十二話 生活魔法.
アレクがシルフの気まぐれ亭で手伝いを始めて既に一週間が過ぎた。手伝い以外の空いた時間は国の歴史や魔法入門書を読みながら着々と学園の入試に向けて取り組んでいた。見た目は十三歳でも頭脳は大人であるお蔭か、一国の歴史程度の内容ならあっという間に暗記してしまった。
(日本史とか世界史とかに比べれば大したことないね)
日本史の二千年や世界史の五千年を対象とした範囲に比べれば、建国数百年程度の情報は何の苦も無く覚える事ができた。
反して難航しているのは貴族の名前や序列を覚える事だろうか。国を構成している十の貴族の名前くらいは何とかなるものの、地方貴族などになると途端にわからなくなる。
「昔から日本史の人名覚えるのが苦手なんだよな……」
記憶の中でも徳川○○などはよく間違えていた。爵位も六つか七つあってどれが爵位が上か間違えそうになる。
「公・侯・伯・子・男だっけかな? 准男爵ってどこに入るんだっけ?……ああ、一番下か」
こんな調子で貴族についてや国の歴史を一週間かけて丸暗記したアレクは忘れない程度に繰り返し本を読むことにする。
そして念願の魔法を覚えるべく『魔法の基礎と生活魔法の覚え方』を読み始めた。
アレクは既に眷属召喚にてボーンウルフを呼び出してはいるが、これは魔法というよりは固有のスキルであり一般的な魔法の遣い方とは異なる。同じなのは魔力を元にしているだけだ。
「えっと。魔力欠乏の注意点はエテルノ様から教えられた通りだな」
魔法の発動には古代語を用いて詠唱し、詠唱に準じたイメージが必要となる。次にどれだけの魔力を籠めたかで威力と持続時間が決まってくる。本に書かれている一般的な詠唱はこうである。
『我、願うは闇を打ち払う光明――《ライト》 』
たった明かりを灯すだけで普通に唱えると六秒程度かかってしまうのが普通である。慣れて早口に詠唱が出来るようになり、イメージと魔力の扱いに慣れてやっと三秒程度で唱える事が出来るようになるのが一般的だ。
アレクもまずは本に書かれているように一語一句間違えないように詠唱しながら魔法を発動させてみると、二度目であっさりと《ライト》を使うことができた。
「これは詠唱長すぎるな。もっと早く使えるようにならないと戦闘で役に立たないんじゃないか?」
アレクが購入した本には詠唱を短くする方法の有無は書かれていなかった。入門書なのだから当たり前なのだが、熟練者になると自分なりに短縮して使うのが一般的である。
とはいえ、短くすれば良いものでもない。詠唱を省略する為にはイメージをしっかりと持つ事が必要となる。詠唱が正しくともイメージが曖昧なら威力は弱く持続時間も短くなる。逆に、詠唱を破棄してもイメージさえしっかりしていれば効果は正しく発揮される。
アレクは魔力の続く限り繰り返し魔法を使い続ける。そして徐々に詠唱を短くしていった。
『我、願うは光明――《ライト》』
『願う、光明――《ライト》』
『光明――《ライト》』
アレクのイメージ構成が正確だったのか、はたまた魔法の才能があったのか。徐々に詠唱を短くして練習すること三日で、アレクは《ライト》と唱えるだけで入門書通りに唱えた物と同じ灯りを生み出す事が出来た。
アレクは満足そうに笑みを浮かべると、次々に入門書に書かれている生活魔法を唱えてみる。
結局、十日もしない内に入門書に書かれていた生活魔法の全てを詠唱破棄で使えるようになった。
アレクが試行錯誤して出来るようになった詠唱破棄は、本来は早々出来ることでは無い。しかし、魔法使いの上位となる魔道師クラスとなれば全員が詠唱破棄で唱える事が出来る。
もちろん、あくまでアレクが今覚えた魔法はただの生活魔法であり、世の魔導師とは使える魔法の種類は比べるべくもないのだが。
「魔法って面白いなぁ。それに、これがあれば生活は確かに楽になるな」
無詠唱でも発動させようと頭の中で試したのだが、どうしても鍵となる古代語を唱えないと発動しないようだったので、そういう物なのだろうと諦めた。
アレクがこの二週間かけて覚えた生活魔法は、明かりを生み出す《ライト》。《ライト》と対をなし、闇を生み出す《ダークネス》。小さな火種を作り出す《ファイア》と一リットルほどの水を作り出す《ウォーター》。部屋の換気を行ったりするのに用いる《ウィンド》や、一㎏ほどの土を操作できる《アース》。そして、擦り傷程度の傷を治すことの出来る《キュア》の七つである。
魔法の扱いが楽しくなったアレクは遅くまで生活魔法を使いまくった。幾度となく魔力欠乏に陥り倒れることになったが、徐々に使える魔法の量が増えていくことに喜びを見いだしていた。
生活魔法を使えるようになってからのアレクは、宿での手伝いにも魔法をフル活用した。洗い物の為に井戸まで水を汲みに行かなくともアレクはかなりの量の水を魔法で生み出したお蔭で、洗い物の効率が数倍にも上がった。熱の籠りやすい厨房の中を《ウィンド》で空気を循環させることでティルゾからも楽になったと感謝されたりと大活躍だった。
「アレク君を雇って本当に助かってるわ! 学園なんて行かないで家にこのまま就職しない?」
生活魔法を覚えてから一週間程過ぎた頃、ミミルからそんな事を言われた。アレクは嬉しくはあったが、目的があるからと誘いを断った。最も、不合格だった場合は選択肢の一つとして可能性はあるが。
「学園といえば、そろそろ入学申込みの期限じゃないか? 明日にでも学園に行って申し込んでおいたほうがいいよ」
そんなミミルとのやり取りを苦笑しながら聞いていたティルゾは壁にかけてある暦を見ながら言った。王都に来てからあっという間に三週間が過ぎ去っていた。試験の締め切りは今月中なので、僅か二日しか残っていなかった。明日にでも申し込んでおいたほうがいいだろう。
「わかりました。明日学園に行って申し込んできます」
「まあ、アレク君だったら余裕で合格しそうよね! 魔法もあり得ないくらい上手だし。この国の歴史とかも全部覚えちゃってるんでしょ?」
ミミルに褒められて少し照れ笑いをしながらも頷いた。魔法については比較対象がミミルかティルゾしか居ないので自分がどの程度の能力か把握していないのだが。
こうして三人で休憩がてら食堂で話し込んでいると、入口から誰かが入ってきたようだ。
「あの、失礼します」
振り返ったアレクが見た人物は王都に来る時にお世話になった女騎士のレベッカだった。
「あ、レベッカさん!」
「アレク君お久しぶり。元気だった?」
立ち上がって挨拶をしたアレクに向かってほっとしたように微笑みながら近づいてくるレベッカは前に会った時のような鎧姿ではなく、薄い水色のワンピースという格好の私服であった。鎧姿の時とは全く違い、十五歳の少女らしい雰囲気を醸し出している。
「三週間ぶりね。お邪魔じゃなかったかしら?」
レベッカがティルゾ達に尋ねるとティルゾも休憩中だから大丈夫だとレベッカに返した。ミミルが立ち上がってアレクの隣の席を勧めると、礼を言ってその席へと腰を下ろした。
「レベッカさんは今日は非番なんですか?」
「ええ、そうよ。休みだったからアレク君がどうしてるかなって見に来たの」
元気そうでよかったと呟くレベッカにアレクは頭を下げ礼を言った。ロハの村から王都までの短い期間一緒だっただけの自分をここまで心配してくれた事がとても嬉しかった。アレクはこの三週間の出来事を話し、明日には学園に申し込みをするのだと告げた。
アレクが生活魔法を詠唱破棄で発動させるのを見た時には、驚きすぎて暫く固まってしまったほどだった。
「アレク君すごい! 魔法の才能があるんじゃない? 宮廷魔術師団の導師級じゃないと詠唱破棄で魔法の発動なんて出来ないわよ?」
「え? でも生活魔法しか使えないですし、練習次第で誰でも出来ますよね?」
レベッカはアレクの常識知らずの発言に呆れながら、学園に入れば自分がどれだけ特異な能力かが分かるだろうと敢えて何も言わないことにした。
こうして久しぶりに会った二人は宿が忙しくなる時間まで色々な事を語り合った。そろそろ帰る時間となったレベッカは最後にアレクに告げる。
「元気そうでよかったわ。学園に入れたら教えてね? 先輩として色々相談にのるから!」
そう笑顔で言うと、アレクに手を振って帰っていった。