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キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
33/54

余裕がないなんて知られたくなくて

 それは、唐突な質問。

 少女はあどけない顔で、訊いてくる。少しばかり恥じらって、けれどまじろぎもせずに。

 少女はいつもそうして惑わせる。恋慕をいや増させる。

 無邪気な魔力を、無意識的に発揮して。




「あのぅ……王子。その、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

 躊躇いがちな声と表情で、少女が声をかけてきた。亜麻色の髪の青年の前に、ちょこんと座って。

 淹れたてのハーブティーと、手作りの焼き菓子をテーブルに並べた後のことである。

「なにかな?」

「いえ、あの、たいしたことじゃないんですけど」

 森の魔女と呼ばれている少女だが、その表情はあどけなく、暗く不吉な影もなければ、艶かしく邪な匂いは、微塵もない。王子と呼びかけられた青年の方こそが、艶めいた雰囲気においては勝っており、温厚な面立ちではあるが、つかみ所のない柔らかな微笑を神秘的に感じる者もいるだろう。瀟洒な外見と典雅な物腰は、美神の恩寵を受けた容貌をさらに際立たせている。

 国王の庶子であり、領主という立場にある青年は、名をセレンという。そして、セレンの前に落ち着かなげに座っている「森の魔女」と呼ばれる少女は、セレンの幼馴染みであり、恋人でもある。

 ほんの数日前、セレンは少女に想いを告げた。その想いの名は「恋」といった。それは、長い間胸に抱え込んでいた想いだった。

 そして、セレンは森の魔女の秘された名を知った。特別に、と。少女の気持ちをも。

 森の魔女たる少女にとって、セレンはもとより「特別な存在」だった。自分同様、先代の森の魔女の教え子でもあり、大切な幼馴染みでもあった。

 その、特別で、大切、という感情に、また別の感情が足されたことに、少々戸惑っている。だがその感情は、もうずっと前から、心の奥底で育まれていたものだったのかもしれない。――と、思うようになっていた。実のところ、その思いに少女は戸惑っている。

 だから、今まで以上にセレンのことが気にかかり、一挙一動に心が揺れた。

 少女の、今の一番の関心事は、目の前にいる美貌の青年のことだ。

 もともと好奇心旺盛な少女は、「知りたい」と思ったことは、物怖じせず、聞き出そうとする。

「あのですね、王子。あの時、シグに何を言ったんですか?」

 あの時、というのは、数日前のあの日のことだ。

 シグという青年に強引に言い寄られ困窮していた少女をセレンが助け出した、という小事があった。

 衣服屋の跡取り息子のシグに、少女は長いことつきまとわれ、求婚までされていた。少女にその気はなく、はっきりと断った。にもかかわらず、シグはしつこく迫り、少女を困らせ続けてきた。

 人の話をまるで聞こうとしないシグが、あの時、よくあっさり引き下がったものだ、と思う。

 あの時、セレンは微笑を湛えて、シグに耳打ちした。何を言われたものか、シグは顔色と言葉を失った。たったそれだけのことが効果覿面で、以後、シグは少女に声をかけることすらしなくなった。よほどのことを言われたに違いない。

「シグ?」

 セレンは小首をかしげた。少女は頷いた。

「…………ああ、あの彼のこと?」

 思いだすのに少々の時間が要った。セレンの記憶の中、「シグ」という男の名も顔も、もはや消えかかっていた。


 別にたいしたことは言っていないよと、セレンは微笑で答えた。

「たいしたことない……ようには思えませんでしたけど」

 少女の黒い瞳には、不満の色がある。拗ねている様子はいかにも少女らしく、あどけない。頬にさす紅色が映え、少女の可憐さを引き立てているようだった。

 少女の素直すぎる表情は、セレンの心を和ませる。それと同時に、悪戯心も湧いて出てしまう。むろん愛情から湧き出る、欲求だ。

 もっと色鮮やかに、少女を染めたい、と。

 セレンは困った風に小さく笑った。

「本当にたいしたことではないんだけど、ね」

「でも……なんだか気になります」

「気になる? それは、誰のことが? 彼のことが気にかかるのかな、もしかして?」

 セレンは目を細め、じっと少女を見つめた。亜麻色の視線を、少女に注ぐ。

「ちっ、違います! そうじゃなくて!」

 首を振り、少女は慌てて言葉を継いだ。

「別に、シグのことが気になってるわけじゃなくて! や、その、気になってるといえば、たしかにそうなんですけどっ。単なる好奇心っていうか」

 憂げな瞳を向けられて、少女は動転していた。セレンの眼差しに絡めとられ、胸を高鳴らせている。

 少女の素直すぎる反応が、愛おしい。

 おろおろと焦り、言い訳がましいことを口にする少女を、セレンは静かに見つめている。

「どんな弱みがあったんだろうって、そんな他愛ない興味で! 別にシグがどうのってことはなくて!」

「……シグ、ね……」

 妬ましくなった。

 セレンは自嘲めいた微笑を口元に浮かべ、ぽつりとこぼした。

「彼のことは、名で、シグと呼ぶんだね?」

「え?」

「……」

 不意に、沈黙が振り落ちてきた。

 少女は瞳を瞬かせ、少し驚いたような顔をセレンに向けた。

 なぜそんなことを言うんだろう、どういう意味なんだろうという疑問が少女を戸惑わせた。

「妬けるね、少し」

「え、え?」

 何のことですか、と、少女はうろたえつつ、訊き返す。

 セレンの心情を察せられず、焦り顔になっていた。

「……」

 セレンの亜麻色の瞳が心細げに沈んだ。その瞳を、そっと少女から逸らした。

 ――名で、呼んで。

 何度それを言っても、少女は照れくさいのか、「セレン」と呼んではくれない。「王子」という通称ではなく、「セレン」と呼んで欲しかった。

 彼の名は呼ぶのに、と。

 それはあまりに子供っぽく、みっともないとすらいえる、嫉妬心だ。

「あの、王子……?」

 心配そうに、少女はセレンの顔を覗き込む。

 秋の夕照が、セレンの秀麗な横顔に僅かな翳りを落としていた。

「なんでもないよ。……そう、これもたいしたことではないから」

 セレンは静かな微笑を湛え、少女の方に向き直った。そして、やにわに少女の黒髪を一房掴み取り、指に絡めた。

「誰にでも弱みというものはあるものだね。彼だけではなく」

「え、やっ、ちょっ、あのっ、王子っ」

 セレンと少女の距離が、一気に縮まる。

 セレンを「王子」と呼ぶのが少女の長年の癖というなら、セレンが少女の髪を指に絡め、甘やかな微笑を浮かべるのもまた一つの癖のようなものかもしれない。

「彼の弱みが、気になる?」

「そっ、それは、そのっ、少しは気になりますけどっ」

「けど?」

「それより今は、王子の方が気になりますっ」

「……」

 セレンは思わず失笑しそうになった。

 あどけない顔をしたこの恋人は、なんと愛らしいことを言うのだろう。

 照れくささに頬を真っ赤に染めながら、そのくせ目を逸らしもせず、ひたむきにセレンを見つめ、必死に言葉を紡ぐ。そうして、セレンが欲する言葉を、鈴を鳴らすような声で振りだしてくれる。

「――キラ」

 それは、ごく自然な成り行きだった。

 少女の秘された名を呼び、直後、少女のしなやかな黒髪に口づけた。

「ちょっ、やっ、王子ってばっ!!」

 おたおたと慌てふためき、キラはセレンから身を離そうとする。

 テーブルの上のカップが、硬い音をたてて揺れた。倒れずにはすんだが、カップの中の淡い黄緑色をしたハーブティーはすっかりぬるくなり、香りも薄らいでしまっていた。

「たいした効果があるね、キラの一言には」

「こっ、効果って、どんな効果ですかっ?」

「思わず、……――」

 セレンは黄昏の光を瞳に映えさせ、キラをその眼差しで繋ぎとめる。

 糖蜜のように甘く優艶な微笑を向けられ、キラは硬直するより他に反応のしようがない。

 セレンは静穏な微笑みに悪戯な色を足して、嫣然と笑って続けた。

「思わず、口を塞いでしまいたくなるほどの」

 そして、キラの柔らかな唇に己の唇を重ねる。


 あの時シグを黙らせたのとは違う理由と方法で、キラの口を塞いだ。

 優しい沈黙の中、キラの戸惑いがちな感情をそっと引き出して、抱擁する。


「……もう……王……、セレンの、いじわる」

 キラの一言は、効果がありすぎる。

 セレンは含み笑い、もう一度、キラの黒髪に口づけた。






 結局、

「あの時、何を言ったんですか?」

 という質問に、セレンはにこりと笑んで、ごまかした。

「……じゃぁ、王子の弱みっていうのは……」

 代わりに、とばかりに、キラは、迂闊にもそれを聞き出そうとした。

「もちろんそれは――」


 答えなど、分かりきっているのに。


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