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キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
17/54

綺羅

 緑に薫る風に誘われ、小鳥のさえずりを道連れに、森の奥へと入っていく。

 木漏れ日がまぶしく、梢は手招きをするように揺れている。木々の隙間からのぞく空は、漫々と湛えられた水の色だ。

 亜麻色の髪の青年は、愛馬の手綱を引き、細い森の小道を行く。

 本来、気軽に出歩いてよい身分ではないはずだが、自分の治めている領地の治安の良さを自負している青年は、仕事を手早く片付け、頻々と森へ通っていた。

 森に住む魔女に会うために。



 魔法薬作りの名人の年若い魔女は、二年前、ともに暮らしていた師匠を亡くして以来、たった一人きり……いや、たった一人と一匹だけで、森の舘にいる。

「防壁の結界がはってあるから、大丈夫です」

 と言って、心配だから私の屋敷においでと誘っても、少女は一向に頷かない。もちろん、嫌だというのではなく、遠慮をしているということもあるのだろうが。

 公認の仲になったというのに。

 青年は苦笑した。

「私と一緒に暮らしたくないということかな?」

 意地悪も言いたくなるというものだ。

「ちっ、違います、王子! そんなんじゃありません!」

「少しは私の身にもなってほしいものだが」

 そう言って、青年はわざとらしいため息をついてみせる。

「まあ、これは私の我儘だからね。無理強いはしないよ」

「我儘だなんて、そんな風には思ってません」

「……」

 独占欲という我儘なのだよ、これは。

 君を目の届くところに置いておきたいなどと、言えはしない。

 亜麻色の髪の青年は、やれやれと肩を落とした。ふと、少女の眷属であるネズミのリフレナスのことを思いだした。リフレナスの台詞を、だ。

「いつになったらちゃんとした名前で呼ぶんだ、おまえは」

 憮然とした口調で、リフレナスはぼやく。主である魔女は「リプ」の愛称で、リフレナスを呼ぶ。「正式な」名で呼ばれたいものだと、ほとんど諦めてはいるようだが、日々文句をこぼしている。

 その気持ちが、しみじみとわかる。

 青年の名は、セレンという。

 だが、少女はいつも「王子」と呼ぶ。時折は名を言ってくれることもあるのだが、気恥ずかしいらしく、めったに名前では呼んではくれないのだ。

 少女曰く、「長年の癖」なのだから、仕方がないという。

 気長に待っていられるのも、もしかしたら「長年の癖」のようなものかもしれないな。

 セレンは嘆息とともに笑みをこぼした。






 三日間、公務が忙しく、少女とは会えなかった。

 仕事はまだ残っているが、どうにか時間を作り、セレンは屋敷を抜け出してきた。

 少しは……私と同じように寂しく思っているのだろうか。

 ふと吐いたため息のすぐあとに、自嘲的な笑みがこぼれる。

 まったく情けない程に、恋焦がれ……溺れている。

 まだあどけなさの残る、森の魔女に。

 その魔女は、

「薬草集めに出ている。森の南の泉だ」

 ということらしい。眷属のリフレナスからその伝言を受け、セレンは教えられた場所へ向かっているという次第だ。

 いそいそと少女に会いに出かけている自分を、滑稽に思う。だが別段、嫌というわけでもない。少しばかりもどかしく思うだけだ。

 ……とりあえず、急ごう。

 日はまだ高いが、魔女殿と過ごす時間はあまりに早く過ぎる。

 セレンは愛馬の首筋を撫で、鐙を踏む足にわずかに力をいれた。




 亜麻色の髪と瞳を持つ美貌の青年を悩ませている魔女は、森の奥深くの泉の辺にいた。

 目当ての薬草を摘み終え、小休止がてら、日の当たる場所に腰かけ、何やら呪文を唱えていた。

 呪文に呼応するように、時折泉の水が渦を巻いている。飛沫が陽光を受けて水晶のように煌く。

「……う~ん、なかなかうまくいかないなぁ」

 そうつぶやいて、大きなため息をこぼす。

 水の性質を変化させて操る魔術の鍛錬中なのだが、自在に操るまでには至らなかった。

 少女は魔法薬作りの名人ではあるが、物質に直接働きかける魔法は苦手だった。まったくできないわけではないのだが、それをする機会がないこともあり、たまにこうして、師匠から習った魔術を復習している。

 少女の魔力の属性は、光だ。光属性の魔力の持ち主は、きわめて稀なのだと、師匠から聞いていた。ゆえに、光属性の魔術に関しての知識はほぼ無きに等しい。

「光の魔術は、物質ではなく精神に働きかけるもののようだね。闇属性の魔力とそれは同様のようだ。闇の魔力は安静と癒しを与え、光は道標を示す」

 とは、師匠の言だ。

「水と光よ、わがもとに集え」

 両腕をまっすぐ前に伸ばし、手のひらを上に向けて、魔女は唱える。歌うように、朗々と。

 風にそよぐ梢のざわめきのように、鳴き交わす小鳥のように、湧き出でる泉の水音のように、少女の唱える古い詞の呪文は、空間を巡り、溶けてゆく。

 長い黒髪が風に誘われ、ふわりと浮く。

 空を見つめる黒曜石の瞳は夢見るようにうっとりとし、頬はわずかに紅潮している。

 光の精霊かと、思うほどだった。

 泉にたどり着いたセレンは、息を呑み、黒髪の魔女を見つめている。

 迂闊に声をかけられなかった。近づけば、消えてしまうのではないかとすら思い、心が震えた。不安に、慄いた。

 宝石のように煌く光が黒髪の魔女を取り巻いているその様は、あまりに美しすぎた。

 精霊界へと連れ去られてしまうのではないか。あるいは天空へ還ってしまうのではないか……

 黒髪の魔女が、踏みとどまっているセレンを見つけたのは、魔術を解いた直後。

 誰もいないと思っていただけにびっくりはしたようだが、慌てるようなことはなく、暢気顔を向ける。

「あ、王子、来てたんですか?」

「…………」

「? どうかしたんですか、王子?」

 不思議そうに小首を傾げ、それからようやく立ち上がった。そして軽い足取りで、セレンに近寄る。

「王子?」

「……キラ」

「―……わっ」

 駆け寄ってきた魔女を、セレンは衝動的に抱きしめた。

 小柄な魔女の身体を押し包むようにして抱き、長い黒髪に顔をうずめる。

「おっ、王子っ?」

「キラ」

 キラ。それは秘められた、魔女の名。

 その名をもって、魔女の心を縛るように、自分の腕の中から、消えてしまわないように、繰り返し囁く。

「王子? どうかしたんですか? 大丈夫ですか? ね、王子?」

 いつもと違う様子のセレンに、さすがにキラも困惑した。

 抱きすくめられたまま、キラは心配そうに訊く。

 いつもなら抱きしめるついでに、甘い台詞の一つや二つ、必ず口にするのに。

「王子?」

「…………」

 ようやく、セレンは腕の力を抜いた。けれど、キラは離れなかった。端正な青年の顔をまじまじと見つめ、どうかしたのかと不安げに、繰り返し訊く。

「何もないよ……と言いたいところだけど」

 セレンは微笑み、キラの髪を手に取った。

「まいったな。この想いは、どう言えばいいのかな」

「……言わなくても、いいですけど」

 きっと、甘台詞を言うに違いない。慌てて、キラは身体をセレンから離した。

「キラ」

 甘くて気障な台詞を何度言われても言われ慣れないキラは、反射的に身構えていた。

「……いいよ、なんでもない」

 小さく笑って、セレンは言いかけていた言葉を呑み込んだ。

「なんでもないって顔じゃないですけど」

「言ってほしい?」

「……いっ、いいです」

 拗ねている顔がとても愛らしいよ。そんなことを言ったら、キラはきっと怒り出すのだろう。

 目を細めて笑んでいるセレンを見、キラはようやく安堵した。

 どうやらいつもの王子に戻ったようだ。

「王子、三日ぶりですね。会いたかったです、とても」

「…………」

「……なんですか、王子? その意外そうな顔は?」

「いや……君の口からそんな言葉が聞けるとは」

 素直な心根のキラだが、気恥ずかしさから本心を面と向かっては言ってくれない。だから「会いたかった」などとは、思っていても口にはださないだろうと思っていた。

 戸惑いを見せるセレンに、キラは満面の笑みを見せ、言った。

「先手必勝です!」

 王子にはいつも負けっぱなしで口惜しいんだもの! たまにはわたしだって王子を照れさせてみたい。

 なかなか上手くはいかないのだけど。キラは肩をすくめて笑う。

 セレンも肩をすくめ、そして苦笑を浮かべる。

 照れた顔を見せるようなことはないが、内心ではいつも困り、焦っている。

 無邪気に笑む魔女は、それに気づかない。

「あ、そうだ」

 ふと、何かを思いついたらしいキラは、セレンの手を掴んだ。

「王子、ちょっとこっちへ来てください」

 セレンの手を引き、キラはさっきまで居た場所に戻ると、手ごろな大きさの岩にセレンを座らせた。

「なんだい?」

「そこにいてください。……したいことがあったんです」

 キラは、両腕を前に伸ばした。空に向けられた手のひらから、風が起こる。色とりどりの花びらが舞い上がり、泉の水飛沫が光に反射し、煌く。

 地面に白く輝く魔方陣が現れる。描かれている文字や記号は、セレンにはなじみのないものばかりだ。キラが唱える詞もそうだった。

 緩やかな音律の魔法の詞は、天空を翔け、上昇していく。

 身の内から輝きを発する魔女の美しさは、喩えようもなかった。

「世界を照らし、映し出す光の精霊達。我が名は、キラ。この名をもって標を示す」

 キラの詞に呼応し、光の粒子がキラとセレンとを取り巻き、螺旋を描いて上昇していく。

「光に乗りて、天上の国へ届け」

 キラは軽やかに身を翻した。薄藍色のスカートの裾が、花のようにふくらみ、ひろがる。

 キラは片手を伸ばすと、細い指で包むようにセレンの手を握り、そしてそっと、ためらいもなく接吻した。

 セレンの唇に落ちたそれは、精霊の羽根に撫ぜられたような優しいものだった。

「……セレン」

 キラはセレンの手を握ったまま、首を伸ばし、空を仰ぐ。

「この名を伝えて。わたしの幸せ、そして……大切な光の標、セレンと」

 多彩に煌く光の渦が一瞬の光芒を放った。ガラスの鈴を振り鳴らしたかのような響きが、風に乗って森を渡る。

 セレンは半ば恍惚と、キラが放った魔術の終着……蒼穹を見つめていた。

 ふと気がつくと、キラはへなへなとその場にしゃがみこんでいて、セレンを焦らせた。

「キラ」

「あ、……うん、大丈夫。ちょっと、疲れただけだから」

 そう言ってキラは笑うが、座り込んだまま、立ち上がれないようだった。息も少し乱れている。握られたままのキラの手は、熱を帯びている。

「……今のは、なんの魔法?」

 セレンの問いに、キラははにかんだ笑みを向けて答えた。

「伝えたかったの。空にいる師匠と、……両親に。わたし、幸せだよって」

 幼くして両親を亡くしたキラは、その面影すら憶えていない。どんな人となりだったのか、人づてに聞くこともあまりなかった。

「ほら、鏡をごらん。両親の面影も愛情も、ここに残っている。幸せにおなり。それが空にいる両親への、何よりの孝行だよ」

 二年前に亡くなった森の魔女は、説教めかしてそう言ったものだった。

 だから、「幸せになる」そのことが、きっと師匠への孝行にもなるだろう。

「王……セレンが一緒にいるから、幸せだって。だから心配しないでって。……それに、セレンに……も、ありがとって……言わなくちゃっ……て……」

 キラが意識を手放してしまわなければ、セレンはきつく抱きしめ、激しく接吻しただろう。

 座ったまま、キラはセレンの膝に頭を傾け、寝入ってしまった。

 魔力を消費しすぎたようだ。魔術に疎いセレンにも、それは解かった。

 苦しげな様子はない。安らかな寝息をたて、無防備な寝顔をしている。

「キラ」

「…………」

 名を耳元でささやいても、目覚めない。

 眠るキラの額に、セレンはそっと口づけた。

 ――今日は、先を越されてばかりだね。

「私こそ、幸せだよ、誰よりも」

 キラに、その一言をまだ伝えてなかったのだ。

 先を越されてしまったが、そのことが嬉しくて、心が震えるほどだった。

 セレンは空を仰いだ。

 日の光に満ち溢れ、空は青く輝いている。涼やかな緑風が渡り、爽やかな芳香が森を包む。

 澄んだ泉にこんこんと湧き出る水は鈴を振るように響き、不思議な静けさが辺りを浸していく。

 視線を落とすと、そこにはセレンにもたれかかって安らいで眠る可憐な「光の精霊」がいる。

 まるで別天地にいるような心地だった。

「改めて誓うよ。君と、君の師匠殿と、そしてご両親に。……誰よりも君を幸せにすると」

 地に流れる黒絹のような髪をそっと手に取り、口づけを落とす。

 目覚めたら、改めて言おう。

 きっと君は、大仰に恥ずかしがるだろうけどね。

 セレンは微笑を浮かべた。


 心を照らす、温かな光。

 ――綺羅。



「愛しているよ、私の……キラ」




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