表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
26/54

清祥

 魔女の眷属は、猫や鳥の姿をとることが一般的だと思われているらしい。

 が、人間の姿をとる場合もある。眷属は、契約主である魔女の力を源にして姿かたちを変幻させることができ、また主の力が大きければ持続性も高まる。

「ね、リプ?」

 森の魔女と呼ばれる黒髪の少女が小首を傾げて、己の眷属であるリフレナスに尋ねた。リフレナスは少女の片手に乗るほどの大きさのネズミだ。金褐色の毛並みはつややかでやわらかい。長い尻尾も金褐色の毛で覆われ、ふさふさとしている。冬が近いからかもしれない。

「リプがネズミの姿なのは、師匠が選んだからなんだよね?」

「そうだ」

 この会話の流れにどことなく既視感を覚えたリフレナスは、げんなりといった様子で尻尾を垂れさせた。リフレナスの返事は一年前と同じに、そっけない。

「ネズミの姿でいる方が、リプにも楽?」

 リフレナス専用の小さなカップに香茶を注ぎつつ、少女はさらに尋ねた。

「まぁ、そうだな」

 小回りがきくという点では便利だ。と答えると、少女は「ふぅん」と鼻を鳴らした。

「でも人間の姿をしてる方ができることっていっぱいあるよね。それにリプって魔力も高いでしょう? 魔法だって人間の姿をとっている方が使い易いんじゃない?」

「…………」

 リフレナスは黙り込んだ。

 たしかに少女の言うとおりだが、自ら望んで人間の姿に変じたいとは思わない。今の姿のままで不便を感じることはなく、都合もいい。――人間に姿に変じれば、それに応じた用事を言いつけられる。それが受けるのが面倒だとか億劫だとか、そういう理由で人間の姿に変じたくないと思っているのではない。……おそらくは。



 眷属は、もとは超自然的な存在、精霊だ。

 精霊は、その存在のありかたも様々だ。一言で精霊といっても、悪しき魔物と恐れられる「精霊」もいる。精霊とは「魔力」そのものであるといっていい。魔力に風や火、水といった属性があるように、精霊にも属性がある。

 リフレナスは風属性の精霊だった。そしてそのリフレナスを召喚したのは先代の森の魔女で、その魔女の魔力属性は風だった。

 己と同じ属性の精霊でなければ召喚できないということはない。ただ呼びやすいということはあるし、契約も結びやすい。魔力の互換もしやすいのだという。

 ともあれ、リフレナスは先代の森の魔女に召喚され、眷属になった。今は代替わりをし、リフレナスの主は黒髪の少女だ。主従の契約は少女に引き継がれた。その少女の魔力属性は、稀少な“光”だ。

 少女の魔力は格段に強い。未知の要素が多い光属性の魔力は強く、それゆえに制御が困難だ。少女は己の魔力の属性を把握しきれていない分、不安定で、未熟だった。

 が、近頃は魔力の制御も多少は上手くなってきたようだ。以前は、リフレナスがこっそりと制御に力を貸していたのだが、その必要もなくなってきた。

 リフレナスに余力ができたのを、もしかしたら少女は薄々気づいていたのかもしれない。

 鈍感なところも多分にある少女だが、存外抜け目がない。

「あのね、リプ。お願いがあるんだけど」

「……なんだ」

 リフレナスの金褐色の毛が、ぴくっと立った。口に含んだ茶が熱かったからでもあったが、いやな予感が頭をかすめたせいだろう。長い尻尾の先が動揺を表わすように左右に揺れた。

「…………」

 黒髪の少女はリフレナスに顔を近づけてくる。ねだる時、少女は黒い瞳を大きく瞬かせ、じっと相手を見つめる。つややかな黒曜石のような双眸にリフレナスを映してから、少女はちょっと照れくさそうに笑った。

「明日一日、人間の姿をとってくれないかな?」

「…………」

 結局リフレナスは、いつでも断わりきれず、少女の「お願い」を聞いてしまうのだ。





 そして翌朝。

 森の魔女たる少女と、その眷属であるリフレナスは、この地の領主であるセレンの屋敷に来ていた。

 リフレナスは、少女に言われるまま人間の姿に変じている。痩躯の青年姿のリフレナスは、金褐色の長い髪を後頭部で一つに束ね、装飾の少ない軽装ではあるが身なりは小奇麗に整えている。

「おはようございます、王子。今日もいいお天気ですね!」

 わざわざ門前まで迎えに出てくれたセレンに、少女は満面の笑顔で挨拶をした。

 セレンは少々戸惑い顔だった。

 少女が訪ねてきてくれたことは、純粋に嬉しい。来ることは、約束があったから分かっていたのだが、てっきり一人で来るものとばかり思っていた。

 連れがいても、別段不思議ではないのだが……。

 セレンは少女の横にいる青年を見やった。

 端整といっていい面貌なのだが、しかめっ面が見目の良い顔立ちを少々損ねてしまっている。赤みの濃い金褐色の瞳は眼光鋭く、近寄りがたい威があった。単に目つきが悪いだけのことかもしれないが、ともあれ、愛想笑いの一つも浮かべない仏頂面だ。

 その無愛想さに、元の姿の片鱗を見ることができた。

“元の姿”の時なら頻々と会っているのだが、人間の姿を見るのはずいぶんと久しい。

 セレンは顎に手を当て、改めてリフレナスを見やった。

 金褐色の髪の青年は名をリフレナスという。少女はリプという愛称で呼んでいる。

 ネズミの時の名残といえば、金褐色の髪と瞳くらいだろうか。

 ――それにしてもいったいどうして人間の姿に? いったいどういった風の吹き回しだろうか。

「あのね、王子」

 セレンの疑問に答えてくれるのは、どうやら少女であるらしい。

 セレンの恋人である少女は、セレンの戸惑い顔を覗き込むように首をちょっと傾げて、瞳を上向かせた。森の魔女と呼ばれる少女だが、小首を傾げて屈託なく笑うさまはあどけなく、「魔女」という言葉から連想されるであろう妖しさは微塵もない。

「今日は王子の誕生日ですよね」

「うん?」

「だけど王子、最近仕事が忙しくて休んでる暇もないって……」

「……ああ、たしかに」

 セレンは眉間を曇らせ、微苦笑を口元ににじませた。

 少女の言うとおりだった。細々とした事務作業に追われる毎日が続き、今も執務室の机の上、山積みにされた報告書がセレンが戻るのを待っている。

 疲れてはいるが、手を抜こうとは思わない。セレンは忍耐力があり、責任感も人一倍強い。篤実な性格であることは、少女はもちろんセレンが治める地に住むほとんどの領民の知るところだ。

「王子のお手伝いがしたいなって思ってたんです。だけどわたしじゃ役に立たないことが多いし」

 そんなことはないよ、と言おうとするセレンを遮って、少女は続けた。

「だからわたしの代わりに、リプを連れて来たんです。リプは、お手伝いにかけてはわたしの何倍も有能だから。文字の読み書きだって当然できるし、経理もできます。お料理だってできるし、もちろん魔法だって使えます」

 誇らしげに語る少女のとなりで、当のリフレナスは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。照れているわけでもなかろうが、どうにもむず痒そうだ。

「そんなわけで、王子! 誕生日の贈り物は、リプです。今日一日、わたしの代わりにリプを貸し出します!」

 少女は満面の笑顔を浮かべてそう言った。


 それからすぐに、「あとはよろしくね!」と言って、森の魔女は有能な眷属を置いてさっさと森の舘へと帰ってしまった。

「……」

 セレンは半ばぼう然と、誕生日の贈り物としてはいささか微妙なそれを見つめた。

 ――何と声をかけてよいものやら。セレンは苦笑を浮かべるしかない。

 それは「贈り物」であるリフレナスにしても同様だった。リフレナスは酸味と苦味を絡めたような無愛嬌顔をそのままに、しかし面倒くさげな口調ではあったが、主の弁護をしてやった。

「まぁ、あれはあれなりに、喜んでもらうにはどうすればいいのかと考えを巡らせていたんだ。悪く思うな」

 どうにも弁護しきれないリフレナスだ。セレンはそんなリフレナスにおかしみを感じ、小さく笑った。

「せっかく贈られたのだから、存分に用事を言いつけてくれ。書類の清書でも、屋敷の清掃でも、俺にできることならなんでもする。そのように言い付かってきたからな」

「リフレナスは、それで構わないのかな?」

「構うも構わないもないな。そう命じられて人間の姿にまでなってきたんだから」

 リフレナスはそっけなく応えた。もとよりリフレナスは無愛想なところがある。仏頂面のままだが、不機嫌なわけではない。セレンはそういうリフレナスの性格を知っていたから、別段気分を害することはなかった。

 セレンは亜麻色の目を細め、むっつりと顔をしかめているリフレナスを改めて見やった。そして穏やかに微笑みかけた。

「それではありがたく、贈り物を受け取ることにしようか」

 リフレナスは仏頂面のまま頷いた。


 なるほど、少女の言葉に偽りはなかった。

 少女の言うことを疑っていたわけではないが、リフレナスの手際の良い働き振りに、セレンは驚き、かつ感心した。セレンの補佐役を務める執事のハディスも同じように驚いていた。ネズミ姿のリフレナスが人間に変じている事実にも少々驚いたようだが、老練な執事はたった一度の瞬きで困惑を押しとどめ、わずかの間に冷静さを取り戻した。

 当然の成り行きで、リフレナスに仕事の内容、手順を説明し、指示を与えるのはハディスの役目となった。

 文字の読み書きができるということで、宮廷に提出する公文書の清書を頼んだ。もちろんどの程度の文字が書けるかをハディスが確認した後でのことだ。

 リフレナスの仕事は早く、しかも確実で正確だった。一応、ハディスは一通り目を通してみた。清書された文書には誤字脱字は見られず、字面も美しく、完璧と言っていい仕上がりだった。

 その後リフレナスは、橋の修繕が遅滞しているということでその現場にハディスとともに赴き、状況を確認するや、工人達にてきぱきと指示を与え、かつ人目につかぬよう魔法を使い、数時間で橋の修繕をほぼ終わらせてしまった。

 それからセレンの住まう屋敷に舞い戻り、「庭が荒れているな」と言うや、手入れの滞っていた中庭を、魔法を用いてではあったが、慣れた手つきで無駄な枝の剪定と花がら摘みをし、その後掃き掃除と水遣りをして、庭の整備を済ませた。

 中庭の整備具合を確認するのもそこそこに、リフレナスはほとんど休憩をとらず事務仕事に戻った。昼食は執務室で、作業をしながら摂っている。片手にペンを持ち、片手に野菜を挟んだパンを持ち、手と口とをほぼ同時に動かしている。

 呆れるほどの働きぶりだ。セレンはおそれいった表情をして、リフレナスに礼を言った。

「ありがとう、リフレナス。君のおかげでずいぶんと仕事が捗った。今夜はゆっくりと休めそうだ」

「それは何よりだ」

 セレン自らが運んできた茶を啜り、リフレナスは小さなため息をもらした。金褐色の長い髪は後頭部で一つにまとめているのだが、身なりに構わず動き回っていたせいで、少しほどけかかっている。リフレナスはペンを置き、額にかかっている髪をかきあげた。

「すっかり扱き使ってしまったね、リフレナス。正直助かったが、申し訳ない」

「いいさ。王子の労働が今日だけでも楽になったなら、あいつも喜ぶ。俺はそのために来たんだしな」

「魔女殿の命令で?」

「……まぁそうだが、それだけではないさ」

 だいたいあれは命令ではなく、「お願い」だ。強要されたわけじゃない。微苦笑まじりにリフレナスはそう言い添えた。

 セレンは目を細め、リフレナスのあまり動かない表情を窺った。淡々としてそっけない言動は、ネズミ姿の時と何ら変わりがない。今ここにいるのは間違いなく「リフレナス」だ。

「前にも言ったが、俺は王子のことも“主”だと思っているからな。でなければ、いくら森の魔女の“お願い”だといっても、ここまではしない」

「では、この“贈り物”に、君自身の好意も含まれていると?」

 リフレナスは否定しない。恥ずかしげもなく問われると、素直に返事はできないものだ。

 森の魔女にしろ、この若き領主にしろ、思うことを包み隠さず口にする。とくに喜怒哀楽のうち、喜と楽は。

 もっとも王子の方は感情の抑制がきき、口調も穏やかで、声を荒げるということがない。しかしながら、激しく昂ぶる感情が、抑えのきいた声や穏やかさを装った亜麻色の瞳から滲み出されることもある。表面上はあくまで穏やかに微笑んでいる。しかしその微笑みの陰から意図して滲み出させているのだから、空恐ろしいほどの威力がある。

 森の魔女はと言うと、いつまでたっても落ち着きがなく、幼い。それでいて抑えこまなくてもよい感情を、無理に押さえ込んで耐えようとするところがある。

 似たもの同士なのだろうとリフレナスは思う。似合いの二人とも言える。

「好意を抱けない者の手伝いなぞ、進んでするやつがいるか? 俺はそこまでお人好しじゃない」

 リフレナスはつっけんどんにそう言い、わざとらしくため息をついてみせた。

 この場に森の魔女がいたなら、

「リプは十分お人好しだと思うけどな」

 と言って笑ったことだろう。

 セレンは微笑するだけにとどめている。が、森の魔女と同じことを思っているのは間違いない。

 やはり、森の魔女とセレンは似たもの同士だと思う。

 歯向かってみたところで敵う相手ではない。第一、歯向かおうという気すら起させない。それが二人の強みなのだろう。

「……王子。少し後ろへ下がってくれ」

 リフレナスは椅子に座ったまま、唐突に言った。

 セレンは一瞬いぶかしんだが、言われるまま、一歩後退した。リフレナスは椅子を引き、立ち上がりはしなかったが、姿勢を正した。

「もう少し。……ああ、その位置でいい。そのまま動かないでくれ」

「……」

 セレンはリフレナスの指示に従い、無言で佇んでいる。そのセレンに向け、リフレナスは右腕を伸ばし、手のひらを向けた。

「我、眷属リフレナス、(あるじ)セレンに言祝ぐ」

 刹那、床から風が吹き上がり、白緑色の魔方陣がセレンの足元に浮かび上がった。微かな白光が弧を描き、上昇する。

「我が主セレンに清風の導きと加護があらんことを祈り、奉る。御身に光と風の幸いあれ」

 円形の魔方陣から吹き上がってくる風が、セレンの亜麻色の髪をなぶり、なびかせ、やがて静かに収束していった。白光を放っていた魔方陣は風の中に溶け込むようにして消え、涼やかな森林の香が室内に残った。

 セレンは神妙な面持ちでリフレナスを見つめていたが、ふと微笑し、軽く一礼した。

 感謝の意は、それで十分リフレナスに伝わっただろう。リフレナスは手を下ろし、肩の力を抜いて嘆息した。

「ああ、それからな、王子。誕生日の祝いだが、これでしまいじゃない。伝言がある」

「魔女殿から、かな?」

「そうだ。――仕事に一区切りついたら、今夜、森の舘へ来てほしい。夕食を用意して待っているから、と」

 セレンは瞠目し、リフレナスを見やった。

「ハディスには話をつけてある。今夜は森の舘でゆるりと過ごすんだな」

 リフレナスはそう言うと、金褐色の目を細め、うっすらとではあったがやわらかな微笑みを見せた。




 いつにも増して星の瞬きが美しい秋の夜。

 リフレナスはセレンが用意した客室で人間の姿のまま、広々とした寝台に横たわっている。ほどよい疲れがゆるゆると眠りを誘う。リフレナスは眠気に抗わず、瞼を閉じた。

 明日の朝、森の舘へ戻ったら、森の魔女とセレンはリフレナスを温かく迎え、ねぎらいの言葉をかけてくれるだろう。

 リフレナスはまどろみの中、二人の主の、恥じらいを頬に浮かせた初々しげな微笑と、満足しきった典麗な笑顔を思い浮かべ、あたたかな欣幸にたゆたっていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【応援!拍手ボタン】 よかったらぽちりと。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ