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いざ、新天地

 旅に出てから、三日が経った。

 砂漠を抜けると、世界は少しずつ色を変えていく。

 砂の大地が固い岩盤へと変わり、空気の質が変わり、風の匂いが変わる。

 鼻の奥をつくのは、砂埃でも、スパイスでも、砂糖の甘い香りでもない。

 もっと、硬い匂いだ。

「……なんか、空気が重いわね」

 鼻腔の奥に燻る重苦しい匂いに、ルシエラは顔を顰める。

「錆の匂いだな。お嬢さんには縁もゆかりも無い匂いだ」

 前を歩くエリオットが答える。

「錆?」

「鉄が酸化する匂いだ。まあ慣れるしかないな。ここはそういう場所だ」

 口元を袖で覆いながら、ルシエラは顔を顰めたまま空を仰いだ。

 雲ひとつない青空だったユレイヴと違い、ここの空はどこか霞んでいる。薄く灰色がかった、重たい空だ。

 鉄の国。

 それが、ルシエラが初めに目指した国である。

 ユレイブから一番近いから、という理由で選んだのだが、考え無しに行動するのもよくないものだと自省してしまう。

 出発前に、地図を見せてもらった。

「はい、地図どうぞっ!」

 テーブルの上に広げられたのは、くたびれた大判の紙だ。

 ルシエラは無言で地図に顔を近づける。年季の入った紙の匂いがした。

「これ……本当にこんなに広いの?」

「広いよ。アニキなんて仕事で端から端まで行ってるんだから」

「説明してやろうか。どうせ王国の授業じゃロクなこと習ってないだろう」

「なによ」

 むっ、と唇を尖らせるが、否定はできなかった。

「先ずはここ。一番デカイのがお嬢さんの故郷だよ」

 エリオットの指先が地図を滑っていく。

「キャンディー王国。大陸の三分の一を占める。経済力も軍事力も食料消費量も大陸随一だ」

「そのくらいは知ってるわよ」

「それじゃあ、周辺国が甘さを自前で持てないように原料の流通も押さえていることもか?」

「……」

 先日ピムから言われた言葉が、胸の奥で静かに蘇る。

 ――スイーツランドが奪ったから。

「まっ、気を取り直して次はここだ」

 エリオットの指先が、北西を叩いた。

「花の国。正式名称は、アリフロリア共和国。妖精が中心となって暮らしている。そして、ここから一番近いのが……鉄の国。山を削って鉄を掘る。自動人形たちがせこせこ働いてる。で、ここが魔女の国。正式には自治領だな。魔女たちの集落がある……」

「ちょ、ちょっと待っ! そんなに一気に説明されても分からないわよっ」

 地図の上を移動する指を追いかけるのが精一杯で、各国の説明など耳に入ってこない。

「まあ行けば分かるさ」


 国境の門が見えてきたのは、それからしばらく歩いた後だった。

 門番立っている。

 二人。

 人の形をしているのだが、人ではないの一目で分かる。

 継ぎ目が見える関節。胸の中心で、何かが規則正しく点滅しており、頭部には目らしき丸いガラスがはまっていて、ルシエラたちの方をゆっくりと向いた。

「……なにあれ」

 人の形をした塊を指さす。

 あれがエリオットが言った自動人形であることは、頭では理解しているが、いざ目の当たりにすると思考が止まってしまう。

「自動人形だ」

 あっさりとした答えが返ってくる。

「う、動いてるわよっ! 本当に動いてるわ」

「当たり前だ。門番の仕事してるんだから。見た目はあれだが、俺たち人間と変わらねえよ」

 自動人形は、ルシエラたちに向かってゆっくりと手を上げた。

 止まれ、という意味らしい。

 エリオットが慣れた様子で荷物の中から書類を取り出し、自動人形に差し出した。

 自動人形は書類を受け取り、胸の中の何かにかざす。点滅が数回繰り返された後、書類を返してきた。

 門が、重い音を立てて開き。

「もう通れるの?」

「ああ。俺は商売で何度も来てるから記録されてる。顔も、声も、体の大きさも。あいつらの目はそういう仕組みになってるんだ」

「ふーん……」

 ルシエラは興味深げに、自動人形の目のガラスを見た。

 じっと向こうもこちらを見返してくる。

 ルシエラも負けじと見返すが、特に何の反応もしなかった。


 中に入ると、その異様さは一層はっきりした。

 石畳の道の上を、様々な大きさの自動人形が行き交っている。

 荷物を運ぶもの。

 道を掃除するもの。

 建物の壁を補修するもの。

 人間もちらほらと歩いているが、自動人形の数の方が多いくらいだ。

 そして何より——。

「甘い匂いが、全然しないわね」

「そりゃ鉄だからな」

 呆然と呟くルシエラ。

 キャンディー王国では、どこを歩いても砂糖の香りが漂っていた。通りにも、路地にも、空気そのものに甘さが溶け込んでいた。

 ユレイヴでさえ、スパイスや乾燥した野草の香りがあった。

 だが、ここには何もない。

 錆と、油と、石と。それだけだ。あまりにも硬質すぎる。

「ねえ、食べ物はどこにあるの?」

「あそこだ」

 エリオットが顎をしゃくった先に、店があった。

 看板は鉄板に文字を打ち付けただけの無骨なものだ。

 ルシエラは歩み寄り、並んでいるものを眺めていく。

 パン、肉、魚、野菜――必要最低限のものはある。

「…これはなにかしら?」

 その中で、ルシエラの目を引いたのが、小さいラムネのようなものがいっぱいに詰められた小瓶である。

「サプリメントだ」

「さぷり……? ラムネじゃなくて?」

 ルシエラはひょいと小瓶をつまみ上げる。

「簡単に言えば、薬みたいなものだ。ひとつ飲めば、一食分の栄養が取れるだってよ」

「これだけで?」

 白くて丸い粒粒が、整然と並んでいる。瓶の蓋を開け、匂いを嗅いで見るが無臭なのが益々不思議でならない。

「……これを、食べるの?」

「商人や旅人向けだな。この国に長く滞在する者は、仕事の合間に飲む。いちいち飯を食う時間を取るより効率がいいんだと。この国じゃ、食事は燃料だ。燃料の補充に時間をかけるのは無駄と考えるだとよ」

 ルシエラの眉が、みるみるうちに寄っていく。

「食事が効率だなんて失礼ね。味わって食べるものでしょうっ」

「スイーツだけな」

「…じゃああの自動人形たちは? これを食べるの?」

「あいつらは食べない。充電する」

「はあ? た、食べないですってっ!?」

 今度は、道の端を顎で示した。

「見てみろ」

 ルシエラの目がそちらを向いた。

 建物の壁沿いに、等間隔で金属の柱が並んでいる。

 自動人形が一体、その柱に触れながら、ぴたりと静止している。

 胸の点滅が、ゆっくりと規則正しく明滅していた。

「あれが……食事ってこと?」

「そうだ。電気を補充する。時間にして数十分から一時間。それで一日動けるそうだ」

「……味も、香りも、誰かと囲む食卓も、全部いらないのね」

 その呟きには、誰かを責める色はなく、ただ純粋な驚きに満ちている。

「人間も、突き詰めればそういうものだとここの住人は考えてる。食事に意味を持たせるのは非合理だ、と」

「非合理……」

 ルシエラはサプリメントの小瓶をもう一度見た。

「…試してみるか?」

「そうね。これもなにかに使えるかもしれないし……」

 即答であった。


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