表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
41/54

どんなに苦しくても私は君を愛し続けるだろう

 魔法薬といえば、毒薬であると思う者も多いようだ。


 先代の森の魔女は魔法薬作りの名人として名高かったため、毒薬を作るのもお手の物と思われていたらしい。

 実際、森の魔女は毒薬の依頼もよくされていた。依頼される「毒薬」は大抵、毒を盛った相手を死にいたらせるものや、体を不随にさせるようなもので、普段森の魔女が魔法を用いて作っている治療のための魔法薬とは真逆の効能のある薬だった。

 森の魔女はその都度断っていたが、強引に依頼を押しつけてくることもあった。たとえば「断れば命はない」とか「森を焼く」とか、典型な脅し文句で毒薬を作ることを強要した。

 その程度の脅しに屈する森の魔女ではなかったから、受けるふりをして、依頼主を二度と森の奥へ立ち入らせない禁足の魔法を行使したり、あるいは忘却の薬を服薬させたりして、我が身と養い子の身の安全を図った。

「忘却の薬って、それも毒薬なんじゃないですか?」

 と、養い子でもあり、弟子でもある少女が訊いてきたことがある。黒い瞳を不思議そうに瞬かせ、まじまじと師匠である森の魔女を見つめている。

 小さく笑ってから、森の魔女は穏やかな口調で答えた。

「その通り。だが毒をもって毒を制することもまた、時には必要なんだよ」

「はぁ……?」

 少女が首を傾げると、長い黒髪が肩から落ちてさらりと揺れる。「魔力に影響するからできれば長く伸ばしなさい」と森の魔女に言われ、素直に従っている少女だ。腰のあたりまで伸ばした髪は、絹のようなつやがある。

 当の森の魔女も、はしばみ色の髪を一応長く伸ばしてはいた。だが近年、白いものが混じるようになり、一つに束ね、編み込んでいる。

「人の心はね、多かれ少なかれ毒性がある。身の内を侵してしまうほど強く悪い毒もある。そうした毒は、えてして周囲にまき散らされ、他者を苦しめるものだ。それを抑えるための毒も、この世にはあるのだよ。毒の種類は多々あるけれどね」

「お師匠さまが使う忘却の薬も、必要な毒薬なんですか?」

「まぁ、場合によってはね。忘却というものはもともと人間が持っている、それこそ必要な機能なんだよ。魔法薬はその機能を少しばかり強引に働かせる薬だ。忘却を強める魔法薬はたしかに毒だが、中毒性はない。体内で自然消滅させるよう調合しているからね」

「そうなんですか」

 少女は生真面目な顔をして頷いた。

「そう、ついでだから人の心の毒についても話しておこうかね」

「…………」

 少女は真摯な顔で師匠の顔を見つめる。

「さっきも言ったが、人の心には毒が潜んでいる。おそらくは、誰の心にも。そういった毒は成長過程で自然と身の内に溜まっていく。それには悪性のものもあれば、そうではないものもある。悪性でないものは、そうだね……毒と言うよりは、一種の薬であるかもしれないね」

「薬?」

「そう。自分自身の心の活かし方や他者からの思いやる気持ちが、疲れた心を癒すものだ。だが心の在り様というのは不安定なもの。薬が毒に変わり、身を滅ぼしてしまうこともある。あるいは依存してしまう危険もある。厄介なものだが、それでいてさほどの効力を持たないこともある。誰かを傷つけようと毒を吐き散らしたつもりでも、毒性が弱く、なんの効力も無いこともあるようにね。一方で、誰かを癒そうと必死になって薬を与えようとしても、徒労に終わってしまうこともあるね。それならばよいが、中毒になって死に至らしめることもないでもない。気をつけねばならないよ。人が自然と身の内に宿している毒と薬を超常的な力で操ることができるのが、魔法であり魔法薬だからね。魔法薬というのは毒薬と紙一重の物だ。それを肝に銘じておかねばならないよ」

「…………」

「私達のような魔力を持つ者は、時として、存在自体が毒になる。だからその毒を薬に変える術をも心得ていなければならない。逆もまた然りだ。己の中の毒を制さなければならない。制御してこそ、正しく魔力という“毒”を使えるのだからね」

 少女は師匠の話を一言一句聞き逃すまいと、真剣なまなざしで説諭する森の魔女を見つめている。しかし得心がいっている風ではない。ただ懸命に耳を傾け、真摯に頷いている。森の魔女は、少々難しい話をしてしまったかなと、苦笑した。

 少女はちょっと小首を傾げ、困ったようなまなざしを親代わりでもある森の魔女に向けた。

「わたしも、お師匠さまみたいな魔法薬を作れるようになるのかな……?」

 言ってから少女は、ふぅっと大きなため息をついた。

 森の魔女はふと目を細めて、いずれ「森の魔女」の名を継ぐであろう少女を見やった。

 まだ幼く、淳良な性格の少女も、やがて己の身の内の毒と薬の存在を自覚する日が来るのだろうか。誰かの心に毒と薬の存在を見出す日が来るのだろうか。

「大丈夫。お前ならばきっとよい魔法薬を作れるよ」

 そう言って森の魔女は、不安がっている幼い養い子の頭に手をのせた。「大丈夫」と繰り返して言い、少女の黒髪を撫ぜて優しく笑った。




 それから数年の後。

 魔法薬作りの名人であった森の魔女が天に召され、そのただ一人の弟子だった少女が「森の魔女」の名と森の舘を受け継ぎ、二年がたった。

 少女は森の魔女の名も薬作りの技巧も継ぎ、先代同様に町の人達から信頼をおかれ、親しまれていた。

 ことに「親しんで」いるのは、森の魔女が住む森を含めた一帯、王都から離れた辺境地を治めている若き領主、セレンだ。少女より三つ年上のセレンは、ことあるごとに森の舘へ来ては、森の魔女との他愛ないお喋りを楽しんでいる。

 セレンは、領民のほとんどが知っていることであるが、現国王の庶子だ。そのため、というわけでもないのだがセレンは常より領民達から、領主様と呼ばれるより、王子と呼ばれることが多い。むろん嫌味でも皮肉でもない。セレンの典雅な物腰や瀟洒な外見がいかにも「王子」らしく、それが起因になっているようだ。

 森の魔女もまた、セレンを「王子」と呼ぶ。自分が名を秘しているから他者に対しても名を呼ぶのを遠慮しているのか問うたセレンに、少女はちょっと考えてから「違うと思います」と、消極的に否定した。もしかしたらそうなのかもしれないと、内心で思っているのが泳ぐ視線から窺えた。

「別に他意はないんです。けど、なんとなく癖って言うか」

 セレンにしても、少女を本気で責める気はない。名前で呼んでほしいとは思うが、強要したくはない。それに少女は、ふとした時にさりげなく、気恥ずかしげにだがセレンの名を口にしてくれる。

 セレンにしても、少女の名をようやく知ったというのに、長年の癖もあってか、つい勿体ぶった口調で少女のことを「魔女殿」と呼んでしまうのだから、「おあいこ」というものだろう。もっとも、少女は魔女ゆえにその名を秘しているから、他者にその名を知られぬよう、セレンなりの配慮もあってのことだ。

 そうした配慮と長年の癖があいまって、セレンが少女の名を口にするのは、存外少ない。少ないが、ここぞという時を狙って少女の名を呼ばわるのだ。

 たとえば、少女への恋情を、熱をもって甘く囁く時や切々と告げる時などに。



 麗らかな晩春の午後、この日、セレンは森の魔女の舘へ来て、ゆったりと茶を飲んでいた。春は仕事が多い。そのため仕事の用事以外での外出はほとんどかなわず、こうして少女の居所である森の奥の舘へ来るのも久しぶりのことだった。

「ねぇ、魔女殿?」

 セレンは綽約とした微笑を湛えて、頬杖をつき、亜麻色のまなざしを長い黒髪を一つに束ねている小柄な森の魔女を物欲しげなまなざしで見やっている。

 セレンの亜麻色の髪は少し癖があり、細波のようなうねりがある。比べて、少女の黒髪にはいささかの癖もなく、まっすぐに流れ落ちている。その艶やかな長い黒髪を、セレンはずっと見続けている。髪ではなく、少女の顔を真正面から見つめたいのだが、少女は背を向けたままなかなかセレンの方には振り向いてくれない。少女が見つめているのは、湯気の立つ鍋の中身だ。

 午前中までは、金褐の毛色のネズミの姿をした眷属リフレナスが薬作りを手伝っていたが、セレンが来るや、そっけなく挨拶を済ませて早々に退散した。「一休みしてくる」と主である少女には一言断って、さして広くはない舘のどこかへ隠れてしまった。

 リフレナスなりに気を利かせてくれたのだろうとセレンは思っていたが、当のリフレナスは、少女とその恋人セレンとの仲睦まじさに当てられて、「飽き飽きしているだけだ」と述懐している。

 辟易するというほどのこともなく、迷惑でもない。単に呆れかえって、「好きにしてくれ」と投げやりな気分になっているらしい。

「まったく、目の毒だな」

 などと皮肉めいたことを言うこともあるが、それすらも仲の良い二人をからかう戯言のようなものだ。

 つまり、あれこれと愚痴をこぼしながらも、結局のところ気を利かせているのだ。

 そして今、リフレナスが気を利かせてくれたお陰でセレンは恋しく思う少女と二人きりで舘の台所にいるのだが、少女が相手をしているのはもっぱら火にかけられた大きな鍋で、美しい黒曜石の色をした瞳をセレンに向けてはくれない。

 ため息をついてから、セレンは魔法薬作りに精を出している少女に話しかけた。

「魔女殿は、病を治す薬だけではなく、毒薬も作れるのかな?」

 唐突な質問に、少女は「えぇっ?」と思わず声を上げ、セレンの方に振り返った。左手に持っていた薬草の束が、床に落ちて散らばった。

「ああ、ごめん、驚かせたかな?」

「もう王子ってば! そりゃぁ驚きますよ、突然なんなんですか、毒薬なんて」

 セレンは立ちあがると、床に散らばった薬草を拾う少女を手伝った。少女はもう片方の手に持っていた大きな木の杓子をぐらぐらと煮たっている鍋の傍に置き、慌てて薬草を拾い集める。

 床に散らばった二、三種の薬草は、セレンには見慣れないものだった。どれもすでに乾燥させてあるため、もともとの花と葉の色は分からない。少しにがみのある臭いが鼻を突く。鍋からは、とても美味しそうとは思えない薬草独特の苦味のきつい臭いがたちこめていて、台所の窓という窓すべては開け放たれているのだが、室内に充満しきっていて薄れそうもなかった。

 薬草独特の香は、慣れてしまえばどうということもないのだろう。少女は眉をしかめることなく、薬作りを続行した。時折薬草の葉を細かくちぎって、鍋に入れてはかき混ぜる。

「それでいったい何なんですか、急にそんなこと聞くなんて」

 少女は肩越しに振り返り、セレンに尋ねた。セレンはさっきとは別の場所に腰かけた。少女に近い場所だ。セレンは飲みかけのカップを手元に寄せたが、すっかり冷めきった茶を飲む気にはなれなかった。

「いや、何ということはないけれど」

 セレンは軽く両腕を組んで椅子の背もたれに背を預け、首を伸ばし、嘆息した。

 少女は戸惑ったように目を瞬かせた。

 薬草独特の苦味のある臭気から“毒薬”を連想したのだろうか?

 まさかと思いつつ、少女は火を落として、鍋に蓋をした。慣れない臭いに噎せてしまったのかもしれない。蓋をしたところで臭いは消えないが、少しはましになるかもしれない。

 少女は気遣わしげにセレンに目をやった。セレンは別段不快そうな表情はしていない。少女と目が合うと、相変わらずの美麗な微笑みを浮かべる。

「君の師匠、先代の森の魔女は魔法薬作りの大権威と畏まれていたからね。毒薬くらいはお手の物で作れたと噂があったのを憶えている。依頼人もあったろう?」

 少女はこくりと頷いた。

「まぁ、あの先代のことだから作れたとしても依頼を受けたりはしなかったろう。先代は、魔術の道に関して謹厳な考えを持っておられた方だったからね。それでいて探究心の旺盛な方でもあった。そういうところも、君と先代はよく似ている」

「…………」

「だから、といえばいいかな? 魔法薬作りの大権威である森の魔女に師事していた君だ。もしかして君も毒薬を作れるのかな、と」

「……作れます、たぶん」

「たぶん?」

 セレンは小首を傾げて訊き返した。

 少女の表情に翳りがさしている。黒い瞳をセレンからはずし、ふっと顔を背けた。少女はやや俯き加減になり、セレンの問いに答えた。

「実際に作ったことはありませんけど、必要な材料や調合の仕方、最終仕上げに施す魔法陣や呪文も知っているから、作ろうと思えば作れます。――作れない“毒薬”は惚れ薬と不老不死の薬くらいです」

「魔女殿?」

 少女の声音は沈みがちで、どこか自嘲めいている。物憂げでもあった。

「わたしは魔女だから、毒薬を作るのが本来の姿なのかもしれません。師匠も言ってました。魔女は、存在自体が毒になることもあるって」

 少女はその魔力の属性が“光”であることが起因してか、どちらかといえば楽天的な性質で、鬱の翳りを露わにしてしまうのは稀だった。今、少女は謝って服毒してしまったような苦しげな顔をしている。

 少女の気を引くための問いかけだったのだが、まさか気落ちさせてしまうとは予想外だった。セレンは内心で己の迂闊さを罵った。しかしセレンの端正な容貌に焦燥感は表れない。これ以上少女に哀しげな顔をさせたくなかった。

 セレンは組んでいた腕を解き、少女の小さな手を握った。セレンは座ったままの姿勢で、少女の戸惑い顔を見上げて言った。

「私は、たとえば君が魔力を持たない普通の女の子であっても、魔力そのものの存在の精霊であったとしても、君を愛し続けるよ」

「……毒を持っていても?」

 少女は不安げに揺れる黒い双眸で、セレンの亜麻色の瞳をまっすぐに見つめる。セレンは優しげに目を細めて、「もちろん」と微笑みを返した。

「私はもう君なしでは生きてゆけない。どんなに苦しくても、君を愛さずにはいられない。……そう、もし君が毒だと言うのなら、私はもう中毒にかかっているのかもしれないね? いつだって君が欲しくて堪らない」

 セレンは艶麗な微笑を湛え、少女の手をさらに強く握った。

「それに、君は私の心を狂わせもするが、癒してもくれる。毒である一方で、薬でもある。私には必要な、なくてはならない大切な毒で、薬だ」

「…………」

 セレンの優しげな容貌に先代の森の魔女の面影が重なり、少女ははっとしたように、わずかに口を開いた。しかし思い出したことを口にはしなかった。ただ安堵したように小さく嘆息し、ひそめられていた眉を緩ませ、翳りを払った。

「だからもっと傍に来て、そして笑いかけてくれないかな? そうすればもっと癒しの効果は上がると思うのだけどね、キラ?」

 セレンはさりげなく、あるいはここぞと狙いを定めて愛しい少女の秘められた名を囁く。

 そして恋人の杞憂を拭うように、ほのかに色づいているキラの頬に手をあてがった。もう片方の手はキラの手を握ったままだ。どちらも、熱くなり始めている。

 セレンはキラの頬を指で撫ぜ、やわらかな皮膚の感触を楽しんでいる。

「もっ、もう王子ってば! またそんなこと言って! 恥ずかしくって卒倒しそうなんですけど!」

 文句をつけながらも、キラはセレンの手を払いのけようとはしない。

 相変わらずのキラの愛らしい照れようにセレンは安堵し、それから悪戯っぽい微笑を口元に滲ませた。そして、

「それならば、私が気つけの薬を飲ませてあげようか」

 そう言うや、セレンはキラの手を強く引っ張った。そして前のめりになり姿勢を崩したキラの体を支え、即座にキラの唇に己のそれを重ねた。


「王子ってば、もうっ! こ、こういうのは気つけ薬なんかじゃないから! だってちっとも落ち着かないもの……!」

 そんなキラの苦情をセレンは飲み込み、代わりにとばかりに己の熱情をキラに飲み込ませる。

 そして臆面もなく、さらりと言うのだ。

「私も落ち着かないよ。君が傍にいるとね」

「……っ」

 セレンの優しい声音と艶然とした微笑みには、甘く香る毒が含まれている。

 それを飲み込んでしまったキラは、もうセレンの腕からは逃れられない。



 ――そうしてキラは、毒を知る。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【応援!拍手ボタン】 よかったらぽちりと。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ