先生は吸血鬼なのです!
まだ冷たい春の風が魔王城の木製窓を、カタカタと揺らす。
いつものように花壇に手を入れていた竜魔族のヴィ(ヒュー)リーは(ボッ)こいしょと花壇の脇に腰掛けて、煙管をくわえるとその先端に魔法で火を付ける。
「ヴィ(ヒュー)リーがマナに命じる。
集いて火を生め。
我は風竜の加護受けし憤怒の宝石なるぞ」
火の魔法は少々苦手なので、詠唱も長くなる。
煙管をくわえながらなので、かなりの手抜きだが問題なく魔法は発動する。
煙管からは煙が立ちのぼる。
それを旨そうに吸い込んでから、吐き出した。
吐き出された煙は冷えた風に紛れて城の二階にある吹き抜けの廊下を過ぎていった。
その吹き抜けの廊下の先から声が聞こえる。
「りうわ、とびまいた!」
「ふーむ、発音はいまいちですが、ちゃんと読めているようですな……」
「せんせー、こえわ?」
そう質問する声は三歳になって家庭教師を付けられたらウイングのものだ。
「それは『人間』と読みますな」
青い燕尾服に黒い蝶ネクタイ、モノクル(単眼鏡)をつけた教師が応える。
彼は死魂族のレンバートと名乗った。
レンバート先生は黒髪を後ろに撫でつけた赤い瞳の男性でぱっと見では人間とほぼ変わらない姿をしている。
ただ口元から覗く長い犬歯と青紫色の爪から人間ではないと分かるそうだ。
初めて会った時にウイングが「きゅーけつき?」と前世の記憶から言ったら、レンバート先生は「そうとも言いますな……なかなかに博識なようで……では、少々血を頂いてもよろしいですかな?」とやけに凄みを効かせた笑顔で言われたので、それ以降『吸血鬼』は封印。なるべく前世の記憶に頼らない方針を固めたウイングだった。
「にんげんが、りうのいえには、たからがあるぞ、といいまいた」
ウイングは机に向かったまま朗読を続ける。
それをレンバート先生は、コツコツと靴音を響かせながら聞いている。
ふと、レンバート先生がウイングに尋ねる。
「そういえば、ウイング坊ちゃんは『人間』がどういうものか知っていますかな?」
ウイングはこの世界で一度も人間を見たことがない。
なので、ふるふると首を横に振る。
「『人間』とは最も神に似た姿をしていると言われています。
だから角も牙も鋭い爪も、触手も攻撃器官もない。
神は争う必要がないからです。
逃げる必要もないから耳や足が適した形をしていないし、翼もひれも蹄もない。
しかし、神に似ているのは形だけなのです。
人間は争い、逃げ、様々な物を欲します。
我々と大差ない心をしています。
この世界が十一の層で成り立っているのは教えましたね?」
ウイングは頷く。
天空一層、地上一層、地下九層と物理的に区切られており、天空には天族、地上に人間、地下には魔族が住むという話を聞いた時に随分と驚いたので記憶に新しい。
ちなみに魔王城があるのは地下九層で、空にあるのはすべて疑似魔法装置によるものらしい。
「では、『人間』だけが地上で生きることを神から許されました。
それは何故だと思いますか?」
ウイングは考えた。
だが、分からなかった。
「わからないです……」
するとレンバート先生はにっこり笑う。
「そうです。分からないのです。
最も広大で、最も恵みある地上世界は『人間』が支配しています。
最初はすべてのものが地上で暮らしていました。
しかし、神が『人間』を作ってから『人間』以外の知性あるものはすべて地下で暮らすように言われたのです。
それが地下一層の始まりです。
しかし、地下に押し込められた知性あるものは、あまりに違う環境に不服を申し立てました。
それを聞いて神は天空一層を作りました。
そうして天空一層に移り住んだ知性あるものは天族と呼ばれるようになりました。
しかし、神が用意した天空一層は狭かった。
地上のように空からの恵みはあるものの、大地の恵みは少なかったのです。
そこで、あなたの遠い遠いご先祖様は空の恵みを蓄えた宝珠を持って地下に行こうと思いました。
空の恵みを蓄えた宝珠の半分を持って地下に向かったあなたのご先祖様は、他の天族から追われました。
追っ手から逃れるためにあなたのご先祖様は宝珠の恵みを使って、さらに地下へと向かいました。
その宝珠の恵みこそが『魔法』と呼ばれるものなのです。
その『魔法』が一番上手く使えたからこそ、ウイング坊ちゃんの一族は魔王族と呼ばれるようになりました。
そうして、魔王様は地下へ地下へと向かったのです」
「にげたの?」
ウイングは自分が逃げた一族として生まれたというのがショックだった。
魔王の一族というのは地下世界では偉い一族だと思っていたので、なんだか恥ずかしい気持ちになる。
だがレンバート先生は満足げに口元を緩ませる。
「最初はね。でも、魔王様の目的は途中から変わるのですな。
地下に向かうと、大地の恵みが強まることが分かったのです。
それ故に、魔王様は地下九層まで来られたのですよ。
この九層は地上に比べると空の恵みは随分と少ないですが、そのぶん大地の恵みは地上よりあります。
だからウイング坊ちゃんの一族は他の一族から尊敬されているのですよ。
もっとも、それで偉ぶるようではいけません。
いいですかな。
他の一族たちをとりまとめる大事な役割を持つのが魔王族の務めですからな」
「はい、せんせー」
少し誇らしい気分になったウイングは勢いをつけて、返事をする。
「よろしい。
では、この話はここまで。
空の恵み、魔法について学びましょうか」
おお、ついに魔法が覚えられる!
ウイングは内心で歓喜した。
目をキラキラさせながら次の言葉を待つ。
「魔法は使える者と使えない者がいます。
そして、どの程度使えるかも差があります。
これを『等級』と呼びます。
魔法の元になるのは空の恵みです。
この空の恵みのことを『マナ』と呼びます。
マナは魔法を使える者の呼び掛けに応じて集まり、魔法力を糧に仕事をします。
呼び掛けには『親和性』というものが関係してきます。
簡単に言えば、親和性が高ければ呪文は簡単になりますし、親和性が低ければ呪文は長くなります。
そして、親和性というのは魔法の種類によっても変わってきます。
得意な魔法や不得意な魔法があるのです。
これは使い手によって変わるので、自分で探すしかないですな。
ここまでよろしいですかな?」
ウイングは、こくこくと頷く。
心は、もし自分が魔法を使えなかったらどうしよう、とその心配ばかりしていた。
レンバート先生は壁に飾られた皿を取るとウイングの机に置く。
そこに自分の水差しから水を注ぐ。
「これは水鏡の法と呼ばれますな。
これでウイング坊ちゃんの器の名前と等級が分かりますな」
「うつわのな……まえ?」
「器の名前を知ることでマナに声が届きやすくなります。
例えば、我が輩の場合、血潮の魔法石となります。
器の名前がブラッド、等級がマジックジェムですな。
等級は上から順に宝珠、魔法石、宝石、石、雫石、欠片となります。
オーブとフラグメントは少々特殊で、オーブとは最初の魔王様がお持ちになった、空の恵みを蓄えた物のことで、城の宝物庫に封印されている宝珠を持っている間だけ、そう呼ばれますな。
フラグメントはすべて、器の名前がマナになるのです。
まあ、まずはやってみるのが早いですな」
言って、水面に左手を向ける。
ウイングはふと、光の粒から自分が『月の宝珠』と呼ばれたことを思い出す。
あれがそうだとしたら僕は夢のチートを手に入れた凄いやつなんじゃないか?とワクワクが止まらない。
だが、それが本当にそうなのか断言できないので一抹の不安が残る。
なにしろその宝珠は城の宝物庫にあるそうだし、自分はそれっぽい物を持っていない。
光の粒が何故、そう呼んだのかも分からないのだ。
「マナよ!血潮の魔法石として命じる!
水鏡の法!」
ウイングには、いつもよく見る光の粒が集まっていくのが見える。
「ま……な……?」
この光の粒たちが『マナ』なのだろうか?
そう思いながら見ている。
「……つまれ~」
「……ごときた~」
「……ッドさんだ!」
集まった光の粒は、八方向から整列、レンバート先生の突き出した左手から溢れる光を糧に明滅する。
皿に注がれた水面に波紋が広がる。
光の粒が水面を満たしていく。
そして、水面が光の粒で満ちると波紋が消えた。
それを見るとレンバート先生が満足そうに手を引く。
「さあ、この水面に少しだけ触れてみなさい」
ウイングは言われるままに水面をつつく。
ざわり、ウイングが触れた部分から波紋が広がる、少し遅れて中心部からも波紋が広がる。
その内、あちらこちらから波紋が生まれて、バチャバチャと水面が騒がしくなる。
と、跳ねる水面の時が止まる。
「……ルナティック……オーブ……ッ!!」
水面を見ていたレンバート先生がそこに浮かぶ文字を読む、そして有り得ないという顔でウイングを見る。
「……立ちなさい……早くっ!」
レンバート先生は額に青筋を浮かべて、怒りを抑える声で言う。
ウイングは言われるままに立ち上がる。
「こちらにきなさい!」
何故、レンバート先生が怒っているのか、分からないままウイングは言われたとおりにする。
何かまずいのか?とドキドキする。
レンバート先生はウイングの肩から袖、脇から足元までをボディチェックしていく。
それからウイングの肩を乱暴に掴むと、じっと瞳を覗き込む。
「何故だっ!?」
さすがにただならぬものを感じて、ウイングが顔をひきつらせる。
「わかり……ません……」
ウイングはかなり涙目だ。
レンバート先生が鋭い牙を剥き出しに、眉間に深い皺を寄せながら、尚もウイングを見詰める。
「正直に答えなさい!
でなければ貴方の血を一滴残らず吸い尽くしますッ!」
レンバート先生の赤い瞳には狂気が宿り、今にも噛みつかれそうだ。
ウイングは自分の身体が震えているのが分かる。
「や……めて……ほんとに……ワがんナい……でずっ……」
誰か助けて!とウイングは声に出せない叫びを上げる。
チリ……と小さな音がしたと思うと、空間がいきなり爆ぜる。
「なっ……爆渦炎陣……っ」
「下がれ、下郎が!」
同時に言葉が交差する。
レンバート先生とウイングの隙間に差し挟むように火炎の渦が生まれるとレンバート先生の頭を一瞬で消し飛ばす。
それはそのまま勢いを増し、調度品から壁まで巻き込んで、魔王城の横っ腹に巨大な空洞を作った。
レンバート先生の首から上がきれいさっぱり無くなっていた。
炎が通過した跡はレンバート先生の鎖骨の辺りも含めて、全て炭化している。
ぐらり、と揺れると力をなくして床にレンバート先生の身体が崩れ落ちた。
爆渦炎陣の発生源にウイングの記憶にある姿が映る。
「さ……あら?」
手のひらサイズの赤い衣を纏った擬人化した狐のキャラクター。
焔の精霊である『サアラ』だった。
サアラは申し訳なさそうに顔を歪めると一礼する。
「我が主の危急の時、駆けつけるのが遅れまして、誠に申し訳御座いません……」
「さあら!さあら……っ!」
ウイングはまるで縋るようにサアラを手のひらに包み込むと額をこすりつける。
「ああッ……我が主様、あまりお触りになられますと勝手にお力を吸い上げてしまいますっ……そのような栄誉、賜る訳には参りませぬ……」
サアラはなまめかしく喘ぐとイヤイヤするようにウイングの手のひらから抜け出す。
ウイングはよほど怖かったのだろう。
サアラが離れると膝を落としうずくまって、涙を拭う。
サアラはウイングの力を吸った影響だろうか、ウイングには元から見えているので対して問題ないが、実体化していた。
「うぅ……ヒック……ぐすっ……あいが……とう……さあら……」
サアラは空中で正座の姿勢になると、深々と頭を垂れる。
「とんでも御座いません。
我が主の為ならば、この身朽ちようとも尽くす所存……」
「なるほど、精霊を従えている程の力を見せられては、確かに宝珠と並び称されても、納得がいきますな……」
ウイングが驚愕に顔を上げる。
そこには身体を起こしたレンバート先生がいる。
消し飛んだはずの頭が再生している。
現在進行形で。
額の上の部分にどこかから飛んできた灰が集まって復元していく様が見える。
「おのれ!まだ朽ちずにおったか!」
チリ……と火種が生まれようとした瞬間。
「サアラ、止まりなさい!」
腕を振ろうとした瞬間、サアラの動きがレンバート先生の言葉で止まる。
「真名をみだりに言わないようにと、主に伝えていないのですか?」
「ぐっ……」
レンバート先生が再生した首の具合を確かめるように、腕で頭の位置を確認しながら、サアラを見詰める。
「……まあ、いいでしょう。
それも含めて今後は勉強していきましょう」
そう言って、レンバート先生は何事もなかったように笑う。
ウイングは訳が判らず茫然と見ていた。
「いいですか。
ウイング坊ちゃんの器の名前が他の者に知られると、かなり問題があります。
これはわたしとウイング坊ちゃん、二人だけの秘密にしましょう……」
「えっ……?」
「今は、疑問が多いでしょうが、これはウイング坊ちゃんの命に関わることです。従っていただきますよ」
「は、はい……」
ウイングは状況についていけず、ただ首肯することしかできない。
バタバタと多数の足音が伝わってくる。
「サアラ、消えていなさい」
レンバート先生の言葉でサアラの姿が空間に溶ける。
扉が勢い良く開かれる。
夜魔族のディサドラを筆頭に鬼人族や妖魔族の兵士たちが駆けつけてくる。
「何事ですかっ!」
「おや、ディサドラ殿に皆さんも……これはお恥ずかしい所をお見せ致しましたな。
ウイング坊ちゃんに火魔法の極意をお見せしようと張り切りすぎて、少々制御に失敗してしまいました」
レンバート先生が何事もないかのようにおどけて笑う。
「もう、脅かさないで下さいよ。先生」
兵士たちも一様に、ホッとした表情を見せる。
「申し訳ないですな。
さすがに齢も千年を越えて、朦朧したのかもしれませんな。ハハハッ……」
「そんな、先生に限ってそんな訳ないじゃないですかぁ!」
ディサドラが、ケラケラと笑う。
「申し訳ないですが、ここの片付けをお願いしてもよろしいですかな?
わたしは魔王様にこのことを報告せねばなりませんので……」
「はい、かしこまりました」
ディサドラがそつのない動きで一礼する。
「ウイング坊ちゃん、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。
本日の授業はここまでに致しましょう」
言ってレンバート先生がウイングを立たせて、連れ立って歩く。
渡り廊下を抜けて、階段を上がり、いくつかの角を曲がるとウイングの部屋の前まで来る。
ウイングを部屋へと誘いながら、レンバート先生が呟く。
「今夜、内密にお伺いします。
何故、貴方様の命に関わるのか、ご説明いたしますので……」
ウイングは思わずレンバート先生に振り向く。
レンバート先生の顔は緊張に強張っていた。