キラキラ scene.3
翌日、買い忘れた食料品と生活用品があったため、再度町へやってきた少女は、手提げ籠に入っている連れに、話しかけた。
「屋敷に来いだなんて、なんだと思う?」
昨夜から数えること八回目。繰り返されたその質問に、リフレナスは辟易していた。一方の少女は、珍しくリフレナスの返答を期待していなかった。自身で何やら答えらしきものを口にしてみては、いや、そんなことはないよね、と呟いていた。
「それとね、リプ。昨日ここで王子が女の人と歩いてたんだよ」
「へえ? 見合い相手かなんかか?」
「と思ったんだけど、どうなんだろ」
小麦粉と茶葉、ガラス容器を購入した後、衣服屋の前で足をとめた。
シグは、たとえ居たとしても、出てはこないだろう。でもやっぱり、店には入りづらい。
窓ガラスに映る自分を見つめ、少女は落胆したようなため息をついた。
紺一色のかざりっけのない着衣、鬱陶しく垂れ下がる黒髪、背の低さも手伝って、子供っぽいことこのうえない。
昨日王子と歩いていた女性とは、天と地ほどの差がある。
「王子の屋敷に行くのが、そんなにイヤか?」
繰り返される質問とため息から導かれる主の心中を、主よりは把握しての、リフレナスの少し意地悪な問いだった。
「イヤってわけじゃないよ。ただ、なんかなーって」
「なんか、というのは?」
「だから、なんかは、なんかよ」
本当にわかっていないようだ。リフレナスは主の鈍感さに呆れ、尻尾を下げた。
「でも行かないわけにもいかないしね」
「そうだな。行かなければおそらく迎えをよこすだろうな」
「やだな、それ。なんか悪いことした気分」
「ある意味、な」
「ちょっと、リプ? 何、どういう意味、それ?」
「さあな」
訳知り顔の眷属は籠の奥にもぐってしまった。こういうときのリフレナスは、どうつついても口を割らない。
「……まあ、いいや。行ってみればわかるよね? 手土産に、パンでも作っていこうかな。惚れ薬の代わりにでも」
「惚れ薬は、もう必要ないと思うがな」
「え、何?」
リフレナスの呟きは、少女の耳には届かなかったようだ。聞き返しても、リフレナスは面倒くさげに応じるだけで、二度は口にしなかった。
風が、少し冷たい。
梢の隙間に見える薄藍色の空を仰ぎ、嘆息した。
陽光が、風にそよぐ緑の葉に反射して、きらきらと光り、目にまぶしいくらいだ。
「そういえば、久しぶりだよね、王子の屋敷へ行くのは」
「そうだな。俺達だけで行くのはこれが初めてなんじゃないか?」
「そっか、そういえばそうかも。緊張するな、そう言われてみると」
徒歩ではなく、少女は馬の手綱を引いている。王子の屋敷は、馬の並足で一時間近くはかかる。師匠が存命だった頃は荷馬車をひいて通った道を、今は眷属のリフレナスだけを供に単騎、ゆるりと向かっている。
「屋敷へ行くっていうのに、その格好でいいのか?」
出掛けに、リフレナスがそう言った。「もっと小奇麗な格好をすべきではないか」という意味だ。
たしかに、普段着での来訪は、いくら幼馴染みだとしても、無遠慮すぎるだろう。なんといっても王子は、「王子」のみならず「領主」という高位の身分だ。
とはいえ、少女はしゃれたドレスなど持っていなかったし、突然着飾っていっても、かえって王子を戸惑わせる気がする。結局、普段着よりは少しマシな服を選んで、身支度を整えた。ヤマモモの樹皮で染めた黒茶色の衣服は、いささか地味すぎたかもしれない。
手提げ籠には、手作りパンと、摘みたてのハーブが入っている。薬草は、常に何種類か持ち歩いているが、王子の依頼品の惚れ薬は、むろん入っていない。
道中、少女のため息の数は、二十を軽く突破した。それを数えているリフナレスもリフレナスで、つい「いいかげんにしろ」と言いたくなる。主にも、自分にも。
ひときわ大きなため息をついた直後、手綱を引き、馬の脚を止めた。屋敷の門前に到着し、少女は馬上から降りた。
そこへ、まるで少女の到着を計っていたかのように、ハディスが姿を現した。
「ようこそおいでくださいました。お弟子殿。ああ、いや、もうお弟子殿と呼ぶのは失礼にあたりますな。魔女殿」
「ど、どうも、こんにちは」
ハディスの慇懃な対応に、少女は戸惑いながらも、軽く会釈をして挨拶を返した。
先日会った時とはうってかわって好意的といっていい。けれど、やはりどこか探るような視線を感じる。
「主は中庭でお待ちです。ご案内いたします」
「ありがとうございます」
門をくぐり、ハディスの後について歩いた。
そんなに広大な建物ではない。領主の住まう屋敷にしては狭すぎるのではないかと、少女は思っていた。むろん、幼少時は逆に、なんて広いお屋敷だろうと感嘆していたものだが。
屋敷は前代の領主の普請で建てられたものだ。 国王の血統に連なる人物ということと、不必要な装飾を嫌うということが、前代領主と当代領主の共通点といえよう。前代領主と当代領主である王子は姻戚ではない。例外的な措置で王子はこの地の領主となった。前代領主はここから僅かに離れた土地で静かな隠遁生活を送っている。
少女は改めて屋敷内を見回した。懐かしいという気持ちが湧いてくる。
屋敷は相変わらずこざっぱりとしていて、ある程度の装飾は施されているが、無駄な調度品や贅沢な宝飾品は排されている。屋敷と庭園との調和を第一に考え、全体的な配色も抑えたものに整えてある。
王子の母は五年前に亡くなっていて、同母の兄弟はいなかったから、現在この屋敷には、領主である王子の他には、使用人がいるだけだ。つまり、王子も「気楽なわび住まい」という、少女と似た境遇の中で暮らしている。
「あ、あの、ハディスさん?」
「なんでございましょう?」
「あの……王子のご用件って、何なんでしょうか。伺わずに来てしまったんですけど」
「昼食をご一緒に、とだけ伺っておりますが」
そうですか、と相槌をうった少女の肩を、誰かが軽く叩いた。反射的に振り返った少女は、思わず目をみはった。
褐色の髪の女性が、そこにいたのである。