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一話 アレク.

残酷な描写があります。ご注意下さい。


●第一章 アレストラ


 田舎の朝は早い。朝の四時ともなれば起床し家畜の世話などを始めなければならない。

 馬へ与えるための飼い葉を担いだ男は、少し離れた場所で居眠りをしている息子へと声を掛ける。


「おい、アレク。早く羊の乳を搾ってしまえ」

「――! はい」


 アレクと呼ばれた少年は慌てて飛び起きると父親に返事を返す。そんな息子に苦笑しつつ、父親である男は自分の仕事へと戻る。

 アレクは欠伸あくびをかみ殺しながら羊の搾乳を再開した。


「ふぁ~あ――」


 父親が離れて行き、一人きりになるとアレクは小さく欠伸をした。眠気をかみ殺しながら手を動かす少年は金髪碧眼で僅かに幼さが残る容姿をしている。

 その表情はとても眠そうだ。まだ日が昇り始めの時間だから仕方がない事かもしれない。


 アレクは今年で十三歳になる。十三歳ともなると農村では立派な戦力だ。

 羊や馬など家畜の世話から始まり、日が高くなるまでに畑の草取りなどやるべきことはたくさんある。午後からは父親と共に狩りにも出かけなければならず忙しいのだ。とはいえ、アレクに狩りをするだけの能力は無い。精々が罠を張り、掛かった獲物を仕留めるだけだ。

 アレクは徐々に明るくなりつつある空を見上げ、照りつけてくる太陽を眩しげに睨んだ。いくら睨んでも日差しが弱まるわけでも無いので、ため息を吐きつつ乳搾りを再開する。空には太陽の他に二つの月が浮かんでいた。




 ここは地球とは異なる世界――名をアレストラと呼ぶ。

 アレク達が住んでいるのはゼファールという王国の片隅にあるロハと呼ばれる開拓村だ。

王都より南へ馬車で五日程の距離に位置しており、ロハの村から更に四日も南へ下れば海が見えてくる。その海岸には港町があり、他国との貿易の拠点になっている。


 王都から港町の間には幾つかの村や町が点在しておりロハの村もその一つだ。

 特に特産もなく、農業を営みながら旅する商人や護衛の冒険者達が落としていくお金が主な収入源となっている。

 このアレストラと呼ばれる世界だが、自然は地球と殆ど変わらないが生態系は大きく異なる。

 まず、文明を持つ種族が人間だけではない。美しい顔立ちと長い耳を持つエルフや、身長は短いが屈強な肉体を持つドワーフなどの妖精族。

 本来は巨大な竜の姿を持つが、普段は人の形を取っている龍人族。獣の耳や尻尾などの特徴を持ち、人間よりも力が強く俊敏性を併せ持つ獣人族などが代表されるだろう。他にもアレクが知らない種族が居るかもしれないが、特筆すべきはこの四種族だろう。


 そして、それらの文明を持つ種族全ての敵と呼ばれる《魔物》という化け物が存在している。

 この国の外れ。辺境と呼ばれる地には魔物が蔓延っているらしい。幸いな事に、アレクの住むロハの村周囲は他の村にも近く、加えて北には王都があり、南の海と挟まれていることもあり、それ程強力な魔物は出ない。

 それでも、大人達と共に行動しなければ、子供などあっさり殺されてしまうだけの強さの魔物は出現する。数年前にも、言い付けを守らず森へと向かった子供がゴブリンという人型の魔物に殺されるという事件があった。

 それらの魔物は、定期的に冒険者や王都から派遣された騎士団が討伐を行う。幼い頃から、やって来る冒険者や騎士、そして魔法使いにアレクも憧れたものだ。


 そう。この世界には魔法があるのだ。

 魔法はこの世界で広く用いられている。一つは、誰しもが習得出来て生活に役立つ『生活魔法』と呼ばれるもの。これは小さな火種を生じさせたり、水を生じさせることができる。アレクの父母や村の大人達の大半は習得していたが、残念ながら成人を迎えるまでは危険だという事でアレクは教えられていない。

 そして、火や水を自在に操り魔物を倒す事の出来る『魔法使い』と呼ばれる存在が居る。

やってきた冒険者の中にも魔法使いと呼ばれる人が居た。アレクも魔法使いが操る魔法を見せて貰ったことがある。火や水を操り魔物を一撃で屠るその姿に、アレクはとても感動したものだ。


 だが、成人と同時に教わる『生活魔法』とは違い、魔法使いとなるには才能と専門的な知識が必要なのだと村を訪れた魔法使いから聞かされた。少なくともこの開拓村に住んでいる間は無理だろう。

 アレクの育った環境は、一言で言えば平凡だ。貧しくも無く豊かでも無い開拓村で、仲の良い父母と二人の兄に囲まれ、末っ子として育った。二十数年前、この村を開拓する為にアレクの父母はやってきたらしい。祖父母は遠く離れた別の村か町に住んでいるらしいが、アレクは生まれてから一度も会ったことがなかった。

 アレクの父親はモルテという姓を持っているが、周囲から浮くので普段は名乗っていない。つまりアレク・モルテという名が本来のアレクの名前である。姓を持っているという事は、アレクの父親は商家か貴族の生まれである可能性が高い。

 しかし、アレクにとって姓を持っている事は然程重要ではなかった。なにしろ、開拓村では姓を持っているからと言って得するようなことが無いからだ。





 優しい家族に囲まれ、同じく優しい村人と共にゆったりとした時間を過ごしてきたアレクだが、他の人には言っていない秘密が一つだけあった。


(あ~あ。『搾乳機』があればこんなに手をベタベタにしてやらなくて済むのに……)


 そう、アレクはこの世界とは異なる、別な世界の知識を持っていた。このアレストラと呼ばれる世界では無い、『地球』と呼ばれていた世界での知識を――。


 何故、そんな知識があるのかは謎だったが、アレクにとって助かっている部分もある。

 例えば算術だ。この世界では商人や貴族など高い教育を受けた者しか高度な算術は出来ない。精々が二桁の足し算くらい出来れば上等だろう。だがアレクは、誰に教わるでもなく乗算や除算などを、六歳の頃には完璧に出来るようになっていた。

 幼い頃は普通の子供として育った。ところが、五歳の頃にこの世界では見た事も無い知識が頭の中に流れ込んできたのだ。

 一人の男が歩んできた人生が映像として頭の中に流れ込んでくる。アレクには漠然とそれが自分なのだろうという事が理解できた。それと同時に、計算や科学知識を始め、その男が経験したであろう知識がアレクの記憶と混じり合う。

 その記憶に最初は困惑していたアレクだったが、前世の記憶だと分かると拒むこと無く記憶を受け入れた。そして二年が過ぎ八歳になる頃には前世の知識はアレクのものになっていた。


 前世の記憶がアレクの物になっても、アレクの人格に大きな影響は無かった。同い年の子に比べれば、多少は大人びた言動が見られた程度だ。

 だが、自分が何故死んだかは思い出せないままだった。

 そして、混じり合った記憶の中たった一つだけアレクを苦しませている記憶がある。

 それは、誰か大切な人に会えないという喪失感だ。今の家族とも違う、誰かとても大切で愛する人達と二度と会えないという悲しみが胸を締め付けられるのだ。

 アレクはこの感覚が嫌だった。全く覚えの無いのに、誰かを失ったという喪失感が八歳の頃から心を締め付けるのだ。それがアレクに与えた負荷は相当であろう。


 最初の頃、原因も無く突如として涙を流したアレクを見て、両親はとても心配したものだ。流石にこの五年は耐性がついてきて泣き出すことは無くなった。それでも、ふと誰も居ない時に寂しさと喪失感を覚える事が未だにある。

 ただ、この事を誰かに話すようなことは無かった。親や村の皆に言ったところで信じて貰えるとは思えなかったのだ。

 この記憶の所為で、アレクは一人で居る事が多かった。元より同じくらいの年の子が村にそれほど居ない事も要因の一つではあるのだが。

 唯一アレクにくっついて回るのは、アレクより二つ年下の少女くらいだ。栗色の髪の少女は年の近いアレクを兄のように慕ってくれ、アレクもまた妹のようにかわいがっていた。





 羊の乳を搾っていたアレクは、ふと違和感を覚えて顔を上げた。目の前の羊も同様に、何かを感じているようで顔を上げ耳を澄ませていた。


(なんだろう? 村の南側から何か聞こえる)


 アレクは桶に張った水で手を洗うと、音の聞こえる村の南側へと向かった。少し離れた所にいた村人も何事かと同様に同じ方向へと歩いているのが見えた。

 村の中ほどを過ぎた辺りで村の南側から叫びながら村人が走ってくるのが見えた。


「盗賊だ! 盗賊団が襲ってきたぞ!」


 叫びながらこちらへと走ってきた村の男は、直後背を矢で射ぬかれて地面へ転がった。ちょうどアレクの目の前で倒れこんだ男は苦しげに呻くと、一言だけアレクへ向けて言葉を絞り出した。


「――逃げろ!」


 血にまみれた男の姿に、アレクの記憶に封じられていた情景がフラッシュバックした。目の前に映るのは白い雪に覆われたアスファルト。倒れこみ頭を押さえている女性や地面へ倒れ伏している男性の姿。そして、薄れゆく意識の中で娘へのプレゼントへ手を伸ばす自分の姿だった。


「あ……あああ! うわぁぁぁぁぁ!」


 アレクの心は掻き乱された。かつての自分だった青年が、通り魔の凶刃で刺されて死ぬ情景。それが鮮明に脳裏で思い起こされた。まだ成長しきっていない少年の心が、自分の死ぬ情景を見てしまった過負荷で砕けてしまいそうになる。

 そこに叫び声を聞きつけてやってきたのだろう、複数の薄汚れた姿をした男たちが駆けて来た。


「へ、ガキがいやがったぜ。ボス! こいつも殺していいんだろ?」


 その内の一人が仲間の方を向いて尋ねた。周囲よりも若干身なりの良い男が無言で頷くと最初に尋ねた男はアレクの前までやってくると下卑た笑みを浮かべてナイフを取り出す。そうしている間にも村のあちこちで悲鳴があがっている。

 アレクは動けなかった。かつての自分が死ぬ情景を見せられたショックで、目の前に立つ男達への対処まで頭が働かなかった。


「けっ! 黙ったままか。面白くもねぇ」


 薄汚い盗賊の男は、黙ったままのアレクを見て吐き捨てるように呟く。

 そして、手に持ったナイフでアレクの喉笛を一瞬で切り裂くと、その命を容易く刈り取った。

 殺す事に忌避感など無く、どちらかと言えば快楽的に殺してきた男にとって目の前の小さな命など路傍の石同然だった。

 血を吐きながら崩れ落ちたアレクからナイフを抜き取ると、男はアレクの事など既に見てなどいなかった。


「夕方までには村を出る。男は全員殺せ。女はたっぷり楽しんでから殺せ。金目の物と家畜は奪え。目撃者は絶対に残すな」


 リーダー風の男が小さく指示を出すと、周囲の男達は下卑た笑みを浮かべながら村中に散って行った。







――やっと見つけた。私と共に歩める存在を

 暗闇へ閉ざされた世界で、アレクに何者かの声が届く。


(誰だろう……)


――私はエテルノ。貴方を探していたわ。

 アレクの問いかけに、遠くから聞こえる声が答える。


(僕は……そうだ、僕は死んだ筈だ。前世でも今回も――何も出来ずに)


――大丈夫、貴方は生きている。神殿へ……力を……

 声は徐々に遠くなってゆく。それに伴い、アレクの意識は暗闇の中から現実へと浮上していった。




「ゲホッ……ゴホッ!」


 アレクは喉に詰まった自分の血でむせ返りながら目を覚ました。日はだいぶ傾いており、周囲には人の気配も何の音も聞こえず、静まり返っていた。


(さっきの声は夢? それとも……)


 アレクは気を失うまでの記憶を思い出し、脚を震わせながらもなんとか立ち上がった。盗賊団が襲ってきて自分を含む村人を殺した事は理解できていた。何故殺された筈の自分が生きているのだろうか? そんな疑問が脳裏に浮かぶ。

 切り裂かれたはずの首の傷は塞がっていた。指で触れると横一線に傷の跡が残っているのが分かるが、それ以外はただ血が渇いていただけだった。

 周囲を見渡すと、あちらこちらに村人の亡骸が転がっていた。震える脚を気力で動かしながら、アレクは僅かな期待を胸に、自分の家がある方向へと足を運んだ。


 おぼつかない足取りで進むアレクの目に入ったのは、自分を兄のように慕ってくれていた少女の亡骸だった。幼い体からは衣類がはぎ取られ、下腹部から出血した状態で死んでいた。

 怒りがふつふつと湧いてくる。少女や乳飲み子まで無差別に殺す必要が何処にあるのか。盗賊団への怒りがアレクの胸中を支配していく。

 妹のようにかわいがっていた少女の亡骸に近づき、見開いていた目を震える手でそっと閉じる。乱れた衣類を整え、静かに黙祷すると逃げるようにその場を後にした。


 アレクは家のある場所まで来ると、家の周りに兄たちが死んでいるのが見えた。正面から突き刺された長男。手足を切り落とされ達磨のような状態で目を見開き絶望の表情を浮かべて絶命している二人目の兄。そんな兄達の遺体を見て、アレクの心にあった僅かな望みが薄れていくのを感じる。


「父さん。母さん……」


 アレクはふらふらとよろめきながら家の中に入っていく。


「あ……ああああ……」


 アレクの口から意味不明な言葉がこぼれる。戸口から入って直ぐの場所には、抵抗したのであろう父親の無残な姿が。その奥の居間には、盗賊たちに犯されたのだろう全裸で穢され、涙を流して絶命している母の姿があった。


「あああああああ!」


 アレクは絶叫した。ただでさえ限界に近かった精神は、意識を手放す事を選んだ。

気を失ったアレクは、父と母の亡骸の間へと崩れ落ちるように倒れこんだ。






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