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キラキラ  作者: るうあ
キラキラ 本編以後の小話
12/54

傍にいて 〈前〉

 雪が降り始めていた。

 午前中までは雲の隙間に青空が見えていたが、木枯らしが強くなるにつれ、灰色の雲が空を覆いつくし、気温を瞬く間に下げていった。

「とうとう降り出しちゃいましたね」

 出窓から外の様子を眺めていた黒髪の少女が、振り返った。

 淹れたてのお茶を片手に、ソファーに深くもたれかかっている亜麻色の髪の青年が、「ああ」と短く応じる。

「どうりで寒いと思った。積もるかなぁ?」

「一晩降り続ければ、あるいは積もるかもしれないね」

「……うん」

 温暖な地域だから、降雪は珍しいことだった。

 少女は肩をすくませ、窓から少し離れた。そしてふっと息をついた。

「リプ、冬眠しちゃったらどうしよ」

 少女は魔法薬作りを得意とする、魔女だ。そして「リプ」というのは、少女に付き従っている眷属の愛称だ。正式な名はリフレナスという。リフレナスは、今日は少女の供はせず、森の奥の舘で留守番をしている。

 リフレナスはネズミの姿をしている。

 今まで冬眠などはしたことがなかったが、今年の冬は格段に寒い。巣穴をつくって、「春になったらまた会おう」と手紙を残して冬眠してしまったら、……どうしよう。

 少女は再び窓の外に視線を流した。

 たまりかねて、青年が声をかける。

「心ここにあらずといった感じだね。私といてもつまらない?」

 少々意地悪なその問いに、少女ははじかれたように振り返り、慌てて否定した。

「ごっ、ごめんなさいってば、王子! そんないかにも淋しそうな顔しないでくださいっ」

 亜麻色の髪の青年は、微笑をこぼす。

 カップをテーブルに戻し、ソファーの肘掛にゆったりとした姿勢で肘をおき、頬杖をついて少女を見つめる。光をはじく亜麻色の瞳に、少女はいつもドキマギする。恋人同士のはずだが、二人はどこかまだぎこちない。とくに、少女の方が、未だ状況に慣れていないといった具合だ。

「冬って、嫌いじゃないけど、寒いのはちょっと苦手だなぁって、なんか、そういうことちょっと考えていただけです」

「君が生まれたのは冬なのにね?」

「…………」

 少女は少し哀しげな顔をして微笑んだ。





 今年の冬はとくに寒さが厳しい。先日も霙が降った。

 森の魔女は、魔法薬作りの名人として名高く、そのためここ数日は風邪薬などの処方依頼がひっきりなしにあり、大忙しだった。解熱、腹痛などの薬は常に作り置きしてあるのだが、すぐに品切れになるほどの忙しさだ。どうやら風邪が蔓延しているらしい。

 依頼された薬を携え町にやって来た少女は、薬を全て薬屋に卸した後、偶然、王子と出会った。

「今日は私の屋敷へおいで」と誘われ、一瞬迷った後、少女は承諾した。

 王子、と呼んでいるが、むしろ「領主」と呼ぶほうが正しいだろう。しかし、町民のほとんどが「王子」と呼ぶ。国王の、複数いる認知された子のうちの一人で、王位継承の立場からは離れたが、辺境の地域の領主という地位を与えられた。気安い人柄で、政治力も申し分ない。そのため町民の信頼と人気を得ている。

 まだ若い領主の恋人は、やはりまだ若い森の魔女。

 この事実の流布は、早かった。若い娘達からのやっかみは当然あったが、おおむね二人の仲は好意的に認められた。

 当事者の森の魔女だけが、先走る状況に戸惑い、追いつけないでいるようだった。



 寒いのは、苦手だ。

 少女はため息をついた。

 時々……ほんとうにごく稀にだが、こんな寒い日は、「冬眠」してしまいたくなる。

「ため息、十回目」

「え? は?」

「さっきから数えて、ちょうど十回目」

 王子は悪戯っぽく笑う。けれど、亜麻色の瞳だけは、やや厳しそうな色合いを浮かべていた。

「って、王子、数えてたんですかっ」

「あまりに多いから。もっと前から数えていたら、二十は軽く突破していそうだね」

 王子は手を差し伸べ、ソファーに座ったまま、出窓の側にいる少女を促した。

「おいで」

 王子の顔から、微笑が消えていた。

「こちらへおいで」

「…………」

 少女は思わず身構えたが、おそるおそる近づいた。イヤだなどと言える訳がないし、また別にイヤな訳でもない。ただ……――

「頬が赤い」

 少女の手を取り、王子は気遣わしげに少女の顔を見やる。

「え、や? そう、ですか? あ、でも寒いから、かな?」

「寒い?」

「……うん、少し。あ、でも大丈夫です」

「…………」

 少女の「大丈夫」は、あてにならない。

 王子は眉をひそめる。

 無自覚な恋人が心配で、反面少々物足りないような残念なような、そして悲しくもある。

「今日はとくに冷えるから。……あの、王子?」

「…………」

 王子は黙ったままだった。その沈黙に、少女は困窮した。怒っているような気がしたのだ。

「あの、王子。えっと、わたし」

 一歩、王子から退いた。だが、手は握られたままだ。

「そろそろ帰らないと。雪がひどくならないうちに……」

「……帰りたいの?」

「え、いや、えっと、ですね……」

 やっぱり怒っている。不機嫌な王子の顔を見るなど、めったにないことだ。

 少女は狼狽し、言葉が続かない。

「帰りたいの?」

 王子は繰り返した。だが、口にしたかった言葉ではない。

 少女の手を、王子は両手で包んだ。ため息をつき、そしていつになく口数の少ない少女を、改めて見上げた。

「手が熱い。…でも、寒い?」

「え?」

「頬は赤いけれど、あまり顔色は良くないね」

「そう……かな。疲れが出たのかも。薬作りでここしばらく忙しかったから」

「君は相変わらず無頓着だね、自分のことには。……おいで」

「わっ! たったっ……っ!」

 強引に手を引っ張られたと思ったら、次の瞬間には、少女は王子の腕の中にいた。しかも、膝の上に座らされて。

 王子は少女の長い黒髪に、顔をうずめた。少女のうなじは熱をおび、熱い。

「おっ、王子っ」

「……帰りたいなんて、言わないでくれ」

 王子は情けない自分の口調に舌打ちしたい気分だった。

 だが、少女のことが心配で、不安で、胸のふるえがおさまらない。

「えっ、えとっ、王子っ」

 王子の息がかかるうなじから、次第に体中が熱くほてりだしてきた。

 寒いのに、……熱い……。

「熱があるんだよ。気づかないのは君らしいが」

 ようやく、王子は顔を離した。

 言われてみれば、と少女はようやく体調の悪さに思い当たった。

 今朝、森の舘を出た時から、頭が重かったし、体もだるかった。単に疲れているだけだろうからと、さして気にもとめていなかった。まさか、発熱してしまったとは。

「ここで休んでいきなさい。帰るのは、延期。いいね?」

「…………」

 頷くしかなく、少女は唇を軽く噛んで、王子の言に従った。





 王子の寝室、王子の寝台、そして王子の夜着……それらに包まれて、少女は半ば強引に寝付かされていた。

「……王子」

「何?」

「あのぅ、わたし、大丈夫ですから」

 横たわったまま、少女は傍らに座っている王子をすまなそうな顔をして、見上げる。

「仕事、あるんですよね、まだ。それ、片付けてきちゃってください。おとなしく、寝てますから」

「…………」

 王子は少女の頬にそっと手を置いた。

「私が傍にいない方がいい?」

 そう言いそうになった。でも、そう言ったところで、少女は「そんなことはない」と言うだけだろう。

「わかった、そうしよう」

 王子は目を細め、切なげに少女を見る。そしてゆっくりと少女の頬から、その手を離した。

「……っ」

 少女は、自分で自分の行動に驚いた。

 とっさに、王子の袖口を掴んで、引き止めたのだ。言葉は出ない。すぐにその手を離したのだが、立ち上がり、踵を返しかけていた王子は向き直り、腰を屈ませ、少女の額に手をのせた。そして、名残惜しそうに、少女の長い黒髪を指先で梳く。

 発熱のためではなく、ぞくりと鳥肌が立つ。少女の頬に、赤みがさした。

「ごっ、ごめんなさ……」

 喉元が痛み、声がかすれた。

 王子は優しく笑む。

「ゆっくりお休み。今は何も考えずに」

「……」

 少女は素直に頷き、王子が部屋を出て行くのを見送った。

 顔半分まで布団をかぶって、そして目を閉じた。

 泣いてしまいそうだ。突如降りかかってきた不安を払い除けるのに、少女は失敗した。

 眠ってしまうにかぎる。王子の言うように「今は何も考えずに」。

 少女はかたく目を瞑って、思考を止めた。



 夢から、少女は逃げ出すように、目を覚ました。思わず、安堵の吐息がこぼれる。

 上半身を起こし、周囲を見回した。

 真夜中という感覚はない。おそらく寝入っていた時間はほんの短時間だったのだろう。窓の外は暗いが、まだ夜の帳は降りたばかりのように感じられた。雪はまだ降っていて、窓辺にうっすらと綿雪が降り積んでいた。

(喉が、渇いたな……)

 ベッドから降りようとしたのだが、これはなかなか苦労だった。

 二、三人は寝られそうな大きなベッドから、軽くて柔らかいが呆れるほど大きい羽根布団を退けて、何とか着地に成功した。だが、部屋から出るのにも苦労がかかった。

 ベッドがある地点から出入り口の扉まで、少女の歩幅ではおよそ十歩強は歩かねばならない。

 森の舘の自室なら、ベッドから扉まではたった三歩だ。

 無駄に広い部屋は、一人でいるにはあまりに寒すぎる。大きな暖炉がどれほど室温を上げてくれていても。

 おぼつかない足取りで王子の寝室を出た少女は、一階の厨房へ足を向けた。

 王子はおそらく執務室か書斎にいるのだろう。声をかけていこうかと一瞬迷ったが、両部屋は寝室から離れている。厨房へ行き水をもらって、すぐに寝室に戻ったほうが、要らぬ心配をかけずにすむだろう。

 全身に力が入らないため、壁に手をついて階段を下りた。二階に比べて、一階は人気が多い。そのため、厨房まで行かずにすんだ。屋敷の女中に声をかけられ、水を汲んできてもらえたのだ。

 時間を尋ねると、夕食時だと知らされた。

 少女の母親くらいの年齢であろう女中は、丁寧な口調は崩さなかったが、心配そうな顔で少女の顔を覗き込む。

「お食事はいかがいたしましょうか? よろしければお部屋へお持ちいたしますが?」

「ありがとう。でも、いいです、今は。……あの、王子は?」

「執務室で簡単な食事をお召し上がりになりました。魔女様のお食事は別に用意するよう仰せつかっておりましたので」

「そっか。じゃ、せっかくだからいただかないと、もったいないですよね」

 こういうところが、少女は奇妙に律儀だった。

「あとでいただきます。もう少し休んでから」

「承知いたしました。……お部屋まで、お送りいたしましょうか?」

 少女の足元がふらついているのを見かねて、彼女は手を差し伸べた。

「大丈夫、一人で戻れます。お水、ありがとう」

 あまり大丈夫じゃないかも。と思いつつ、つい片意地をはって親切を断ってしまった。

 短時間とはいえ、深く眠ったのに、疲れはとれず、しかも熱が上がってしまったようだ。

 こういう時に限って、いつもは常備している解熱の薬が切れてしまっている。

「ふぅぅぅ……」

 階段を上りきったところで、深く息をついた。

 ちょうどそこにあった出窓から、外が見える。

 針葉樹の枝先が白く光っていて、きれいだ。

 寒いのは苦手だけど、雪は嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、……雪は思い出も運んでくるから、少し、悲しくなる。

 師匠が亡くなった時も、両親の死の報せが届いた時も、雪が降っていた。

 もう一度深く深呼吸をし、寝室へ戻ろうと歩みだした。



 寝室まで、あと数歩。そう思ったところで、突然、寝室の扉が内側から開いた。

「……っ!」

 血相をかえ、飛び出してきたのは、王子だった。

 少女はその勢いに驚き、足元をふらつかせ、よろめいた。

 そして――

「……何をしてるんだ、君は!」

 怒鳴られて、少女は思わず身をすぼめた。

「おとなしくしているといったのに、ふらふら出歩いて!」

「……あ、あの、ごめんなさい」

 王子が声を荒げるところを見たのは、初めてだ。

 窘められることは今まで数知れずあったが、怒鳴られたことはなかった。

「喉が渇いたんで、お水をもらいにいっ……」

「君は、まったく少しは自分を労わってやるべきだ。そんな……まともに立ってもいられない状態で」

「……ごめ……」

 あれ、と少女は目をこすった。

 急に視界がぼやけ、王子の姿がかすんだ。

「や……だ」

 自分が泣いていることに、少女はすぐに気がついた。涙がとめどなくあふれて、幾粒も床に落ちる。

 みっともない。叱られて泣き出すなんて、まるで子供だ。

 そう思えば思うほど、涙は流れて、全身が震えるほどだった。

「やっ、やだな、どうし」

「…………すまない」

 王子が、ふわりと包み込むようにして、少女を抱いた。

「すまない、怒鳴ったりして」

「ち、がいます。王子のせいじゃなくて……」

 少女は王子の胸元を軽く掴んだ。熱のせいで、手に力が入らない。でも、温かな王子の腕の中から離れたくなかった。

「なんだか……ほっとしちゃったというか……よかったって」

「……よかった?」

「王子が、いてくれて」

「…………」

「寒くて、一人で……」

「心細い思いをさせてしまったね。すまない、本当に」

「ううん……」

 全身の力が抜け、頭の芯がぼうっとする。

 少女は目を閉じた。



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