野辺の容花 2 (終)
いまさらですが「容花」は「かおばな」と読みます。
ほどなくして、仕立屋のロイナが戻ってきた。
「失礼いたします、セレン様」
ロイナはふくよかな顔をやわらげ、セレンの傍らに居る少女に、さっきと同じように会釈をした。つられて、少女も頭を下げる。
「ああ、ロイナ。さっき言った通りに、頼むよ」
「承知いたしました。七日以内に仕上げればよろしいのでしたね?」
「ああ。急なことですまなかったね、ロイナ。私はどうもそういった方面に疎いから細かな注文はしない。ロイナの好きなように仕立ててくれ」
「かしこまりました。セレン様のお気に召していただけるよう、心してかかりますわ」
セレンとロイナの会話を、少女は聞くとはなしに聞いていた。自分には関係のない話だろうと思っていたから、会話に加わることはせず、持ってきた焼き菓子を小卓に並べようと踵を返した。その少女の手首をセレンはいきなり掴み、引き止めた。
「え、なんですか、王子?」
少女はびくりと肩をあげ、目を瞬かせてセレンを見やった。セレンは穏やかに……いや、少しばかり悪戯な色を含んだような目をして、微笑んでいる。そして少女にではなく、ロイナに声をかけた。
「ロイナ、隣の寝室へ移動しようか?」
「いえ、寸法をとるだけですのでこの場で構いません。では魔女様、採寸をさせていただきます。すぐに済みますので、じっとしていてくださいね」
「ちょっ、あの、待ってください! 話がさっぱり見えないんですけど!」
ロイナは、何が何やら訳がわからないといった顔で二人を見やる少女のことなど意に介さず作業を進めた。巻尺を伸ばし、それを少女の肩やら腕やら腰やらにあて、寸法を測っている。少女はロイナの指示に従い、腕を上げ下げしている。ロイナの言うなりになっている少女だが困惑顔をセレンに向けて、この状況の説明を求めた。
「ロイナは仕立屋だよ。そのロイナに採寸させているのだから、答えはおのずと出ると思うけど?」
セレンの婉曲な言い回しに、少女はちょっとムッとして、柳眉を逆立てた。
「分かりません、そんなの。だって王子は時々わけのわからない突飛なことをする人ですから!」
「君ほどではないと思うけれどね?」
「王子がそういう風に笑う時って、何か企んでる時です。ですよねっ?」
「企んでるなんて……人聞きが悪いな」
「人が悪いっていうんです、王子のは!」
「ああ、そうかな。なかなかうまいことを言うね、魔女殿は」
別段気分を害したようでもなく、セレンは小さく笑って続けた。
「たしかに私は悪い男だね。気持ちを先走らせて、君を怒らせてばかりだ。迷惑に思われてもしかたがないかな」
「王子ってば、わざとらしくしょんぼりしないでください! そりゃぁちょっとは怒ってますけど、別に迷惑とか、そんな風には思ってません!」
「迷惑ではないのなら、私の気持ちを受け取ってくれるね。ね、魔女殿?」
「ううっ、もう王子ってば、そういうのずるいっ」
セレンと少女が軽口とも睦言ともつかないそれを叩き合っているうちに、ロイナは必要な寸法をすべて測り、巻尺と寸法を書きとめた用紙を懐にしまった。そうしてからロイナは機を見て、二人に声をかけた。
「それではセレン様、私はすぐに仕事にかかりますので、本日はこれにて失礼いたします」
仲睦まじい恋人同士にあてられのかもしれないし、単に、早く仕事場に戻って依頼された衣装の製作に取り掛かりたかったのかもしれない。ともあれ、ロイナは領主セレンと森の魔女に会釈をし、挨拶もそこそこに退出した。
そして森の魔女は、ロイナが出ていったドアを半ば茫然と見やっている。
まったくなんて慌ただしいのかと呆気にとられている風でもあった。
ぽかんとしている少女を可笑しげに見つめていたセレンだったが、ひと息ついてから、場を取り繕うような風でもなく、「さぁ、魔女殿」と声をかけた。
「君が作ってくれた焼き菓子もあることだし、お茶にしよう。そうだな、今日は好い天気で風も涼しいから、中庭の木陰で」
セレンの優麗な微笑みは、逆らう気力を削ぐのに絶大な効果がある。
少女は「しょうがないなぁ」と内心ため息をつく。
セレンは強引だ。
だけどその強引さも嫌いではない。それに、セレンのちょっと(時にはかなり、だが)強引な我儘をきくのは、こそばゆくもあるが、嬉しいのだ。
「それじゃぁ、わたしはお茶を淹れてきますね。王子は先に中庭にいって、待っていてください」
そう言って、少女はふわふわと花がほころぶように明るく笑った。
思いのほか早くに仕上がったそれを持って、ロイナがセレンの屋敷にやってきたのは、依頼を受けてから五日後のことだ。
「我ながら会心の出来です」と言うだけに、なるほど、ロイナが製作し、完成させたそれは見事な出来栄えだった。
「いかがでございましょう、セレン様。お気に召していただけたでしょうか」
ロイナに問われ、セレンは微笑んで頷いた。
「期待していた以上に素晴らしい出来だ」と満足げに応え、「ロイナに依頼してよかった」とも言い添えた。
「お褒めにあずかり恐縮です」
ロイナは誇らしげに微笑みを返すと礼を述べて軽く一礼してから、この場の主役である「森の魔女」に視線を向け直した。
「魔女様はいかがでございましょう? お気に召していただけましたでしょうか?」
「は、はいっ?」
水を向けられ、森の魔女と呼ばれる少女は思わず姿勢を正した。少女は緊張した面持ちでいる。着なれないドレスを身にまとっているせいだ。落ち着かなげにしているが、嫌がっているわけではない。照れているのだろう。
「えっと、その……とても素敵で、わたしには勿体ないかなってくらいです」
少女がまとっているドレスは、セレンがロイナに「森の魔女殿に似合うドレスを」と依頼し、作らせたものだ。
薄い紗の生地を花びらのように重ねた、やわらかな風合いのドレスだ。色は乳白色と淡い珊瑚色を基調にし、襟元や袖口、裾には若緑色の糸で刺繍が施されている。総丈は膝が隠れるほどの長さだ。靴もドレスに合わせたものになっている。象牙色の靴には色とりどりの輝石が花の形を模して飾られており、ほっそりとした少女の足によく映えている。
少女の立ち居姿は、まるで明るい陽の射す野辺に咲く一輪の花のようだ。可憐で、愛らしい。
その花は、セレンの優しげなまなざしを受けて、さらに鮮やかな色を容貌に浮かべ、咲き綻んでいる。
「よく似合っているよ、魔女殿」
セレンが言うと、少女は照れくさそうに頬を染めて、少し俯いた。
「そ、そうかな……」
「うん、とても。いつも以上に愛らしいよ。光の精霊と見まごう程だ。羞月閉花の美しさだね」
「もうっ、王子ってばまたそんなこと言って! もしかしてからかってるんですか?」
「とんでもない、からかうなんて。本心からの言葉だよ?」
「王子はいつも褒めすぎなんです!」
恥じらうあまりについ文句を言ってしまう少女だ。セレンも少女の恥じらいを分かっているから別段文句をつけられてもしょげるようなことはない。むしろ少女の恥じらう様を楽しんでいるきらいのあるセレンだ。少女が言うように、セレンは少々「人が悪い」ところがある。少女に対してだけなのだが。
反射的にセレンに文句を返してしまった少女だが、似合うと言ってもらえたのは、やはり嬉しかった。知らず、口元がほころんで、笑みが浮かんでいた。
森の奥で慎ましく質素に暮らしている「森の魔女」ではあるが、やはり年頃の娘なのだ。綺麗で真新しいドレスを着、「似合う」と褒められて嬉しくないはずがない。普段は着ない豪奢なドレスは、それだけでも心を弾ませ、高揚させる。しかもそのドレスは恋人が自分のために作らせたというのだから、嬉しさも倍増しようというものだ。
「王子のことはさておき」
少女はほとんど無理やりに話題を転換させ、ロイナの方に向き直った。少女の傍らでさておかれたセレンは「ひどいな」と小声をもらし、軽く肩を竦めて悪戯っぽく笑っている。
「ロイナさん、素敵なドレスを作ってくださってありがとうございました」
言ってから、少女は深々とお辞儀をした。少女の、少々畏まってはいるが、心からの謝辞を受けてロイナも喜色を浮かべ、「こちらこそ」と礼を返した。
ロイナが辞去した後、二人きりになってから少女は改めてセレンに尋ねた。どうしてドレスを贈ってくれたのか、と。
セレンらしい悪戯心かとも思ったが、それだけではないような気がする。何か理由があるのではないかという少女の推測は当たった。
セレンはことさら勿体つけることなく、少女の問いに答えた。
「実は王都に行くんだよ、久しぶりにね。それで近々……そう、この二、三日中には出発したいと思ってる」
「はぁ……?」
話をはぐらかされたのかと、少女は首を傾げた。セレンはくすりと小さく笑って、先を続けた。
「それで、今回の王都行には君にも同行してもらうから、そのつもりで」
「はぁ……って、えっ!? わたしも?」
少女が驚くのはもっともだ。ちらとでも、王都行の話しなぞ、この数日の間にセレンの口から出たことがない。
少女は黒い眸をこぼれんばかりに大きく瞠らせ、当惑した様子でセレンに訊き返した。
「どうしてわたしも王都に行かなくちゃいけないんですか? や、その前に、ちょっと突然すぎるかと思うんですけど!」
「いや、王都に行くのはずいぶんと前から決まっていたことだよ」
「そうじゃなくて! 王子が王都へ行くのはいいんです。けど、わたしも一緒になんて、そんな話は聞いてないです! どうして事前に言ってくれないんですか?」
「どうしてって。前もって言っていたら、きっと君は遠慮するだろうから」
「それは……するかもしれませんけど。でも、そんな勝手に……」
「勝手は承知の上だ。ただ今回はどうしても君に一緒に来て欲しくて、だから今まで黙ってた。……ごめん」
「……そんな、の……」
しおらしく謝罪されてしまっては、少女はもう強く責め立てられない。それもセレンの作戦のうちかもしれないと分かっていても、結局は許してしまう。
「でも、どうして……?」
さらに問いを重ねると、セレンはさらりと重要なことを口にした。
「父が、君に会いたがっていてね」
「え……?」
「父には前々から、一度は王都へ……城へ魔女殿を連れてきなさいと言われていたんだよ。私の最愛の人を一目見たかったのだろうね。直に会って話してみたいとも仰っておられた」
セレンは額にかかる亜麻色の髪をかきあげ、ふうっと軽く息をついた。困ったように眉を下げはしたが、口元には笑いが滲んでいる。
「生来好奇心の強い方のようだからね、どうやら視察も兼ねて、お忍びでこの領地まで来るつもりでいたらしい。まぁ、さすがにそれはできないと諦めてくれたようだが……」
「まっ、待ってください、王子!」
堪らず、少女はセレンの言葉を遮った。
「父って……王子のお父様って、それってば、国王様のことじゃないですか!」
少女はもうほとんど叫ぶような声になっていた。さっきまで赤く上気していた頬は一気に色が抜けたように白くなる。
セレンは平然とした口調で「ああ、そうだね」と返し、小さく笑ってすらいる。その余裕ぶりがまた少女の怒気を招くことになってしまった。
「どうしてそんな大事なこと黙ってたんですか!」
「…………」
「ううん、それよりも! わたし、国王様に謁見なんて無理です。そりゃぁ師匠は高名な魔女で、国王様のお耳に留まることもあったってことは聞いてましたけど、わたしはまだまだしがない二代目なんです。国王様にお会いするなんて、そんな……っ」
少女は両の手のひらで頬を挟み、顔を俯かせた。ふるふると首を横に振る度に、長い黒髪が少女の波打つ心を表すかのように揺れ動く。
セレンはため息をつき、腕を伸ばした。委縮し、身を縮こまらせている少女の髪をそっと撫ぜ、穏やかな口調で話の先を続けた。
「父は、国王の立場から君に会いたいと言っているのではないよ。私も同じだ。君には、森の魔女としてではなく、私の大切な思い人として、父に会ってほしいと思ってる。だから……」
「…………」
ふらりと、少女の体が傾いた。次の瞬間、少女はその身をセレンの胸に投げだしていた。
「王子、わたし……」
少女は顔を俯かせ、セレンの胸元をきゅっと掴んでいる。長い黒髪に隠れて、セレンには少女の顔は窺えない。か細い声だけが聞こえる。
セレンは突然のことに驚きつつも、さりげなく少女の背に腕を回し、やわらかくその華奢な身体を包み込んだ。
「君が……君がもしどうしても嫌だというのなら、無理強いはしないよ」
「王子」
セレンの腕の中、少女は窮屈そうにそろりと顔を上げた。
「えっと……、わたし、す、すみません、動揺しちゃって……」
「うん?」
「その、えっと……行きます、から。王子と一緒に、行きます。連れて行ってください」
少女の言に、セレンは微笑した。ホッとした、というのが正直なところだろうか。
「よかった。やはり合意の上で一緒に来てもらいたかったからね」
「とか言って、強引に連れていく気満々だったんじゃないですか、王子?」
「そうだな……隠しておけばよかったかなと思うよ、最後まで。王都に連れて行って、そこで実はと告白するテもあったね」
「それはひどいです、王子」
少女はどうにか動転していた気を落ち着かせることができたようだ。軽口をたたけるくらいの余裕も生まれていた。
「王子ってば、ほんと人が悪いんだから」
「うん、どうやらこの性格は父親譲りらしい」
「そうなんですか?」
「そうみたいだ。だからね、魔女殿。それほど緊張しなくてもいいよ。個人的な会食の場を設けると言っていたから、あまり硬くならず、気軽な気持ちでいてくれればいい」
「それはちょっと……無理です。だってやっぱり国王様だし……。それに王子のお父様なんだもの。緊張するなっていう方が無理だと思います」
ふわりと、花がほころぶように少女は笑った。
「でも嬉しいです。王子の……セレンのお父様に会えるなんて」
「……」
セレンは少女を抱きしめる腕に力を込めた。そして少女の肩口に額をのせ、聞こえるか聞こえないかの小声でぽつりと、礼を言った。
「ドレスを贈ってくれたのは、国王様に会うのに必要だったからなんですね」
少女の、納得がいったというような確認の問いを受けて、セレンは「それだけではないよ」と微笑みを返した。真新しいドレスをまとっている少女を、その腕の中にとらえたまま。
「君に似合う服を贈りたいとずっと思っていたんだよ。いつも着ている服も、森の魔女らしくて良いけれど、もっと華やいだ服も似合うだろうからと思って」
「……似合ってるかどうか自分では分からないけど、でも、嬉しいです。こういうドレスも着てみたいなって思ってたから」
少女の頬に赤みが戻る。
照れくさがったり怒ったり笑ったり、少女の表情は花の色よりも豊かに変化する。
少女自身が鮮やかで美しい光彩を放っているから、たとえ着用する衣装の色合いが地味なものでも、暗い雰囲気に落ちてしまうことはない。
セレンは愛しげに目を細め、腕の中の少女をしみじみと見つめた。
「本当に、よく似合ってるよ」
「……ありがとうございます」
今度こそ素直に、少女ははにかみながら礼を言った。
「それにしてもこのドレス、着る時、大変だったんですよ。釦とめるところも多くて。一人でちゃんと着れるか、ちょっと不安……。ロイナさんにもう一度着方を聞いて、おさらいしなくちゃ」
「ああ、それなら大丈夫」
くすりと笑って、セレンは少女の頬に手をあてがった。もう片方の手はまだ少女の腰に添えられ、長い黒髪をもその指に絡めていた。
少女は不思議そうな顔をして、何が大丈夫なのかと訊き返す。セレンは悪戯っぽく笑って少女の疑問に答えた。
「着付け方はロイナから聞いておいたから」
「え……?」
「私が手伝ってあげるよ、着る時も、脱ぐ時も。だから大丈夫。安心していいよ」
美貌の青年の綽然とした微笑は、心を安んじさせるにはあまりにも魅惑的すぎる。
少女は絶句し、それからすぐにはっとなって、言い返す。
「もう王子ってば、全然大丈夫じゃないですから!」
確かにね。と、セレンは少女を抱きしめたまま、愉しげにほくそ笑んでいる。
それから、セレンはしたり顔で言ってのけた。
「男が恋しい人に衣服を贈る時はね、そこに愚かともいえる下心を少なからずひそませているものだよ。…――さぁ、その下心がどのようなものか、君に教えなくてはね、キラ?」