三十九話 おとり.
民家の前には、アンの情報通り一人の男が見張りに立っていた。どう見ても真っ当な職業に就いていなさそうな男だ。
男はアレクに気付くと、下卑た笑みを浮かべながら声を掛けて来た。
「おやおや、どこの坊ちゃんか知らねーが。こんな場所に何か用か?」
アレクが来ていた服を見て、どこか金持ちの子弟と勘違いしたのだろう。そう言えば男爵夫人に会うからと上等な服を着ていたなと思い出す。男の勘違いをアレクは都合が良いとばかりに、世間知らずを装って男に話しかける。
「ちょっと道に迷ったんだけど。おじさん中央の通りまで案内してくれない? 案内してくれたらお礼はするよ?」
そう言ってポケットから一枚の銅貨を取り出す。銅貨を見た男は、目を細めて笑うと、アレクへと近づいてくる。
「そうか、じゃあ親切なおじさんがちょっと教えてあげよう……世間ってやつをなっ!」
そう言ってアレクへと飛びかかって来たが、《クイック》のかかっているアレクはひらりと男を避ける。
「ちょっと、何するんですか!」
アレクは怒っている風を装って男の脛を蹴り上げる。加減をしていたのでそれ程痛くは無いだろうが、男は顔を真っ赤にして声を荒げた。
「餓鬼が! てめえなんぞ身ぐるみ剥いで犬の餌にでもしてやる。おい! お前ら出てこい! カモがいるぞ!」
男の声を聞いたのか、二人が捕まっているであろう民家から二人の男が出て来た。予想通りの展開にアレクの顔に笑みが浮かぶが、男達はそれを見て更に激高した。
「てめぇ! 餓鬼が俺達に敵うと思ってんのか!?」
「おじさん達じゃ僕は捕まえれないよ」
男三人とアレクの追いかけっこが始まった。あまり民家から離れてしまうと、戻ってしまう可能性がある為、基本的には民家の前あたりでアレクは逃げ回る。建物の中にはあと二人が残っている。アレクは思いつく限りの悪口を言って男達を挑発する。
男たちの動きが思った以上に素早く、アレクは途中で《クイック》から《フルブースト》へと魔法を切り替える。これは筋力・持久力・敏捷力の能力を急激に上昇させる無属性魔法の上位版である。
アレクは逃げ回るだけではなく、隙を見ては男達の膝へと蹴りをいれる。攻撃魔法を使えば難なく倒せるだろうが、ここで中に残る二人に警戒されてしまえば人質の安否に関わる。挑発を繰り返し、あくまでただの子供のように振る舞わねばならなく、予想以上に体力を奪われる。
そんなアレクに堪忍袋の緒が切れたのか、男の一人が中に残る二人まで呼び出した。
流石に五人相手ともなると、アレクはあっという間に追い詰められてしまう。五対一になってから五分も経たないうちに男の一人が放った蹴りがアレクの脇腹に命中してしまい、アレクは地面へ転がる。
そうなってしまえば魔法無しのアレクに抗う術は無かった。散々馬鹿にされた男達は丸くなったアレクの胴や四肢に加減の無い蹴りをいれた。逃げようとしたが周囲を完全に囲まれてしまい隙が全くなかった。
「けっ! くそ餓鬼が。手こずらせやがって! オラっ!」
男の一人がアレクの腕を思い切り踏みつける。鈍い音が聞こえたかと思うと、激しい痛みがアレクの身体を走った。
「――っぁ!」
アレクは悲鳴をあげないように必死で耐える。もし自分が危険な状態だと知れば、フィアはオルテンシアを救出する前にこちらに来てしまうかもしれない。それでは何のために時間を稼いだのかわからなくなる。
悲鳴をあげずに耐えるアレクを見て更に男達は執拗な攻撃をアレクに加える。僅かではあるが加護の影響で傷が修復されていくために致命傷にはなっていない。だが、逆を言えば気を失うことも出来ずに延々と痛みを受け続けなければならない結果となっていた。
どれ程耐えていたのだろう、蹴り続けていた男達が疲れ息も荒くなってきた頃に、遂にアンからの念話が届いた。
『お父様、フィア嬢がお二人の救出に成功しました』
『――わかった。流石に他の五人を一緒には無理だったか』
端から見れば虫の息で横たわるアレクを、息を切らせた男達が囲いながら悪態をつく。
「はぁ、はぁ。へっ……いい加減くたばったか?」
男の一人が肩で息をしつつアレクの胸ぐらを掴んで顔をのぞき込む。そんな男に、アレクは侮蔑の笑みを浮かべて言い放つ。
「残念――ゴホッ。もう……時間稼ぎは……終わりだ。なんで貴族のご婦人を攫ったのか、知らないけど。もうすぐ、衛兵がやってくるだろうね」
「なっ!?」
アレクの言葉に男の一人が民家へと入って行ったが、直ぐに飛び出してきて叫んだ。
「くそっ! 女の内、二人が逃げ出してやがった」
「あの女貴族だったのか! ちっ、下手を打ったぜ」
「手前っ……最初からあの女どもを助けるのが狙いか!」
男達の三流っぽい台詞にアレクの口角があがる。どうやら貴族だとは思っていなかったようだが結果は同じだ。その誘拐した貴族に逃げられ、この場所が知られた以上男達は逃げるしか無い。そして逃げても直ぐに捕まるだろう。
「貴族を拉致した罪は死罪って知ってるよね。おじさん達はもう終わりだよ」
死罪という言葉に、男達は自らの犯した罪の重さに気付く。アレクの胸ぐらを掴んでいた手が離れ、アレクは地面へと座り込む。絶え間なく全身を襲う激しい痛みに顔を顰める。早く治療を行いたいが、怪我の範囲が広すぎてどのように治癒魔法をかけたら良いか悩む。
「――《リカバリー》」
ひとまず骨折した腕だけは治そうと治癒魔法を発動させた。そんなアレクを見て、男達が驚愕の声を上げる。
「くそ餓鬼! 手前まさか魔法使い……いや、神官なのか?」
「やべぇよ。早く逃げようぜ! 衛兵に捕まれば死ぬ未来しか無ぇよ!」
「うるせぇ! こうなりゃこの餓鬼と残った女を人質にしてなんとか逃げるしか――」
勝手な台詞を言い合う男達に、アレクは折れていたほうの腕を動かしながら魔法を唱える。
「逃がすわけないだろう? 《アースバインド》、《アースウォール》」
アレクの放った地属性である《アースバインド》の魔法によって地面が隆起し一番後ろにいた男の脚を絡め取る。そして続けて唱えた《アースウォール》は、未だ女性五人が残っているであろう建物の入り口を塞ぐように高さ二メートルの土の壁を造り出した。
「散々なぶってくれたお礼もまだなんだ。簡単に逃げられると思わないでね?」
そう言ってアレクは男達を睨み付ける。
一瞬で現れた土の壁と脚を固定されて動けなくなった仲間の姿を目にし、目の前の餓鬼を倒さなければ逃げることもままならないと理解した男達は懐からナイフを取り出してアレクに向き直る。
男達に残された手段はアレクを始末して、なんとかこの場から逃げ出す事だった。
しかし、子供だとしても相手は魔法使いである。まともに正面からやりあっては分が悪いと感じた誘拐犯の一人がアレクを脅すつもりで口を開いた。
「お、俺達に何かあれば盗賊団『濡れ鴉』が黙っちゃいないぜ!」
その言葉が本当なのか嘘なのか……有名な盗賊団の名を騙っただけだったのかもしれない。だが、アレクにとってその名前は禁句だった。
一瞬でアレクの周囲に濃い魔力の奔流が発生する。その魔力の強大さに四人の男は顔色を真っ青にして立ち尽くした。




