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キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
40/54

虹で紡いだ絹糸のようなつややかな髪が

 セレンには、前々から実行してみたいと思うことがあった。

 それには「相手」の許可が要る。押しの強いセレンのことだから、相手の許可を得ずとも実行に移してしまうかもしれないが、それでもあえて訊いてみるのは、その「相手」が恥じらって慌てる様を見たいという悪戯心からだ。

 セレンに、そうした悪戯心を抱かせるのはただ一人だけ。

 森の魔女と呼ばれる、黒髪の少女だ。



「ねぇ、魔女殿?」

 夕餉の後、セレンは気忙しく立ち回っている黒髪の少女に声をかけた。少女は「なんですか」と小首をかしげ、セレンの顔を覗き込む。

 少女はセレンのために淹れてきた茶をテーブルに置いた。飴色をした飲み物だ。湯気からは少し辛みのある香りがたっている。豆乳と香辛料で味を整えたと、少女はちょっと自慢げな顔をして語った。魔女特製の薬草茶だ。

「今日はとくに寒いですから、身体を冷やさないよう、芯から温まるお茶を用意してきたんです」

 木枯らしがセレンの治める平和な領地にも吹き始め、日毎に冬は深まっている。温暖な地域だが、そろそろ初雪も見られるかもしれない。

「今町では風邪が流行ってるし……。だから予防薬代わりのお茶です」

 森の魔女と呼ばれる少女は、魔法薬作りを得意としている。薬草茶を作るのも同じように得意なのだが、茶には魔法の成分は含まれていない。

「魔女殿」

 セレンは亜麻色の瞳で、じっと少女を見つめた。その艶めいたまなざしに、少女はいつもどきりとする。

 甘いような、少し辛いような、セレンのために淹れた飴色の茶のような想いが少女の胸に軽痛を走らせる。心地好いともいえる痛みだ。つまり、くすぐったい。

「はい?」

「髪、少し切った? 短くなってるね?」

「よく分かりましたね、王子? ほんのちょっとしか切ってないのに」

「私が、君の事で気づかないことがあるとでも?」

「え、えっと、……――」

 少女の顔がみるみるうちに赤くなる。

 少女は「もうっ」と呟き、ちょっとふてくされてそっぽを向いた。セレンの優美すぎる笑顔がまぶしく、直視できない。醸し出される甘やかな雰囲気に、少女はいつでも声を詰まらせてしまうのだ。

 秀麗な美貌と典雅な雰囲気を天稟として兼ね備えているセレンは、現国王の庶子である「王子」だ。母親も市井の娘ではなく、位は低かったが貴族の出であった。

 王族や貴族の人間というのは、かくも美しい容貌と品性とを生まれた時からごく自然に兼ね備えているものなのだろうか。王族の人間といえば、少女はセレンの他にあと一人、セレンの異母姉にあたる人物しか知らない。そのセレンの姉も、やはり美しい女性だった。

 雲の上の人とも、高嶺の花とも言えるこの青年が自分の恋人だなんて、と、少女は未だ現状に慣れず、とまどってしまう。恐れ多いとしりごみするほどでもないが、釣り合う相手ではないだろうと思い悩むことはある。

 セレンは、少女のそうした葛藤を見抜いている。そしてセレンは思い悩む少女をいよいよ恋しく思うのだ。少女の憂げな物思いは、自分への恋情があってこそだ。それを自惚れてもいいのだろう。

 それに、頬を染めて拗ねる少女の、なんと可愛らしいことか。セレンの一挙一動に恥ずかしがり、初な反応を示す少女が愛しくて堪らない。

 恋慕を隠しもせず、セレンは優艶と微笑みかけて手を差し伸べ、少女を招き寄せた。

「髪は、自分で切っているの?」

「うん。昔は師匠が切ってくれてたんだけど……」

 少女は長い黒髪を一房指先で摘まんで見せた。セレンもまた手を伸ばし、滑らかな光沢を持つその髪に触れた。

 自分の隣か、あるいは自分の膝の上に座るよう少女を促すのだが、少女はなかなかそれに従ってくれない。

 それでも腕を伸ばせば、肩から流れ落ちる髪や赤らめている頬に触れられるほど近くにはいてくれるのだから、今のところはそれで満足しているセレンだ。強引に押し、逃げ出そうとする少女を捕まえるのも一興なのだが。

「自分で切ると、どうしても不揃いになっちゃうみたいで。みっともない……かな」

 少女は照れくさそうに笑って、セレンの顔を窺い見た。こんな時、少女はいつにもましてあどけない。出会った頃と何ら変わりない無邪気な笑顔がセレンの気持ちを安らげる。

「そんなことはないよ。けれど、言ってくれれば私が切ってあげるのに」

「王子に髪を切ってもらうなんて……」

「いや?」

「いや……じゃないですけど」

 ――髪を切ってもらうだけじゃ済まなくなりそうで。

 少女の懸念は、懸念に留まらない。

 くすぐったそうな顔をする少女を、セレンは満足げに笑って見つめ続けている。

「それとね。少し気になっていたのだけど」

「はい?」

「それほどに長いと、髪を洗うのに難儀しているのではないかな? 時間もずいぶんとかりそうだ」

「あ、それはですね……」

 実は……と、少女は内緒話をするかのように少し声をひそめて話し出した。

「魔法を使っちゃってるんです。あんまりこういうことに魔法って使いたくないなって思ってたんですけど、やっぱり洗うの大変すぎて」

 洗髪剤を泡立て、洗い流す作業を魔法に頼っているのだという。魔法による洗髪のコツは、先代の森の魔女に教えてもらったらしい。

 先代の森の魔女に、魔力の強弱に関わるから、できれば伸ばし続けなさいと言われ、少女は素直にそれに従ったのだが、さすがに伸ばしっぱなしにはできなかった。今は膝にかかるかかからないか程度の長さに保っている。

 セレンの亜麻色の髪も、男性にしては長いといえるだろう。肩甲骨にかかる長さだ。その程度の髪量でも時に洗髪が億劫になるのだから、少女はもっと苦労がかかっていたことだろう。

 セレンは少女の黒髪を掴み、口元に引き寄せた。

「ちょっ、あ、あの王子……っ」

 慌てて、少女は身じろぎをした。セレンは目を細め、光沢をもつ美しい黒髪に視線を落とした。

 花の蜜のような甘くやわらかな香りがする。

 この香りは、森の魔女手製の洗髪剤の香りだ。セレンも森の魔女が作ってくれた洗髪剤と石鹸を、湯浴み時に使用している。同じ石鹸を使っているはずなのに、少女から漂ってくる香りは、セレンがまとう香りとは違っている。

「ねぇ、魔女殿? これからは魔法ではなく、私に頼ってくれると嬉しいのだけど」

「は、はい?」

 少女の声は動揺のあまりひっくり返っている。セレンの指の感触が髪から伝わってきて、少女の全身を痺れさせていた。

 セレンの指は強引だ。

「私が洗ってあげよう。前からずっと、君の髪を洗ってあげたいと思っていたんだよ」

「ふぇ……っ?」

 少女は瞠目し、素っ頓狂な声をあげた。

 セレンはくすくすと含み笑って、続けた。

「ああもちろん、髪だけではなく体の方もくまなく……」

「ちょっ、やっ、な、なに言い出すんですか、王子ってば!!」

「君の髪を洗ってあげようと言っているのだけど?」

「だっ、だってそれってつまり、一緒に湯浴みをってことで!」

「そのつもりで言ってるのだけどね? そう、せめて今日のように、私の屋敷に泊まってくれる日だけでも……」

「むっ、無理! 無理ですから、そんなのっ!」

 少女は喚きたてるように言い、セレンの腕から逃れようと体をよじった。が、もう遅い。森の魔女は、セレンのかけた甘い「魔法」にあっけなくかかり、その身はとっくに拘束されていた。崩れるようにして少女の膝が折れ、気がつくとセレンの膝の上に座らされていた。

 セレンの押しの強さに、少女はいつも抗えない。

 髪を洗う要領で魔法を使い、セレンの元から逃げ出すといったことすら思い浮かばないのだ。

 一方のセレンは、魔法にかかっているのだよ、と艶然と笑って言うのだ。「君が仕掛けた恋の魔法にね」と、気障な台詞を臆面もなく、さらりと。

「細やかな魔法を使うのは疲れると、前に言っていたろう? 湯浴みの後にそんな疲れを残したままでは可哀相だからね」

「そ、そ、そん……」

 もはや少女には言い返す気力も残っていない。しかしバタついて暴れれば、テーブルが倒れ、茶器を割ってしまうかもしれないと頭の隅でちらりと思えるあたりは、少しだけだが、セレンの気障さに慣れてきたのかもしれない。

「ああ、だけど、魔法を使う君も見てみたいな。石鹸を泡立てるところまでは、魔法を使って見せてくれるかな?」

「お、王子ってば! なんでもう一緒にお風呂に入ることで話を進めてるんですか!」

「嫌、かな?」

「い、いやっていうか、そういうことじゃなくてですねっ! うぅっ、もう王子ってばそんなしょんぼり顔するのは、ずるいですっ!!」

 結局、少女はさんざん文句をつけながらも、折れるのだ。

 セレンはしたりと微笑み、少女の熱い頬に接吻した。



 少女のつややかな黒髪は、陽の光に映え、とても美しい。

 だが烏羽玉の髪は素影にも映える。それを、少女の恋人であるセレンは知っている。――セレンだけが知っている。

 窓辺から差し込む幽かな月明かりが、ゆらゆらと晃蕩していた。

 揺らがせるのは、セレンだ。

 白い敷布の上、なだらかな曲線を描いて流れる黒髪がセレンを目を釘付けにさせる。セレンは少女の髪を指に絡ませた。甘い香りがセレンの鼻孔を掠める。官能的な芳香だ。それはセレン自身もまとっている。あるいは少女よりもずっと濃厚に。

 少女は眠っている。寝顔に苦しげな様子は見られない。寝息も落ち着き、安らいでいる。セレンの腕に抱かれ、身体を丸めている。

 少女の意識を、半ば無理矢理に奪ったのはセレンだ。

 ――加減を誤ってしまったな。

 微苦笑がセレンの口元に滲んでいた。

 悪かったと思う一方で、後悔はない。

 誘うのはいつも、少女のほうだ。無意識的にだが、セレンを蕩心させる。

 セレンは愁緒を拭い、少女のうなじに口づけた。

「好きだよ、キラ」

 そして目覚めを促すよう、少女の名をささやいた。




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