甘い夢、苦い現実
その夜、ルシエラは使い古された麻のシーツに身を包み、泥のように深い眠りに落ちていた。
硬すぎるベッドにいちいち文句を言うのもバカらしいと思い、もう何も言わなかった。
甘い夢を見た。
かつての煌びやかな現実――……。
見渡す限り、宝石のような琥珀糖と、ピンク色のマシュマロが敷き詰められた世界。隣には、優しい微笑みを浮かべたクラウスが座っている。
『ほらルシエラ。君のために作ったんだ。味見をしてくれないか。あ~ん』
クラウスが銀のスプーンを差し出す。
甘い吐息、とろけるようなチョコレートの香り。
ルシエラは幸福感に包まれ、そのスプーンを迎え入れようと、口を開いた。
「ルーシー! 起きてっ! さすがに寝過ぎだってっ!」
「んんっ……!? クラウス、あぁん……じゃなくて、もう朝なの……」
「朝じゃないよ。もう夜になっちゃうよ。ルーシーってば、丸一日寝てたんだよ?」
バサッ、と豪快に毛布を剥ぎ取られ、ルシエラは渋々と身体を起こす。目の前にあったのはクラウスの端正な顔ではなく、ピムの顔だ。エリオットと同じ翡翠の瞳であることに、ルシエラは気付く。
「…………ピム」
「なに?」
丸一日寝ていた、その言葉は本当であろう。
身体の節々が痛み、寝過ぎたせいで頭もズキズキと痛む。
「あなたいくつ?」
「二十」
年上か…とルシエラは心の内で呟いた。
「ルーシー、顔洗って下に降りてきて。アニキの変わりにここでのルールを説明するからさ」
ピムの背を見送ってからルシエラは重い身体を引きずり、廊下の突き当たりにある手洗い場へと向かった。
蛇口を捻ると、驚くほど冷たい水が飛び出す。
「冷たっ……!」
思わず声を上げたが、その冷たさが、甘い夢の残り香と寝ぼけた頭を強引に覚醒させてくれる。
「これにも慣れないとね…」
顔を洗い、手ぬぐいで乱暴に水分を拭き取ると、鏡に映る自分の顔を睨みつける。
「ひっどい顔っ!」
古びた階段をギィと鳴らしながら、一階の食堂へと降りていく。
そこに、エリオットの姿はなかった。
「あ、降りてきたね」
カウンターで、野菜を刻んでいたピムが微笑みかけてくる。
「ああ、アニキなら仕事に出たよ。隣の街までね。数日は帰ってこないよ」
「そう」
素っ気なく答えながら、目についた椅子に腰を下ろす。
「それじゃあ、早速だけどここのルールを説明するよ」
包丁を置いたピムが、ルシエラの前にサラダの山盛りを差し出した。
「ここに居候するなら、掃除も皿洗いもしっかりやる。お客さんには失礼のないように。夜の外出はまだ危ないから禁止。明日色々と案内してあげるね。それからあ、これが一番大切なこと」
ピムがルシエラの前に、空っぽになった素焼きの壺と、底が見えそうな小瓶をコト、と置いた。
「砂糖と蜂蜜。もう在庫がこれしかないんだ」
「えっ……? それっぽっち?」
思わず身を乗り出していた。
王国の厨房なら、一分間で消費する量にも満たない。
「…『それっぽっち』じゃないよ。この辺じゃ、甘味料はお金と同じくらい貴重なんだよ。昨日、ルーシーが試作だって言って使いすぎたから、もう次の仕入れまでお預け」
貴重品――その言葉の意味が理解出来ないでいた。
ほんの少し前までは、砂糖は水のように、空気のように、ありふれたものだった。道端の石ころを拾うより簡単なくらいすぐ近くにあった。
「いい? 砂糖も、野菜も、小麦も、薪も。ここでは全部、誰かが命がけで運んできたり、汗水垂らして作った貴重品なんだよ。無駄遣いは厳禁。わかった?」
ルシエラの指先が、空の砂糖壺に触れる。
ざらりとした陶器の感触が、この世界の厳しさを物語っているようでもあった。
「そ、そんな…っ。じゃあ、私はお菓子を作れないのっ!?」
「ん~アニキの仕入れ次第だけど、いつでもお好きにどうぞとは言えないかな」
「なっ…な、なんですって……」
「でも、お菓子が作れるなら他のものだって作れるはずだよ。というわけで、まずは溜まってる洗い物から片付けてもらおうかなっ!」
厨房の裏に連れて行かれると、そこには油でギトギトになった鉄鍋があった。
ルシエラは絶望的な気分になりながらも、袖を捲り上げる。
甘いだけの世界は終わったのだ。
今は、この苦い現実を咀嚼し、糧にするしかない。
「いいわっ! やってやるわよっ!……砂糖がなくても生きていけるんだからっ……!!」
「その意気だよっ!」
ピムの快活な笑い声が、ルシエラを奮い立たせていく。




