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彼は私の最強手札(He is my joker)  作者: 野良にゃお
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その1)Take a mark

その1)Take a mark



 麺を啜るずるずるという音しかしないと言っても過言ではない世界に、幾許かの彩りを添えてみようと感じたからなのかは兎も角として。リビングにある二人掛け用のソファーに腰を下ろしていた俊二は、同じくリビングにあるテーブルにカップ麺をことりと立たせる事で右手をフリーにさせると、これまた同じくリビングにあるテレビの電源をONへと切り替えた。そして、再び右手をカップ麺の容器に戻し、ほぼ聴覚のみをテレビに注ぎながら空腹を満たそうとし始める。


 望月俊二 もちづきしゅんじ


 元・バウンティーハンターで、

 現・探偵稼業をしている男だ。


 時折嬉しそうな表情を浮かべているのは嬉しかったからなのだろうし、美味しいと思いながら食べているからなのだろうけれど、それは何故かと言えば何の事はない。この街に戻ってから、久しぶりに大好きなそれを食べていたからであった。この街に戻る以前の向こうには、そのメーカーのその味が売っていなかったのだ。何はともあれ、そんなこんなでその美味しさに大満足しながら俊二が嗜好の世界を満喫していると、ぷつり。テレビから聞こえていた音の数々が不自然に途切れ、そのすぐ後に何やら重々しいトーンの声が耳に届く。


《えー、番組の途中ですが、ここで緊急ニュース速報をお届けします。》


「ん?」

 その不自然さに反射的な違和感を誘発された俊二は、耳だけでなく目でも情報を得ようと顔を上げ、画面を注視した。


《今朝九時頃、東京都北区の国道十二号線沿いにて、警察官の恰好をした三名が何者かの手によって殺害されるという事件が発生しました。目撃情報によりますと、その三名は北区在住の坂木静香さんを連行を装って拉致しようとしたらしく、その際に使用された車の方も警察車両に偽装されたものであるとの事です。仲間割れによるものなのか、或いは複数のグループによる争いなのか、詳しいところは現在のところまだ判明しておりませんが、警察官を装った三名を殺害した何者かにも拉致されてしまった可能性が強いと思われる坂木静香さんは、現在もまだ行方不明でその消息を掴めておりません。警視庁では、この坂木静香さんが何らかの事情を知っているのではないか。若しくは、何らかの事件に巻き込まれたのではないか。と、現在捜索中との事です。この事件に関わる人物が、近くに潜伏している可能性も考えられますので、近隣の住人の皆様は充分ご注意ください。繰り返します。番組の途中ですが、臨時ニュースです。》


「………っ?!」

 そのニュースを何気なく聞いていた俊二は、ある地点から完全にフリーズしてしまったようだった。実のところ、そのニュースで取り上げられていた事件そのものについては、つい最近までバウンティーハンターであった俊二にとっては慣れている事。なので、それこそ過去の日常風景のようなモノだと聞き流してしまえる程度の事としてスルーしていた。俊二が今こうして住んで暮らしている此処がその東京都北区であっても、所謂ところの近隣の住人の皆様の内の一名であっても、そのような事はそんな事として全く気にしてはいなかった。では、そんな俊二がどうして完全に固まるに致ってしまったのか………と、いうと。それは、その事件に登場したキャストその人によってであった。その名前を耳にした事によって俊二は暫くの間、呆然となってしまったのだ。最初は、聞き間違いかと耳を疑った。若しくは、ただの同姓同名なだけなのではないのかと俊二は思った。と、言うよりも。そうであってほしいと思っていた。の、だけれど。画面に映し出された顔写真は、完全に見覚えのある女性だった。そして、決して忘れるワケがない人だった。だから、決して見間違える筈のない人だった。


「そんな………」

 と、ぽつり。フリーズから暫し後。漸くという感じで、驚きのあまりおもわず出てしまうに至った声を零した。


 拉致された、だと?

 巻き込まれている?

 殺害が絡む事件に?


 どうして?!


 その人には似つかわしくない言葉の羅列。俊二は頭の中を整理しかねてフリーズするに至ったのだけれど、それでも少なくともその身は命の危険に晒されている可能性がかなり高いという推測を描き出してはいた。導くに至ってはいた。結局のところ、それによって更にフリーズする事態に陥ってはいたものの。


「シズカさんが?」

 俊二が知る限りにおいて。では、あるのだけれど。その人であるところの坂木静香は、特殊な非日常の中に身を置いた生活をしている女性ではなかった。俊二が知っている何年か前の過去で言えば、静香は中学校の教師である。だから。と、いう程には何の根拠もなかったのだけれど、それでも。だからたぶん現在も、何処かでその職についている筈だと思っている。それなのに、だ。その静香があろう事か殺人事件に関与し………いいや。ニュアンス的に言えば関わってしまったと言うべき事態に陥っている。その身は大丈夫なのだろうか。怖い思いをしているのではないだろうか。もしかしたら今、まさに今、更なる大変な事態に陥ってしまっているかもしれない。俊二の脳が、様々で色々な空想を造り出しては描き出す。


「そ、そんな!」

 心配と不安が一緒くたに混ざり合う事であらたに生み出された濁った不快感を抱くに至った俊二が、決して小さくはない声を零す。


 混乱。

 愕然。

 焦燥。

 動揺。


 そのどれもこれも全てが等しく、

 強い自己主張を繰り返している。


 情報が足りなさ過ぎて、

 どうする事も出来ない。


 故に、如実にイライラが加味される。

 トゲトゲとモヤモヤを内包した暗闇。


 それ等に激しく覆われていく。

 それ等が激しくまとわりつく。


 どうすればイイ?

 何をすればイイ?

 僕に何が出来る?


「っ!!」

 気がついた時には、既に立ち上がっていたという状態だった。それは詰まるところ意識していなかったという事なので定かではないのだろうけれど、俊二はうろうろとしていた。そわそわもしていたし、ざわざわともなっていた。まだ食べかけであったカップ麺の容器は倒れており、中身がダラリと零れている。けれど、俊二からしてみればそんな事なんて今はどうでもイイ。満喫している場合ではないし、満足している場合でもないのだから。やはり俊二は、静香が絡んでいるとどうしようもなく冷静ではいられないようだった。そういう意味で言えば、俊二はあの頃と何一つ変わっていない。感情が理性を完全に凌駕している。


 外に出て彷徨いてみようか。

 動いてみるべきではないか。


 と、俊二は思った。不幸中の幸いだなんて言葉で現状を表現する気はなかったのだけれど、実際のところ好都合にも事件はここら辺りで起きている。殺気立った何者かがここら辺りを彷徨いてくれていれば、捕まえて事情を聞き出せるかもしれない。そして、それによって運良く静香を発見すれば、更には助ける事が出来るかもしれない。と、思考の先に希望的観測が辛くも繋がったからだ。


 それにしても………。


 すっかりのびてふやけている食べかけのカップ麺の残骸に視線を向けながら、けれどカップ麺に意識を向けているワケではなく、ただただその姿勢で固まったまま、俊二はこれから自身がとるべき行動を考え続け、真剣に巡らせ続けていった。



 すると。



 ぴんぽんぴんぽんぴんぽぉーん。



「ん、あれは、えっ?」

 それは奇跡なのか、それとも偶然なのか、或いは運命の悪戯というヤツか、兎にも角にも誰かしらの来訪を告げるチャイムが鳴った。独特の間隔を開けたチャイムが三回。すぐさま気づいてしまえるくらいに日常的で、すぐさま思い出せるくらいに普遍的だった、懐かしい合図と同じリズム。俊二は躍り出るかのように駆け出した。


 そうであってほしいと願いながら。

 そんなワケがないとも思いながら。


 俊二は落ち着きなく玄関へと急ぎ、

 その勢いそのままにドアを開けた。


 そして、この日二度目のフリーズ。

 それを俊二は、経験する事となる。


「シズカ、さん?」

 俊二の視線の先にある視界。詰まるところ、俊二の眼前。そこで、ボロボロのジャケットのみでなんとか肌を隠して俯いている状態の静香が、涙で肩を震わせながらもなんとか立っているといった状況の静香が、完全に独占していたからだ。


 まさか、こんな形で叶うなんて。

 と、俊二は少ししてそう思った。


「ああああの、さ」

 ドアの前で俯いたまま震えながら泣いている静香を視界に捉えた俊二は、その女性が間違いなく静香であると認識した途端にどくんどくんと胸が高鳴った。そして、懐かしいと形容するまでに過去となってしまった大切な記憶の数々が瞬く間に脳内を埋め尽くす。すると、そのどれもこれもは懐かしいという形容が全く似合わないくらいの鮮明さであった。詰まるところ、俊二にとっては色褪せる事がない程に大切な過去なのだろう。が、しかし。その高鳴りは勿論の事、すぐさま心配という思いに変わる。


「どうしたの、そ、っ」

 俊二は続く筈の言葉に詰まってしまった。その様相は、上は赤地に黒の縦縞が入ったタータンチェックのジャケットのみ、下は白の下着のみ。しかも泥か何かで至る箇所汚れており、所々破れており、ジャケットのボタンは殆どが引き千切られたかのように取れている。更に、手の甲や膝あたりが痛々しく擦りむいており、長い黒髪は乱れ、たぶん失禁したのだろう下着が濡れており、濡れている箇所が足元まで及んでいる。きっと、露出していない箇所もアチコチが泥塗れ傷だらけなのだろうと容易に推測する事が出来るといった有り様。そんな痛々しい姿の静香が、右手で裾を下に引っ張り、左手で右腕の肘あたりを掴む事でなんとか肌の露出を極力隠そうとしながら眼前すぐ先に立っているのだ。愕然となって言葉に詰まるのも当然と言えば当然なのかもしれない。


「うぐっ、えく、っ、ひんっ!」

 静香が嗚咽と共に震える。その身に何が起きたのかを静香自身に訊くまでもなく、かなり危険な目に遭遇してきたばかりだという事を充分に雄弁に物語っていた。


「まずは、中に入ろう。ね?」

 愕然とはなったしまったものの、今は状況把握よりも状態改善を最優先すべきだとすぐに思い直した俊二は、静香の言葉を遮るようにそう言って室内へと促した。


「ひぐっ、イイの?」

 何の質問もする事なく室内へ通してくれようとする俊二に、静香は少なからず驚いた。しかし、嬉しさが込み上げてもいた。


「え、あっ、うん。そ、勿論だよ。ほら、早く早く。ね?」

 俊二は静香からの問いに同じ言葉を繰り返しつつ、外の様子に気を配る。


「ありがと、シュンくん………ひんっ」

 俊二から優しさと温かさを感じた静香は、安堵しながら中へと入った。


「とりあえず、シャワー浴びた方が良さそうな感じだね」

 ドアを閉めて鍵をした俊二は、浴室へと向きを変えながら努めて優しく話しかける。


「でもアタシ、その………っ」

 しかし、静香は玄関から動かない。


「どうしたの?」

 なので俊二は、その理由を訊く。


「あう、う、アタシ、そ、その、汚れてる、から、ひんっ!」

 と、ぽつり。不自然な間を置いた後、静香が答える。そして、それによってつい先程その身に起きた恐怖が脳内で再生され、顔が羞恥で歪み、収まりかけた嗚咽が再び勢力を拡大する。


「え、あ、そ、それは気にしなくてイイから、ね? だからとにかく、そのまま上がりなって」

 あ、なるほど。と、思いながらも。それによって床が汚れるなんて事を気にしている場合ではないし、そんな事は気にならない事でもあったので、何も言わずに上がっておいでという意味で俊二は声をかけた。


「でも、アタシ、そ、その、あ、あう、お、おもらし、うぐっ」

 静香の声が震えを増していく。俊二に避けられたらどうしようという不安が、あらゆる不安の最上位に表れていた。


「うん。でも、そういうの気にしなくてイイから上がりなって、ね?」

 静香のそれであるのならば汚いとは少しも感じない俊二は、やはり努めて優しくそう言って再び促した。


「シュンくぅん………」

 顔を上げた静香は、優しく微笑んでいる俊二を見て再び安堵した。それと同時に、大切な記憶が次々に浮かび上がっては脳内をどんどん埋めていく。


「まずは、シャワー浴びちゃおうよ。着替えと薬、用意しとくからさ」

 静香の置かれている状況も心配な俊二は、これからの事を脳内で冷静に思案しつつそう促した。


「うん………ゴメンなさい」

 暫しの沈黙の後そう小さく答えた静香は、玄関を入ってすぐ左手にある浴室までトボトボと向かった。


 のだけれど、くるり。


 その途中で立ち止まると、

 俊二の方へと向き直った。


「………?」

 そんな静香の意図を計りかねた俊二は、そのまま待ってみようと判断してただただ見つめる。


「後で………後でちゃんと、ちゃんとその、お、お掃除、するね」

 自身の恥ずかしすぎる失態によって玄関と廊下を汚してしまったので、静香は申し訳なく感じながらそう言った。


「ん? あっ、そんなの全然イイから。だからほら、早くシャワー浴びてきなってば。ね? ほら、早く」

 静香のそういう気の遣い方はあの頃と変わっていないなぁーと、思い出しながら。俊二は優しくそう言って微笑んだ。


「うん………ありがと」

 と、ぽつり。同時に、こくり。と、頷きながら。静香が呟く。


「あっ、その、あのさ、染みるかもだけど、なるべくゆっくり温まって。それで少しは落ち着くから。ね?」

 俊二はそう言って再び微笑むと、静香を浴室へと優しく促してドアをゆっくり閉めた。



 ぱたん。



「さて、と」

 そして、ぽつり。俊二はリビングの方へと向かうのだった。


 ………。


 ………。


 ………。


「シュンくん………」

 閉じられたドアを暫し見つめていた静香は、自身がどんどん安堵していくのを感じていた。俊二の優しさが嬉しくて、俊二に会えて嬉しくて、その表情が自然と和らぐ。そして、俊二に言われたとおりにしようと浴室側へと振り返るその途中、洗面台の前に掛かっている鏡に自身の姿が見えた。


「ううっ」

 痛々しいまでに酷くボロボロで、そして殆ど泥塗れ。そろりと服を脱ぐと、痣と擦り傷だらけだ。


「痛っ」

 それを洗面台に置き、次に下着をと手をかけたその時、恐怖が再び脳内に浮かび上がる。


「ひんっ」

 かき消したくて洗面台の蛇口を左に大きく回して強めに水を出すと、静香は下着を手洗いし始めた。



 かちゃっ。



 と、その時。

 ドアが開く。



「ん、え? ええっ!」

 開けのは俊二。


「えっ?!」

 開けられたのは静香。



「「………」」

 両者、暫しフリーズ。



「あああわあのえっとえっとそのゴゴゴゴゴメンなさい! ももももうシャワー浴びてるっと思ってたからそそ」

 俊二としては既にもう静香はシャワーを浴びる為に浴室内に入っているだろう頃を見計らって着替えを洗面及び脱衣所にさりげなく置いておこうと入ってきたつもりだったのだが、予想外に静香がまだ洗面台の前に立っていたので、しかも全裸だったので、かなり慌てながら事情を説明した。


「ああああのえっとえっとえっとねそそその、下着とかよよ汚れてるっ、から、えと、だ、だからそっ、そそ、そのままだと汚しちゃうとか思ってそそそれで、それで、その、手洗いしようかなとか、思って………」

 俊二による事情説明はまだ終わってはいなかったのだけれど、俊二に完全に裸を見られてしまったという恥ずかしさが今の今まであった恐怖に上乗せされた静香は、羞恥の心で背中を向けつつお尻を両手で隠す事で焦燥の気持ちを少しでも和らげようと試みながら、被せるようにそう説明した。


「あっ、あう、う………」

 が、しかし。そうしてみても鏡によって丸見えだという事に気づき、鏡に映る自身と目を合わせて確信した静香は、すぐさま俯いて視線のみを逸らした。全てを隠すには手が足りないが故に、せめてこの状態で目と目が合うという恥ずかしさだけでも避けようと。


「シズカさん………」

 そんな静香を見るに至った俊二は、前に踏み出してくるりと自身の方に向け、そして優しく抱きしめた。


「シュン?! く、ん………」

 静香は途端に胸が高鳴った。恥ずかしさは依然として強く感じているものの、それでも俊二への想いの方が勝ったようで、高揚感が身体中を駆け巡る。


「オレの目を見て。見つめ合ってれば、大丈夫でしょ?」

 この至近距離でお互いに瞳を見ていれば恥ずかしい箇所は見えないからという意味で、俊二はそう言った。


「でも、でも、汚れちゃうよ?」

 こんな至近距離で俊二に見つめられたら、別の意味で恥ずかしい事態になってしまうのだけれど………と、思いながらも。静香はそう言った。


 決して忘れはしない想い出

 忘れられるワケがない記憶。


 過去となっていたその数々が、

 身体中の至る箇所を刺激する。


「うん。でも、それでもイイよ。だって、シズカさんだもん」静香さんのであれば汚くはないし、痛々しいその傷とかこうなるに至った理由の方がよっぽど心配だよ。

 と、思いながら。俊二は優しい声で告げた。


「えっ、と。あう、う」そう言えば、俊くんには既にもう恥ずかしいトコを色々と見られてたんだっけ。でも、いつだって優しかったね。悪酔いしちゃって大変な事になった時だって、そう。泣きすぎてお化粧がボロボロになっちゃった時も、そうだった。いつだって俊くんは優しかった………。

 静香の脳裏に、幸せだった頃が想い出が浮かぶ。



「あのさ、シズカさん?」言うべきか、言わざるべきか。どうしようかな。


 と、俊二が思案する。


「あうっ、ははははい!」俊くんに裸を見られちゃったのって、何年ぶりになるんだろう? って、今はこんなにも傷だらけだけどさ。


 と、静香が思考する。



「あの、ね。一つだけ」やっぱり、言っちゃおうかな。


 と、俊二。


「えっ、うっ、うん」こうして抱きしめられたのだって、もう………。


 と、静香。



「言ってもイイかな」今は静香さんが少しでも違う事を考えられるようにしなきゃ。


「何、かな………」ホントは私、俊くんと別れたくなかったんだよ。


「あの、さ」静香さんの気持ちが落ち着くように………なるのかな。


「うん」ずっとずっと、ずっと傍に居たかったのに。


「シャツとか、下着とか、さ。えっと、ほら、浴室に入ってから脱いで、んで、そのまま浴室に置いておいておいても良かったし、手洗いするなら浴室で洗っても良かったのに」こんなに傷ついて、凄い怖かっただろうし、だからまだこんなに震えてるんだろうなぁ………。


「えっ? と。そ、そう、だよね」たしかに、そうだよね………凄い恥ずかしいかもしれない。


「そういう天然なところ、変わってないね」何だか、あの頃に戻ったみたいな感じだよ。


「て、て、天然じゃないもん! よ、養殖なんだもん」あっ、何だかあの頃に戻ったみたい。


「あ、ウソつきさんだぁー」なんか、こういうの懐かしいなぁー。


「あう、う、ウソつきさんじゃないもん!」私ね、今でも俊くんの事だけを………。


「えぇーっ、ホントに?」静香さん、やっぱカワイイなぁー。


「えっ、あ、あの………ゴメンなさい」俊くんはどうなの?


「ううん。あっ、着替え置いとくね」あ、そっか。僕が此処を今すぐにでも出て行けば、静香さんはそれで恥ずかしくなくなるのか………僕も天然だな。


「うん。ありがと」あの頃みたいに、このまま二人。なんて事………あるワケないか。


 俊二の思いと静香の想い。

 俊二の想いと静香の思い。


 残念ながらと言うべきなのか、

 微妙にすれ違うままであった。


「「………」」

 にっこりと微笑んで出て行く俊二の背中を、静香は名残惜しそうに見送った。



 そして。



「痛いと思うけどゴメン。ちょっとの間だけ我慢してね」

 シャワーを浴びて浴室から出てきた静香は、リビングで待っていた俊二に促されるまま寝室として使用している部屋へと向かい、今はベッドの上で傷の手当てを受けているところだ。


「うん」

 静香の脳内に、まだ二人が付き合っていた頃の想い出の数々が自然と浮かぶ。しかしながら此処が寝室であるからなのだろう、大きく占めているのはこのベッドの上で腕枕をしてもらいながら眠っていた記憶であった。


「あっ」

 の、だけれど。よくよく思い出してみると寄り添ってすごしたという意味で言えばこのベッドの上だけの事ではなく、つい先程まで居た洗面室や浴室だってそうだったし、リビングのソファーの上でだって、それこそ廊下でもキッチンでも、つまりそういう記憶はあらゆる所そこかしこに幾らでもある事だったので、その事実を思い出した静香は身体中がカーッと熱くなるのを感じた。俊二との事ばかりに気を取られるのはきっと、心が安堵に満ち満ちた事によって脳が余裕を持てたからなのだろう。


「ん? 痛かった?」

 が、しかし。静香が小さな声を洩らすに至った理由がそうだったとは思う術もない俊二は、痛みによってだと判断して気遣った。


「ううん。ねぇ、シュンくん」

 言わなければならない事が浮かんだ静香が、話しを変えようとする。


「ゴメンね、シズカさん」

 どうやって訊こうかなと思案してもいた俊二は、手当てに集中していなかった事を内心で含めつつ謝る。



「ううん、そうじゃなくってね」どうやって言おうかなぁ………。


「どうしたの?」でも、訊かないと手の打ちようがないしなぁー。


「あの、さ。ニュースとか、観た?」甘えちゃダメよね。


「え? あ、うん。観たけど」あ、この流れで訊けるかもしれない。


「じゃあ、じゃあ、それならさ、知ってるんでしょ? アタシの事、警察に知らせなくてもイイの?」でもね、ホントは私、私は!


「えっ………」待ってよ静香さん、何でそんな事を言うの?


「シュンくんは優しいから、だからどうしようか悩んでるの? でもさ、このままアタシが居たら困るでしょ? ゴメンなさい。シャワー浴びてる時に通報すれば良かったのに」俊くんお願い、助けて!


「………」そんな事。


「すぐに出て行くね。そしたら、そしたらさ、通報しやすいでしょ?」何でこうなったのか判らないの。


「………」言わないでよ静香さん。


「迷惑かけちゃってゴメンね」俊くん、助けてよぉ………。


「あのさ、一つ教えてくれないかな。ねぇ、シズカさん。何があったの?」どうしてこうなったのか、まずはそれを教えてよ。必ず味方するから。


「えっ、聞いてくれるの?」助けてくれるの?


「うん。勿論です」情報がないと動くに動けないもん。


「シュンくん、ありが、と………ふえっ、アタシ、アタシね、どうしてなんだか判んないんだけど急にね、急に逮捕されて、それで、有無を言わさず連れてかれたの」ホントだよ?


「うん」なるほど。まずはその理由が重要って事、か。


「でね、そしたら、証拠は揃ってるんだぞって言われて………でも、でもアタシね、何も知らないの。何の事を言ってるのかも判んないの」ウソじゃないよ!


「うん」誰かにとって都合が悪い何か重大な事を見たと思われたのかもしれないね。


「でもね、でもね、そしたらその途中でね、急にバッて襲われたの。それでね、それで、警察の人達がその、もっと怖そうな人達に、その人達って3人だったんだけど、その人達にね、その、何か、映画とかみたいな感じ、っていうか信じてもらえないかもしれないけど人間じゃないみたいな感じで、引き裂いたり、潰したりとかして、それで、それで警察の人達が、その、こ、こここ、殺されちゃって、だっ、だから、アタシね、その、凄く怖くって、で、無我夢中で逃げたんだけど、だけど、だけど、だけどね」信じて、お願い。俊くん助けてって、何度も何度も叫んだんだよ私………。


「うん」まず、警官に変装したヤツ等が来て、次に違うヤツ等が来て、静香さんの取り合い、か。どちらかにとっては都合が悪く、どちらかにとっては交渉のカードになる?


「その途中でね、男の人にこっちだって言われて、動転してたからついてったらいきなり襲われて、抵抗したんだけどダメで………」凄い怖かったんだよ?


「えっ」そいつは、たぶん事件とは関係ないヤツだな。


「それで、その、服とか、ズボンとかを無理やり、脱がされて………アタシ、凄い怖くって、あっ、で、でね、それで、その、あう、う、気がついたら、おも、ら、し、を………」その時も、俊くん助けて! って、何度も何度も、何度も何度も叫んだんだよ?


「そっか………」でもその男、後で見つけて殺してやる。


「そしたらね、そしたらその人が、それに気づいて離れたから、だからね、アタシ、無我夢中で蹴ったの。そしたらね、何か、急所に当たったみたいで、だからそれで、服だけ掴んで走って、破れちゃってたけどでも下着だけだったから、だからそれを着て、それで、それでね、その………ここまで、逃げてきたの」俊くんしか思い浮かばなかったから。だって、だって私、今でも俊くんの事………。


「うん………」未遂かぁー。そっか、とりあえずは良かったね、静香さん。でも、静香さんを傷つけた事に変わりはないからやっぱ殺す絶対に殺す。百歩譲って殺さないにしても相当の、いいや譲らない絶対に見つけ出して殺す。


「走って逃げてる途中でね、そう言えばシュンくんとアタ………えっと、その、お部屋の近くだなって、気づいたから」って、本当はよく来るんだけどね。訪ねる勇気はなかったけれど、でも、偶然とかで会えるかもしれないから。


「うん」静香さん、かわいそうに。


「ゴメンなさい………」ずっと、此処に居たんだね………そっか。郵便受けの名前の欄が空白になってたから、お引っ越ししちゃったのかなとか思ったりもしたけど、俊くん此処に居たんだね。こうしておもいきって訪ねてみたら、もしかしたらもっと早くに………。


「ううん。気にしないで」きっと、こっちの世界に迷い込んじゃったんだね、静香さん。


「でも、こんなのさ、迷惑だよね………」もう、私との事なんてさ、過去の思い出でしかないよね。


「………」俺が守ります。


「………」もう、愛してくれるワケないよね。


「よし、判りました!」必ず守ってみせるよ。


「えっ?」と、俊くん?


「とりあえず、シズカさんは暫く此処に居てもらってイイ?」まずは外の様子とか確認してみようかな。


「えっ?」と………イイの?


「さて、と。怪我の手当ては一応のところ終了したし、後は、あっ、そうだ。お腹とか減ってる?」まだ彷徨いてるかもしれないし。


「シュンくぅん………」私、ヤバいかもしれない。


「それとも、暫く眠っとく? 疲れたでしょ」てか、彷徨いてくれてた方が情報を集めやすいんだけどなぁー。


「うぐっ、ひんっ!」私、嬉しくて泣きそうだよぉー。


「ん?」あれ、静香さん?


「シュンくぅん!」私、もうダメ。抑えらんないよぉー!


「えっ、ちょっ、シズカさん?」緊張の糸が解けたのかな? うん、そりゃそうだよな。相当キツかった筈だもんね。


「シュンくぅん! シュンくんホントにアリガト! シュンくぅーん」大好きだよ俊くん!


「えっと、いやあのそ」シズカさん………こんなに苦しめたヤツ等、絶対に許さないからな。絶対に見つけだしてギタギタにしてやる!!


 ………。


 ………。


「………」

 静香が泣き疲れて眠るまでの間、ずっと俊二は優しく抱きしめていた。そして暫しして眠った静香をそっとベッドに寝かせると、俊二はある考えを実行する為に部屋を後にしたのだった。


 ………。


 ………。




             その1)おわり

             その2につづく

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