方をするオルテンシアに怒って見せるが、ちらちらとアレクを見ているので、更にからかわれる。
「そうだね。それも悪くないかも」
アレクが言うと、フィアが少し嬉しそうな顔をするのだった。暫くオルテンシアと二人でフィアの反応を楽しんでいたが、アレクはふと気になった事をオルテンシアへと尋ねた。
「そうだ。ザンバート男爵夫人。先ほども話にでましたが、『濡れ鴉』について何かお耳にされた事はありませんか?」
「そう言えば、どうしてそこまであの盗賊団に拘るの?」
オルテンシアが疑問に思ってアレクへ聞き返してくる。アレクは自分の村に起きた出来事をオルテンシアへと語って聞かせると、オルテンシアは沈痛な面持ちでアレクの話を聞いた後、口を開く。
「そんな辛い事があったのね……でも、アレク君はまだ子供でしょう? 余りにも危険すぎるわ」
「危険なのは承知しています。国が捕まえられるならそれに越したことは無いんです。でも、決めたんです。二度と理不尽な出来事によって親しい人を失いたくないって。ですから、学園に通って力をつけて……可能なら自分で家族や村の人の敵はとりたいんです」
アレクの決心の言葉をオルテンシアは静かに聞いていた。
(この歳でそんな思いを胸に抱いているなんて)
オルテンシアは胸が締め付けられるような感情に、そっとアレクを胸に抱きしめた。
突然オルテンシアの豊満な胸に顔を押しつけられ、アレクは慌てた。アレクは息が苦しくてフィアに助けを求めたのだが、フィアは何か面白くなさそうな顔で、アレクの助けを無視する。
暫くして息も絶え絶えになりながら、解放されたアレクは椅子へとへたり込んだ。
「うちの領では出没したとは聞かないけれど、情報を集めさせるわね。今回へのせめてものお礼よ」
オルテンシアはそう言って、『濡れ鴉』への情報をアレクへと教えてくれる事を約束してくれたのだった。




