光
「惚れ薬を作って欲しい」
艶めいた笑みとともにそれを言われ、黒髪の魔女は口元をひくつかせた。
依頼者は、美貌の青年だ。
この青年に「惚れ薬を飲ませたい」と冗談まじりに言う町の娘達は多い。甘やかな雰囲気をまとう亜麻色の髪の青年は、この地の領主であり、「王子様」だ。若い娘達の憧憬の的である青年に、いったいどうして「惚れ薬」など必要なのか。
魔法薬作りの名人である森の魔女は不機嫌そうな顔をし、むっつりと口を噤んだ。
本当は、何が目的なんだろう。……からかっているだけとも思えない。
青年の瞳の中に真摯な色を見つけ、森の魔女は少々戸惑っていた。
魔女の住む森の奥の舘に、亜麻色の髪の青年はほぼ毎日通い詰めていた。惚れ薬はできたかとその都度訊くのだが、急かしている風にも思えない。
「お早う、魔女殿。今日も、好い天気だね」
表情にまだ幼さを残している二代目の森の魔女は、日課の一つとして欠かしていない庭の手入れに精を出していた。そこに植えられている薬草が魔法薬作りの材料となる。
魔女殿、と声をかけられ、豊かな黒髪を一つに束ねている少女は、衣服についた土埃を払い、立ち上がった。
「今日は、ずいぶんと早いお越しですね、王子」
どうせまた惚れ薬の催促に来たのだろうと、少女は不機嫌顔を青年に向けた。
不機嫌顔を向けられても、青年は笑顔を崩さない。それどころか、さらに笑みを深め、穏やかに少女を見つめる。
「今日は昼から出かけねばならなくてね。ゆっくりしていけないのが残念だ」
言われて、少女は思いだしたかのように改めて亜麻色の髪の青年を見る。
足繁く通ってくるこの青年は、領主なのだ。森の奥の舘で、ゆっくりしていける余裕などないだろうに。
先代の森の魔女が亡くなって早二年。
青年は少女の身を案じ、こまめに様子を窺いに来るようになった。わざわざ時間を割いて。
幼馴染みという間柄とはいえ、仮にも領主であり、国王の血縁者でもあるのだ、この青年は。
少女は向けていた不機嫌顔を俯かせ、小さく息をもらした。
「薬草園の手入れ、毎朝たいへんだね。眷属の……リフレナスは?」
落胆している少女を気遣ってか、王子は話題を転じた。
いつも少女と一緒にいる眷属の姿が見当たらない。
「リプは、別のこと手伝ってもらってます」
畑の手入れに関して、眷属のリフレナスは手伝おうにも手伝えない。小さなネズミ姿の眷属は、雑草と一緒に箒ではかれてしまいかねないからだ。
「こういう時、魔法は使わないの? 水遣りなんか、ぱっとできそうだけど?」
王子の疑問は、もっともだ。
少女は魔力を有している「森の魔女」だ。だが、魔法の呪文を唱え、箒やちりとりを自在に扱うところなど、ついぞお目にかかったことがない。
「わたし、物質に直接働きかける魔法って、苦手なんです。師匠は時々、魔法使って掃除や片付けをしてましたけど」
「師匠殿とは、魔力の属性が違うと、前に言っていたね?」
少女の持つ魔力の属性は「光」だという。稀少な種類の属性であり、ゆえにその魔力の特性はほとんど知られていない。秘された古い系統で、闇属性の魔力も同様だという。
光と闇の魔力は、主に精神に影響を及ぼすとされている。
「闇は安寧、光は標。……だったね?」
「師匠が言うには、ですけど」
「標、か」
王子は微笑まじりに呟いた。
王子にとって少女の存在はまさしく「標」であり、「光」だ。その光に惹かれ、今、こうして傍にいるのだよ。そのことを、未だ言えずにいる。
亜麻色の瞳に見つめられ、少女の頬に赤みがさした。
いつの頃からだろうか。
王子は何か言いたげに、じっと、見つめてくることがある。何ですか、と問いかけても、はぐらかされてしまう。もどかしくて、気恥ずかしくて、……落ち着かない。
「君は本当に『光』だね」
「は、……え?」
唐突に言われ、少女は小首を傾げた。
「春の……というより、そうだな、冬の陽射しのようだ」
やがて訪れる冬を思い、王子は目を細め少女を見つめる。
「う~んと、それってば、弱々しいって意味ですか? それとも、冷たい?」
少女は複雑そうな顔をして、見つめ返す。褒められているのか、そうでないのか、判別がつかないといったところだ。
紅葉した木々の隙間を縫う風に、王子の髪が波打つようになびく。王子は乱れた前髪を指で梳きあげ、そして婉然と微笑んで少女を見つめる。
その優美な仕草と淡い金色に光る髪、さらには艶っぽい微笑を向けられて、少女は立ち眩む。月日を経るごとに、王子は美しさを成熟させていくようだ。
「小春日和の陽射しのようだ、という意味だよ。心休まる暖かさをもつやわらかな陽だまり、その光のようだと」
王子の微笑と言葉は、少女を容易く沸騰させる。
「なっなに言ってんですかっ、王子っ!!」
「思ったことを述べたまでだが?」
くすっと、王子はからかうように笑う。
「もうっ、おだてたって何にも出ませんからっ!」
「おだてるつもりなど毛頭ないが」
「そ、それを言うならですね!」
いきりたって、少女は言い返した。
「わたしじゃなくて、王子こそだと思うんですけどっ」
「私が? 魔力など、持っていないが」
「そーじゃなくて、ですね!」
少女は一息つき、話し出す。
「王子こそ、『太陽』ですよ! まぶしくて、輝いてて!」
「…………」
「太陽みたいな『光』なんです、王子は!」
王子は失笑を堪えていた。
それは、もしかして私を口説いているのかな? そう言いかけたが、違うであろう事はわかっている。
むきになっている少女の口ぶりにも表情にも、王子の期待するものはまだ見られない。
少女は真面目くさった顔つきになって、先を続けた。
「領民達もきっとそう思ってます。この領地に住むわたし達にとって、王子って、そういう存在なんです。この地を明るく照らしてくれて、実りと恵みを与えてくれる、そういう大切な『太陽』なんです。……その、女の子達にとっては、とくに、だと思いますけど」
最後に付け足した言葉が王子を満足させたのだが、少女は気付かない。もごもごと口の中でまだ何やら言っているが、王子はあえてそれを訊いたりはしなかった。
「領民達にそのように思われているのなら、光栄だな。領主としてこれ以上の賛辞はないね」
「え、と、その、そうですよ、ね?」
王子は静かに笑む。だけどどこか寂しげな気がし、少女は返答に窮してしまった。
生意気なことを言ってしまったかな。そんな杞憂が、少女の心を過ぎる。
王子は少女のとまどいに気付き、それを拭おうと優しい笑みを向けた。
「そう言われるのは、とても嬉しいよ。……ありがとう、魔女殿」
「えー……と、その、どういたしまして」
真っ赤になりながら、少女は礼を受け取り、笑みを返した。王子の臆面のなさは相変わらずだとため息をついて。
「ああ、そろそろ屋敷に戻らないと。残念だが」
雲間の太陽を見あげ、王子は心底残念そうに肩を落とした。
お茶も出さずにごめんなさいと慌てて少女が詫びると、
「君の顔を見に来たのだからね。それで十分だよ」
王子はそう言って笑う。
「お、王子ってばっ」
にこやかに笑う王子は馬上の人となり、軽く手を上げ少女に別れを告げる。
「領民達にとってではなく、……君だけの太陽でありたいのだけどね」
去り際に呟いた言葉は、少女の耳には届かなかった。
「え、なんですか、王子?」
「いや。また来るよ、光の魔女殿」
届いたのは、麗しすぎる微笑。
少女は茹だったように顔を赤くし、その場にかたまってしまっていた。
頬に両手をあて、少女は俯いてひとりごちた。
「……王子に惚れ薬なんて、絶対絶対っ! 必要ないよっ!!」
惚れ薬以上の効果があるもの、あの微笑には。
――未だ、少女は気付かない。
心にぽつりと灯った光の「名」。
やがてその名を、王子は告げる。
少女の秘された名を知る、その時に。
もともとこちらの「お題」は、口説きバトン?としていただいたものでした。
『雪』 『月』 『花』 『鳥』 『風』 『無』 『光』『水』 『火』 『時』
以上10点のキーワードをもとに気障台詞満載で口説き文句を考えようという「バトン」
せっかくなので、一本の話にまとめてみようと思い立ったものです。