物真似は疲れるのです
季節は巡り、ウイングは六歳になった。
ウイングは馬鹿でいなければならなかった。
そこでどうすれば馬鹿に見えるのか考えたが、あまり良い案が浮かばなかった。
前世では祖父母に育てられた影響で、大人しく礼儀を重んじる傾向が強かった。
近所でも『良い子』の代名詞になっていた程だ。
本人にその自覚はなかったが、『良い子』はまずいというのは分かる。
悩んだ末、『馬鹿』の見本として魔王である父を参考にしようと思った。
父、エリュセイグド・ヴォラウディーグ・バールゼーブ・サタンロード・ルーシュフエル。
父は魔王である。
基本的にはいたずら好きのガキ大将がそのまま大人になったような、と評したくなる男だ。
最近は城の一般兵士である八層妖魔族のゴブリンを集めて、近衛騎士にいたずらを仕掛けては騎士団長に叱られている。
父はゴブリンたちと仲が良い。
昔、父が八層妖魔族のところに留学していた頃の親友がゴブリンで、城の兵士たちはそのゴブリンの孫や曾孫たちが沢山いる。
ゴブリンは魔王族に比べて短命なので、世代交代が早い。
親友のゴブリンはすでにこの世にはいないが、なにくれとなく可愛がってやっているらしい。
ただし、いたずらの実行犯としてゴブリンたちに命令することを可愛がると言うのならばだが。
そして、標的となる近衛騎士だが、こちらは主に七層魔性族や魔王族の遠戚で構成されている。
魔族の管理している地下世界は九層からなる。
各階層には統治者となる種族というものがある。
九層魔王族。ここには各階層から集められたエリート達が魔王やその親戚のために働き手としてやってくる。
九層で農民をしている者が、実は他階層では貴族の血筋というのも珍しくない。
人種(魔種?)の坩堝と言える。
統治者はもちろん魔王族だがその数は少ない。
魔王族は特殊な種族だ。
基本的に人型の体、神力を宿す角、風のマナで飛ぶ翼や被膜、攻撃に適した爪、邪眼、強靱な皮膚、絶大な膂力、超再生、魔法への強い親和性を持つ者は魔王になる素質を備えた魔王族だ。
魔王族は誰とでも、何とでも交配可能な種族のため、全ての素質を持つ者が生まれにくい。
他種族と交配すると第三世代辺りで素質のほとんどを失ってしまう。
代わりに他種族の素質が色濃く現れると、その者は魔性族と呼ばれるのだ。
つまり、魔王の素質を全て兼ね備えた者とその子供たちまでが魔王族と呼ばれる。
魔王族は全九層の支配者でもある。
八層妖魔族。邪妖精、豚頭人、岩妖精、羽妖精などがそれぞれに国を作り、連合国のようになっている。
基本的に地下深くに住む魔族ほど位が高いとされているが、妖魔族は最下級の扱いを受けることが多い。
肉体的にも能力的にも魔族の中では底辺の者が多く、繁殖力が強いのも特徴である。
魔王族のすぐ上の階層に住むのを嫌った他種族から、八層を押し付けられたというのはレンバート先生の弁。
ウイングは士農工商の農民的な立ち位置なのかと理解している。
七層魔性族。様々な動物や魔物、怪物の特徴を宿した種族。
基本的に人型に沢山の何かを混ぜたような姿をしている者が多く、神が人間を作るために試行錯誤した後の失敗作と影では言われている。
能力的には魔王族に並ぶほどの実力者ばかりで、本人たちに言わせれば自分たちこそが地上を神から賜った『人間』であると言う自負を持つ者も多い。
極稀に先祖返りのように魔王の素質を揃えた者が生まれるので、その者は魔王族として九層に迎え入れられることになる。
ウイングから見れば、まさしく悪魔という外見を持っている者たちだと言える。
六層魔龍族。龍、竜、竜人、蜥蜴人、恐竜人、蛇人からなる知性あるドラゴンが魔龍族である。
似た姿をした竜、飛翼竜、巨大ミミズ(ワーム)などは魔物として区別される。
知性があるかないか、交渉ができるかどうかで、魔族と魔物という区分けがあるのだ。
同時に魔物は十一層のどこにでもいるが、魔族は地上、天層には基本的にいないことになっている。
五層魔鬼族。鬼、馬頭鬼、牛頭鬼などが統治している。
魔力を宿す角、怪力、鋭い爪、超回復力などを持つ。
好戦的な性格を持つ者が多く、五層では強者の意見こそが正しいとされる。
魔王への反乱が良く起こる割に、魔王に勝てないため『劣化魔王』と揶揄されることもある。
四層魔虫族。知性ある虫、虫人によって治められているのが、四層だ。
ここには魔法を使える者がほとんどいない。
さらに本来なら魔族として認められない知性なき魔物も魔族として認められているものがある。
政治形態などもかなり特殊で全ては占いで決まるらしい。
魔境と呼ぶに相応しい、とレンバート先生は評する。
三層巨人族。三層魔獣族。統治者は巨人族と言っていい。
しかし、知性ある魔獣たちが個々にテリトリーを持っているため巨人族は穴あきの地図を持っているようなものだ。
巨人族と魔獣族はお互いに共存を望んでいるため、あまり争いが起こらない地でもある。
二層夜魔族。二層獣魔族。
夜魔族は造られた種族で、魔族の中から人間を造りだそうとした結果、極端に能力が弱い個体やひとつの能力だけ突出した個体などが産み出されることになった。
彼らはよく地上への尖兵として使われる。
今もなお、人間を造る計画は進められているため数だけは多い。
二層獣魔族は獣人、獣魔人などで構成される人間と獣の合成種で、人間が人間を兵器とするために造られた種族である。
しかし、地上で数が増えた時、神の怒りの具現者である『勇者』によって地下世界へと追いやられた者たちの末裔とされる。
『勇者』は人間でありながら、魔王を凌ぐ力を発揮する者たちの総称で、過去、地上を奪おうと魔族が大挙して押し寄せた時、人間が獣魔族を造り、その数が溢れそうになった時など、地上に神が認めていない者が一定数を超えると現れるとされている。
『勇者』は使命を持って生まれる。
そのため、それが神の意志だと言われている。
一層死魂族。生きた死者、魂なき者などによって統治される。
吸血鬼のレンバート先生は生きた死者に分類される。
そして、魂なき者は人間である。
人間の枠組みからはみ出してしまった者が地上を追われ、地下に居場所を求めた。
魂なき者は人間を憎む人間の集まりだと言える。
これら地下世界の中から選ばれた者が九層魔王族に仕えるために集まってくるのだ。
近衛騎士団の能力の高さも知れるというものだ。
中でも近衛騎士団長バルディラント・ヴォラウディーグ・バールゼーブ・ルーシュフエルは魔王エリュセイグドの弟であり、邪眼以外全ての素質を備えた魔王族だ。
バルディラントは兄であるエリュセイグドを敬愛している。
同時に適当な性格をしている兄を何とか立派な魔王にしようと、心を砕いているのだが、余り良い方向には進んでいない気がする。
今日も今日とて、事件が起きた。
近衛騎士団の洗濯物は一般兵士たちが行っている。
その衣類を洗う洗剤にイターツの実(この世界の唐辛子的香辛料)の粉末が混入していたのだ。
イターツの実は乾燥させて粉末にすると白い粉になる。
洗剤に混入されてもパッと見では分からない。
近衛騎士たちはいざという時のために三交代制で普段からかなり厳しい訓練を課せられている。
夜討ち朝駆けの如く休む間もなく訓練漬けの日々を送る。
代わりに細々とした生活に便宜が図られる。
一般兵士による洗濯代行もそうした物のひとつだ。
何も知らずに朝、日が登る前から叩き起こされ、慌てて着替えを済ませた近衛騎士たちは、騎士団長の号令の元、訓練を始める。
始めは早朝にしてはやけに身体がぽかぽかと動き易い日だなと感じていた近衛騎士たちは、次第に身体に痒みを感じるようになってくる。
しかし、精強で知られる近衛騎士たちは多少の痒みなど身体を動かせば忘れると普段以上に本気で訓練に取り組んだ。
しかし、流れる汗が下半身に到達した時、全員がうずくまるように動きを止めた。
「貴様らー!誰が休んでいいと言った!動かんかぁ!」
バルディラントが叱咤するも、近衛騎士たちには効かない。
粘膜刺激が強すぎてそれどころではないのだ。
鎧を脱ぎ出す者、鎧の上から掻きむしる者、慌てて空気を送り込む者。
皆、必死だった。
……ブふッ……クスクス……。
騎士団長バルディラントは教練場の片隅で起きた、その小さな音を聞き逃さなかった。
竜のような被膜の翼を大きく広げると風のマナたちが集まって自動的に身体を浮き上がらせ、音のする方向へと押し出し加速する。
同時に抜剣。
その勢いのまま教練場の片隅の茂みを切り裂く。
「……あぶなっ!」
尻餅をついて、目を大きく見開いて伐り拓かれた茂みに見えるのは、三匹の一般兵士らしきゴブリンと魔王エリュセイグドだった。
じろりと兄を睨む騎士団長バルディラント。
やはり、という思いで、ふつふつと怒りが湧き上がる。
「ま、ま、またか!兄上〜っ!」
騎士団長バルディラントは一切の躊躇なく、返す剣閃で魔王の首筋を狙う。
「逃げろっ!」
魔王エリュセイグドもまた一切の躊躇なく逃走を開始する。
ほんのひと時でも躊躇えば、騎士団長の剣は狙い過たず魔王の首と胴体を切り分けていただろう。
ゴブリンと魔王は一斉にバラバラに逃げ出す。
ゴブリンの一般兵士に怒ったところで、魔王である兄の命令があれば、命懸けでも従うしかないだろう。
それが分かっているだけに、騎士団長バルディラントの怒りは一直線に魔王である兄エリュセイグドに向かう。
「大地よ、我が身を隠せ!グランドウォール!」
魔王エリュセイグドの命で大地が隆起し、土壁が生まれる。
土壁は、グングンと高さを伸ばしていく。
バルディラントは土壁が育ちきる前に、竜の被膜の翼で大きく跳躍、土壁のかなり厚みのある上を数歩で駆け抜けて、同時に剣に風のマナを集める。
「剣に暴風よ絡め!
我は暁の星に守護されし者なり。
ストームブレード!」
突けば暴風の打撃が飛び、斬れば数多の真空波が敵を切り裂く魔法を剣に纏わせる。
土壁の端から、めくらましで横に逃れようとする魔王エリュセイグドを目視すると一気に跳躍、剣を突き出し暴風の打撃を放つ。
一瞬、騎士団長バルディラントに振り向いた魔王エリュセイグドは、不利を悟って自身の竜の被膜の翼を広げる。
だが、逃がさんとばかりに騎士団長バルディラントはさらなる体内の糧を送り込み叫ぶ。
「暴風よ、渦巻き捕らえて、檻となれ!
ストームケージ!」
本来ならばバルディラントの魔法の親和性を鑑みるに、呪文は最低でも命令・守護による後押し・呪文名による確実化の三段階は必要だが、先の呪文で暴風を呼び出すことにより負担を軽減、呪文を短縮化することに成功する。
暴風の打撃は魔王エリュセイグドに当たる寸前で進路を変える。
まるで、暴風に意識があるかのごとく魔王を包み込むように回り始める。
それは一瞬で竜巻になると魔王を巻き込んで中心に捕らえる。
魔王エリュセイグドが竜巻を突破しようと風の中に突っ込むと、竜巻内部に発生した真空波に切り刻まれて、落ちる。
しかし、途中でまた竜巻に捕らえられて錐揉み状に打ち上げられる。
仕方なく空中で身体を静止しようとしても、うねる竜巻内部では静止もできず、竜巻の内壁に触れるたびに真空波が襲ってくる。
魔王の超再生がある限り死ぬことはないが痛みがない訳ではない。
「くっ……ぐはっ!痛っ!ぐおっ!……ちょっ……ごめっ……痛っ!ぬおっ!……こ、降参!こうさーんっ!……うぶっ!……」
騎士団長バルディラントが魔法を止める。
ふらふらと魔王エリュセイグドが地面に落ちる。
空中を滑空して騎士団長バルディラントが魔王エリュセイグドの前に降り立ち、剣を突きつける。
「何をしましたか?兄上!」
「あ……いや、その……」
「貴方を守るべき近衛騎士たちに何をしたのかと問うていますっ!」
「……言っちゃったら、面白くないというか……」
「ああん?」
「あっ、その、常にいつなんどきでも戦いに備えている近衛騎士の皆さんにも、盲点があるんだよということを、ですね……」
「そう思うなら仰っていただけれ良かったのではないですかねえっ!」
騎士団長バルディラントは怒りを抑えきれず居丈高に魔王を見下ろす。
すっかり意気消沈した魔王エリュセイグドは正座で肩をすくめ、機嫌を窺うように弟を見る。
「いや、その、身に染みるのは、盲点を突くこと、かな?と……」
えへへへ、と魔王エリュセイグドがごまかし笑いをする。
「ほう……ならば我らが、魔王様の近衛騎士として、実力が伴っているかどうかその身で確かめていただきましょうか?」
魔王エリュセイグドの襟首を掴んで教練場へと向かう騎士団長バルディラント。
遠く城の物見塔からそんなやり取りを眺めるウイング。
この三年の間にウイングはレンバート先生に師事して、魔法の才能を伸ばし続けた。
普段は姉のような長い呪文を意味なく唱えて、親和性を隠しているが、すでに五体もの精霊を生み出し使役できるだけの力をつけている。
炎の精霊サアラ、水の精霊アンディ、風の精霊ジーン、地の精霊アース、光の精霊ラッシュと真名をつけてやった精霊たちは、ウイングが何も言わなくともある程度思念を勝手に読み取って魔法を行使してくれる。
逆に、精霊たちに手加減や勝手に魔法を使わないように教える方が難儀したくらいだ。
今も風の精霊ジーンは父と叔父の会話の音を拾って届けてくれているし、水の精霊アンディと光の精霊ラッシュは遠く離れた教練場の光景を霧の幕で目の前に映し出してくれている。
父は現在、総勢六百人の非番、待機組を含めた近衛騎士団全員とひたすら組み手をさせられている。
イターツの実で悶絶させられた者たちも水浴びと最低限の着替えを済ませて復活している。
その瞳は全員復讐の炎に燃えている。
父は魔王の素質を限界まで使って、なんとか生き残るだろうと思ったので、ウイングはそこで見聞をやめた。
そのまま真似をするには父の行動はイタ過ぎる。
色んな意味で。
しかし、あのバカな行動力が必要なのだ。
ウイングは決意して、父と行動を共にすることを決めた。
だが、今はお仕置きされ中なので明日からにしようと力強く頷いた。