後れ髪
一見、なんでも器用にこなし、できないことはなさそうなセレンだが、どうやらそうでもないらしい。
「王子ってば、……――」
森の魔女は少々呆気にとられたような顔をして、自分の髪をいじっているセレンを見やった。
髪を二束に分け、片方を魔女自身が編み込み、もう片方をセレンに任せているのだが。
お世辞にも、上手とはいえない編みようなのだ。セレンも苦笑を口元に浮かべている。
セレンは恋人の髪に触れるのが好きだ。指に絡ませ口づけて、森の魔女を赤面させる。
森の魔女の髪は、とても長い。髪には魔力があるから、なるべく切らず、長く保っておきなさいと、先代の森の魔女が言っていたのを、律儀に守っているのだ。
といっても、時々は毛先を切りそろえている。もちろん自分で行っていて、適当に鋏をいれるだけで丁寧な散髪とはいえないが、さほどの労はかからない。
森の魔女の黒髪は滑らかな手触りで、手入れを怠っていないのがよくわかる。洗髪はたいへんだが、魔法を使って少々楽をしているらしい。ちなみに洗髪剤も自分でつくっている。香花や薬草をふんだんに使った特性の洗髪剤だ。
それなりにきちんと手入れをしている髪だが、飾り立てたりすることはほとんどない。せいぜい家事をする時にざっくりと結うくらいだ。後頭部で一つにまとめている。
髪容を変えてみてはどうかとセレンが提案したのは、ほんの気紛れ心からだ。おろし髪のままの魔女が好きなのだが、髪型ひとつ変えるだけで、外見の印象は、ずいぶんと変わる。ことに女性は。それを見てみたい気もしたのだ。
セレンの気紛れにつきあい、「それじゃぁ」と森の魔女は「おさげ髪にしてみましょうか」と髪を真ん中で分けた。根元で縛るだけでもよかったが、それだけではつまらないかなと、編み込むことにした。二つの束にした髪の一方を、さらに三等分に分け、それを編んでいく。やり方は簡単だ。魔女は長い髪を手早く編み込んでいく。それを見ていて、セレンが口を挟んできたのだ。
見ているだけでは物足りなくなったようだ。手さびしいというのもあったかもしれない。たんに、魔女に触れたかっただけかもしれないが。
「私にもやらせてもらえるかな」
「いいですけど……」
王子の事だ。きっとさくさくやってしまえるに違いない。
セレンは見様見真似で、三つ編みをし始めた。
「…………」
ところが、予想に反する有様だ。森の魔女は驚いた。
三つ編みのやり方は、間違ってない。簡単な編み方なのだ。しかしセレンの手つきはいつになくぎこちない。編み込む力が均一でないのか、ひどく不揃いだ。魔女自身が編んだ左側の方は、きっちりと隙間なく、一本の細縄のように仕上がっている。だがセレンが編んでいる方はといえば、……とても褒められたものではない具合なのだ。ところどころ髪が跳ねて飛び出し、編み目が粗い。
「なかなかむつかしいね」
と、セレンは照れくさそうに苦笑する。
そんなに難しいものじゃないんですけど……と言いたいのを、森の魔女はぐっと堪え、我慢強く腰かけている。時々頭が引っ張られたが、それにも声を上げず、耐えた。
「魔女殿のように、細く綺麗に仕上げるのは、やはり何かコツがいるのかな?」
「うーん……コツって程のことはないですけど。髪が解けないように指で押さえてるといいかも。あと、編み目が緩まないよう、ちょっと引っ張り気味に」
「なるほど」
諦める気がないのか、セレンは何度もやり直している。おかげで、右側の束はぼさぼさに乱れてしまっている。森の魔女の助言もあまり役立っていないようだ。
意外だ。
王子も不得手な事があるんだと、森の魔女は内心で可笑しがった。
なんでも出来そうな顔をして、でも本当はそうじゃない。
そういえば、王子は不器用なところのある人だった。
やがて、ついに観念したらしいセレンは、長嘆し、手を離した。
「すまない、魔女殿。すっかり髪をくしゃくしゃにしてしまったね」
痛くなかったかなと、心配げに魔女の顔を覗き込んでくる。それから魔女の横、左側に腰を下ろした。ずっと立ちっぱなしで、しかも中腰でいたせいで、さすがに疲れたらしい。
「君は、さすがに上手だね」
そう言ってセレンは魔女が編んだ髪を手に取った。編み目の綺麗さに見惚れている。
森の魔女は、王子が編みかけてやめた方の髪を撫でつけていた手を止めた。
「王子は、文武両道というか、なんだって完璧にこなしちゃう人だから、できないことがある方がいいです」
森の魔女なりの慰めなのだろうか。セレンは眉をさげ、複雑そうな笑みを返した。
「君は私を買い被りすぎだよ、魔女殿」
「王子は、大抵の人にそう思われてるってことです。王子自身が、わざとそうしてるでしょう?」
「…………」
セレンは亜麻色の瞳を大きく開く、森の魔女を見つめた。黒い双眸がじっとセレンを見つめている。心の奥まで見透かしてくるような、深く優しいまなざしだ。
「だけど、ほんとは完璧じゃなくて、できないこともあるってこと、わたしは知ってます。それを今日またひとつ知れたから、なんだか、嬉しいんです」
「魔女殿」
セレンはあっさりと籠絡された。
まったく敵わない。
セレンは微苦笑を浮かべた。他愛ない言葉と愛らしい笑み、たったそれだけでセレンの心がほんのりと温かくなる。いや、熱くなる。恋しさに眩暈がしそうだということを、はたして森の魔女は気付いているのか、いないのか。ふわふわとやわらかな笑みを湛えて、一途に自分を見つめる、最愛の恋人は。
「ありがとう、魔女殿」
綺麗に編まれた黒髪に口づけ、礼を言う。今回ばかりは、照れてしまうのはセレンの方だったろう。森の魔女も頬を赤らめてはいるが、笑みに余裕があった。
「……王子、お願いしてもいいですか?」
「うん?」
「髪、ほどいてください。こっちだけ編まれてるの、変だもの」
「そう? もったいない気もするけれど。ああ、でもやはり君は、髪をおろしている方が似合うね」
「そ、そうですか?」
恥じらいと喜色が頬の紅をさらに鮮やかにした。森の魔女の素直な反応がとても可愛らしい。
「君の黒髪はとても美しいから。……君の髪に触れていられるのは、嬉しいよ」
「…………わたしも、王子に触ってもらえるの、好き、です」
聞きとりにくいほどの小声で、森の魔女はそう言った。もちろん、セレンがそれを聞き逃すはずもなく。
セレンは再び魔女の黒髪に口づける。誘うように、亜麻色の瞳で恋人のまなざしをとらえて。
「髪だけは、物足りないな」
――キラ。
君のすべて、触れたい。
そして形勢は逆転、今度は森の魔女がセレンの甘い言葉に籠絡される番だった。
秘された名を呼ばわれるのが、その合図。