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キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
20/54

ただ傍にいてほしい

 少女は物憂げなため息をつき、髪をつまんだ。

 慣れたはずの髪の長さと重さが、ひどく気にかかる。

 濡れ羽色の髪を映してか、少女の黒い瞳は潤みを帯びているようだった。



 しのつく雨が窓ガラスを叩きつける。時折吹きつける強風が窓枠をきしませ、耳障りな音を響かせた。緑深い森に降り注ぐ冷雨は次第に雨脚を強めていく。

 少女は暖炉に薪をくべ、ほとんど無意識に、繰り返しため息をついている。

 長く垂れ下がる黒髪は、少し湿っていた。雨に濡れたせいだった。

 少女は窓の外に目をやる。外はすでに暗く、窓の向こうには黒い闇があるばかりだ。窓ガラスに映る少女の髪の色と同じ、深い漆黒。

「心ここにあらずといったところだね、魔女殿?」

 ソファーに腰かけている亜麻色の髪の青年が、嘆息まじりに少女に声をかけた。

「あ、すっ、すみませんっ」

 少女は慌てて振り返り、静かな笑みを湛えている青年の方に向き直った。

 亜麻色の髪と瞳をもつ美貌の青年の名は、セレンという。

 この地を治める領主であり、国王の庶子という身の上の青年だが、そうした立場以前に、少女にとってはかけがえのない存在だった。

 幼馴染みという間柄から恋人同士という仲に発展した今でも、それは変わらない。

「あの、王子、寒くありませんか? お茶のおかわりは? えっと、お茶菓子いります?」

 長い黒髪を揺らしながら、少女は忙しなく動き回る。

 森の魔女、という肩書きを持つ少女だが、妖しげで近寄りがたい雰囲気は微塵もない。

「少女」というにはそぐわない十八という年齢だが、あどけない仕草や表情は、純真で初な「少女」のものだ。

「魔女殿が傍にいてくれれば、それでいいよ」

「……っ」

 美神の恩恵を受け、甘やかな雰囲気を稟性として持つセレンの微笑は、とんでもない威力を持つ「魔法」だと、少女は思う。逆らえない。目を逸らすことさえ、できない。

 魔法薬作りの名人である少女だが、セレンの微笑以上の「媚薬」は作れないだろうと思う。

 同じことを、セレンもまた、思っている。

 少女の存在そのものが、セレンにとっては消えない魔法のようで、道標を示す「光」だった。

 今、その「光」は明度を落としている。

 雨がもたらす冷たく重い湿気が、少女の表情を曇らせていた。

「……大丈夫」

 セレンは穏やかに笑いかける。

「朝には、きっと晴れるよ」

 セレンが言うと、少女は所在無げな手を胸元で組み、しゅんと顔を俯かせた。





 森の奥、少女の養い親であり、師匠である先代の森の魔女は眠っている。

 そして、少女の両親も。

 不慮の事故で亡くなった少女の両親は、亡骸も見つからず、遺品だけが少女の元に戻った。その遺品を、亡骸の代わりに葬った。

 今日は、両親と師匠の墓参りに行く予定だったのだが、昼過ぎになって突然降りだした雨のため、それは延期されることになった。

「せっかく摘んできたのにな……」

 午前中のうちに、墓に供える花を用意しておいたのだが、今それらは森の舘の居間に飾られている。

 春先、ようやく芽吹き始めたばかりの森には花が少ない。少女は森中を歩き回って、花弁を開かせている花を探し、摘んできた。

 少女は軽く白い花を指でつついた。ぱらぱらと、黄色い花粉がテーブルに落ちる。

 白く細い花弁が円を描く小ぶりな花。房状に薄桃色の花をつけているものもあれば、一本の茎の先に、玉の様に花をつけているものもある。

 セレンは嘆息し、改めて少女を見つめる。

 一輪の花のような佇まいで、少女は黙している。

 寂しげな色をした黒い瞳が見つめる先は、窓の外。心にかけているのは、亡き人達のことなのだろう。

 少女は時折、こうして悲しみに沈んでしまう。だがセレンに心配をかけまいとし、悲しみを押し隠そうとする。もっとも、素直な心根ゆえに、隠しきれないでいるのだが。

 セレンの微笑から甘みが薄れ、苦みが浮く。亜麻色の瞳が惑い、揺れる。

 少女の悲しみを癒したい。そう思う一方で、浅ましいとすら言える願望が、心を過ぎる。

 ふと、セレンはそれを口にした。抑制する間もなく、口をついて出てしまった。

「――ねぇ、魔女殿? もしも私が君の前からいなくなってしまったら、君は、泣いてくれる? そうやって、悲しんでくれるのかな?」

「……なっ」

 少女は驚き顔をセレンに向ける。頬にさしていた赤みは消えていた。

「な、何を、そ、そんなっ」

 僅かに、少女の声が震えている。

 セレンは立ち上がり、少女に手を差し伸べた。

「もしも私が死んだなら、君は……」

 亡き人を偲び、想いをはせているいる少女の姿が、愛しかった。物狂おしいほどに恋しく、心が掻き乱される。

 もしも私が死んだのなら……――

 君は泣いてくれるだろうか。

 私を想って、泣いてほしい。私だけを想い、ただ……泣いてほしい。

 そう言うことで少女を傷つけてしまうだろうと思い至らないセレンではなかったのだが、昏い想いがセレンを惑わせていた。

「魔女殿……?」

 セレンは一歩、少女に歩み寄った。少女を抱きしめようと伸ばした腕は、しかし思いもかけず、払われてしまった。

 少女の、怒声にも似た声があがる。

「やっ、やめてくださいっ!」

 少女は右腕を振り上げると、こぶしをセレンの胸に叩きつけた。

 天空に走る光の亀裂、稲妻の激しさだった。

 少女はその蒼白い光をセレンにぶつける。

「王子っ、冗談でもそんなこと言うの、やめてっ」

 細い肩が、小刻みに震えていた。

「……魔女殿」

「そんなこと……言う……なんてっ」

 声も、ふるえている。セレンの胸元を掴む、小さなこぶしも。

「そんな……こ……っ……聞きたくな……っ」

「…………」

 セレンは、愚昧な自分を呪った。

 子供っぽい独占欲を満たすために、いったい自分は、何を言ったのか。

 セレンは胸に顔を押しつけて全身を震わせている少女を、きつく抱きしめた。

「すまない、……キラ」

 耳元で囁き、赦しを請う。キラ、と少女の名を繰り返して。

 だが、少女キラは頭を振るばかりだった。

 堪えきれず漏れるキラの嗚咽が、胸を抉る。

「……キラ」

「……――ッ」

 キラはセレンの胸元をきつく掴むばかりだった。

 悲しみに全身を締めつけられ、セレンの腕の中で痛々しげに身を縮こまらせていた。

「すまない、キラ」

 涙に濡れた髪に、冷えた指先に、セレンは接吻を落とす。

「……っ」

 泣きながら、しかしキラはセレンを拒むことはしない。身体だけではなく、心をも投げ出し、酷いと責めながら、縋る。

 腕の中、キラは泣き続けた。激しく打ちつける雨のように。



 私を想って泣いてほしい。私だけを想っていてほしい。

 一途に欲し、奪い、縛ろうとしている。

 包み隠している、それはセレンの本心だ。

 それを吐露してしまった己の弱さを知りながら、赦しを請うてしまう。

 赦してほしいと請うそれすら、身勝手な恋情ゆえと分かっていながら。




 しかし、やがて雨は上がる。

 雨雲は去り、夜が白々と明ける。靄を晴らす清澄な光が、森の隅々まで照らしてゆく。

 青空が戻るように、少女の顔にも光が戻ることを、セレンは知っていた。

 そしてセレンの全てを、その小さな身体で受け止め、優しい光で包んでくれるのだ。

 セレンは自嘲気味に笑う。

 自分に向けた嘲笑は、少女には見せない。きっと心配をかけ、不安な思いをさせてしまうだろうから。

 そんなセレンの心情を、キラは、もしかして見通しているのかもしれない。



「昨夜はすまなかった」と謝罪を繰り返すセレンに、キラは言う。

「王子、もうあんなこと言わないって、約束してください」

 責める風な口調ではないが、切に祈るような表情だった。

「誓って」

 セレンは真摯に応え、そのままさりげなくキラの右手を取った。

「すまなかった、本当に」

「……」

 キラは顔を俯かせ、ほっと息をついた。

「赦してもらえるだろうか、キラ?」

「え?」

 キラは驚き顔を上げた。目を瞬かせ、首を傾げる。

「君を泣かせてしまった罪滅ぼしをしたいのだが?」

「え、そんなの……」

 もういいです、気にしないでください、と言いかけたが、ふいに思いつくことがあり、キラは「それじゃぁ……」と言葉を繋げた。

「師匠と両親のお墓参りに、一緒に来てください。そしたら、……赦してあげます」

「……」

 ふっと小さな笑みがもれ、セレンの表情がやわらぐ。

 セレンは亜麻色の瞳を伏せ、それからキラの小さな手を引き寄せた。

「お、王子?」

 瞼を上げると、そこには少女の戸惑い顔がある。

 セレンは典雅な微笑を浮かべ、恭しく言った。

「魔女殿のお望みのままに」

 そして、手の甲に接吻をする。

 忠誠を誓うかのように。あるいは、悪戯をしかける子供のように。

「――っ!」

 案の定、頬を紅潮させ、慌てて手を引っ込めようとするキラを、しかしセレンは離すはずもない。

「王子ってば、もうっ!」

 恥じらってセレンの甘やかな態度に文句をつける少女を、セレンは愛しげに見つめる。

 いつものように、少しからかうように笑って。


 ――想い願うことは、ただ一つだ。

 もうずっと、それは変わらない。

 いつまでも傍にいてほしい。

 いつまでも君の傍に在りたい、と。


 窓ガラスの向こう側、朝日を受けて葉先の雫が透明な光を弾かせている。


「キラ」

 そしてセレンは光を抱きしめる。

 多彩な色を見せる、優しく美しい、唯一つの「光」を。



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