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キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
23/54

幸せな眼差し

 少女は不思議に思っていた。

 素朴な疑問といっていい類の、「不思議」だ。

 亜麻色の髪と瞳を持つ美貌の青年に膝を貸しているこの状況も不思議と言えば不思議なのだが、こちらは「少し寝ませて」と当人にお願いされたのだから、「どうして」と問うこともない。休みたい理由も分かっている。だから休ませてあげたいと思っていた。ひと時の午睡であっても、それで青年の心と身体が休まるなら。

 のどかな、春の午後。

 麗らかな春の陽射しの下、色とりどりの花が咲き誇る小さな庭で敷布を広げてそこに座っている少女は、手持無沙汰だった。

 動くわけにはいかない。

 少女は嘆息し、青年の頬にかかっているやわらかな亜麻色の髪をちょっとつまんで、それから引っ張らない程度に指に絡ませた。



 不思議に思うことは、たくさんある。

 たとえば、目には見えないが確かに存在する精霊界や闇に潜み跳梁する機を窺っている魔物達の存在。車輪が回るように絶え間なく続く自然界、人間界の生命の営み。世界は様々な不思議に満ち満ちている。

 少女も、森の魔女と呼ばれ、いわば不思議な存在そのものだ。

 もちろん少女自身、自分が身の内に有している魔力については不思議に思っている。が、それは不思議に思いつつありのまま素直に享受していた。しかしながら少女は好奇心が旺盛で、魔法については様々な文献を読み漁って、調べている。今のところ明確な答えを得られないでいるが、調べることそれ自体を楽しんでいる。

 少女は知りたがりで、聞きたがりだ。

 不思議だなと思うことに関して、少女は積極的に「どうして」なのかと訊き、知りたがる。後になって少しばかり後悔することになっても。



 一陣の風が吹きつけた。

 瑞々しい緑の葉のつけた梢がなよやかに風に揺れ、葉擦れの音をたてる。少女はつられるようにして顎を上げた。薄藍色の敷布の上、少女の黒髪はまるで古代の魔術文字のように、あるいは水面を揺らがせる波紋のように、艶やかな色と香を持たせ流れ、動いている。

 空を仰ぐと、せわしくなく鳴き交わす鳥達がその風に乗り、軽やかに飛翔しているのが見え、心がほんのりと和み、温かくなる。

 少女はほうっと息をついた。

「……魔女殿」

 そのため息を聞きつけてか、それとも風に誘われてか、少女の膝を枕にして眠っていた青年は目を覚ました。僅かに身じろぎ、しかし体は起こさない。やわらかな声音で少女を呼んだ。

「あ、すみません、王子。起こしちゃいましたか?」

 髪を指に絡ませたままだったことに気づき、少女は慌てて手を離した。空を仰いでいた顔を下向かせると、亜麻色の眼差しとぶつかった。

 亜麻色の瞳は甘い蜜のようだ。見つめられると平常心ではいられなくなる。少女の頬に淡い紅色がさした。

「……」

 亜麻色の瞳と髪を持つ青年は、端正な顔に優しげな微笑を湛え、まじろぎもせず少女を見つめている。そして少女の黒髪を白い指に通し、親指の腹で撫ぜていた。無意識的な行為なのだろう。

「あの、王子……」

「ん?」

 王子と呼ばれ、いささか物足りなげな顔をする青年は、名をセレンという。

 少女はその名をめったに呼んでくれず、長年の癖だからと言い訳して、いつも「王子」と呼ぶ。かくいうセレンも少女のことを「魔女殿」と呼ばわる癖がついているようだった。時に、勿体つけた口ぶりで、少女を「魔女殿」と呼ぶ。

 王子にしろ魔女にしろ、それは二人の立場を示す呼び名で、肩書きのようなものなのだが、通称としてすっかり定着してしまっている。とくに少女の方は実名を秘している。魔女であれ魔術師であれ、魔術を生業としている者は実名を秘すのが通例であるらしい。よほど親しい者にしか実名は明かさない。

 セレンは少女の名を知っている。そのことはセレンにとって特別な意味を持つ。むろん少女にとっても。

「あの、えっと……」

「……」

 沈黙が落ちかかる。重くも苦しくもない、甘いとすら言っていい沈黙だ。

 少女の鼓動は少しだけ速まっている。無理からぬことだ。目にまぶしいほどの美貌の青年に見つめられては。ましてやその青年は、少女の恋人なのだ。恋しく想う人に見つめられて、しかもとびきり甘やかな眼差しで見つめられて、平常心でいられるはずもない。

 セレンは目を細め、少女の瞳を見つめ続けている。漆黒の髪と同じ、黒眸。少女の双眸は朝露に濡れた黒曜石のように美しく、明澄だ。

 セレンは少女の黒髪を指に絡めたまま、紅潮している頬に指先を当てた。少女はぴくりと体を身じろがせたが、セレンを拒みはしない。片膝を立て、未だ少女の膝を枕にして横たわっているセレンは満足げな様子だ。どこか少年っぽい幼さが緩んでいる口元にうっすらと表れている。

「王子って、髪、触るの好きですよね?」

 少女がぽつりとこぼした。「どうして?」と問いたげに、小首を傾げる。

「触るっていうか、その……口づけるの好きですよね、わたしの髪に」

 あまりに唐突なその問いに、セレンは思わず目を瞠った。その直後、セレンは眉を下げて、微苦笑を浮かべた。

 まったくこの少女は、なんとも可愛らしいことを唐突に口にするものか。聞きようによっては誘っているともとれる。むろん少女にそんな気はなく、単にセレンの願望がそのように聞き取らせてしまうのだが。

 セレンは体を起こさず、少女の髪と頬を撫ぜている。少女はくすぐったそうな顔をしながら、セレンの答えを待った。

「私に触れられるのは、嫌?」

 それは意地悪な問い返しというものだ。

 少女は拗ねて、柳眉をちょっと逆立てた。

「そういうこと言ってるんじゃありません」

「嫌ではない?」

「当たり前です!」

 当たり前。その言葉にセレンはくすりと小さく笑った。

 セレンの予想を超える答えを、少女は何気なく返してくる。それが新鮮で、嬉しく、愛しくてならない。

 この少女に対して飽きるということは一生なさそうだ。

「ただ王子って、よくわたしの髪に触れてくるから、何か理由があるのかなぁってちょっと疑問っていうか、不思議に思っただけです」

「不思議?」

「……だって、わたしの髪って、黒くてまっすぐなだけで触って気持ちのいいものじゃない気がして。王子の髪の毛の方がよっぽどきれいで、触り心地いいもの」

 自分の髪をみっともないと思っているわけではない。

 きちんと洗髪もしているし、櫛も通している。けれど、烏の羽のようにただ黒くて、板みたいにまっすぐ流れ落ちている髪よりも、セレンの亜麻色の髪の方がよっぽどきれいだし、触る価値もあると思うのだ。やわらかく緩やかに波打つ、優しく明るい黄の色だ。陽にあたると黄金の漣のように、淡い光を放つ。

 セレンは目を瞬かせ、自分の顔を覗きこんでくる少女の様子を窺った。含羞に頬を赤らめ、唇を少し尖らせて拗ねている。子供っぽくすらあるその表情は、しかし僅な眉のひそみに、恋を知る娘らしい仄かな影が隠されている。

「無意識にしていることだからね。君が満足のいくような明確な答えはないけれど」

 ここでようやくセレンは上体を起こした。つまんでいた少女の黒髪を名残惜しげに離し、それから姿勢を改め少女に向き直る。

「だけどやはり、君の髪に触れるのはとても好きなんだよ。私の指によく馴染む。それに、君の髪ほど美しい髪を、私は他に一度も見たことがないよ」

「……っ」

 少女は絶句する。絶句し、耳まで赤くなる。

 セレンは、どうしてこう気障な台詞を臆面もなく、さらりと言えるのか。

 以前それを「どうして」と問うた時、

「君への想いが募りに募って、それが堪えきれず言葉になって顕れてしまうんだ。つまり、君が言わせているんだよ」

 と、返されたことがある。少女は顔を真っ赤にして、「答えになってません!」と言い返したが、とにもかくにも、セレンの天然気障な口巧者ぶりに少女が平静を保てたことは皆無に等しい。

 今もまさにその状態で、セレンがすらすらと口にする麗句を、少女は半ば茫然と受けている。

「それと、……そうだな。君のすべてに触れ、抱きしめたいのだが、君は存外逃げ足が速いからね。必死で捕まえ、縋っているんだよ」

「捕まえてって……」

 少女は肩を竦めて、身を縮こまらせている。

「そうそう、それと、君の目を見ていたいというのも本音。髪ではなく、唇に口づけると、君は瞼を閉じてしまうからね」

「……っ」

 またしても少女は絶句した。

 それこそ「当たり前」じゃないかと返したかった少女だが、言葉は声にならず、喉の奥で詰まってしまった。

 セレンは美麗な微笑みを満々と湛えている。

「君の幸せな眼差しを確認したいから、かな。君の髪に……こうして口づけるのは」

 言うが早いか、セレンは再び少女の黒髪を一房手に取り、恭しく口づけてから、上目遣いに少女を見やった。

「もっ、もうっ、王子ってば!」

 少女は大仰に恥ずかしがって、自分の髪を取ったままにセレンの手をぺちぺちと叩いた。

「どうしてと言うから、答えたのに」

 と、セレンはなんのてらいもなく言い、悪戯っ子のような顔をして笑っている。

 王子という身分であると同時に、辺境の地の領主という立場にあるセレンは、普段、二十一というその年若さに似ず、冷静沈着で寛厚な態度を崩さない。が、こと少女に対しては、少女が驚きとまどうほど、子供っぽい態度を示してくる。表情も悪戯好きな少年のそれになり、照れ屋の恋人をからかっては、満足げに笑うのだ。むろん、からかうといっても本心から言っていることなので、嘘偽りは微塵もない。

 少女もそれは知っている。

 ただ気恥ずかしいには違いなく、どうしても照れ隠しに文句をつけてしまうのだ。そうすることでセレンの子供っぽさを受け容れている。甘えさせている、といってもいいだろうか。からかわれるのに慣れはしないが、セレンのそうした一面を見るのは嫌ではないし、安堵もしている。

 しかしだからといって、セレンの甘い口説き文句をさらっと受け流してしまうなんて芸当は、少女にはできない。

 顔を赤くして口ごもり、硬直するのが関の山だ。

 そして気がつくと、セレンの腕に抱かれているのだ。

 逃げ足が速いなんてこと、全然ない! と、少女は心中で呟いた。だって、結局こうしてセレンに捕えられてしまうではないか。

 いかに不思議に思っていたとはいえ、迂闊に尋ねてはいけなかったと、少女はほんの少し後悔していた。しかしそれを問わずとも、この状態に持っていかれることは容易く想像できた。それに、結局のところ少女もセレンの抱擁を望んでいたのだ。

 まんまと少女を腕の中に閉じ込めることに成功したセレンは、少女の黒髪に頬を寄せた。

 少女の髪は温かい。ずっと陽射しに当たっていたせいだろう。

「お、王子、あの……っ」

「もう少し、このまま休ませて」

「……」

 少女はセレンの胸元で、こくりと頷いた。「少しですからね」と言った少女に、セレンは口元を綻ばせた。

 セレンはとびきり甘く、幸せな声音で囁いた。

「――好きだよ、キラ」

 君の、長く艶やかな黒髪も、清純な黒眸も、好奇心旺盛なくせ、恥ずかしがりやな性格も、何もかもが、すべて。

 セレンの告白に、少女は体中をほてらせる。

 セレンは春の陽射しよりも暖かく、優しい微笑を湛えて、少女の顎を指に乗せ、上げさせた。亜麻色の瞳が少女を誘う。

 少女は抵抗せず、「もう……」と呟きながら、瞼を落とす。

 幸せな色をした眼差しを、今だけはと、隠して。




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