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キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
39/54

天に帰らせないためには羽衣を隠さないと

 枕元に置かれていた古い本を手に取り、枕辺に流れている長い黒髪をそっと退け、青年は寝台の端に座りなおした。

 一人寝にはひろすぎる寝台に、少女が一人、布団に包まって眠っている。さっきまで自分もそこに横たわっていたのだが、先に目が覚め、暫時少女の寝顔を見つめた後、少女から身を離し、寝台から出た。


 花のつぼみが膨らみ始める今時分の季節、朝はまだ肌寒い。

 青年は着替えを済ませていたが、目覚める様子もなく安らいだ寝息をたてている少女は、薄絹一枚も身にまとっていない。

 青年は布団の上からさらに自分の上着を少女にかけてやる。水鳥の羽毛の入った布団はそれだけで温かいだろうが、そうすることで、自分が少女を抱きしめているような心持になる。

 青年の口元に、微笑が浮かぶ。寝乱れた亜麻色の髪を片手で梳き整え、ぐっすりと眠っている黒髪の少女を見つめた。




 亜麻色の髪と瞳をもつ青年は、名を、セレンという。

 二十一歳という若さで、王都から離れた辺境地とはいえ、一領地を治める領主という立場にあるセレンは、国王の庶子という身分もあって、普段から冷静沈着であることを心がけている。しかし、心意を悟らせない柔和な表情は、黒い瞳と髪を持つ幼馴染みの少女の前にあっては、いともたやすく崩される。むろん、少女は意図してそれをしているわけではない。

 出逢った時から、そうだった。

 幼馴染みという間柄から、一歩も二歩も進んで、恋人同士となった今も、少女のセレンに対する態度は、さほど大きく変わっていない。

 嬉しくもあり、少々、物足りなくも感じている。むろんそれはセレン自身がもとより抱える不安感ゆえだ。

 セレンは、そっと手を伸ばし、少女の髪を一房掴み取る。

 柔らかな黒髪は、しっとりとした質感がある。少女の素肌と同じように、セレンの指に心地好く馴染む。

 長い黒髪を、唇に寄せる。仄かに甘い香りがする。

 少女の寝息を聞き、少女の髪に口づけ、滑らかな素肌に触れても、セレンは不安感を拭えなかった。

 昨夜、少女に語って聞かせた『物語』のせいかもしれない。




 古語の読み方を習いたいと所望した勤勉な森の魔女は、一冊の本をセレンに提示した。

 どうやら森の舘の倉庫で見つけたもののようだ。古ぼけた一冊の本。それは全編古語で記されていた。特殊な魔術文字に詳しい少女だが、母国語の古語は読めないらしい。

「古語は、魔術の根源にも関わる大切な『文字』だから読めるようになっておきたいんです。師匠から少しは教わってたんだけど……」

 少女の師匠だった先代の森の魔女は、二年程前に、天に召されてしまった。

 そのため、古語の修練は中途半端なまま終わっていた。師匠のような『森の魔女』になりたいと願っている生真面目な少女は、セレンが古語を読み書きできると知ると、真摯な顔をし、セレンに教えを請うた。

 セレンに、断る理由はない。嫌なはずもない。少女の手助けができるのなら、どんなことでもと思っていた。

 だから、もちろん二つ返事で了承したのだが、悪戯心がひょっこり頭を出してきた。

 セレンは優美な微笑を少女に向け、艶めいた声で少女を誘った。

「いくらでも、君が望むのなら教えてあげるよ。ただし、夜に、私の寝室でね?」

「……なっ、そん、お、王子ってばっ!」

 うろたえ、恥じらい、少女は顔から耳まで真っ赤になって、口ごたえをする。

「勉強は、夜じゃないほうがいいと思うんですけどっ!」

「そうだね、たしかに。真昼からでも、私は構わないが」

 意味ありげにセレンは笑う。

「やっ、ちょっ、何か話が食い違ってる気が!」

「そうかな?」

「そうです!」

 少女は古びた本をセレンに押し付けるようにして手渡した。

 魔法薬作りが得意の森の魔女も、セレンの優麗な微笑の前にあっては、町娘と何ら変わらない、ごく普通の「女の子」でしかない。

 そうした様子が、セレンにとっては誰より愛おしい。つい、からかいたくなってしまうほどに。

「わ、わたしはですねっ、この本を読んでほしいなって」

「ああ、これね。異国の説話集のようだけど」

「読み方を憶えたいから、王子に、読んでほしいんです。あ、でも、忙しいなら……」

「春先はどうしても雑務が増えるからね」

「そ、そうですよね、そういえば」

 王子が、「領主」という立場にあることを思いだし、少女は申し訳なさそうに肩をすぼめた。

 親しく付き合っている間柄とはいえ、やはり個人的なわがままを言うのは控えなければ、と、少女はあっさり引き下がろうとした。

 普段、少女はセレンの身分や立場を気にかけ、隔てを置くようなことはしない。だが、急に遠慮がちになり、距離を置こうとしてしまう。少女なりに、セレンを気遣っているのだろう。

 もっとわがままを言ってくれてもいいのに、とセレンは微笑う。

「そう、朝や昼は忙しいから」

 セレンは本を片手に、そしてもう片方の手を少女に差し伸べ、華奢な手を取る。

「夜に」

 身を寄せ、顔を近づけ、声を低めて、ささやく。

「読んであげる。横になって、ね」

「……っ」

 甘くささやかれ、少女は茹だって立ち竦む。

 否やはないが、恥ずかしいには違いない。だから、やっぱり文句をつけてしまうのだ。

「王子ってば、もうっ、意地悪ばっかりなんだから!」

 教授料だよと笑う、セレンに。




 古い物語のひとつに、『天女』の物語があった。羽衣をまとって地上に降り立った、『天女』。

 羽衣がなくては、天女は天に還れない。天女を天に還らせないためには、羽衣を隠してしまえばいい。

 だが、羽衣をもたない少女を失わないようにするには、どうすればいいのか。

 鎖で繋いでおけばいいのか。それとも鳥籠に閉じ込めてしまえばいいのか。

 それでも、少女を失わないとは限らない。

 セレンの不安は、募る恋情につきまとって、消えることがない。光があれば、影ができるように。



 セレンを覆う影は、しかし、少女への恋慕までをも翳らせることはない。少女自身をも。

「……キラ……」

 名を、口にした。

 それは、少女の秘められた名。セレンにとってかけがえのない、ただ一つの名。そして少女の存在そのものを示す名でもある。

 応えるように、少女キラは瞼をあげた。

 濡れそぼった黒曜石のような双眸が、セレンをとらえる。

「おはよう、キラ」

 セレンは穏やかな笑みを、少女に向ける。翳りをキラに悟らせることなく。

「……っ、ぅ、あ、あの……っ」

 セレンとともに過ごした夜の名残が、キラの意識を未だ夢に縛りつけているらしい。頬に赤みはさしているが、瞳はまだまどろんでいる。何度見ても初々しい、キラの寝起き顔だ。

「お、おはよう……ございます。あ、あの、王子……」

「ん?」

「あの……わたしの、服が、その……見当たらないんですけど」

 視線を忙しなく動かし、探していたのは昨夜寝台に入るまではたしかに着ていた、衣服だ。枕辺にあると思ったのだが、見えない。

 セレンはにこりと笑って、応えた。

「君を帰らせないためには、羽衣を隠してしまわないとね」

「は、羽衣ってっ!」

 昨夜聞かせてもらった物語を示唆していると気づき、キラはさらに頬を紅潮させる。

「王子ってば、そんな……意地悪しないでください」

 身体を起こすこともできず、キラは布団の端を掴んだままでいる。

 セレンの髪が、窓から射し込む旭光を受けて金の細波のように光り、それがまぶしくて目を瞑ってしまった。ほんの少し、泣きたい気分になっていたせいもある。

 セレンはため息をついた。眉をさげ、切なげに目を細める。

「……王子……?」

 セレンのため息を聞き、不安になったのか、キラは布団の中からそっと手を伸ばし、セレンの指を握った。

 セレンは微笑を浮かべて、応えた。

「足元にあるよ」

「え?」

 キラは目をぱちくりとさせ、じっと、セレンを見つめた。セレンは穏やかな微笑を湛えたまま、短く言った。

「君の服」

「……あ」

 セレンは立ち上がった。キラの手がぱたりと寝台に落ちる。

「こちらに朝食を運ばせるよう、手配してこよう。その間に着替えておくといい」

 広すぎる寝台の下端に、セレンが脱がせたキラの衣服は置かれていた。

 セレンが寝台から数歩離れてから、キラは慌ててセレンを呼び止めた。

「あっ、あのっ、王子……っ」

 キラは布団を抱いたまま上半身を起こした。長い黒髪が白いシーツに流れ、艶めいた模様を描いている。

「あの……っ」

「……」

 セレンは肩越しに振り返り、キラを見る。何か言いたげに亜麻色の双眸が細められている。

 キラは胸の動悸をおさえながら、縋るような目をしてセレンを見つめ返し、恥じらいを押しやって云った。

「わたし、羽衣が見つかっても、王子の元から去ったりしません。王子の……セ、セレンの傍に、ずっといます」

 キラの双眸は、僅かに潤んでいる。

「……キラ」

 立ち去りがたいを言うねと心中で呟き、セレンは嘆息し、肩を落とした。

 キラは少し身体を竦ませている。頼りなげな様子が、セレンの瞳にいたいけに映る。

「すぐに……戻るよ」

 セレンは綽約とした仕草で微笑み、名残惜しげな足取りで寝室から出て行った。



 どうやら、羽衣を隠すことすらできないらしい。

 その必要もないと、分かっているのだが。

 戸の向こう側、セレンは佇み、微苦笑を浮かべていた。



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