ニートの世話、首になりました!!
夜会で婚約破棄を告げられた瞬間、アデラインが最初に思ったのは、悲しい、悔しい、という感情ではなかった。
これで眠れるぅ~~~~~~~あ~~~~~~~デスマーチきつスギィ~~~~~。
それが、六年間王太子の婚約者を務めてきた彼女の偽らざる本音だった。
オギャアと異世界転生を果たし、金持ち貴族令嬢に生まれたことにガッツポーズしたのは、はるか昔の記憶。気づけばあれよあれよと王太子レオニードの婚約者になってしまい、それ以来アデラインの生活は忙しさを増し続けていた。
はじめは礼状の整理をやっていたところから、王宮内の各部署との調整、貴族から届く陳情の整理、外交使節の予定確認、王太子が出席する会議の準備。自分は王太子の婚約者なのだし、若いうちの失敗は許されるから、今からいろいろやらせてもらえるのは得よね~とのんきに思っていた。
しかし、最近は王妃のお気に入りの侍女の恋人の庭師の妹の(中略)門番が飼い始めた猫に季節外れの子猫が生まれたから飼い主を探せだのなんだの。最初は婚約者としての補佐だった仕事が、いつの間にか彼の執務の大部分を支える役目へ変わり、城の万事屋に代わっていた。なぜ??
さらに肝心の王太子は勉強からも公務からも逃げて城内ニート状態。たった一人の後継ぎとして幼少期から甘やかされ、気づけばこうなっていたらしい。なぜ?????
釈然としない思いを抱えながら、アデラインは不満を口にしなかった。だが最近は明らかに指示される仕事量が増え、すべて終えるころには深夜になることもしばしば。これはさすがにおかしいのでは?と疲弊しつつも励んでいた。
だから、王が外交で不在のため、王太子主催の夜会にて、大広間でレオニードが別の令嬢の手を取り、婚約破棄を告げたときも、最初に浮かんだのは悲しみではなかった。
「アデライン、私は君との婚約を解消して、クラリー嬢と未来を築きたいと思っている」
隣の令嬢は頬を染め、周囲の貴族たちは驚いた顔を見合わせている。
アデラインは二人を見つめ、何言ってんだこの阿呆は、と思いつつ、とっさに壁に掛けられた時計へ目を向けた。
午後四時。
明日は九時から北部三家との会議がある。いや、その前に騎士団との打ち合わせがあったっけ、あと明後日には隣国の使節団が到着する予定だった。これまでなら、今夜を好機と全ての段取りを整えていた。王家主催の夜会であればあらゆる仕事の重役が出席するから、大変だけどふんばりどころなのよね。
けれど、もうその必要はないーーーーーってコト!?
「婚約解消については承知しました。それでは、明日から殿下ご自身で予定を管理していただけますでしょうか」
レオニードの顔から笑みが消えた。
「君は何を言っているんだ。王太子の補佐はこれまでどおり続けてもらう」
なーに言ってんだはこっちのセリフだわ。レオニートに改名しろよさぼり王子が~~~~~!
「婚約者ではなくなった私に、その役目を続ける理由はございません。これまでの仕事は本日をもって全てお返しいたします。すでに婚約者でない身で重要文章にも触れませんので、引継ぎは割愛させていただきます」
大広間にざわめきが広がった。面白い余興の行く末を見物するように、ちらちらと視線が投げかけられる。
アデラインは頭を下げ、それ以上何も言わなかった。
胸の奥には、長い間押し込めていた疲れが、ようやく外へ流れ出していくような感覚があった。すでに頭は自室のベッドにインしているような心地である。
その日の夜、アデラインは王宮に置いていた私物をまとめた。担当していた仕事は、それぞれ本来の部署へ戻した。王太子の予定表は執務室へ、外交関係の書類は外交官へ、といった具合である。ただもう触れる資格はないので、最低限やることをやる程度でーーーーーいや、子猫の飼い主まだ見つかってなかったんかい!私が引き取る!といった具合で回収できる負担は回収したうえで、本来のラインに仕事を突っ返していた。
最後に空になった机を見つめた。ここで何度夜を明かしただろう。 食事を忘れたことも、眠る時間を削ったことも一度や二度ではない。それでも、婚約者なのだからこういうものなのかなと思っていた。前世持越しの流されやすい日本人基質が悪さをしていたんだな。
アデラインは小さく息を吐き、まっしろい子猫を片手に王宮を後にした。
翌朝。
王宮では早くも問題が発生した。王太子の予定が三つ重なっている。隣国の使節団を迎える馬車が手配されていない。会議に必要な資料が集まっていない。料理長は歓迎晩餐会の献立を誰からも聞かされておらず、騎士団は王太子の視察予定すら知らされていない。さらに王妃の侍女の(中略)門番がスっ転んで馬房を破壊、バタフライ・エフェクトで宰相のヅラが爆発した。
二日目には王太子の執務室が混乱し、三日目には各部署の責任者が互いに確認を取り合う事態になった。
ようやく誰もが気づいた。これまでアデラインが先回りして処理していたことばかりでは?と。一部違うこともあるかもしれないけれど、城に勤める大多数の人間はヅラはないものとして扱う紳士淑女なのでそういう認識になった。
あの令嬢は、ただ王太子の隣で微笑む婚約者ではなかったのだ。
彼女がいなくなったことで、それまで目立たず、だれもやりたくなかった、水回りの掃除のような類の仕事が一斉に表へ現れた。
しかし、その頃アデラインは王都から離れた町で、全く別の生活を始めていた。親に対して思い切り被害者ぶったあとで一週間引きこもった後小さな屋敷をねだり、庭に温室を建て、薬草を育てている。はたから見れば丁寧な暮らしここに極まるである。
朝は自分が起きたい時間に起き、白湯をいただく。
昼は市場へ出かけ、夕方には庭を眺めながらお茶を飲む。
誰かの予定を気にする必要もなければ、誰かの機嫌をうかがう必要もない。
そんな生活が一月ほど続いたある日、一台の馬車が屋敷の前に止まった。
いぶかしげなアでラインの前に降りてきたのは、濃紺の軍服をまとった男だった。
北方騎士団副団長、ハルト・グレイヴ。黒髪に切れ長の黒い瞳の、ともすれば威圧感のある騎士らしい容貌。
幼い頃から顔を知っている人物だったが、親しい関係ではなかった。
「あなたがここで暮らしていると聞いて、確かめるために訪ねてきました」
アデラインは鍬を置いた。麦わら帽を置き、植え付け予定だった苗を置き、特注の手袋を脱ぎ、よく自分がアデラインだと気づいたなぁと長身の知り合いを見上げる。
「王宮からの呼び戻しでしたら、お断りするつもりです。私はもう、戻る気持ちはありません」
警戒心をむき出しに主張すると、副団長はいえ、その件ではありません、と口を開いた。
「私も、あなたを王宮へ連れ戻すつもりはありません。ですが念のためこちらを確認いただけますか?」
今朝王都に到着したところ、王太子にこれを届けるよう命じられた、とハルトが差し出したのは、一通の封書だった。
アデラインは封書を読み終えると、丁寧に折りたたんだ。中身は王太子からの帰還要請だった。
「この手紙への返事は、すでに決まっています。私は今の生活を捨てるつもりはありません」
「そうですか。その返事を聞けて、私も安心しました」
予想外の言葉に、アデラインは眉を上げた。ハルトは言葉を探すように、庭を見渡している。
「私はあなたを……王宮で働いていた頃から、あなたを尊敬していました」
アデラインは返事をしなかった。苦笑し、ハルトは続ける。
「北部への物資が確保されているのも、騎士団の要望が王都へ正確に届いたことも、あなたが間に立ってくれたからです。私は何度も助けられました。改めてお礼を申し上げます。」
「それは、私が王太子殿下の婚約者だったからです。必要な役目を果たしていただけですわ。お気になさらず。」
「それでも、私はあなたに感謝しています。……昨年の北部遠征の総責任者は私の従弟だったのです。あなたが支援物資のおかげで彼や一族の者が損なわれることなく作戦を完遂できました」
そういうと、ハルトは目を細めて笑った。その笑顔が、アデラインの胸に深く残った。簡単に言うとひとめぼれ一歩手前である。
それからハルトは何かを決心したように言葉を重ねた。
「もしも、その、よければ……わが領にいらっしゃいませんか?できれば、私のパートナーとして」
レオニードは、王太子の婚約者として仕事をすべて投げ、城の文官もそれに乗っかった。手柄を認められることなく、違和感を覚えつつ忙殺され、流されるまま文句も言わず仕事をひたすらこなした。そのくせ夜会では王太子は婚約破棄を叫び、その場にいた仕事の関係者は誰もアデラインをかばわなかった。
けれどハルトは、アデラインの仕事を認めてくれた。
庭で薬草を育て、麦わら帽子をかぶってリンゴの苗を植えようとしている、そんな姿まで見て、隣にいてほしいと言っている。
ハルトは、少しだけ緊張した面持ちで一歩近づいた。
「アデライン、私はあなたと結婚したいと思っています。あなたと人生を共にしたいのです」
胸が大きく鳴った。幼少期から屑王子の婚約者だったため、イケメンにはにかみながらプロポーズされるなんてどうしたらいいのかわからないのである。いつの間にか子猫がドレスをよじ登って来ているが反応できずにいる。それってつまり……?
以前の婚約は、純度100パーセントの家同士の都合だった。王太子の婚約者として果たすべき役割もあった。今にして思うと不出来なニートもどきの男のしりぬぐいのためにあてがわれたとわかる。
けれど今、目の前にいる男は何も要求していない。
ただ、一緒に生きたいと言っている。
アデラインはしばらく黙ってから、ようやく微笑んだ。
「私はもう、誰かの役に立つためだけに生きるつもりはありません。それでも私と結婚したいと思ってくださるのでしたら、お受けします」
「もちろんです、いや、しかし、本当に受けてくださるのですか?その言葉を聞ける日が来るとは……」
ハルトの顔が赤くなり、笑顔が広がる。
つられてアデラインも笑った。
子猫がじれたようにウニャーンと鳴くまで、二人は照れ照れと視線を交し合っていた。
それから三か月後。
王都では、レオニードが以前より多忙になったという噂が流れていた。夜会での出来事を知った王がようやく危機感を抱き、再教育されているようだ。父上にもぶたれたことないのに~と嘆きながら家庭教師にしばかれているらしい。
クラリー嬢も、王太子妃になる以上は王宮の仕事を理解しなければならないと知り、以前のように華やかな生活だけを楽しむことはできなくなったらしい。
アデラインは、その話を聞いても特に何も思わなかった。我が亡き後に洪水よ来たれ、である。
それよりも気になるのは、春になり、庭でりんごの気が花を咲かせたこと。スピード結婚し、夫となったハルトと、二人でゆっくり朝食を食べ、花を眺める。午後には領地の報告を聞き、必要な業務の処理を二人で行い、町へ出かける。
それだけの一日を、アデラインは大切に思っていた。もう二度とブラック労働は御免である。目指せちい(さい幸せを)かわ(るがわる享受できる生活)!!
婚約破棄された日、彼女はやけくそになっていた。家で丁寧な暮らしをして老いて死ぬんだとはっちゃけていた。しかし今は、自分が望んだ相手と、自分が望んだ場所で生きている。
それが何よりも幸せなことだと、アデラインは知っていた。夫と食後のティータイムを楽しみながら、その日あったことを話し合い、届いた手紙をゆっくりと読む。
なんですって、今度はクラリー王太子妃の侍女の(中略)二代目門番のところの子犬が産まれたですって…?




