実は王子様だったのです!
生まれたばかりのウイングは好奇心旺盛な子供だった。
父の持ってくる玩具は概ね不評だったが、他人には非常に興味を示した。
産婆を務めた夜魔族のディサドラ、料理長で鬼人族のボルディーノ、庭師で竜魔族のヴィ(ヒュー)リー、厩番で巨人族のガウニィ、その他、ありとあらゆる異種族に懐いていた。
そうしている内に、ここが城で、父が王なのだと知った。
生まれて数ヶ月で、ウイングの御披露目会が開かれた。
あまり大きな会ではないというのは、皆の会話から窺い知ることができたが、母の胸に抱かれて城の大広間に出たウイングは驚いた。
数百人規模の客たちが集まっていた。
ウイングはそれを数百人と言えばいいのか、数百体と言えばいいのか分からなかった。
多頭の人、犬、蛇、様々な動物が混じった者、魚人、目玉の化け物、人から少し外れた者、巨人、不定形、昆虫のような形の者、名状しがたき者、まるでファンタジーの見本市だった。
ウイングは前世の知識を総動員して、何がいるのが、必至に分類を試みるが、あれはたぶんケルベロス、あっちはコボルト、あれはスライム……だよな。
いくつか見当をつけた段階で、声が掛かる。
「これは魔王エリュセイグド様、お久しぶりに御座います」
恭しく頭を下げるのは頭に鶏のとさかを付けた象顔で左右二対の腕を持つ者だ。
「おお、七層魔性族のジーガンか!」
父が破顔一笑、ジーガンと呼んだ鶏象と会話を交わす。
鶏象も気になるが、ウイングにとってはそれよりも気になることがある。
魔……王……?
「どうだ、地上の人族どもは?」
「正直、あまり芳しくは御座いませんな……最近では、二層の魔獣族の森にまで人族が出没する始末。
一層の死魂族も奮闘しておるようですが、如何せん中空の徒が力添えしているらしく、太刀打ちできないと嘆いておりました」
「ふん……やはり一度、俺が地上に上がって……」
「いえ、滅相も御座いません。
魔王様が後ろに控えていて下さるからこそ、我らも安心して戦えるのです。
それに魔王様のお手を煩わせては、我らに立つ瀬が御座いません。
何卒、今暫くの御猶予を頂ければ、有り難く存じ上げますゆえ」
「ううむ、しかし、俺は古いしきたりに縛られる必要などないと思うがな……力ある者が弱い者を守らんと戦働きを示すは当然だと考えるが……それに、野蛮で恥知らずで穢らわしいとジーガンは言うが、人族どもの文化はなかなかに見事なものよ。
一度くらいは、人族の世界を見てみたいと思うのだが……」
「とんでも御座いません!
我らは魔王様の為に働くことに至上の喜びを見いだすのです。
我らの働きに、良くやったと御言葉さえ賜れれば、これ以上は御座いません!
それに魔王様は、二言目には人族の文化をお誉めになりますが、このジーガンめには分かっておりますればこそ、こっそりと人世の物を、お届けしているのです。
他の者の前では、くれぐれも今のような発言はお控え下さいますよう……。
でなければ、魔王様万歳を謳って、滅びゆく兵士たちがあまりにあわれで御座います……」
父は嘆息交じりに、分かった、分かったと答えている。
ウイングは愕然とした。
やけに魔物っぽい客が多いなとは思ったのだ。
だが、人間も魔物も共存できるような世界なのかもしれないと簡単に考えていたのだ。
だが現実はそうではなく、魔物は人間と戦争状態で、しかも落ち目の側らしい。
ウイングは自分が魔王の息子として生まれたことに、動揺していた。
勇者になって魔物と戦う想像はできたが、その逆はなかなかに想像できない。
でも、人間がこの世界では悪者という扱いみたいだし……ウイングの混乱は続く。
そうこうしている内にウイングの御披露目は終わってしまった。
母に抱かれたまま、ウイングは会場を後にした。
後は父が適当に相手をするのだろう。
夜も更けて、母がウイングを寝かしつけに掛かる。
だが、ウイングは簡単には寝られない。
混乱しながらも、ウイングは第二の生をどう生きるべきか悩んだ。
しかし、母の手は温かく全ての悩みを押し流すように優しかった。
次第にウイングは微睡みを手に入れ、まずこの世界を知ることから始めようと思った。
母の手が悪に染まっているなどとは到底思えなかったのだ。
深夜、ウイングは目が覚めた。
この世界を知ることから始めようと決めたものの、まだ釈然としないのだ。
それに同じ姿勢で寝ていたからか、背中がむず痒い。
体勢を変えようにも、まだ筋肉が付いていないので身動きができない。
横には母が浅い寝息を立てていた。
これが夜泣きのしどころということなのかと、ウイングは考える。
しかし、前世で十七年程生きていた記憶の断片が、母にあまり迷惑を掛けるものではないと自制を促す。
昔、あんたがちいちゃい時は、夜泣きが酷くてねぇ、お爺さんと順繰りに抱きかかえて、よくあやしたもんだよ……。
懐かしそうに語る前世の祖母の顔がちらつく。
前世でも赤ん坊の頃に随分と迷惑を掛けていたんだな……とウイングは考える。
本来なら、祖母の顔に懐かしさと同時に誇らしさと慈愛に満ちた笑みが宿っていて、『だから、何か辛いことがあった時は、存分に迷惑を掛けていいんだよ』と続いていたはずなのだが、残念ながらその記憶はどこかへ溶けて消えてしまっていた。
なので、ウイングは我慢していた。
「……っているのかな?」
「……いるんじゃない?」
「……んしているのかも?」
どこからか響く、声のような、音のような……。
ウイングはじっと耳をすます。
「……る?」
「……めしよう」
「……おうよ」
ぽつりと光の粒が表れる。
ぽつり、ぽつりと小さな光の粒が表れる。
たくさんの色の光がウイングの前で瞬いて、輪になって踊り出す。
たまに形を変えたり、順番に飛び跳ねてみたりと何だか楽しそうだ。
ウイングは触りたくなってウズウズとして、手を伸ばす。
光の粒は驚いたように一斉に離れるが、ウイングの手がゆっくりと伸ばされたからだろうか、いきなり消えてしまう訳ではないようだ。
「のる?」
「……されないかな?」
「……されるんじゃない?」
今度は最初の響きだけが、ウイングにもはっきりと聞こえた。
「……をりゅ。
……さわーして!」
ウイングは母を起こさないよう、なるべく小さな声で呟いた。つい語尾は興奮して強くなってしまったが、母を起こさずに済んで、ホッとする。
おそるおそる、という風に赤い光を放つ粒がひとつだけ、ウイングの指先に触れる。
熱はない。
ウイングは脅かさないように、指先を固めて、じっと見る。
すると、光の粒は一度、ぶるりと震えると次第に放つ光量を増していく。
まるで蛹から蝶が孵るように、光の粒からそれは生まれた。
赤い僅かばかりの衣を身に纏い、人のような形に揺らめく光。
掌に包めるほどの大きさに成長したそれは、ゆっくりとウイングの指先から離れる。
よく見れば顔は卵を横に乗せたように突起しており首が長く、手や足の先は炎に包まれたか、炎そのもののように三本指……かと思えば五本、六本指になったり、ゆらゆらと定まらない。
ただ、なんとなく女性的な体型をしている。
「……るよね?」
「……りだよ!」
「……っくりした~!
これが『月の宝珠』……」
赤い光の粒だったそれは、次第に流暢に話し始める。
自分の身体を見回してはしゃぐ。
「すごい!すごい!
いきなりエーテル体になっちゃった!
ねえ、分かる?
わたしのこと見えてる?」
「うっ?れーれぅ?」
いきなり話しかけられて、ウイングは困惑する。
エーテルとか言われても、聞いたことはあるものの、それが何かは分からない。
ファンタジーで良く聞く単語だなあ、くらいの認識なのだ。
「ん〜、分かんないならまあいいわ。
もうひとついい?」
「う?」
「あのね……わがままだとは思うんだけど……その、わたしに名前つけてほしいなぁ〜なんて……」
「……いたく〜!」
「……がままだぞ〜!」
赤い光の粒だったものが上目遣いにチラチラと反応を窺いながら、身体をもじもじさせると、途端に他の光が瞬いたり、跳ねたりしながらはやし立てる。
「なあえ?」
「うん……ダメかなぁ……?」
ウイングはどうしようかと考える。
なんだか可愛らしいし、女性っぽいから、女性らしい名前がいいのかな?とか、それとも名は体を表すっていうから、そういうの気にした方がいいんだろうか?とか、気にしても仕方がないことを考える。
見ていると、やはり炎のように揺らめく身体が気になる。
火の精霊の名前ってなんだっけ?と記憶の断片を探る。
サラマンダー?イフリート?
どっちも男っぽいかなあ……と思い、それならいっそ、女性っぽく改変しちゃえ!とばかりにひとつ案が浮かぶ。
「さあら?」
「サ・ア・ラ?」
赤い光の粒だったものが繰り返す。
あんまり気に入ってもらえなかったかと、ウイングの目が泳ぐ。
「サアラ……サアラ!」
カッと赤い光が一際強く発光する。
それから、横向き卵に大きな目がついた顔が、より人間に近づいて、鼻筋や口が表れる。
卵型も少し引っ込んだように見える。
狐のマスコットキャラクターみたいな顔だなあとウイングは思う。
「我が真名は『サアラ』。
ルナティック・オーブより名を賜りし者なり。
これより我が主の命によりスピリット・オブ・フレイム(ほむらの精霊)として我が主ウイング・エリュセイグド・ヴォラウディーグ・サタンロード・ルーシュフエルに永久の忠誠を誓うものとす!」
サアラは高らかにそう宣言すると、ウイングに向けて、臣下の礼をとる。
「真名をありがとう御座います。
なるべくなら、主様の胸にそっとしまっておいて下さいませ……主様以外のモノに真名を呼ばれるなど、考えるだけでゾッとしますので……」
言って、悪戯っぽく笑う。
「おや?ご母堂様がお目覚めになられる様子……本日はこれで失礼致します。
命あらば、いつでもお呼び下さい。
この命、すべては主様のものですゆえ……」
サアラは身体を数多の光の粒子に転じると、他の光の粒たちと共に、溶けるように消えていった。
「ん……ぅうン……」
母が目を覚まして、ウイングを覗き込む。
「う?」
「あら?起きちゃってたのね?」
ウイングは母を目で追う。
母は起き上がると、ウイングを抱き上げて、身体を揺らしながら、ぽんぽんと背中を叩く。
そうして、ウイングはようやく自分の背中の痒みを思い出した。
「ウイングは、ほんとに手が掛からないわね。
もっと夜泣きとかしてもいいのにね。
あなたが辛い時は助けてあげたいんだから、ちゃんと教えるのよ……赤ちゃんなんだから、泣いてくれないと分からないんだからね〜」
母は誰に言うとはなしにそうにこやかに宣言すると、ウイングをあやす作業に戻った。
ウイングはあまりの気持ち良さに、段々と微睡んでいく。
前世の父母や祖父母も同じように考えてくれていたのだろうか?
きっとそうだったのだろうと信じられる気がした。
ウイングは心が軽くなるのを感じながら、眠りに落ちた。