第一話「最悪な出会い」
アイコ・ハセガワの朝は、いつも通り最悪だった。
寝坊。トースト口にくわえたまま玄関を飛び出す。自転車のカギが見つからない。結局走る。七月の朝から全力疾走。汗。最悪。
曲がり角で、盛大にぶつかった。
——ドォンッ。
空を飛んだ。地面を転がった。スカートが盛大にめくれた。
「いっっっっった!!」
起き上がったら、目の前に見たことのない男子が倒れていた。
さえない。これ以上ないくらいさえない。ぼさぼさの黒髪。よれよれのシャツ。眼鏡が曲がっている。特徴がない。空気みたいな男子。
その空気みたいな男子が、仰向けのまま言った。
「……空が、青い」
「現実逃避してる場合じゃない!遅刻する!」
「君が突っ込んできたんだけど」
「どっちもどっちでしょ!名前は!」
「永瀬ケンジ」
「長谷川アイコ。走れる?」
「たぶん」
「じゃあ走って!」
二人は走った。
並んで、ぜいぜいしながら、知らない男子と並んで。
校門をくぐったとき、予鈴が鳴った。ギリギリだった。アイコは膝に手をついて息を整えた。隣でケンジも同じことをしていた。
「……助かった」
「どういたしまして」
「礼を言ったわけじゃ」
「知ってる」
アイコはケンジを見た。眼鏡を直していた。本当に特徴がない。クラスにいても絶対気づかないタイプだ。
「何組?」
「二組」
「私も二組」
「知ってる」
「知ってるなら最初から言いなさいよ」
「聞かれなかったから」
アイコは返す言葉がなかった。
その日の放課後——
全てが始まった。
海だった。
学校から歩いて十五分の、地元の漁港。アイコがいつも放課後にぼーっとしに来る場所。波の音。潮の匂い。観光客も来ない、さびれた港。
なんとなく来てみたら、ケンジがいた。
防波堤の端に座って、海を見ていた。
「なんでここにいるの」
「なんとなく」
「私の場所なんだけど」
「海に所有者はいない」
「屁理屈言わないで」
アイコはケンジの隣に座った。自分でも理由が分からなかった。
波の音だけが続いた。
五分くらい経ったとき、ケンジが言った。
「……あれ、何だと思う」
海の沖合。水面に、何かが浮いていた。
白い。大きい。
アイコは目を細めた。
「船?」
「船にしては形がおかしい」
「じゃあ何」
「分からない。でも——」
ケンジが立ち上がった。
「沈んでいく」
確かに沈んでいた。ゆっくりと、しかし確実に。白い巨大な何かが、海に飲み込まれていく。
そのとき波が来た。
普通の波じゃなかった。防波堤を超えてくる波が。
「——走って!」
アイコが叫んだ。
間に合わなかった。
二人は波に飲み込まれた。
暗い。
冷たい。
沈んでいく。
アイコは必死に泳いだ。でも上がどっちか分からない。暗い。泡。ケンジはどこだ。
そのとき、何かが足首を掴んだ。
引っ張られた。上に。
光が見えた。
水面を割った瞬間、アイコは思い切り息を吸った。
「——ケンジ!」
「ここ」
隣にいた。眼鏡がなくなっていた。それだけで、少しだけ顔が違って見えた。
二人は何かの上に乗っていた。
金属だった。巨大な、白い金属の塊。さっき沈んでいた何か。それが今、二人の足元にあった。
白い鳥の紋章が、表面に刻まれていた。
ハッチが開いた。
中から声がした。
「——乗れ。時間がない」
暗いハッチの中から、光が漏れていた。
アイコとケンジは顔を見合わせた。
「……どうする」
ケンジが聞いた。
アイコは答える代わりに、ハッチに飛び込んだ。
「何やってんの!」
「乗れって言われたから乗る!」
「それが一番危ないやつ!」
「早く来て!」
ケンジが飛び込んだ。
ハッチが閉まった。
機体が沈み始めた。
深度計の数字が増えていく。十。二十。三十——
アイコはコックピットの中を見回した。計器だらけ。モニターだらけ。そして——操縦席に誰もいなかった。
「……誰もいない」
「声は」
「聞こえた」
「でも誰もいない」
二人は顔を見合わせた。
深度計が増え続けていた。四十。五十。六十——
そのとき、スピーカーから声がした。
女の人の声だった。柔らかい、でもどこか遠い声。
『——ようこそ。長谷川アイコさん、永瀬ケンジさん』
「な、なんで名前を——!」
『時間がありません。説明は後で。今は——』
モニターに何かが映った。
海の上。港の方角。白い鳥の紋章を持つ別の機体が、三機、こちらに向かってきていた。
『——逃げてください』
アイコは操縦席を見た。ケンジを見た。
「操縦できる?」
「できるわけない」
「じゃあ教えてもらいながらやる」
「正気?」
「沈むよりまし!」
深度計が九十を超えた。
つづく




