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彼は私の最強手札(He is my joker)  作者: 野良にゃお
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その2)Keep it ………

その2)Keep it・・・・



 静香が緩やかに目を覚ました時、窓の外にある景色は眩しい程のオレンジ色となっていた。


「んっ、ん? えっ、と。シュン、くん?」

 何よりもまず一番最初に俊二の事が浮かび、その次に状況把握と記憶の検索、そしてその読み取りをしてみようと思いつく。


「シュンくん………」

 なので、今こうしてベッドで横になっている自身を最新の情報として、そこから脳内で巻き戻してみる。すると、俊二に抱きついて泣いていた後の記憶が見当たらなかった。と、いう事は詰まるところそのまま眠ってしまい、俊二がこうして寝かせてくれたという事だろう。


「そっか。ありがと、シュンくん」

 どうやらそういう事のようだと合点した静香は、そう呟きながら何を見るでもなく視線を動かした。そして、その先にメモ帳を見つける。それは、ベッドの脇に束のままで乗っかっていた。


「あっ」

 その一番上の用紙に、何やらメモらしき事が書いてある。間違いなく俊二の筆跡だと静香はすぐに確信した。クセのあるその書き方を、懐かしさを感じながら思い出す。忘れるワケがなかった。特に〈な〉という平仮名などは個性的な字体であり、それこそ俊二独特の書き方だったので静香には容易に判った。


『食事は元気の源です! そこで、冷蔵庫の中にハムとチーズのサンドイッチとポテトサラダとオレンジジュースがあります。なので、少しでもイイけどなるべく完食←試みてください。それと、鎮痛剤と胃腸薬をリビングのテーブルに置いておくので、痛みが強かったら食後に服用してね。なるべく早めに、遅くても夕暮れまでには戻ってくるので、部屋でゆっくり心と身体を休めていてください。俊二より』


 と、そのメモ帳には。

 そう書かれてあった。


「シュンくん………」

 と、ぽつり。詰まるところ俊二は今、外出しているか外出しようとしているかのどちらかであり、前者であれば既にもう此処には居ないが後者であれば今まさに出て行くところかもしれないという事だ。それに気づいた静香は、後者ならイイなという思いそのままにガバッと勢いよく跳ね起きようとした。


「あううっ!」

 が、しかし。それによって身体のアチコチから怪我による痛みを思い出させる信号が発せられるに至った。


「ううう、痛いよぉー」

 有り得ないくらいに怖かった記憶と、鎮痛剤という言葉が脳内をよぎる。


「あう、う」

 そろりと手指を動かしてみる。


「痛く、ない」

 次は手だ。


「大丈夫みたい」

 更に腕を。


「うん。平気、かな」

 それならばと今度は。


 慎重に上体を起こしてみる。


「っ! く、あうう」

 慎重に上体を起こしてみたのだけれど、つい先程感じた痛みと同じくらいの痛みがびりりと走った。


 しかしながら、

 大した事はないような気も。



 ならば。と、そろり。


 もう一つ、そろり。


 ゆっくり、ゆっくり。


 足をベッドから下ろす。



 そしてシーツを捲り、

 ゆっくり立ち上がってみる。


「んしょ………」

 少しだけ歩いてみる。


「ゆっくりなら、問題なさそうね」

 身体の痛みのチェックをひととおり終えた静香は、着ているセーターの裾を両手で軽く掴んできゅっと下げると、俊二を捜そうと部屋を出た。


 かちゃ。


「ひゃっ」

 部屋を出た途端、露出している部位に肌寒さを感じる。俊二のセーター以外は何も身に着けていないからというのもあるが、今まで居た部屋は俊二が暖房で温めておいてくれていたからという事が大きかった。実のところ俊二は、着替えには他にもジャージの下やTシャツを用意しておいたのだが、当の静香はセーターのみを着用していた。俊二の恋人でいられた頃の気分を味わいたかったからだ。


「シュンくぅーん」

 着衣をセーターのみにした理由を思い出した静香は、俊二の現在が強く気になった。恋人はいるのだろうか? 今ならば、もう年齢の事は気にしなくても良いのだから、だからまた二人で………と。


「でも、うん。やっぱりもう、アタシじゃダメなのかな」

 が、しかし。再び愛してもらえるという自信はなかった。


「シュンくぅん………」

 自身が歩く毎に鳴る、ぱたぱたというスリッパの音。その他には何のざわめきもなく、自身の他には何の気配も感じられない1LDKの室内。そこは、センチメンタルな気持ちにさせるには充分なくらいの懐かしい匂いがした。とある理由で俊二と別れなければならなくなってしまって六年になるのだが、静香はその前の一年程をこの部屋でよく過ごしていた。いいや、暮らしていた。俊二との濃密で大切な過去の色々が、静香の脳内で想い出という記憶となって多大なる存在感を示していた。それは、そのどれもこれもは、その一切合切全ては、時間が解決してくれるくらいの想いなんかではなかった。少なくとも、静香にとっては。目が覚めて、最初に視界に映る人。最初に話しかける人。温かな笑顔をくれる人。そして、目を閉じる最後の最後に視界に映る人。最後に話しかける人。優しい笑顔をくれる人。それが、俊二だった。


「こんなに好きなのに」

 いつも、いつでも、いつまでも、それこそ何度生まれ変わったとしても、幾度生まれ変わろうと、俊二という存在がそうであってほしかったし、それを夢に見ていた。願っていた。祈っていた。望んでいた。それなのに。


「何処にも居ない、かぁ………」

 至る所を捜してみたが、俊二は何処にも居なかった。前者と後者の他にも、今が外出先から帰ってくるあたりという事も有り得ると期待してしまっただけに、静香は判りやすいくらいの落胆の色をその顔に浮かべた。


「早く帰ってこないかなぁー」

 と、本音をぽつり。そして、ため息を一つ。静香の心には、どうしようもないくらいの切なさと心細さが宿っていた。


 ………。


 ………。


「収穫なし、か。下っ端は何も知らないみたいだな」

 一方、俊二はその頃自宅に戻る途中にいた。その最初の方は、情報収集を第一としての散策だったのだが、殺気立った怪しい奴が結構な数で散らばっていたので、それならばとそいつ等を片っ端から捕まえて尋ねてみる事にした。


「ま、そらそうか」

 が、しかし。結果として然したる収穫は得られなかった。とは言うものの、これだけの事をしておけば向こうからも来てくれるだろうという目論見で、それなりの事はしておいた。その帰りである。


「独りだと時間かかるし、やっぱ限界があるもんなぁー」

 さてさて、これからどうしようか。と、俊二はその一点に思考を集中する。


「あ、そうだ」

 と、すぐに思いついた。まだ気配を感じるし危険かもしれないが、もう一つ手を打っておこうと考え、ポッケから携帯電話を取り出す。そして、気配に注意を向けながら、自宅の電話番号をメモリで探した。


 ………。


 ………。


「はうう」

 ベッドの上。テレビの主電源をリモコン操作でOFFにした静香は、所謂ところの体操座りの体勢のまま溜め息を一つ吐いた。


「これからアタシ、どうなっちゃうのかな」

 俊二が居ないという事が判った途端に寂しさが大きくなり、それがピークを迎えてもそのまま居残りを決め込んでいる状況だった静香は、それが主な要因で食欲がわかなかったので部屋へと戻り、自身が今朝起きた事についてどう報道されているのかを知る為に報道ニュースを観ていた。


 が、しかし。


 結果としては何も見つからなかった。リモコンでザッピングしていたその僅か数分後にはバラエティー番組が始まってしまうという時間帯だったので、何一つ収穫なしという状況なのは仕方ないと言えば仕方ない。連行途中で襲われて更には警察の人が殺されているのだから、まさかそんな事件がニュースにならないワケがないし、だからきっとそれを観る前に報道し終えてしまったのだろう………と、まだ事実を知らない静香は思った。そして、考える。外は今、どうなっているのだろう? 襲ってきた人達は何者なのだろう? どうしてあんな事になってしまったのだろう? 私はどうなってしまうのだろう? と。


「どうして………」

 そういった不安が、情報が何一つ見当たらない分だけ余計に静香を動揺させていた。が、しかし、不安はあっても悩んではいなかった。何故かといえばそれは、俊二という存在があるからだ。自分には俊二がいてくれるからという安堵が、確実に安心感を芽生えさせていた。静香には、俊二を疑う気持ちが全くなかった。俊二が何らかの理由で出掛けているというこの状況も、静香は疑心暗鬼には全くならなかった。俊二が必ず助けてくれると思っていた。絶対に見捨てたりしないと思っていた。それは、自分自身に自信があるからというワケでは決してなくて、静香が知る俊二はそういう人であったからだった。疑うという気持ちが全くないという意味で言えば、疑っていないのだから信じるという気持ちさえないとも言えた。静香にとっては俊二を信じるという事はデフォルトなので、完全に依存しているといった方が正解なのかもしれない。静香からしてみれは、俊二がそれを望む望まないに関係なく、俊二が白と言えば白なのだ。別れなくてはならなくなってしまったのだが、たしかにそれはそうなのだが、俊二と別れたいワケでは決してなかったし、俊二を忘れた事すらなかったし、俊二を忘れようだなんて少しも思わなかった。こうして再会できた事によって表に出る場面を得たというだけの事で、俊二への想いは以前からずっと静香を支配していたといっても過言ではなかった。静香にとっての俊二とはそれほどの存在であったし、今もまだそうだし、そうなるにはそうなるに至る理由があり、それは勿論の事………俊二との大切な想い出の中にある。


「シュンくぅーん」

 久しぶりに再会した俊二にその頃の面影を見た静香は、現在の俊二に想いを馳せ、現在の自身を憂う。俊二はあの頃よりも逞しく成長していた。あの頃よりも充分に大人の体躯だった。対して自分の方はと言えば、ただただ年齢を重ねてしまった。今の俊二からしてみれば、自分はもうおばさんかもしれないと静香は思った。約六年という年月が経過してからの再会は、年の差がマイナスに働いているかもしれないと静香は感じた。これ等の事は、静香にとって不安を通り越して恐怖ですらあった。再会を願って止まなかった時間は再会が実現した途端に現在進行形という体を失って過去となり、再会の先にある望みが新たな現在進行形となった。本来であればそれは、一歩前進という喜びを感じながら更なる前進を目指すところなのだけれど、実際にそこにあったのは年の差による現実的な不安。時間の流れは味方でもあり、敵でもあったのだ。それ故に、静香は思う。一歩前進したが故に怯える。そこにあった危惧せざるをえない自分自身に………。




 ぷるるる、

 ぷるるる。




「あうっ?!」突然と言えば突然に、それまでは静寂だった空間が別の世界へと変貌しました。それは、私にとっては唐突と言えば唐突な事でもありました。なので、それに対して私は当然と言えば当然のように、あからさまなくらいにびくんと反応する。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「うう、う」それはさほど大きな音ではなかった筈なのですが、俊くんが傍に居るという安堵を何年かぶりに体感してしまった後の私からしてみれば、独りだとどうしても神経が過敏になってしまうという何よりの証拠なのでしょう。聴覚を必要以上に刺激してくるような甲高い音ではあるものの、壁を隔てた向こう側に位置するリビングで鳴っている電話のベル音が小さく聴こえた。それだけの事なのに。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「うっ………」私は部屋を見回し見渡す。私の記憶では、この部屋には子機がある筈でした。けれど、テーブルにその充電器を見つけるのみ。子機は視界の何処にも見当たりません。きっとたぶん、何処かに置いてそのままなのでしょう。あの頃と変わらない。そういう事は何度もありました。私はしっかりと覚えている。もう何年も前の何気ない事を、ずっと、こうして。何気ない事であっても、大切な想い出の一つなのだから。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「っ?!」けれど私は、その後の何年間かの俊くんを何一つ知らない。だから不意に、ある考えが浮かぶ。それは間違いなく、強く深い身勝手な嫉妬から導かれたもの。今こうして鳴り響いているあの電話の主は、女かもしれないと。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「………」俊くんにはもう他に女がいて、その女がかけてきたのかもしれない。そう意識した途端に、嫉妬という感情のみが激しく膨らむ。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「っ!!」それがまるで強大な意思を持ったかのように四方八方へと暴れだし、私は慌ててベッドから下りる。そして、その嫉妬に駆り立てられながらリビングに向かうと、電話機を無言で見据える。直視する。睨みつける。嫉妬に任せて出てみようかと手を伸ばし、嫉妬のままにただただぎゃーぎゃーまくしたててやろうかと受話器を掴む。


『俊くんは私のモノなのずっと以前からそうなのもう二度とかけてこないで手を出さないで会わないで近寄らないで彼女面しないでよ誰にも渡すもんか私が恋人なのよぉー!』


 って、喚いてやろうかしら。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「シュンくん………」どうやら今の私、今朝この身に起きた恐怖体験よりも嫉妬心の方が大きいみたいです。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「シュンくんは………」けれど、でも。そんな事をしてもしもそれが俊くんに漏れ伝わったりでもすれば、きっとかなり嫌われてしまうだろうそうに決まっているそんなの当たり前だという危惧が私を抑えようと名乗りを上げました。嫉妬心に支配されてはいるものの、臆病な自身が少なからずな躊躇を促す。だから私は逡巡し、そして思案する。どうしようか。ホントに彼女とかだったら、私はたぶん止まらなくなる筈。抑えられなくなってしまう筈。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「アタシ、の」けれどそれは、自滅へのフラグ立てでしかない。それ以外には有り得ない。バッドエンディングだった筈がもしかしたらハッピーエンドに向けてのコンティニュードになっているのかもしれないのに、そちらの方のフラグが偶然だとしても運命だと思い込めるくらいの情熱によって立ち上がったのかもしれないのに、それなのにそのチャンスの芽を摘んでしまうのはあまりにも自殺行為。


 ぷるるる、

 ぷるるる。


「モノ………っ!」それは判っているのに、それでもやっぱり気になる。気になって仕方がない。気になって手が受話器に伸びてしまう。掴んでしまう。


 気になって、仕方がないよ。

 気になる気になる気になる!


 誰、なの?

 誰なのよ!


 誰よ誰からなのよぉ!

 誰なのよぉおおおー!


 ぷるるる、かちゃ。


『ただいま、留守にしております』


「はわっ!」受話器を持ち上げるまで残り刹那というところで、電話のベル音が留守番電話機能に替わった。



『~メッセージを、どうぞ』


 ぴいぃいいいー。



「んく………」私はおもわず息を呑む。



 誰から?

 誰なの?



『シズカさん、起きてる?』

 えっ、俊くん?


『俊二でぇーす』

 はうう、やっぱり俊くんだぁー!



 かちゃっ!



「シュンくんアタシ!」電話の主が俊くんからだと判った途端、私は反射的に………と、言うよりもたぶん。いいえきっと、本能的に。受話器を持ち上げていました。


『あう、っと、あ、シズカさん? 怪我とかどう? 大丈夫? 痛む?』


「ううん、平気だよ。シュンくん今、何処にいるの?」優しい声が耳に届いた途端、身体中がトロけて溺れる。心配してくれてる。俊くんに心配されてる。はうう、嬉しいよぉー。


『えっと、ね。あと、1時間くらいで帰れる感じ。あ、そうだ。あのさ、夕食はハンバーガーとポテトとかでOK? それとも、なんとか弁当みたいなのがイイ?』


「えっ、あ、えっと、えっとね、あっ、シュンくんが食べたいモノでイイ。あっ、と、その、あのさ、アタシが何か作ろっか?」俊くんの大好物は、オムライスとコロッケ。いつだって美味しそうに食べてくれた。俊くん私、覚えてるんだよぉー。


『え、怪我してるんだから休んでなきゃだよ』


「あっ………うん、ありがと。シュンくんは優しいね」また心配してくれた。やっぱりあの頃と全然変わんないね………えへへ。


『え、そ、そうでもないよ………』


「アタシ、待っててもイイの?」あ、照れてるの? ホント、あの頃と変わんない。カワイイなぁー。


『勿論だよ。何も気にしなくてイイから絶対に其処に居て。ね? じゃあ、また後で』


「うん! あ、あのさ、早く帰ってきてね」アナタぁー、なんちゃって。


『承りました。ほんなら、また』


「え、あっ」あっ、俊くん?!



 かちゃ。



 ぷぅーっ、

 ぷぅーっ。



「1時間、かぁ………早く経たないかな」

 と、ぽつり。願いながら、祈りながら、心待ちにしながら、想いに駆られながら、静香は再び部屋へと戻っていった。まるでそれは、愛する夫の帰りを心の底から待ちわびる妻のようであった。


 ………。


 ………。


「お久しぶりです、ヤマナカさん」何やら大小様々な機械の部品が所狭しと並んでいる店の中で、僕はそこの主人であるところの山中広司さんに声をかけた。


「ん、あ、オマエ! コノヤロー、いつ帰ってきたんだよ?」

 話しかけてきたのが僕だと判ったその途端、偏屈そうな白髪の顔が懐かしそう綻んだ。


「一週間前です」そう言って、ぺこり。僕は山中さんに向けて頭を下げる。それにしても山中さん、元気そうで何より。そう思ったら、表情が緩んできた。


「若いのに有名になりやがって」

 僕のもう一つの顔を知っている山中さんは、そう言って再び顔を綻ばせた。


「オレなんかまだまだですよぉー」山中さんに褒められるとなんだか照れくさいのだけれど、少なからず誇りにも思う自分がいるのはたしかで、だからなのだろう緩みが強くなってしまう。


「で、何が知りたいんだ?」

 勝手知ったるとばかりに、山中さんは早速本題を促す。世間話に花を咲かせるのが此処へ来た理由ではないんだろ? と、いった表情を見せながら。


「今朝の殺人事件。って言うか、たぶん、抗争? に、ついてです」僕は素直に本題を告げた。自然と表情が固くなったのだけれど、それはそうだ静香さんの事なのだから。


「やっぱり、な。じゃあ、行方不明の女性ってのは………」

 山中さんは覚えていたらしい。


「実は今、ウチで匿ってます」信頼しているから正直に告げた。


「おおっ、ヨリを戻したのか? それは良かったじゃねぇ~かよ!」

 声が弾んでいる。嬉しそうだ。


「いえ、あの、それはまだ」そう言って、僕は困惑する。出来る事ならそうなりたいのだけれど。


「なんだよ、ったく。相変わらずじれったいヤツだなぁー。ま、イイや。あれな、オマエもよく知ってる影の手が絡んでるらしいぞ」

 山中さんは話しを戻して更に進めた。


「やっぱりかぁー」表情が曇ったのが自分でも判った。心の機微をダイレクトに出してしまった事はこの状況であっても反省すべき点なのかもしれないのだけれど、兎にも角にもなるほどこれは面倒な事になりそうだ………と、感じずにはいられない情報だった。


「たぶん、お嬢さんは何かを見ちまったか、それとも知っちまったか、どっちにしても偶然の不幸だな。オマエ、本人から何か訊いてないのかよ」

 考察を口に出した後、山中さんは疑問を口に出した。そう思うのは当然と言えば当然だ。


「それが、実際のところ何も知らないっぽいんですよねぇー。シズカさん、本物の警察に連行されたと思ってるみたいですし。でも、何かヒントとかあるかもなんで、落ち着いてからまたそれとなく訊いてみます。じゃあ、ヤマナカさん、近い内に一杯奢りますね」対して僕はそう説明し、そしてにこりと微笑んだ。


「そっか。って、ヒントだと? おいおいオマエまさか、って………そんなこったろぉーなとは思ってたよ」

 なんだか心配そうだ。


「すいません」ありがとうございます、山中さん。


「ったく。ほら、持ってけ。あんま無茶すんなよ!」

 流石に長いお付き合いといった感じ。山中さんは察しがついていたらしく、僕が来た一番の目的とビンゴなブツを渡してくれる。


「はぁーい」と、緊張感の欠片もないような声色で答えてはみたものの。心の中で、ゴメンなさいと詫びた。静香さんを守らなければならないので、無茶するのは最早決定事項だからだ。


「いつもながら軽い返事だなぁー、おい。マジで無茶すんなよ。あっ、そうだ。念の為にコレも持ってけよ。いくらオマエでも多勢に無勢じゃ難儀だろ」

 本心から心配しているのだろう山中さんは、もう一度そう言ってくれた。そして、とあるブツを三つ投げてよこす。


「善処しますよん。ありがとうございます。ではでは、頑張りまぁーす」それ等を、ぱしっ。と、受け取る事きっかり三回。そして、軽い調子とは裏腹に覚悟を決める。うん………やっぱり、平和で平凡で平穏な日常ってヤツは昨日で終わったようだ。


 静香さんを苦しめるヤツ等は、

 一人も残さず後悔させてやる。


 ………。


 ………。


「そう言えばシュンくん、こういうのとか隠さない人なのよねぇー」眼前にある現在を見て脳内にある記憶を思い出した私は、くすり。そう呟きながら微笑んでもいました。


「アタシがいるのにこんなの買っちゃうなんて信じらんない! って、よくヤキモチ焼いたりしてたっけ」けれど、不潔だとか思ってはいませんよ。そこで繰り広げられているであろうあんな事やこんな事になっている女性を、俊くんが脳内で私に置き換えて妄想してくれているのであれば、それは私にとってはギリギリで許容できる範囲の事なので、それならば許してあげなくもないですから。けれど、これが私以外の誰か、例えば出演しているこの女優さんで発情して、私以外の人を思いながらだったとしたら、そんなのは絶対にイヤです。今ここにあるDVDであろうと本であろうとそれは私ではないのだから、私からしてみれば浮気と一緒だもん。しかも、同じ女優さんの作品が並んでいたりするから、もしかしなくてもやっぱりと余計に嫉妬してしまう。


 許容範囲内とか言いながら。

 結局のところは、嫉妬する。


 あうう。やっぱり私って、

 独占欲が強いよね………。


「そうなんだろうなぁー、きっと。あ、そう言えば」あの頃の俊くんって、まだ未成年だよ。私、教師のクセに今頃になってそんな重大な、あっ、そっか。私、教師と生徒じゃなくて完全に恋人だとしか………ホント、教師失格だ。けれど、本気で惚れちゃったから。


 それなのにこんな、こんな、

 私以外の女なんて全くもぉー!


「あーるじゅうはち、だぞぉー!」怒りに任せて捨ててやろうかとその内の一つを手に取ってみたのだけれど、現在はもう立派な成人男性だという時間の流れを思い出したので、パッケージを暫し無言で眺めてみた。ボンでキュッでボンな全裸の女性が、とってもセクシーなポーズで私を見つめている。


「やっぱり今でも、大きい人が好みなのかな」完敗にして撃沈な多大なコンプレックスを、ぽつり。おもわず呟きながらも、気になってしまって裏返してみる。


「わわわっ、こっ、この女優さん凄い事になってるよぉー」そこには、収録されている内容なのであろう映像のワンシーンを切り取った画像が何枚か所狭しと紹介されていて、そのどれもこれもがとても口に出しては説明できない猥褻なシーンばかり。流石に中身までは知らないのだけれど、以前にここで発見したモノよりも各段に過激な気がする。


「ホントに………気持ちイイのかな」素朴な疑問です。脳内でなんとなく妄想してみると、徐々にパッケージのシーンが俊くんと自分にリンクしていく。残念ながらまだ未体感なので想像するしかないのだけれど、けれどそれでも思い描く事くらいは簡単に、そう。簡単に。


「気持ち………イイのかも」俊くんがシテくれるのなら、もうそれはどんな事だって。


 シュンくぅん………。


「ん、く………」スイッチが入ってしまいました。どうしようもなく、パッケージにある全てを俊くんと私に置き換えてしまう。未だ俊くんさえも知らない身であるが故に、そして俊くん以外なんて考えたくもないが故に、淫らな自分自身によって幾度も刻まれてきた感覚が、鮮明なまま蘇ってくる。


「………」安心感が芽生えると、基本欲求が主張を始めます。勿論の事それは、睡眠欲と食欲と性欲です。睡眠欲はもう満たされました。食欲は後で俊くんと一緒に食べるのだから、今ここで主張する筈がありません。


 ならば、そうならば。

 残る欲望は一つです。


 俊くんを忘れられない。

 忘れられるワケがない。


 だって私は、今になってもまだ。

 忘れるつもりなんてないのだし。


「………」たぶん私は、表情がスーッと変わっていった筈。スイッチが入った瞬間から既にもう、抑える気なんて少しも見当たらなかったのだから。一人暮らしの生活が長いというのも理由の一つなのかな。外出時以外なら抑える必要なんてそもそもなかったし………なんて、今もまだ教師失格のままだね。言い訳にもなりはしない。けれど、理由付けにはなる。事が済んだ後に少なからず込み上げてくる、あの自己嫌悪と向き合うまでは………。


 シュンくぅーん。


「………」俊くんとの思い出が詰まったこの部屋で、俊くんとの思い出だらけのこの部屋で、私はこの指を、自身のこの指を、俊くんの化身とする。


 いつものように。

 あの頃のように。


 ………。


 ………。


 M's(←森田さんの)バーガーという大看板が燦然と輝く大人気ファストフード店でチーズバーガーとポテトのセットを二つテイクアウトした後、それを右手にたたたたと、静香さんが待つ部屋へと急ぎ足で向かっていた道すがら。


「突然で唐突ですけど、こんばんわ。同じく突然で唐突なんですけどアナタ、もしかしなくても闇夜の羊飼い君その人だよね?」

 と、見知らぬ筈の女の人に声をかけられた。突然で唐突っぽく。けれど、もの凄いフレンドリーに。


「はぁ、そうですけど」黒髪のショートに青色のグラスのサングラスを乗せたその顔には、キリリとした一重の目、ツンと立った鼻、小さめの口がバランス良く配置されており、上は真紅のレザージャケット、下はタイトな黒のミニスカートに黒のストッキング、黒のロングブーツという装いの………たぶん、アラサーあたりかな。勿論の事、それを眼前の本人に訊くつもりはない。だってさ、ほら。確かめようモノならきっと、たぶん、いいや、絶対………ま、それは兎も角として。大人の女性の艶っぽい色気? と、いった感じの雰囲気が存分に漂っている。所謂ところの、モデル系スレンダーボディーな女性、括弧して推定でDカップ括弧閉じる、そんな感じだろうか。


「でしょ? でしょでしょ! わぁーいわぁーい、やっと見つけたぞぉー!」

 が、しかし。大人の雰囲気が台無し。スパッと前言撤回しちゃいましょう。まさかのキャラが登場した。


「わお………」天は二物を与えずという教訓と、外見で判断してはいけませんという道徳。それらを脳と心にしっかりと染み込ませつつ、こう思ってしまう今日この頃です。


 激しく残念な人だ、と。


「ねぇ、ねぇ、羊飼いくぅーん」

 それは兎も角として。この場面で不覚にも逡巡してしまいました。


「ん? え、ねぇ、どうして固まってるの?」

 きっと、僕を当人だと承知している上でわざわざ二つ名で声をかけてきたのだろう。


「うおぉおおおーい! って、あのさ、えっ、あれ? えっと、だから、羊飼い君ってばぁあああー!」

 本来であれば、それに対して身構えるか逃げるかの二択なのだけれど。


「アナタは今、絶世の~と絶賛されるべき筈の美人のお姉さんに、こんなにもフレンドリーに話しかけられちゃってたりしてるんですおぉおおおー!」

 あ、フレンドリーさは自覚していましたか。でもたしかに、敵意や殺意といったオーラは微塵もない。


「あらやだ、もしかして。めちゃめちゃ綺麗なお姉さんに話しかけられちゃったから、緊張してる?」

 しかも、隙だらけのようにも見える。


「え、え、まさかホ、ホ、ホントにそうなの?」

 敢えてそう振る舞って近づく事によって油断を誘う、スネーキーなタイプには見えない。


「そんな、いやん。嬉しいよぉー!」

 故に、身構えるを選んだものの警戒するまでには至らなかった。


「アタシって、やっぱり………うん。そんなに綺麗?」


 だから、


「惚れちゃったの、かな?」


 つまり、


「ねぇ、ねぇ! そうなの? ねぇ、そうなんでしょ? それってさ、一目会ったその日から系なのかな? あ、でしょ? なんか、アタシの方が意識しちゃいそう!」


 その、ですねぇー。


「ヤダなもぉ~、あはぁ~ん! こんな気持ち初めてかもだよぉー! なんか、なんか、高まるぅー! ど、どうしたらイイのかしらん。はうう………ぽっ」


 って、ダメだ。これは限界だよ。

 これ以上はもうスルー出来ない。


「あのぉー。で、どういった類いの逆ナンパでしょうか?」暫しの逡巡の最中に不意に感じ始めたと思いきや急激に多大に膨らみやがったストレスを知らん顔しきれなくなったので、それならそれで吐き出しちゃおうかという考えに変更するに至り、そう返してスカしてみる事にした。


「えっ、逆ナン? ってアタシ、お遊びなんかじゃないわよぉー! アタシ、そんな簡単に抱かれてなんかあげないんだからねっ!」

 が、しかし。敢えなく失敗。この人、病気ですか?


「中に出すならハンコ押せ!」

 翻って増大。更に言うなら家なきアラサーですか? てか、古いよ。


「いつだって、アタシは、ほ、ん、き、なのよん。きゃは♪」

 きゃは、ってアンタ………。


「そうよアタシはいつだって恋のど」

 ダメだコノ人。


「待て!」反撃開始。


「れっ、あ、わんわん!」

 なるほど。そうきますかぁー。


「もしかしなくても、うん。絶対ふざけてますよね?」ふぅー。やっと言葉を声にして返せたよ。


「あ、あ、むむむむぅーっ! それって酷ぉーい! じゃあ、じゃあ、試しに口説いて抱いてみなさいよぉー! あ、そうだ! なんなら凌辱でもイイから弄んでみなさいよ!」

 が、しかし。何故だかぷんすかぷんな残念すぎる彼女は、ぷんすかぷんなままとんでもない事を言い出した。


「いやその」圧されている。完全に。


「アナタが遊びのつもりでも、地獄の底までついてって離れてあげないんだからねっ!」

 おいおい。


「蠍座レディーかよ!」と、一応はツッコミを挟んでみる。


「責任とってくれるまでつきまとってしがみついてまとわりついてやるんだからねっ!」

 よくしゃべる人だな。


「えっ、と」スルーされたのかそれとも気づかなかっただけなのか、どちらにせよ眼前の彼女は尚もしぶとくレディーof蠍座を続ける。責任取ったらその後は近寄りませんって事なのか訊いてみたろか。


「何よ、お気の済むまで笑えばイイじゃないのさぁー!」

 何か、疲れてきました。


「笑えねぇーよ!」なので、強く出てみる。


「えっ、笑えない? 笑わない、じゃなくて笑えない、ですと?」

 どうしよう………マジでどうしよう。


「うんそう笑えない。だってさ、それって結局は責任とったらとったでその後もつきまとってしがみついてまとわりつく的なパターンなんでしょ?」思案の結果、僕は違う角度のツッコミを入れてみた。


「ん? えっとぉー。うん、そうね。そういう事になると思う」

 お、幾らか効果あり?


「でしょ?」彼女からちらり、素のような雰囲気が垣間見えた。


「でも、でも、さ。アタシってさ、ほら。一途じゃないですかぁ~」

 知らんわ。


「初対面だから知りませんよ」なので、冷たくあしらってみる。


「ちえっ、いけずぅー! 闇夜の羊飼いくんはドがつくSなんだね。あ、でも、こういうのもアタシ、なんかこう、うん。恥ずかしいけど全然イヤじゃないかもですぅー!」

 ちえっ。って言うし。


「めげないなコノ人」あまりと言うか全く効果なかったらしく、彼女はすぐに戻ってしまいましたとさ。


「新発見ですぅー!」

 こっちもです。


「あのぉー、どこまでが本気なのか判んないんですけど」かなり圧されている。負けるかもしれないという気持ちが膨らむ。


「アタシはいつでもいつだっていついつまでも全力投球です! 例え、縛られたり叩かれたり蹴られたり踏みつけられたり吊されたり垂らされたりかけられて罵られたって、そこに愛があるのなら大事なトコは濡れちゃうけど頬は濡れないのよぉー!」

 わお、かなり面倒くさい。


「おいコラ蠍座女さん」少しずつ少しずつ具体的に表現していくのはもしかして、いいやもしかしなくても、実のところ冷静に何かしらの計算をしているという事なのだろうか? と、訝しく思いながらも強気で押してみる。


 すると、


「がおぉおおおー!」

「吠えるな!」


「がるるぅー!」

「唸るな!」


「愛が欲しいよぉー、ぐすん」

「人格が破綻してるんすか?」


「アナタのせいよ!」

「何故だ!」


「アナタが身も心もボロボロに」

「そんな覚えはありませんよ!」


「これから散々弄ぶつもりのクセに!」

「そんな事はしませんよ!」


「刺激のない恋愛つまんなぁーい!」

「えっ、と」


 コノ人、手強いかも。


「あのさ。急いでるんで帰ってもイイですか? それに、面倒だし」暫しの攻防の後、もう正直に告げてみた。このまま彼女のペースに呑まれていたら、有り得ないくらいに長くなりそうだし。


「乙女に向かって面倒って言うなぁー! 女は須く面倒な生き物なの! いつまでも都合の良いままの女なんてこの世にはいないのよ! だから面倒っていうワードは禁句なの禁句!」

 どこが乙な女だよ。


「はあ………」どうやらコノ人、一つ言うと十くらい返してくるタイプのようです。


「え、ん? あ、あぁーっ! 今、今、たった今、乙女ってトコをおもいっきり拒絶しようとしたでしょ! 絶対したよね! したに決まってる!」

 はい。どうやら正解です。


「すいませんでした許してくださいそれでは用事があるのでこの辺で失礼しますご機嫌ようさようなら永遠に」正直に言うと、いい加減もう勘弁だった。発した言葉とは裏腹に感情がこもっていなかったのが何よりの証拠。


「面倒だって思うのもダメだけど態度に出すのはもっとダメぇー!」

 なるほど。


「根が正直なんですよ」そこを突いてきましたか。


「あっ! これってもしかして、もう始まってる、とか。なの?」


「えっ? 何の事」を、言ってるの?


「それならそれでアタシ、心の準備をしなくちゃだね」


「だから何の」

 事を、言ってるの?


「これって、ほら。つまり、その、アレなんでしょ? ほら、そ、その、つまり、言葉責めプレイってヤツ」


「違うっつぅーの!」なんなんだコノ人は。


「そうと判ったらなんだかアタシ、はうう。もういやん! そんなに見つめちゃダメなんだからね、ぽっ」


「………」恥ずかしそうに呟いて俯き更には、もぞもぞし始めた彼女を、僕は唖然としながら眺める。次にどういう展開が待っているのか見当もつかない。


「それで、次はどうするつもり?」


「ん?」いいや、恥ずかしそうにではなく、嬉しそうに。かもしれない。次も何もまだ何一つしてないし、する気もないんですけど。


「だってだって、言葉責めだけじゃたぶんまだ入んないよ?」


「えっ」と、それはつまり………。


「それともまさか、強引に入れちゃうつもりなのかな?」


「おいコラ変態さんちょっと待てマジで」やっぱりか。変態さんはNGというワケではないんだけどさ、でもなんかコノ人は苦手かもしれない。


「アタシを辱めてどうするつもり? 羊飼い改め、羊の皮を被った狼さん」


「どうもしませんよ!」改名されちゃったよ。苦手かもじゃなくて、完全に苦手ですコノ人。


「って、言うか。ケダモノさん?」

「する前提で進めないでください」


「ウソツキ! もうとっくにシテるじゃないのさ」


「してねぇーよ!」おもわず、強く否定してしまった。


「こうやってアタシは、淫らな女へと調教されちゃうのね………はうう」


「だから、そうやってどんどん妄想するのはヤメてもらえませんか?」マジでお願いしたい気分だったので、大真面目に告げてみた。


「アナタなしでは生きてゆけない、みたいな女にされてしまうのね、どうしましょう!」


「しませんから絶対!」が、しかし。まるで効果なし。


「でも、アタシ………イイよ。ぽっ」


「受け入れちゃうのかよ!」それどころか、恍惚の表情で僕をチラ見してくる始末。


「こんな気持ち、初めて………ちらっ」


「いや、あの」身の危険を感じてきた僕は、こんな事なら逃げるを選ぶべきだったと真剣に後悔した。


「アタシって、ドM属性だったのね。開発されちゃったん、うふ」


「してません! 気のせいです!」うわ、今度は、妖艶な~といった感じの表情になってマジマジと見つめ直してきたんですけどぉー! マジならかなり怖いよぉー。


「アタシのご主人さまぁー、うるうる」

「えっ、え、いや、その、ええっ!!」


 クネクネしてるよ!

 見つめ続けてるよ!


 んで、うわっ。

 なんか近寄ってきたよぉー!


「これでアタシはもう、ア、ナ、タ、の、モ、ノ、よ。もっと好きにしてイイよぉー」


「ゴメンなさい。もうこのくらいで勘弁してください。マジで急いでるんですよ」結局のところ、遊ばれてるのは蠍座の女ではなく僕の方なので、白旗を掲げる事にした。


「マジかよぉー、ちぇっ。ホントに楽しかったのになぁー。でも、うん。そうね。たしかに急いだ方がイイかもしれないし」

 また、ちえっ。って、言ったよコノ人。



 って、ん?



「それ、どういう意味ですか?」名残惜しそうなのが非常に引っかかったのだけれど、どうやらシリアスになってくれたようなのでとりあえずはホッとした。が、しかし。その言い回しに妙な意味深さを感じたので、僕はすぐさま訊いてみた。なんだか凄くイヤな予感がする。


「どういう意味って、そんなの決まってるじゃないの。アナタの大切な人が危ないって事よ。もしかしなくても、ね」


「えっ」真剣な表情と口調で、彼女はそう言った。言いきった。


 アナタの大切な人が、

 危ない………だと?


「大切な人、いるんでしょ?」

「まさかそれ!」


 静香さんが?


「そう。だからアタシ、こうして」


「おいコラそれならこうやってふざけてる場合じゃねぇーだろが!」当然ながら余裕消失。


「え、あ、ちょっ、ちょ、ねぇ、ちょっと待ってよぉー!」


「待てるかよ!」まだ呼びかけてくる彼女に構う事なく、僕は静香さんが待つ部屋へ向けて猛然と駆け出した。静香さん………くそっ! 完全に油断していたよ。失態だ。僕を尾行させておびき寄せて乗り込もうと考えていたのに、まさか静香さんの所在が既にもう露見していたなんて。そんな事、少しも考えていなかった。例えそれが有り得ない事だとしても、それは有り得ると思うに至る考えを思いつかなかっただけなのかもしれず、それ故に可能性はゼロではないのだから、きちんと考えておかなければならなかったのに、それなのにこの僕ときたら、くそっ! 何か抜けていたのか? 静香さんが部屋に来た時に、もしも追っ手がその姿を見ていたとしたら、その部屋の住人が僕だなんて事はまだ知らないのだからきっと一般人だと思う筈で、ならば警戒する必要はないとばかりにさっさと踏み込んできていた筈。が、しかし。そうならなかった。と、いう事は。まだ発見されていなかったからな筈だよな。だとすれば、僕が部屋を出た時に俺を見て、僕だと知り、僕が居ると面倒だから僕が離れた今のうちにという事なのか?


 いいや、それは違う。


 それだと、静香さんがそこに居るという事を知った理由が説明できない。静香さんがあの部屋に居るという事実を知るチャンスは、静香さんが訪れたあの時だけ。あの時は僕が居るという事は知らない筈なのに、誰も踏み込んでは来なかった。そして、僕を知る誰かが僕だと知るチャンスは、今日こうして部屋を出たこの時だけ。けれどこの場合だと、静香さんが居るという事を知らない筈だ。あの部屋に静香さんが居るという事と、僕が居るという事。この二つの事実を把握していなければ、この段階であの部屋に踏み込むなんて有り得ない。


 有り得ない筈なのに。

 それなのにどうして。


 どうして? いいや。

 それはもうイイんだ。


 それより何より静香さんだ。

 静香さんが危ないんだよっ! 


 余計な時間を使ってしまった。何もかも、余裕ぶっこいていた僕のせいだ。影の手が絡んでいると教えてもらっておきながら、それでも心のどこかでまだ大丈夫だろうとタカを括っていた。もうとっくの前に始まっていたのに。僕って奴は使えない手札だよ全く! ゴメンね、静香さん。ゴメンね、ホントにゴメン。ゴメンなさい。今すぐ行くから。だからどうか、だからどうにか頼む、どうにか間に合ってくれぇえええー!!


 ………。


 ………。



             その2)おわり

             その3につづく

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